229 / 236
【後日譚】天涯の夜明け
御母堂様
しおりを挟む
ガルシア城の重鎮たちとの夕食は気の張るものだった。自力では領の立て直しもできないくせに、帝国の介入を嫌う老臣たちは、帝国からの傅役など不要だとジュラの着任を拒もうとしたが、ジュラははっきりと言った。
「皇子に傅役が付くのは帝国の習い。ご不満であれば、皇子殿下は帝都にお連れ申す。帝国にてお育て申し上げよう」
「エドゥアルド様はガルシア領の跡継ぎだ! 取り上げるようなことは許さぬ」
「では、帝国の習慣に従い、傅役と護衛騎士を受け入れるべきでしょう」
帝国からの干渉は不快だが、跡継ぎの皇子と帝国からの援助がなければ領は立ち行かぬ。エドゥアルドが成人して正式に領地を継ぐ前に、ズタズタになった領地を再建し、財政を立て直さねばならない。それから、数を半分以下に減らしてしまった、聖騎士たちの育成も急務だ。
ジュラはここ数日の旅で慣れた、西方の料理を食べながら、今後のことに思いを巡らす。
一口に立て直すと言っても、ジュラはこの領地のことは何一つ知らず、また財政にも疎い。引き受けたはいいが、これはとんだ骨折りだなと、周囲に気づかれぬようにそっと、溜息をかみ殺した。
老臣たちとの会食はあまり雰囲気はよくなかったが、城に常駐する聖騎士らは、東の騎士たちにも好意的だった。
結界の瑕は塞がれたとはいえ、何かに憑依した魔物は結界内でも生き残っている可能性がある。そういった残存魔物の討伐は、本来ならばガルシア領の聖騎士の仕事で、実際、ホーヘルミアより以南では、ちょくちょく月神殿を通して討伐の依頼がかかる。だが例の結界崩壊時の騒乱で、ガルシア領の聖騎士は大きく数を減らしていた。皇帝が幼皇子の護衛としては一桁多いのではないかという、百騎もの騎士を付けたのは、南部での魔物の掃討のためでもある。ガルシア領の聖騎士を案内役に、皇子の護衛騎士たちは周辺の掃討のために何度も駆り出されており、聖騎士たちの間では、それなりの信頼関係も出来上がっていた。今回、百騎のうち半数の五十騎が交代になることもあり、騎士たちはこの後、騎士の詰所でさらなる親睦に励むと言い、ジュラが連れてきた幕友たちもそれに混じっている。
ジュラはもともと酒に強くないこともあって、一足先に宿舎に帰ろうとして、しかしシュテファンに呼び止められた。
「傅役殿。もしよければ、俺の部屋で一杯やりませんか。お話があるのです」
ジュラは赤白の細かい格子柄の布――これは聖騎士たちの一種の制服みたいなものらしく、ガルシア領の騎士は皆、揃いの布を頭に巻いていた――の影で、少し困ったように眉を顰めるシュテファンの表情から、彼が何か、打ち明け話をしようとしているらしいと気づく。
(――御母堂様の件か)
結局、先ほどはずっと皇子の馬をやらされて、話をする時間はなかった。
「恥ずかしながら、俺はあまり酒に強くなくて……」
「ならば、茶を用意しよう。……是非」
強いて言われ、ジュラは頷き、シュテファンの後に続く。ジュラも上背のある方だが、シュテファンはさらに高い。よく日に焼けた体躯は鍛えられて鋼のようで、剣の腕もそこそこだろうと思われた。一般に、騎士の技量は東が勝るとは言われるが、常に魔物の脅威にさらされてきた、ガルシア領の騎士の練度はかなり高いのだろうとジュラは思う。その彼らですら非業に斃れるしかなかった魔物の侵攻の凄まじさは、ジュラには想像を絶するものであったらしい。
――国土を守るために勇敢に戦い、命を落とした騎士たちのためにも、必ずやこの領地を立て直さねばならない。
ジュラがそんなことを考えていた時。
前を行くシュテファンが突如足を止め、小さく舌打ちした。不審に思い、シュテファンの視線の先を追えば、月の光に照らされた回廊の柱の陰に、ほっそりとした女が立っていた。
(――あれは、御母堂様?)
