【R18】陰陽の聖婚Ⅰ:聖なる婚姻

無憂

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8、神器の在処

神器の在処

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 恭親王はゾラとトルフィンには、今日の襲撃の後始末をつけるように命じて、一旦部屋から下がらせた。
 メイローズに命じて新しい茶を淹れさせる。

 湯気の立つ熱い茶が前に置かれたところで、恭親王がメイローズに言った。

「さっきの話だが……ゾラとトルフィンの前では言いたくなかったので誤魔化したのだが、私の推測では、エイダの雇い主はイフリート公爵の嫡子ギュスターブだろう」

 お茶を淹れ終わって横に控えていたメイローズが、驚いて恭親王を見た。

「どうして、そう、思われるのです?」
「エイダが何故、アデライード姫を殺さなかったのか、刺客から守っていたのか、おそらくそれは、十年前の誘拐事件と関係がある」

 そう言って、恭親王はじっとアデライードを見た。

「あの誘拐事件の目的は二つ。一つは、アデライード姫を亡き者にすること。もう一つは、アデライード姫が聖地に持ち込んだ、女王家の神器を取り戻すこと」

 アデライードが、翡翠色の瞳を大きく見開いて身体を固くする。膝に置いた両手は白くなるほどきつく握りしめられている。
 恭親王はその様子を肯定の合図だとみなして、話を続けた。

「これはあくまで私の推測だが、ユウラ女王はギュスターブとの結婚を望んでいなかった。そしておそらく、ギュスターブの父、イフリート公爵もまた、息子とユウラ女王の結婚は望んでいなかった。……イフリート公爵の目的は、徹頭徹尾、娘のアルベラ姫の即位だ。ここで迂闊にユウラ女王に再婚などされて、ギュスターブとの間に王女でも生まれれば、アルベラ姫の即位がさらに遠ざかる恐れがある。一方、イフリート公爵にとって、アデライード姫――あなたが邪魔なのは間違いない。あなたは〈王気〉を持たないアルベラ姫と違って、強い〈王気〉を纏って生まれてきた。あなたが存在する限り、〈禁苑〉はアルベラ姫の即位には首を縦に振らないだろう。だから――あなたが聖地の修道院に入る機会に、亡き者にしてしまおうと考えた」

 アデライードは蒼白な顔色のまま、恭親王を凝視して話を聞いている。

「だが、聖地に赴くあなたに、ユウラ女王が女王家の神器を渡したことで、彼らの計画が狂った。まずギュスターブにとっては、神器がなければ正式な執政長官(インペラトール)に就任できない。要は、女王に夫として認められていないことを示すようなもので、男としては屈辱的だ。また、イフリート公爵にとっては、アルベラ姫を即位させるためには、神器は必要だ。女王位継承を争うあなたの手元から、自分の方に取り戻しておきたい。あなたを殺すだけなら、船の事故でも何でも工作することができたが、神器の所持を公にするためにはそれではまずい。神器だけが突如イフリート公爵のもとに現れたら、誰がアデライード姫を殺したのか、バレバレだからな。……だから、イフリートの〈黒影〉を動員して、神器を確保した上で、事故を装ってあなたを殺そうとした」

 恭親王は少し冷めたお茶を一口啜り、喉を潤した。

「おそらく、本物の馭者とエイダ修道女を殺して二人に成りすました〈黒影〉は、〈港〉であなたたちを迎えて、修道院へ行くと偽って街道をひたすら北上した。本来の計画では、崖から馬車ごと落下する事故を装うつもりだったと思う。馭者はわずかな金品を奪って逃げ、エイダは瀕死の重傷を負い、馭者が物取りだったと証言する予定だったのだろう。だが、計画が狂う。何が起きたのかわからないが、あなたとエイダだけが馬車を降り、馭者はしかし今さら計画の変更もできずに、崖から馬車を落として乳母と侍女を殺し、自分は逃げた。エイダは姫君とはぐれて道に迷ったとして、姫君は迷子になって凍死させることにした。身体の弱い姫君なら、初冬の森の中に一晩放置すれば確実に死ぬからな。しかし、思わぬ誤算が二つ」

 恭親王が、黒曜石の瞳でしっかりとアデライードを見つめながら、言った。

「まず、エイダはあなたと別れる前に、神器を確保できなかった。エイダはきっと、イフリート公爵ではなく、ギュスターブの命令の方を重視していたんだろう。あなたが死んで、後から神器が発見された場合、イフリート公爵は法定相続を言い立てて、アルベラ姫にそれを相続させるつもりだった。だが、それではギュスターブは執政長官になれない。エイダはあなたから神器を奪い、〈姫君がこれを母上に返して欲しいと言っていた〉とでも証言するつもりだった。ユウラ女王の元に返されれば、ギュスターブはまだ、指輪を手に入れる望みがある。……ギュスターブはユウラ女王に自分の血を引く王女を生ませるつもりだっただろうしね」

