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エピローグ
輝く星のように
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皇子は皇家の輩行に従ってアルデインと名付けられ、未来の皇帝候補として、すでに傅役の選定に入っている。成人後にソアレス公爵の襲爵が決まっているフエルが、その最有力候補である。――シウリンとしては不満ではあるが、アデライードがフエルを気に入っていることもあって、おそらくは学院卒業後に正式な拝命を受けることになるだろう。フエルもさすがに親父と同じ過ちは犯さないだろうと、シウリンも半ばあきらめている。
王女は女王家の慣習に従い、星の精霊から幼名をステルマリアと名付けられた。シウリンは七歳の命名式で贈る正式な名も、すでに決めている。五百年前の〈聖婚〉の王女の名にちなんで、アストレイアと名付けるつもりだ。アストレイアは星の女神であり、また双子の弟は少し遅れて生まれたことから、昴の後に続いて上り、「後に続くもの」と言う意味を持つ星の名、アルデバランより取った。天上に煌く星のように、人々を導いて欲しいとの願いを込めている。
健康そのものの皇子アルデインと違い、王女ステルマリアは身体が弱く、一時も気を抜くことができない。マニ僧都とアデライードとで、ほとんど専属の治癒術師のように貼りついて、魔力が安定するまでの困難な幼少期をなんとか乗り越えさせようと、常に目を光らせている。
昨年の一月に生まれたゾーイの長子フェロンは、ただの巨大児ではなく発達もすこぶる良好で、すでに自由に動きまわってやんちゃのし放題である。そのフェロンをゲルの息子三人が追いかけて王城の芝生を転げまわっている。子供たちの一番のお気に入りのお守りはジブリールで、ようやく伸びてきた白い鬣を引っ張ったり背中によじ登ったりしているが、百獣の王の貫禄で悠然といなしている。いずれアルデインもあの中に加わるのだろうと思いながらも、だが子供たちに圧し掛かられて潰れそうなジブリールをそろそろ救出しようと、シウリンは庭園の芝生を大股で横切り、ジブリールを呼んだ。
「お前たち、ジブリ―ルが我慢しているうちにいい加減にやめなさい。さっきアンジェリカが四阿におやつの用意をしていたから、行って食べてきたらどうだ」
一番大きいゲルの長男ルーンが立ち上がり、弟たちを促す。真ん中のレーンはよく気が付くタイプで、フェロンの手を繋いで四阿へと向かう。それを見送って、ようやく子守りから解放されたジブリールが甘えたように「クフン」と鳴いた。
「いつも苦労かけるな。……アデライードはどこだ?」
頭を撫でてやると、ジブリールは先に立って薔薇園の方へと歩きだす。すっかり大きくなって以前の毛玉のようなコロコロした感じはなくなって、ノッシノッシと貫禄のある歩き方だ。
手入れの行き届いた薔薇園の奥には、蔓バラを這わせた緑廊があって、アデライードはその陰にある大きなソファに寝そべって、何か書類のようなものを読んでいた。少し離れてアリナとマニ僧都が控え、上から吊るす形の籐の揺り籠で赤ん坊を寝かせていた。
まずアリナがシウリンの気配に気づき、立ち上がろうとするのを手で制して、マニ僧都には目礼してアデライードのソファの空いている場所に腰を下ろすと、ジブリールも二人の間に大人しく座った。アデライードが目を上げ、シウリンに微笑んだ。
「何を読んでいる?」
「アルベラからの手紙です」
「アルベラ?」
シウリンが黒い目を見開く。六月のこの時期、薔薇園は一気に盛りを迎えた薔薇の洪水で、噎せ返るような薔薇の香りに溢れていた。いくつも作られた蔓バラのアーチを、ちょうどメイローズとシャオトーズがお茶の盆を持ってくぐるのが見えた。真っ青な空の下を、さっきから黒い鷹が忙しく飛び回っている。
人間も鷹も、子育てに必死だな――。
ちらりと二つの揺り籠に目をやって、シウリンは唇の端をわずかに上げた。
「アルベラがなんて?」
「最近、銀色の〈王気〉がお腹の周りに視えるようになったと。女の子だとわかってホッとしているそうです」
アルベラの妊娠は伝えられていたが、性別まではわからなかった。つくづく、〈王気〉が視えるのは便利なものだと思う。
「なぜ女の子でホッとする?」
「だって、男の子だったら聖地に入れて〈純陽〉にするって、脅されていたそうですもの」
アデライードの視線が、僅かな非難を帯びているのを見て取り、シウリンは慌てて肩を竦める。
「口で言っているだけさ。兄上も照れているんだよ。五十を過ぎて今さら子供なんて……とか、私にも言っていたからな。本当は嬉しくてたまらないのを、本人は隠してるつもりでも、口元がだらしなく緩んでるから、バレバレだったけど」
「それでも……」
