【R18】陰陽の聖婚Ⅰ:聖なる婚姻

無憂

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1、聖なる婚姻

恭親王ユエリン

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 恭親王ユエリン。
 東の帝国の第七百三十二代皇帝シェンヤンの十五番目の皇子であり、母が三妃以上でなければ与えられない親王の爵位を持つ。二十人を超える皇子たちの中で、親王位を有するのはわずか五人である。「恭」は称号。皇族の本名を呼ぶことが不敬に当たる帝国では、もっぱら恭親王殿下と呼びならわされる。彼は、現皇后の唯一の所生であり、皇太子に次ぐ二位の皇位継承順位を有する、二十二歳。

 その彼が突如、皇帝の常宮である乾坤けんこん宮に内密の呼び出しを受けたのは三日前の夜のこと。滅多にない皇帝の呼び出しに、胸騒ぎを押し隠して、指定された御簾みすの陰で待っていると、現れたのは太陽神殿の神官と、聖地・太陽宮の十二僧正の一人、ジュルチ僧正であった。
 存在を悟られぬように息を殺し、神官らの話に耳をそばだてれば、二百年ぶりに〈聖婚〉を行うという。

 〈聖婚〉―――太陽の龍騎士と月の精靈ディアーヌの婚姻にちなんで、二つの王家は婚姻を繰り返し、それによって陰陽を調和させねばならない、と。
 もちろん、〈聖婚〉に関する知識はある。だがこの二百年、主として西の女王国側の拒絶によって行われていない、もはやいにしえの風習だ。今さら復活させて、意味があるとは思えない。

 いや、そんなことよりも。
 何故、自分がわざわざ呼び出されたのか。
 ものすごく嫌な予感しかしなかったが、恭親王はただ話を聞いた。それは非常に不愉快な話であった。

 要するに、現在、西の女王国には〈聖婚〉の資格を持つような――つまり、調和すべき陰の〈王気〉を持っている――王女は一人しか残っていないらしい。そしてその王女の両親はすでに亡く、幼少より聖地・太陰宮の修道院で生い育ったという。
 〈禁苑きんえん〉としては、その王女を女王として即位させたい。ところが、西の王都ナキアで元老院のトップとして実権を握るイフリート公爵は、当然ながら自身の娘である王女を即位させようとしている。こちらの王女にはなんと、〈王気〉がないという。

 〈王気〉がない王女、と聞いて、恭親王は御簾の陰で思わず眉を顰めた。〈王気〉とは、金銀の龍種である東西の皇王家の者だけが持つ、陰陽の強い〈気〉のことだ。〈王気〉とは魔力の源であり、龍種である証そのもの。どういう訳なのか、東の皇族は強い魔力を持ちながら、皆な一様に〈王気〉を視認することができないのだが、間違いなく全員、〈王気〉をその身にまとっている。もとい、〈王気〉を持つが故に、皇族だと認められる。滅多にないが、老いや病で〈王気〉が減退した場合、〈王気〉を失った時点で皇族の籍を外される。〈王気〉を持たない皇族など、存在しないのだ。それは西の女王家でも同様だと信じ込んでいたが、そうではなかったのか。

 だいたい、女王家というのは遺伝的な疾患なのか、女しか生まれない。つまり、王女である以上、女王か、とにかく〈王気〉を持つ陰の龍種の腹から生まれているはずである。にもかかわらず〈王気〉を持たぬとは、いったいどういうことなのか。

 恭親王の疑問を無視して、御簾の向こうの話は進んでいく。
 さすがに〈禁苑〉は〈王気〉を持たぬ王女の即位は認めず、唯一の〈王気〉持ちの王女の即位を押しているらしいが、世俗主義の蔓延する女王国では、イフリート公爵の意向をはねのけることは難しいらしい。
 さらにここ二百年、〈聖婚〉を行わなかった結果、特に女王国の西部辺境では魔物の発生が相次ぐ等の問題が起きている。〈禁苑〉としては何としてもここで〈聖婚〉を行い、東の帝国の後押しを得てイフリート公爵を排除し、〈禁苑〉の影響力のおよぶ女王を立てたいという思惑があるのだ。

