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12、女王の寝室
ミハル襲来
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「まあまあまあ、もう、何ですの、これは! これが本当に、二千年来の女王の王城だなんて、聞いて呆れますわ! 白鳥城だなんて、見掛け倒しもいいところですわね。まったくもう、あれも、これも! 信じられませんわ!」
女王の居間にほど近い、謁見の間にも続く控えの間――とは言っても、かなりの広さと豪華さではある――で、ミハルは白い子猫を膝に乗せて、ケイトリンら王城の女官、侍女に盛大にダメ出しをしていた。
十年、女王は王城を留守にしていたと言え、王城の組織も大きくて、それなりの権限がある。だが、内実はガタガタであった。ソリスティアから到着した「給侍中」トルフィンとミハルの夫妻(と子猫のリンリン)は、早々にも内部の組織にテコ入れしなければならなかった。
予算を分捕って配分するのはトルフィンの得意技だが、仕事もないのに定員を充たすだけだった女官や侍女をどうするのか。宮中の内実には疎く、さらに男のトルフィンには手を出しかねる課題だ。帝都の恭親王府時代から仕える「ソリスティアの女官長」を急遽実務チーフに据えたものの、東の下級貴族出身であるため、王城の女官長とするには少々、身分の重みが足りない。ケイトリン以下、ナキア貴族出身の女官を押さえるために、暫定的にミハルを名目上の「王城の女官長」に据えた結果、冒頭の大説教大会へと至っているわけだ。
ミハルの母も公主だが、叔母の一人は先帝の恵妃として襄親王を生んでいる。その縁で、ミハルは幼少から幾度も宮中に上がった経験もあって、一分の隙もない帝都の皇宮に引き比べ、だらけきったナキアの王城に我慢がならないのだ。
さらに言えば、ミハルはこんな性格だが周囲の感情の機微にはかなり敏感で、そして意外にも思われているが、アデライードとは仲がいい。――アデライードは嫌味耐性が高いので、ミハルにきついことを言われても平気だし、書道や刺繍にレース編みなど、趣味が合うのである。だから、ミハルは王城に蔓延する、どことなくアデライードを蔑む気分を敏感に感じ取って、余計に怒りを滾らせた。
ナキア出身の者たちがアデライードを馬鹿にする理由は、まず彼女が地方貴族であるレイノークス辺境伯の娘だということ。そして、長く聖地に暮らし、衣裳や身の回りの品が質素で、ナキアの流行から外れているせいだ。
だがこれこそ、ミハルにしてみれば愚の骨頂であった。
そもそも、ナキアが世界の流行の中心地だと思っているらしいが笑止千万である。カンダハルとの物流が絶えていたせいもあるが、ミハルの目にはナキアは、なんだかひどく寂れた、こじんまりとした街にしか見えなかった。
四方を巨大な城壁に囲まれ、碁盤の目のような街路に人々や馬車が溢れ、市には世界各地の物産が所狭しと並ぶ、帝都の喧騒を見慣れた目には、はっきり言えば期待外れ、これならソリスティアの方がマシじゃないのという気分である。
ついでに女王国最新流行の長衣というのが、ミハルの目には襟元や袖口の装飾がやたらゴッテリとして、わざと開けた隙間から、下に着た絹の下着を引っ張り出して覗かせ、装飾にしているという謎仕様。妙に重たげで別に着てみたいとも思えない代物だった。
ミハルの着ている帝国風の長衣は、襟を重ねた打ち合わせ式で袖は大きく、上に袖なしの透ける上着と、やはり透ける裳を重ね、金糸刺繍の入った豪華な帯を締めたもので、襟をやや寛げて女性らしさを強調し、結った赤い髪には金の簪を挿し、耳にも長く垂れた耳飾りを付けている。王城の中で明らかに浮いているけれど、別になんとも思わなかった。――だって絹の質も刺繍の繊細さも、重ね着で色合わせを楽しむ妙も、すべて帝国風の方が勝っていると思うから。西の意匠でミハルが良いと思うのは、蜘蛛の巣のように織られた、繊細な手仕事のレースと、玻璃ビーズの刺繍くらいのものだ。