アデライードが何かいいさしたが、ちょうどシャオトーズとメイローズが茶の用意を運んできて、アデライードは口を噤む。
「それでも……何?」
「もともと、お兄様のところにおやりになるの、初めから決めていたんですって? 最初のお話では、たまたまお兄様がアルベラを気に入ってお手が付いてしまったと、仰っていたのに」
王女は女王家の慣習に従い、星の精霊から幼名をステルマリアと名付けられた。シウリンは七歳の命名式で贈る正式な名も、すでに決めている。五百年前の〈聖婚〉の王女の名にちなんで、アストレイアと名付けるつもりだ。アストレイアは星の女神であり、また双子の弟は少し遅れて生まれたことから、昴の後に続いて上り、「後に続くもの」と言う意味を持つ星の名、アルデバランより取った。天上に煌く星のように、人々を導いて欲しいとの願いを込めている。
健康そのものの皇子アルデインと違い、王女ステルマリアは身体が弱く、一時も気を抜くことができない。マニ僧都とアデライードとで、ほとんど専属の治癒術師のように貼りついて、魔力が安定するまでの困難な幼少期をなんとか乗り越えさせようと、常に目を光らせている。
昨年の一月に生まれたゾーイの長子フェロンは、ただの巨大児ではなく発達もすこぶる良好で、すでに自由に動きまわってやんちゃのし放題である。そのフェロンをゲルの息子三人が追いかけて王城の芝生を転げまわっている。子供たちの一番のお気に入りのお守りはジブリールで、ようやく伸びてきた白い鬣を引っ張ったり背中によじ登ったりしているが、百獣の王の貫禄で悠然といなしている。いずれアルデインもあの中に加わるのだろうと思いながらも、だが子供たちに圧し掛かられて潰れそうなジブリールをそろそろ救出しようと、シウリンは庭園の芝生を大股で横切り、ジブリールを呼んだ。
「お前たち、ジブリ―ルが我慢しているうちにいい加減にやめなさい。さっきアンジェリカが四阿におやつの用意をしていたから、行って食べてきたらどうだ」
一番大きいゲルの長男ルーンが立ち上がり、弟たちを促す。真ん中のレーンはよく気が付くタイプで、フェロンの手を繋いで四阿へと向かう。それを見送って、ようやく子守りから解放されたジブリールが甘えたように「クフン」と鳴いた。
「いつも苦労かけるな。……アデライードはどこだ?」
頭を撫でてやると、ジブリールは先に立って薔薇園の方へと歩きだす。すっかり大きくなって以前の毛玉のようなコロコロした感じはなくなって、ノッシノッシと貫禄のある歩き方だ。
手入れの行き届いた薔薇園の奥には、蔓バラを這わせた緑廊があって、アデライードはその陰にある大きなソファに寝そべって、何か書類のようなものを読んでいた。少し離れてアリナとマニ僧都が控え、上から吊るす形の籐の揺り籠で赤ん坊を寝かせていた。
まずアリナがシウリンの気配に気づき、立ち上がろうとするのを手で制して、マニ僧都には目礼してアデライードのソファの空いている場所に腰を下ろすと、ジブリールも二人の間に大人しく座った。アデライードが目を上げ、シウリンに微笑んだ。
「何を読んでいる?」
「アルベラからの手紙です」
「アルベラ?」
シウリンが黒い目を見開く。六月のこの時期、薔薇園は一気に盛りを迎えた薔薇の洪水で、噎せ返るような薔薇の香りに溢れていた。いくつも作られた蔓バラのアーチを、ちょうどメイローズとシャオトーズがお茶の盆を持ってくぐるのが見えた。真っ青な空の下を、さっきから黒い鷹が忙しく飛び回っている。
人間も鷹も、子育てに必死だな――。
ちらりと二つの揺り籠に目をやって、シウリンは唇の端をわずかに上げた。
「アルベラがなんて?」
「最近、銀色の〈王気〉がお腹の周りに視えるようになったと。女の子だとわかってホッとしているそうです」
アルベラの妊娠は伝えられていたが、性別まではわからなかった。つくづく、〈王気〉が視えるのは便利なものだと思う。
「なぜ女の子でホッとする?」
「だって、男の子だったら聖地に入れて〈純陽〉にするって、脅されていたそうですもの」
アデライードの視線が、僅かな非難を帯びているのを見て取り、シウリンは慌てて肩を竦める。
「口で言っているだけさ。兄上も照れているんだよ。五十を過ぎて今さら子供なんて……とか、私にも言っていたからな。本当は嬉しくてたまらないのを、本人は隠してるつもりでも、口元がだらしなく緩んでるから、バレバレだったけど」
「それでも……」
アデライードが何かいいさしたが、ちょうどシャオトーズとメイローズが茶の用意を運んできて、アデライードは口を噤む。
「それでも……何?」
「もともと、お兄様のところにおやりになるの、初めから決めていたんですって? 最初のお話では、たまたまお兄様がアルベラを気に入ってお手が付いてしまったと、仰っていたのに」
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