【R18】陰陽の聖婚 Ⅳ:永遠への回帰

無憂

文字の大きさ
上 下
84 / 236
8、暁闇

シルルッサ

しおりを挟む
 シルルッサの領主カリストの夫人であるミリアムは、生後半年ほどになる娘ルイーズを抱いてアデライードを出迎えた。ユリウスと同じ、ダークブロンドにやや濃い目の翠色の瞳を輝かせ、アデライードに近づいて軽く頬に口づけする。アデライードも口づけを返し、姉の腕の中で眠るルイーズの頬にそっと触れた。

 ミリアムがアデライードの耳元で、小声で囁く。

「よく来てくれたわ、アデライード!……体調がよくないって、もしかして、おめでたなの?」
「お姉さま……お久しぶりです。……その、まだ、公表できる時期ではなくて。突然にご迷惑をおかけして心苦しいのですが」

 アデライードが金色の睫毛を伏せると、ミリアムが心得たように頷く。

「わかったわ。……ただの療養ってことにしておくわ」

 帝都の叛乱は収束したとはいえ、情勢はまだ不安だ。恭親王が不在の今、アデライードの懐妊を公(おおやけ)にすべきではないと、ミリアムも納得する。

 アデライードの疲労を考慮して、まっすぐ、滞在用に整えられた居間に向かう。そこには領主カリストの他の夫人二人と、カリストの妹たち、主だった家臣の妻などが待っていた。以前、恭親王と数日訪れた時は、アデライードは港に近い別邸に泊まったので、彼女たちとは挨拶を交わしていなかった。こうした社交はアデライードには最も苦手とするところだが、ここでまとめて挨拶さえ済ませておけば、あとは療養ということで、来客をシャットアウトできるから、と姉には言い含められる。

 アデライードの居間は噴水のある中庭に直接つながる、半ばテラスのようになっていた。赤茶色の素焼きテラコッタタイル張りの上に、精緻な模様を織り込んだ絨毯を敷きつめ、クッションや円座を配して床に座り、低いテーブルや小さな脚付きの盆などを用いる。

 だいたい西方は、もともとは絨毯を敷いて床に直接座る文化であった。そこへ東方の椅子に座る文化が入ってきて、ソリスティアやナキアといった都会はすっかり椅子が定着しているのだが、田舎は家長や上位のものだけが椅子に座り、他は床に座るという、折衷式の方式になっている。――一つには、椅子が高価であること、そして、床に座る方が人数に制限がなくて、女や子供が大勢入り乱れる、西の文化には適していることがある。ゆえにその部屋も、アデライードとマニ僧都の分は椅子が用意されているが、他の女たちは皆、床に座るという、東方人のアリナには些か面妖な状況になっていた。

 女たちはお腹の目だってきたアリナに気づいて、慌ててもう一つ、布張りの椅子を準備させる。こちらでも、妊婦は椅子の方が便利であった。
 席についたところで、カリストの妻二人が立ち上がってアデライードに拝礼する。それを鷹揚に制して、アデライードが歓迎に対して礼を述べる。

「お聞き及びでしょうが、現在、ソリスティアには聖地に向かう巡礼者が殺到していて、大変、落ち着かない状態なのです。それで、お姉さまのところにご厄介になることにいたしました。ご迷惑をかけますが、よろしくお願いします」

 巡礼者たちはシルルッサの港も通過しているから、彼女たちも当然、事情は知っている。

 「総督閣下は帝都で療養中とのことですが、……ご心配でございますね?」

 少し年嵩の、近隣の村の領主の妻だという女の問いかけは、心配していると見せかけて、実際は探るような雰囲気があった。アデライードは困ったように少しだけ、眉尻を下げる。

「殿下の現状については、政治的な理由で申し上げることができないのです」
「その……イフリート公爵が言ったような、贋物だとかの件は――」
「それは全く根拠のないことです。殿下は陰陽宮から聖剣を授けられています。贋の皇子に天と陰陽が聖剣を授けるわけがありません」