アデライードの衣装は装飾は少ないが、絹地は帝国から輸入した蚕から選んだ最高級の織だし、染色にも吟味を重ねている。首飾りの宝石も、鉱物マニアの陛下が原石から選んだだけある濁りのない一級品。うるさくない程度の刺繍と、気の遠くなるほど細い糸で織られたタティングレースの繊細なショールは、アデライードの美しさを十分に引き立てている。派手さはないが質の高さは明らかだ。この良さがわからないなんて! と、ミハルは柳眉を逆立ててしまう。
そういう目で見ると、王城内のゴテゴテした装飾全てが、見栄だけのハリボテに思われて、大改装してやりたくなる。そして数だけはやたらいるが、ピリッとしない王城の侍女たちも、全部クビにしたらいいじゃないのと言いたいところであった。
「そうは言ってもね、ミハル。俺たちは要するに余所者なわけよ。後からやってきて、気に入らないから出てけ、なんてやったら、姫様――もとい、女王陛下の評判にも関わるわけ。だからさここは、穏便に、穏便にね?」
女王の私的予算の帳簿を睨んでいたトルフィンが、勝気な妻を懸命に宥める。実のところトルフィンとしても、なんじゃこりゃ、という気分であった。
長く女王が不在だったのだから、王城内の女王関係予算が歪になっているのは予想の範囲内だったが、配分がおかしかった。仕事もないのに侍女も女官も定員ピッチリに充足され、不在の間も必要な、定期的な備品補充がほとんど為されていなかった。城の実質的な中心地は執政長官のエリアに移動しており、唯一の王族であるアルベラ姫もまたそちらに居住していた。女王の棟は十年近く主不在で、メンテナンスもおざなりだったのだ。使わない予算が奪われて、他に流用されてしまうのは世の習いだ。言い換えれば、女王の居室を整えるための予算は、他から分捕ってこなければならない。
女王の居間にほど近い、謁見の間にも続く控えの間――とは言っても、かなりの広さと豪華さではある――で、ミハルは白い子猫を膝に乗せて、ケイトリンら王城の女官、侍女に盛大にダメ出しをしていた。
十年、女王は王城を留守にしていたと言え、王城の組織も大きくて、それなりの権限がある。だが、内実はガタガタであった。ソリスティアから到着した「給侍中」トルフィンとミハルの夫妻(と子猫のリンリン)は、早々にも内部の組織にテコ入れしなければならなかった。
予算を分捕って配分するのはトルフィンの得意技だが、仕事もないのに定員を充たすだけだった女官や侍女をどうするのか。宮中の内実には疎く、さらに男のトルフィンには手を出しかねる課題だ。帝都の恭親王府時代から仕える「ソリスティアの女官長」を急遽実務チーフに据えたものの、東の下級貴族出身であるため、王城の女官長とするには少々、身分の重みが足りない。ケイトリン以下、ナキア貴族出身の女官を押さえるために、暫定的にミハルを名目上の「王城の女官長」に据えた結果、冒頭の大説教大会へと至っているわけだ。
ミハルの母も公主だが、叔母の一人は先帝の恵妃として襄親王を生んでいる。その縁で、ミハルは幼少から幾度も宮中に上がった経験もあって、一分の隙もない帝都の皇宮に引き比べ、だらけきったナキアの王城に我慢がならないのだ。
さらに言えば、ミハルはこんな性格だが周囲の感情の機微にはかなり敏感で、そして意外にも思われているが、アデライードとは仲がいい。――アデライードは嫌味耐性が高いので、ミハルにきついことを言われても平気だし、書道や刺繍にレース編みなど、趣味が合うのである。だから、ミハルは王城に蔓延する、どことなくアデライードを蔑む気分を敏感に感じ取って、余計に怒りを滾らせた。