 蒼白になったアデライードが、唇を噛んで、ぎゅっと長衣のスカートを握りしめる。

「もう一つの誤算は、あなたが森の中で誰かに助けられ、尼僧院に届けられたこと。高い熱を出したものの、あなたは治療を受け、命を取り留めた。そして、あなたの身の回りからも、馬車からも、神器は発見されなかった。――エイダと、そしてギュスターブは考えたわけだ。あなたが、神器をどこかに隠した、と。だから、どうしても神器が欲しいギュスターブとその命を受けたエイダは、神器の在り処を知るあなたを、殺すことはできなくなった」

 金色の、長い睫毛を伏せ、アデライードが白い顔を俯ける。憂いを含んだその唇から匂うような色香が立ち昇る。メイローズは、無意識に唇を舌で湿しながら、アデライードの十年に思いを馳せた。わずか六歳の少女が神器を託され、そのために命を狙われたのだ。
 
「一方の、イフリート公爵は現実主義者だ。神器が失われたのなら、それはそれで好都合ぐらいにしか思わなかった。なにせ、六歳の子供に神器を託し、その子が道に迷って失くしたのだ。イフリート公爵もアルベラ姫も、すべてアデライード姫とユウラ女王の落ち度にして、何食わぬ顔で即位すればいい。それよりも、あなた自身が生きている方が不都合だ。だから、幾度もあなたの命を狙い、そのたびにエイダがそれを防ぐことがこの十年、繰り返された。……そういうことだと、私は推測しているが、間違っているか?」

 恭親王がアデライードに問うと、アデライードは睫毛を伏せたまま、ふるふると首を振った。

「この期に及んで、エイダはまだ、神器を諦めてはいないのだな?」

 こくん、と大きく頷くアデライードに、恭親王が重ねて尋ねる。

「あなたは、神器の在り処を知っているのか?」

 メイローズがぎょっとしたように恭親王を見る。アデライードが躊躇うように視線を泳がせるのを見て、恭親王はある確信に至る。

「あなたを、森の中で助けた人間がいるはずだ。彼が――神器を持っている、そうだね?」

 はっとしてアデライードが顔を上げ、恭親王を凝視する。その目は驚愕と恐怖に見開かれ、わずかに開いた唇は色を失い、微かに震えていた。
 アデライードは、少しだけ、首を横に振った。
 違う、というのとは、少し異なる。まるで肯定した上で、彼のことは放っておいて、と懇願するような、そんな仕草に恭親王には見えた。

「その少年――いや、少年僧は、私と同じような、〈王気〉を纏っていたのではないか?」

 アデライードは思わず両手で口を覆って、がたがたと震えはじめた。見開かれた翡翠色の瞳が怯えの色を滲ませ、首を振って否定するが、それはすでに否定になっていなかった。
 メイローズが息を飲んで二人の姿を凝視する中、恭親王は懐に手を入れると、革張りの小さな箱を取り出した。

「……神器というのは、これのことか?」

 蓋を開けて、中が見えるようにアデライードの前に置く。涙型の大粒の翡翠の周りに金銀の象嵌ぞうがんを施した、古い指輪。
 瞬間、息を飲んだアデライードは今にも崩れ落ちそうなほど蒼白な顔色をし、翡翠色の瞳が零れ落ちるのではないかというほど両目を見開いて、まるで幽霊でも見るように指輪を凝視した。たっぷり数十秒、指輪を見つめたあと、大きく息を吸い込んで、吐き出した。そして、掠れる声を絞り出す。

「……シ……ウ……」

 縋るような、祈るような眼差しで、アデライードが恭親王を見る。

「先ほども言ったけれど、姫……私の名はユエリンだ」

 しっかり、アデライードを見据えて恭親王が首を振る。途端にアデライードの翡翠色の瞳が絶望に染まる。アデライードが、声にならない掠れ声で、切れ切れに口に出す。

「……それ……シウ……リンの……。彼……どこ……?」

 恭親王が、どこか痛みを堪えるような表情で、言った。

「シウリンは、もう、この世にいない」

 次の瞬間、身体がぐらりと揺れ、アデライードは命を失った人形のように、がっくりとソファに頽れた。
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