 聖地の修道院育ちの女王では、西の元老院や貴族たちを抑えることはできまい。だから帝国の皇子が女王の夫として執政長官インペラトールとなり、帝国の威光を背に、イフリート公爵以下の世俗派を排除し、女王国を実質的に帝国の保護国化せよと。

(戦争する気満々ではないか。――なるほど、それで恭親王、もとい、〈狂王〉ユエリンをご指名なわけか)

 西の女王国は帝国に唯一匹敵する対等の国だ。代々〈聖婚〉の名のもとに婚姻も結び、〈禁苑〉の保護者として、帝国とともに陰陽を調和してきた西の大国。その歴史ある国の女王位継承に介入し、さらにその後の混乱を収拾して実権を掌握する。東の皇子ならば誰でもいい、というものではない。

(本格的な実戦と軍隊統率の経験があり、かつ、王女の年齢と釣り合う――そんな都合のいい皇子がいるか!)

 要求される働きを考えれば、成人後すぐの若造では無理だし、かといって、成人直後だという王女に、四十、五十の皇子を宛がうわけにはいかない。そもそも、ある程度の経験を積んだ皇子には、当たり前だがすでに妻子がいる。

 現在二十二歳の恭親王や、皇太子の息子廉郡王れんぐんのうグイン皇子、父皇帝の従弟(だが彼らと同じ二十二歳)の詒郡王いぐんのうダヤン皇子だって、世間的には十分若造の年齢だ。ただ、この三人は十六歳の初陣以降、小規模の小競り合いを含めれば、ほぼ毎年のように実戦を経験してきた。二年前には南方辺境の大規模な異民族反乱を平定し、その後、辺境が安定するまで、三人で協力の上、臨時に行政権限を振るって反乱後の辺境を統治したこともある。

 廉郡王は根っからの武人で戦闘狂の脳筋、詒郡王は優れた戦術家であるが享楽主義者でルーティンワークが大嫌い、結果、内政方面の書類仕事は、実際にはほとんど彼、恭親王に押し付けられていた。反乱の原因となった洪水被害とその後の治水事業の不備を洗い出し、改善策を建てて実行したのも彼である。

(だからといって、グインにだって、ダヤンだって、やってやれないことはない。たまたま、奴等が仕事を押し付ける都合のいい存在である私がいただけのことだ)

 恭親王とてただの世間知らずの皇子で、まだ二十二歳である。ちょっとばかし経験がある程度のことで押し付けられるには、この仕事は厄介に過ぎる。――と考えたところで、詒郡王が昨年、廉郡王も数か月前に、いずれも結婚したばかりであることを思い出した。経験がそこそこあってまだ若い皇子の中で、今現在、配偶者がいないのは自分だけである。恭親王は危うく、御簾の陰で舌打ちするところであった。

 〈聖婚〉の皇子は独り身――正室がいない、と言う意味で――が条件なのである。
 普通、彼の年齢の皇子が未婚ということはない。大抵、十七、八歳にもなれば釣り合う貴族の令嬢を宛がわれる。詒郡王も廉郡王もさんざっぱら我儘を言いまくり、遊びまくって二十歳すぎまで結婚を延ばしに延ばし、ようやく観念したが遅いくらいである。母親が皇后のために自由のきかない恭親王は押し切られ、十七歳で最初の結婚をしている。ただ、その妻が一昨年死んだのだ。

 恭親王は御簾の陰で思わず眉間に皺を寄せた。正室の死後、降るようにくる縁談を全て拒否していたが、別に死んだ妻に操立てしているわけではない。もう二度と、結婚など懲り懲りだと思っているだけだ。しかし、その結果、戦争と政争のオマケ付きの結婚が舞い込んできてしまったのだ。

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