「ミカエラ様、こんな時間にどうなさったのです?」
「シュテファン、そのお客様にどうしてもお訊ねしたくて……」
「もう、夜も遅い。夜寒に触れて、お身体に障ります」
「お願いよ……」
ミカエラはシュテファンに縋るような目を向け、首を傾げる。白い絹の長衣が月光を浴びて、結わずに下ろした長い髪が、さらりと流れ落ちた。
「ねえ、お客様、シウリン様はわたくしのこと、何か仰っていなかった? いつくらいに迎えに来てくださるのかしら?」
「……えっと……御母堂様?」
「いやだわ、気が早いのね。……そうなの、でもこの子が生まれる前には、迎えに来ていただきたいのに。ねえ、シウリン様に早く来て、って申し上げて?」
この子、と言いながら、愛おしそうに平らな腹を撫でるミカエラに、ジュラが混乱する。
(妊娠中?……でも、まさか?)
意味が分からず、眉間に皺を寄せるジュラの耳に、シュテファンが舌打ちする音が、今度ははっきり聞こえた。
「ミカエラ様!……シウリン様のお迎えには、まだ数日かかると申し上げましたでしょう。このような時間に庭をうろついて、万一にもお体に支障が出たらどうなさるのです!」
「わかったわ……ごめんなさい。でも本当に待ちきれなくて……早くお会いしたくてたまらないの」
「早くお部屋に……レオン、お前、ちゃんとミカエラ様を見張……じゃなくてお側にいろと命じたではないか」
見ると探していたのか、昼間の十七、八の若い騎士が、慌てて中庭を横切ってくる。
「申し訳ございません!……ミカエラ様、戻りましょうよ!」
レオンと呼ばれた青年がミカエラの手を取り、シュテファンとジュラに一礼して戻って行こうとする。夢見るような覚束ない足取りで大人しくついていくミカエラが、だが足を止め、ジュラを振り返る。
「シウリン様にお伝えして。……ずっと待ってますの。ずっと、お慕いしております、と……」
月の光に浮かび上がる白い顔は美しいが、だがどこか虚ろな人形のようで、ジュラは背筋がぞくりとした。
(――狂ってる?)
「皇子に傅役が付くのは帝国の習い。ご不満であれば、皇子殿下は帝都にお連れ申す。帝国にてお育て申し上げよう」
「エドゥアルド様はガルシア領の跡継ぎだ! 取り上げるようなことは許さぬ」
「では、帝国の習慣に従い、傅役と護衛騎士を受け入れるべきでしょう」
帝国からの干渉は不快だが、跡継ぎの皇子と帝国からの援助がなければ領は立ち行かぬ。エドゥアルドが成人して正式に領地を継ぐ前に、ズタズタになった領地を再建し、財政を立て直さねばならない。それから、数を半分以下に減らしてしまった、聖騎士たちの育成も急務だ。
ジュラはここ数日の旅で慣れた、西方の料理を食べながら、今後のことに思いを巡らす。
一口に立て直すと言っても、ジュラはこの領地のことは何一つ知らず、また財政にも疎い。引き受けたはいいが、これはとんだ骨折りだなと、周囲に気づかれぬようにそっと、溜息をかみ殺した。
老臣たちとの会食はあまり雰囲気はよくなかったが、城に常駐する聖騎士らは、東の騎士たちにも好意的だった。
結界の瑕は塞がれたとはいえ、何かに憑依した魔物は結界内でも生き残っている可能性がある。そういった残存魔物の討伐は、本来ならばガルシア領の聖騎士の仕事で、実際、ホーヘルミアより以南では、ちょくちょく月神殿を通して討伐の依頼がかかる。だが例の結界崩壊時の騒乱で、ガルシア領の聖騎士は大きく数を減らしていた。皇帝が幼皇子の護衛としては一桁多いのではないかという、百騎もの騎士を付けたのは、南部での魔物の掃討のためでもある。ガルシア領の聖騎士を案内役に、皇子の護衛騎士たちは周辺の掃討のために何度も駆り出されており、聖騎士たちの間では、それなりの信頼関係も出来上がっていた。今回、百騎のうち半数の五十騎が交代になることもあり、騎士たちはこの後、騎士の詰所でさらなる親睦に励むと言い、ジュラが連れてきた幕友たちもそれに混じっている。
ジュラはもともと酒に強くないこともあって、一足先に宿舎に帰ろうとして、しかしシュテファンに呼び止められた。
「傅役殿。もしよければ、俺の部屋で一杯やりませんか。お話があるのです」
ジュラは赤白の細かい格子柄の布――これは聖騎士たちの一種の制服みたいなものらしく、ガルシア領の騎士は皆、揃いの布を頭に巻いていた――の影で、少し困ったように眉を顰めるシュテファンの表情から、彼が何か、打ち明け話をしようとしているらしいと気づく。
(――御母堂様の件か)
結局、先ほどはずっと皇子の馬をやらされて、話をする時間はなかった。
「恥ずかしながら、俺はあまり酒に強くなくて……」
「ならば、茶を用意しよう。……是非」
強いて言われ、ジュラは頷き、シュテファンの後に続く。ジュラも上背のある方だが、シュテファンはさらに高い。よく日に焼けた体躯は鍛えられて鋼のようで、剣の腕もそこそこだろうと思われた。一般に、騎士の技量は東が勝るとは言われるが、常に魔物の脅威にさらされてきた、ガルシア領の騎士の練度はかなり高いのだろうとジュラは思う。その彼らですら非業に斃れるしかなかった魔物の侵攻の凄まじさは、ジュラには想像を絶するものであったらしい。
――国土を守るために勇敢に戦い、命を落とした騎士たちのためにも、必ずやこの領地を立て直さねばならない。
ジュラがそんなことを考えていた時。
前を行くシュテファンが突如足を止め、小さく舌打ちした。不審に思い、シュテファンの視線の先を追えば、月の光に照らされた回廊の柱の陰に、ほっそりとした女が立っていた。
(――あれは、御母堂様?)