 ピシャリと断言するアデライードに、周囲の女たちはザワザワと顔を見合わせる。マニ僧都が手を上げて言った。

「有り体に言えば、殿下は帝都の叛乱の際に手傷を負われたのだ。その叛乱はイフリート家が引き起こしたもの。叛乱によって皇帝は弑殺され、陰陽の和が乱れ、結界が弾けた。イフリート公爵は、自身の罪を殿下になすりつけているだけだ。殿下がソリスティアに帰還なさった暁には、これまでの事情を明らかにし、イフリート公爵の罪を糾弾することができようが、現在まだ殿下は万全ではない。それ故に、しばらく身を隠しておられるのだ」
 
 女たちを代表するように、先ほどの領主夫人がなおも尋ねる。

「では、今回の辺境の魔物の発生が、〈聖婚〉の失敗によるものだとの噂は……」

 その発言に対し、滅多に表情を動かすことのないアデライードが、微かに眉を不愉快げにひそめた。ビリリと周囲を電流のような〈気〉が走り、その場の空気が緊張を孕む――〈王気〉の視える者には、アデライードを取り巻く銀色の光が、赤く怒りの感情を含むのが、はっきりと視えた。

「わたしと殿下の結婚は、天と陰陽の祝福を受け、聖なるプルミンテルンの御許にて誓われた神聖なもの。それを愚弄するなど、天と陰陽に対する冒瀆です。――そもそも、イフリート公爵は自身、泉神を信奉するなどと公言しているそうではありませんか。そんな人の言葉に惑わされ、天と陰陽を疑うなど、愚かなことです」
「申し訳ございません。お耳汚しでございました」

 叱責された年嵩の女は、アデライードの怒りの〈気〉に直接当てられて立っていることもできず、床に頽れるように両手をつき、震えながら頭を下げた。アデライードは女を見下ろしてさらに言う。

「ナキアの元老院は、どうした理由なのか、女王の結界の存在について隠していました。代々の女王は即位の度に始祖女王の結界に〈王気〉を注いで認証し、女王の魔力と同期して結界を守ってきたのです。イフリート公爵は当然、その事実を知っていたはずなのに、〈王気〉を持たないアルベラ姫の即位にこだわり、わたしの即位を認めなかった。結果として、女王の結界は二年も放置されてきた。結界の破壊の原因はそれ以外にない。にもかかわらず殿下に濡れ衣を被せて。……浅ましいこと」
 
 アデライードの言葉を受けて、マニ僧都も梔子クチナシ色の袈裟けさを翻して力説した。

「〈聖婚〉は陰陽調和の根源。それを愚弄することは〈禁苑〉及び天と陰陽に対する最大の冒瀆ぼうとくと心得よ。天と陰陽の怒りを買い、〈混沌の闇〉に堕ちたくなければ、今後、迂闊なことは口にせぬことだ」

 女たちは、ただ美しく儚いだけと思っていた王女が、ただ人ならぬ力を持つことを、改めて認識し、口を噤むしかなかった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

竜王の花嫁は番じゃない。

豆狸
恋愛
「……だから申し上げましたのに。私は貴方の番(つがい)などではないと。私はなんの衝動も感じていないと。私には……愛する婚約者がいるのだと……」 シンシアの瞳に涙はない。もう涸れ果ててしまっているのだ。 ──番じゃないと叫んでも聞いてもらえなかった花嫁の話です。

捨てた騎士と拾った魔術師

吉野屋
恋愛
 貴族の庶子であるミリアムは、前世持ちである。冷遇されていたが政略でおっさん貴族の後妻落ちになる事を懸念して逃げ出した。実家では隠していたが、魔力にギフトと生活能力はあるので、王都に行き暮らす。優しくて美しい夫も出来て幸せな生活をしていたが、夫の兄の死で伯爵家を継いだ夫に捨てられてしまう。その後、王都に来る前に出会った男(その時は鳥だった)に再会して国を左右する陰謀に巻き込まれていく。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

処理中です...