【R18】陰陽の聖婚Ⅰ:聖なる婚姻

無憂

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8、神器の在処

〈港〉と別邸

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 結局、馬車の中では身体を離してはもらえなかった。膝の上に抱きかかえられてプラチナブロンドを撫でられ、長い指で絡めとられて口づけられたりしながら、揺れる馬車の上で過ごした。やがて馬車のスピードが落ちた。

 「市街に入ったな」

 壊れた鎧戸はすでに取り払い、窓は全開になっている。恭親王に言われてアデライードが窓の外を見ると、両側に商店が居並ぶ大きな通りを走っていた。十年前、〈港〉からこの道を逆に通って北上したことを思い出した。

 「しばらくは無理だが、機会があれば街に出よう。十年、修道院に閉じ込められていたのだろう。神殿の祭りの時にはこの道にも屋台が出ると聞いた」

 アデライードのこめかみに唇を近づけるようにして、恭親王が低い声で言った。こめかみから流れ込む〈王気〉が、アデライードの身体の中を巡る。何の脈絡もなく、自分の魔力が上手く流れているのは、彼に触れられ、彼の〈王気〉と混じりあっているせいだろうかと気づく。どういうことなのだろうと、じっと恭親王を見つめると、視線に気づいた恭親王が少しだけ目元を和らげた。 

 「ここが広場で、あちらの建物が小神殿……神殿娼婦のいるところだ。まあ、女には興味の湧かない場所だろうが」

 恭親王が指を差しながら説明する。神殿は白一色の建物、商店は様々な小窓に花が飾られ、看板が掲げられてとりどりに美しい。

 「この大通りのどんづまりが〈港〉。別邸は、少し外れた運河の畔にある」

 大通りを進んでいた馬車が曲がり、少し細い道に入る。正面に大きな門が見えてきた。衛兵が二人、前に立っている。

 「あれが総督府の別邸だ。結婚式まであそこで過ごしてもらう。侍女が二人。仕事には慣れてないが、信用は置ける」

 衛兵が馬車を認めて門を開け、敬礼する前を通り過ぎて敷地内に入った。馬車の背後で門が閉まる音を聞きながら、馬車はそのまま庭を進んで、車寄せまできてようやく止まった。
 馭者台から降りた侍従武官のゾラが、扉を開けて顔を出し、咳払いして言った。

 「ついたっすよ、殿下」
 
 恭親王はアデライードの膝の裏に腕を通して軽々と抱き上げると、そのまま馬車を下りた。アデライードは反射的に恭親王の首に両腕を回し、腕に抱かれたまま、建物の中に脚を踏み入れた。

 別邸は、東方風の四合院しごういん形式の建築で、アデライードは珍しさに目をみはる。ゾラがアデライードの小さなカバンを持って、後ろについてきたが、アデライードはそのカバンを目にした時、ふいにエイダのことを思い出した。あの人をこんなにも簡単に追い払ってしまったけれど、大丈夫なのだろうか? アデライードの胸の中は不安ではち切れそうになる。

 建物に入ったところで、もう一人の侍従らしき若い男が、慌てて走り寄ってくる。

「殿下!馬車がひどい有様ですけど!何があったんですか?」
「襲撃された。月神殿では毒殺されかかるし、最悪だ」
「帰り道なんてさ、結構な人数に襲われてよ、もう、ムカツクっての。馬がやられた奴等を置いてきたから、スグに応援に行ってやんないと。敵の死体の処理とか、これから大変だぜ」

 ゾラが肩を竦めて付け足す。

「ではそちらの方は処理しておきます」
「太陽宮のジュルチ僧正が僧兵を応援に寄越してくれるらしいから、彼らがもう、現場に着いているかもしれない。協力して事に当たってくれ」

 トルフィンに言い置き、恭親王はアデライードを中庭に面する明るい部屋まで運び、ソファにそっと下ろした。建物は東方風だが、室内のしつらいは西方風である。部屋ではリリアとアンジェリカが姫君の到着を待っていた。

「殿下……それが、例のお姫様?」 
「そうだ。暗殺されかかって昼食を食べ損ねて腹ペコだ。簡単なもので構わないから準備してくれないか」
「その前にその……お召し物が汚れていらっしゃいます。殿下も……まずはお着換えになったらいかがです?」

 アンジェリカに指摘されて自分の身体を見下ろし、恭親王はかなりの返り血を浴びていることに気づく。黒い服なので目立たないが、飛び散った血が金ボタンにこびりつき、固まっていた。アデライードの方は、恭親王の服についた血が移ったらしく、白い長衣のところどころに擦れたように血がついていた。