「ミカエラ様、こんな時間にどうなさったのです?」
「シュテファン、そのお客様にどうしてもお訊ねしたくて……」
「もう、夜も遅い。夜寒に触れて、お身体に障ります」
「お願いよ……」
ミカエラはシュテファンに縋るような目を向け、首を傾げる。白い絹の長衣が月光を浴びて、結わずに下ろした長い髪が、さらりと流れ落ちた。
「ねえ、お客様、シウリン様はわたくしのこと、何か仰っていなかった? いつくらいに迎えに来てくださるのかしら?」
「……えっと……御母堂様?」
「いやだわ、気が早いのね。……そうなの、でもこの子が生まれる前には、迎えに来ていただきたいのに。ねえ、シウリン様に早く来て、って申し上げて?」
この子、と言いながら、愛おしそうに平らな腹を撫でるミカエラに、ジュラが混乱する。
(妊娠中?……でも、まさか?)
意味が分からず、眉間に皺を寄せるジュラの耳に、シュテファンが舌打ちする音が、今度ははっきり聞こえた。
「ミカエラ様!……シウリン様のお迎えには、まだ数日かかると申し上げましたでしょう。このような時間に庭をうろついて、万一にもお体に支障が出たらどうなさるのです!」
「わかったわ……ごめんなさい。でも本当に待ちきれなくて……早くお会いしたくてたまらないの」
「早くお部屋に……レオン、お前、ちゃんとミカエラ様を見張……じゃなくてお側にいろと命じたではないか」
見ると探していたのか、昼間の十七、八の若い騎士が、慌てて中庭を横切ってくる。
「申し訳ございません!……ミカエラ様、戻りましょうよ!」
レオンと呼ばれた青年がミカエラの手を取り、シュテファンとジュラに一礼して戻って行こうとする。夢見るような覚束ない足取りで大人しくついていくミカエラが、だが足を止め、ジュラを振り返る。
「シウリン様にお伝えして。……ずっと待ってますの。ずっと、お慕いしております、と……」
月の光に浮かび上がる白い顔は美しいが、だがどこか虚ろな人形のようで、ジュラは背筋がぞくりとした。
(――狂ってる?)
12
お気に入りに追加
168
あなたにおすすめの小説
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
純潔の寵姫と傀儡の騎士
四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。
世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。
【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。
airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。
どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。
2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。
ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。
あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて…
あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
お見合い相手はお医者さん!ゆっくり触れる指先は私を狂わせる。
すずなり。
恋愛
母に仕組まれた『お見合い』。非の打ち所がない相手には言えない秘密が私にはあった。「俺なら・・・守れる。」終わらせてくれる気のない相手に・・私は折れるしかない!?
「こんな溢れさせて・・・期待した・・?」
(こんなの・・・初めてっ・・!)
ぐずぐずに溶かされる夜。
焦らされ・・焦らされ・・・早く欲しくてたまらない気持ちにさせられる。
「うぁ・・・気持ちイイっ・・!」
「いぁぁっ!・・あぁっ・・!」
何度登りつめても終わらない。
終わるのは・・・私が気を失う時だった。
ーーーーーーーーーー
「・・・赤ちゃん・・?」
「堕ろすよな?」
「私は産みたい。」
「医者として許可はできない・・!」
食い違う想い。
「でも・・・」
※お話はすべて想像の世界です。出てくる病名、治療法、薬など、現実世界とはなんら関係ありません。
※ただただ楽しんでいただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
それでは、お楽しみください。
【初回完結日2020.05.25】
【修正開始2023.05.08】
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる