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18、永遠を継ぐ者

龍種のさだめ

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 シウリンが月神殿のミカエラのもとを非公式に訪れたのは、七月の末のこと。ミカエラ本人は渋っているが、彼らのガルシア領への出発は、八月末と決められた。温暖なナキアにも朝晩は涼しい風が吹き、秋の気配が漂い始めるこの時期ならば、赤子連れの旅もそれほど困難ではないはずだ。

 シウリンが月神殿の廊下を進んでいくと、ミカエラの従者の男たちが片膝をついて頭を垂れていた。シュテファンとユーリ、ダグラス、そしてレオン。
 
「貴き身をこのようなところまでお運びいただき、感謝に堪えません」

 代表して頭を下げるシュテファンを、シウリンは胡散臭そうに見た。

「もういい。私はアデライードに頼まれて、書類を渡しにきただけだ。以前に言った通り、許すつもりも信じる気ももう、ない。ただ罪もない子供の代わりに、私が少しだけ、取りたくもない責任を取るだけのこと」
 
 それだけ言って奥へと通る。
 ミカエラは白い絹の長衣の上に深い青の上着を着て、金の腰帯を交差するように結び、腕に赤子を抱いてシウリンを出迎えた。

「本日はお運びいただき……」
「誤解するなよ。私はもう、お前の顔など見たくなかったが、それでは無責任だとアデライードが言うから、仕方なく来た。あとこれを――」

 シウリンが懐から丸めた特許状を出し、無造作にミカエラに渡す。

「その子供の護衛騎士と、養育のための宦官たちもこちらに連れてきた。龍種は特殊な体質であるから、宦官の助言をよく聞き、事故のないようにせよ。本来ならば傅役が必要だが、辺境に骨を埋める覚悟のある、貴種の男に思い当たるフシがない。ひとまず数年は傅役無しで問題ないだろう。護衛騎士は数年で交代させるが、何か要望等があれば、彼らに言えば我々の耳に届く」

 淡々と事務的に語り、背後に控えるまだ若い宦官を引き合わせる。
 
「か……宦官?」

 ミカエラもシュテファンらも意外そうにシウリンを見る。

「龍種の精は平民の女には猛毒だ。ガルシア城には平民の女も多く仕えているだろうが、身の回りの世話をさせるには気をつけろ。世話については彼らが心得ている」
 
 それだけ言うと、手持ち無沙汰になったのか、早くも帰りたそうにな表情で、溜息をついて周囲を見回した。

「その……この子、です。その、エドゥアルドと、名づけました。わたくしの祖父の名で――」

 ミカエラが、シウリンのもとに子供を抱いていく。この子への愛情だけが、ミカエラの縋る最後の砦だった。だが、シウリンは赤子をちらりと見て、薄っすら目を細めただけで、手を振って抱くのを拒否した。

「いや……いい」
「……抱いても下さらないのですか?」

 目を潤ませて懇願するミカエラから、シウリンは顔を背ける。

「その子は要するに、私がアデライードとの誓いを裏切った証だ。たとえどれほどの言い訳を重ねようが、その子の存在が私に裏切りを突きつけてくる。はっきり言えば見るのも嫌だ」

 その言葉に、ミカエラが愕然とした表情でシウリンを見つめた。シウリンは醒めた目でミカエラを見返す。

「私にとってアデライードは全てだ。彼女がいれば何も必要なく、彼女を失えば全てが消える。私は幾度も彼女を裏切り、足を踏み外して穢れたけれど、彼女は私を受け入れてくれた。あの時、記憶を失って十二歳に戻ったのは、天と陰陽が与えてくれたやり直しの機会だった。私はもう一度彼女に誓って――その誓いを、お前たちは無理に破らせた。なぜ、その子を私が愛せると思うのか、私には理解できない」
「シウリン様――」

 その言葉は、ミカエラの中の何かを、確実に折ったらしい。呆然と赤子を抱きしめるミカエラに、シウリンはさらに言った。

「だが、その子はきっと、天と陰陽にとっては必要な子なのだろうと、アデライードが言うから来た。私たちがへパルトスに飛ばされ、私がそこから女王国を旅することになったのも、全てはその子を生み出すためだったのかもしれないと。きっと、この調和された世界を守る、何かの役割を負っているのだろう」

 不意にアデライードの言う、金の〈王気〉を持つ辺境伯という言葉が頭をよぎる。本当に天と陰陽は、シウリンの人生を好き放題に使いまわしてくれるものだ。だがそれも全て、龍種に生まれた定め。――この子も、いずれはその重荷を背負うのだ。
 シウリンは立ち上がり、ミカエラに背を向けた。

「シウリン様、待って――わたくしは……」

 だが、シウリンは後ろを振り返ることなくミカエラの部屋を出る。メイローズが軽く会釈をして後を追う。背中にミカエラの号泣を聞きながら廊下を遠ざかれば、宿泊エリアの入口で若い見習いの女神官を揶揄っていたゾラが、慌てて居住まいを正し、主を出迎えた。

「えらく早いっすね。もう、お帰りっすか?」
「いや、これから神殿の礼拝堂に寄る。アデライードの安産祈願をお願いしなければ」

 気の重い仕事を終えてホッとしたようにシウリンが言えば、ゾラが目を丸くする。

「ほんとうっすか。それはめでたいっすね。でも、生まれるのはだいぶ先っしょ?」
「今度こそ、ちゃんとこの世に生まれてくれるように、しっかりお祈りしないと。これから毎月恒例で参詣するぞ。聖地にも使者を出してお布施を弾まないと。……思うに、前回の時は、私は不信心に過ぎたのかもしれん」
「うわ、不信心が理由で赤ん坊がダメんなるんだったら、俺、一生子供生まれねーじゃん」
「そもそも、結婚する気があるのか、お前は」

 呆れたように言う主に、ゾラが肩を竦めた。

「親父からさすがに説教の手紙が来たっすよ。三十になるんだから、いい加減に結婚しろってさ。――でもこの前、盛大に振られたところなんすけど」

 恨みがましい目で主をじろっと見たゾラに、ゾラが振られた理由に関わりがないわけではないので、シウリンは気まずそうな表情をする。

「まあ、なんだ、そのうちお前の女遊びにも寛大な、破れ鍋に綴じ蓋みたいな女房が現れるさ」

 ものすごい気休めを言う主に、ゾラが首をコキコキ鳴らしながら言う。
 
「そうっすかねー。最近、リリアちゃんとユーエルがいい雰囲気なんすよー。なんかムカつくなってさ。ユーエルの癖に生意気じゃねぇっすか?」
「ユーエルの癖にって、身分や家柄を抜きにして考えれば、結婚相手としてはどう考えてもユーエルの方がいいだろ。悪いが、お前に自分の娘を嫁にやろうとは、到底、思えん」
「うわー、それ地味に傷ついちゃった、俺。あー、この後俺、神殿娼婦ちゃんに慰めてもらわないと、立ち直れねぇっす」
「だから、それがイカンと言うのだ!」

 くだらないことを言い合いながら回廊を立ち去るシウリンの頭はもう、アデライードに宿ったという、子供のことでいっぱいだった。
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