「そうだな、まずは着替えてくる。姫の衣裳はもう、セルフィーノが届けてくれたのだよな?」
「はい。もう、全て梱包こんぽうも解いて、いつでも着られるように準備してあります」

 リリアも頷くので、恭親王はアデライードを二人に任せて自身も着替えに行った。

 血で汚れた正装を脱ぎ、顔と髪を簡単に洗って血の汚れを落とし、白いシャツに黒い脚衣、はなだ色の袖なしの上着をひっかけ、黒い帯と剣帯を着ける。大事な小箱を懐に入れ、黒い長靴ちょうかを履こうとして、さすがに暑いのに疲れて、普段履きの木の下駄を素足につっかけて部屋を出る。

 さっきの部屋に戻ると、アデライードはまだ着替えから戻っていなかった。恭親王は無人の部屋から中庭に出て甲高い指笛を鳴らす。ばさっと羽音がして、黒い綺麗な鷹が恭親王の伸ばした腕に舞い降りた。

 恭親王がエールライヒを腕に止まらせて室内に入り、窓辺に置いた止まり木に止まらせ、餌箱から肉を出して手ずから食べさせてやると、黒い鷹は嬉しそうに二度、三度と羽ばたいた。

 奥の扉が開いてアンジェリカの先導でアデライードが部屋に入ってくる。新しく用意した水色の地に葡萄唐草文様の裾模様を染めた更紗さらさの長衣に着替え、腰は赤い組み紐で留めている。髪は顔の横の毛を編み込んで後ろにまとめており、先ほどより軽やかな印象だ。恭親王は、これも悪くない、と思う。

 アデライードは恭親王に気づくと、彼が餌をやっている黒い鷹を見て、目を輝かせる。アデライードが食い入るように鷹を見つめているのに気づいた恭親王は、口元に笑みを浮かべた。

「鷹を見るのは初めて?」

 こっくり、と大きく頷くアデライードに、恭親王は少し目を眇め、笑う。

「餌をやってみるか?」

 アデライードの顔がぱっと明るくなり、こくこくと嬉しそうに頷くので、手招きして窓際の止まり木の側に呼んだ。餌箱から肉を取り出し、アデライードに渡す。

くちばしの前に差し出してやればいい。……大丈夫、訓練してあるから、あなたの指を傷つけるようなことはない」

 言われるままにアデライードが肉を右手の人差し指にひっかけ、鷹の目の前に差し出す。鷹が少し首を傾げるようにして黒い瞳でアデライードを見、覗き込むようにして餌に顔を近づけるのに、恭親王が横から言った。

「エールライヒ、よく匂いを憶えておいてくれ。この人は私の妻になる人だ。……手紙のやり取りをしてもらうかも知れないからな」

 エールライヒは器用に嘴で肉をつまむと、瞬く間に口に入れてしまう。二度、三度と餌を運んで、アデライードは嬉しそうに目を輝かせて餌をやると、その黒く艶やかな羽を撫でてみたくなった。

 じっと無言で恭親王を眺め、次に鷹を見る。何か言いたげなのに恭親王が気づいて目を眇める。

「どうしたいのだ?……要望は口で言わねばわからぬぞ」

 そう言われて、アデライードが困ったように下を向いた。恭親王がその視線を追いかけるように顔を覗き込み、聞いた。

「どうした?エールライヒはもう腹はいっぱいだ。……もしかして、触りたいのか?」
 
 ぱっと顔を輝かせてこくこく頷くアデライードに、恭親王は苦笑いする。

「はい、だ。触りたいのか?」

 アデライードにとって声を出すことは大概に勇気のいることだ。それをわかっていて、男は意地悪を言う。

「口で言わねば、永遠に言葉をしゃべれなくなるぞ。……ほら、触りたいのか?」
「……は……い……」

 掠れた、蚊の鳴くような声だが、恭親王は満足したように微笑むと、まず自分が手本を示すようにエールライヒの羽を撫でた。

「羽の方向に添って、優しく撫でてくれ」

 アデライードが恐る恐る白い手を差し出し、黒光りする羽にそっと触れた。優しく撫でるのに、エールライヒが気持ちよさそうに目を細める。
 
「エールライヒ、アデライード姫だ。よろしくな」
「……よろ……ひく……」

 まだうまく舌の回らないアデライードの言葉に、恭親王が優しく目元を緩ませ、彼女のこめかみに軽い口づけを落とした。
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