ナキア出身の者たちがアデライードを馬鹿にする理由は、まず彼女が地方貴族であるレイノークス辺境伯の娘だということ。そして、長く聖地に暮らし、衣裳や身の回りの品が質素で、ナキアの流行から外れているせいだ。
だがこれこそ、ミハルにしてみれば愚の骨頂であった。
そもそも、ナキアが世界の流行の中心地だと思っているらしいが笑止千万である。カンダハルとの物流が絶えていたせいもあるが、ミハルの目にはナキアは、なんだかひどく寂れた、こじんまりとした街にしか見えなかった。
四方を巨大な城壁に囲まれ、碁盤の目のような街路に人々や馬車が溢れ、市には世界各地の物産が所狭しと並ぶ、帝都の喧騒を見慣れた目には、はっきり言えば期待外れ、これならソリスティアの方がマシじゃないのという気分である。
ついでに女王国最新流行の長衣というのが、ミハルの目には襟元や袖口の装飾がやたらゴッテリとして、わざと開けた隙間から、下に着た絹の下着を引っ張り出して覗かせ、装飾にしているという謎仕様。妙に重たげで別に着てみたいとも思えない代物だった。
ミハルの着ている帝国風の長衣は、襟を重ねた打ち合わせ式で袖は大きく、上に袖なしの透ける上着と、やはり透ける裳を重ね、金糸刺繍の入った豪華な帯を締めたもので、襟をやや寛げて女性らしさを強調し、結った赤い髪には金の簪を挿し、耳にも長く垂れた耳飾りを付けている。王城の中で明らかに浮いているけれど、別になんとも思わなかった。――だって絹の質も刺繍の繊細さも、重ね着で色合わせを楽しむ妙も、すべて帝国風の方が勝っていると思うから。西の意匠でミハルが良いと思うのは、蜘蛛の巣のように織られた、繊細な手仕事のレースと、玻璃ビーズの刺繍くらいのものだ。
アデライードの衣装は装飾は少ないが、絹地は帝国から輸入した蚕から選んだ最高級の織だし、染色にも吟味を重ねている。首飾りの宝石も、鉱物マニアの陛下が原石から選んだだけある濁りのない一級品。うるさくない程度の刺繍と、気の遠くなるほど細い糸で織られたタティングレースの繊細なショールは、アデライードの美しさを十分に引き立てている。派手さはないが質の高さは明らかだ。この良さがわからないなんて! と、ミハルは柳眉を逆立ててしまう。
そういう目で見ると、王城内のゴテゴテした装飾全てが、見栄だけのハリボテに思われて、大改装してやりたくなる。そして数だけはやたらいるが、ピリッとしない王城の侍女たちも、全部クビにしたらいいじゃないのと言いたいところであった。
「そうは言ってもね、ミハル。俺たちは要するに余所者なわけよ。後からやってきて、気に入らないから出てけ、なんてやったら、姫様――もとい、女王陛下の評判にも関わるわけ。だからさここは、穏便に、穏便にね?」
女王の私的予算の帳簿を睨んでいたトルフィンが、勝気な妻を懸命に宥める。実のところトルフィンとしても、なんじゃこりゃ、という気分であった。
長く女王が不在だったのだから、王城内の女王関係予算が歪になっているのは予想の範囲内だったが、配分がおかしかった。仕事もないのに侍女も女官も定員ピッチリに充足され、不在の間も必要な、定期的な備品補充がほとんど為されていなかった。城の実質的な中心地は執政長官のエリアに移動しており、唯一の王族であるアルベラ姫もまたそちらに居住していた。女王の棟は十年近く主不在で、メンテナンスもおざなりだったのだ。使わない予算が奪われて、他に流用されてしまうのは世の習いだ。言い換えれば、女王の居室を整えるための予算は、他から分捕ってこなければならない。
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