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7、旅路
焚火
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数日後、焚火の灯りでシウリンが筌の修理をしていると、フエルがシウリンの隣にやってきた。
「殿下、僕、殿下にお伝えすることがあるんです」
シウリンが手を止めてフエルを見る。辺りはもう真っ暗で、沢の音だけが聞こえる。焚火の熱で、顔だけが赤く照らされ、深い翳ができていた。
「何?」
「僕、この春には太陰宮の学院に入学したんですが、夏至の休みに太陽宮の……〈清脩〉僧院に行ったんです」
「……〈清脩〉僧院に? どうして?」
シウリンが黒い瞳を見開いたらしい。その二人の話を、ゾーイとゾラは横で剣の手入れをしながら、トルフィンは旅の記録を帳面に書き込みながら、ランパはアケビの蔓を編むために撓ませながら聞いていた。少し離れて、アルベラとシリルは毛布にくるまって、シウリンが貸してくれたジブリールを湯たんぽ代わりにウトウトしていた。
「〈清脩〉僧院に、成郡王殿下の傅役だったジーノ殿がいらっしゃって、お見舞いに行きました」
ジーノはこの夏に遷化したのを、フエルは看取ったのだった。
「成郡王殿下は殿下の兄上です。もう、八年前になりますか、魔物の害に遭って亡くなられて、それでジーノは聖地に入りました」
ゾーイが横から補足をする。
「へえ……そうなんだ」
シウリンが少し困ったように首を傾げる。フエルは、焚火に照らされたシウリンの顔をじっと眺める。
二十歳を過ぎ、男らしさを加えた彼にはもう、少年期のような危うさはない。だがジーノは言った。十四五歳のころの恭親王殿下は、それこそ魔性に魅入られそうなほどの美貌であったと。
死の床にあるジーノから、フエルは聞いた。――恭親王と、彼の父の関係を。十三歳のフエルには残酷な事実ではあるが、何も知らずに恭親王に仕え続ければ、フエルは無意識に恭親王を傷つけ、そして理由のわからないフエルもまた傷つくに違いないと。
ジーノの話を聞いた時のフエルの衝撃は言葉にできない。傅役が皇子を、臣下が主君を、犯すなどということが、あっていいわけはない。それも、陰陽の禁じる同性の間で――。
信じたくない気持ちと、しかし、そうであれば納得される恭親王の自分への態度。ゲルやゾーイや、メイローズらの、事情を知るらしい側近たちが自分を見る、どこか同情と諦めの混じった視線。フエルを聖地に追い払って、あからさまにほっとしたらしい彼らの、態度も何もかもが諒解される。
だから、真実を知ったフエルは、太陰宮の学院を出たら、恭親王の側仕えを辞して帝都に帰るつもりでいた。
だが、恭親王は記憶を失い、父のことも何もかも、すべて忘れていると聞き、フエルはその無垢なままの殿下になら、仕えられるかもしれないと思ったのだ。――たとえ、恭親王が十年間の記憶を取り戻し、フエルを拒絶するまでの、僅かな期間だけであっても。
フエルは、少し弱くなった焚火に薪をくべながら、言った。
「僕はルチアに会いました」
その言葉に、シウリンはびっくりして編んでいた筌を取り落としそうになる。
「ルチア! 孤児院にいた、ルチア?」
そう言ってシウリンはフエルに詰め寄る。ルチアは、シウリンの四歳年下で、シウリンを兄のように慕っていた。少女のような容姿に小柄で無力だったルチアは、しょっちゅう食べ物を横取りされたりと虐められていた。それを、庇っていたのがシウリンだった。
「ええ、今は、太陽宮の学院で、絵の勉強をしています」
「そうなんだ……元気だった?」
「ええ、元気でしたよ。――殿下に、ルチアのことを憶えているか聞いてくれと言われて……」
「そりゃ、憶えているけどさ」
シウリンはしばらく無言で焚火を見つめていて、言った。
「十年……か。みんな変わっちゃっただろうな。僕が、一番変わったんだろうけど」
「――僕はもともと、シウリンのお墓を探しに行ったんです」
その言葉にシウリンはさらに驚く。
「僕の……お墓を探しに?」
「……姫君に、頼まれたんです。シウリンの、お墓を探して欲しいって」
焚火の周囲にいた男たちが、はっとして手を止める。
「姫君は、シウリンは死んだと聞かされていた。……だからせめて、お墓の場所を知りたいと」
「僕が、シウリンは死んだと、アデライードに言っていたからだね?」
フエルが無言で頷き、枝で焚火を少し掻き回す。パチンと、生木の爆ぜる音がした。
「ルチアは、それに協力してくれたんです。森の中にシウリンの墓があると聞いて、僕とルチアで森に出かけました」
「……僕の、お墓?」
作業の手を止めて黒い目を見開き、じっとフエルを見つめるシウリンの方は敢えて見ないで、フエルは焚火を掻き回す。
「お墓は、森の中の炭焼き小屋の近くにありました。……炭焼きのゴルさんが、ずっと花を手向けていて――本物のお墓ではなくて、ゴルさんがシウリンを偲ぶために作った墓でした」
「ゴル爺が……」
「ゴルさんはもともと聖騎士で、〈王気〉が視えたので、シウリンの正体も薄々知っていたんです。それで、シウリンの失踪の理由も察しがついて――まるで、はじめからいないかの如くシウリンが扱われているのが耐えられず、お墓を作ったそうです」
シウリンの、瞳に涙が溜まり、零れ落ちて頬を伝う。
「そう、なんだ……。僕、ゴル爺にはいつもお蕎麦を食べさせてもらって……太陽神殿の学院に行っても、お休みには必ず顔を出すって約束してたんだ。約束、守れなくて悪かったな」
「あと、シシル準導師にも会いました」
その名を聞いて、シウリンが涙を手の甲で拭いながら、露骨に嫌そうな顔をする。
「……ああ、あの人。あの人は別にどうでもいいけど」
「殿下、僕、殿下にお伝えすることがあるんです」
シウリンが手を止めてフエルを見る。辺りはもう真っ暗で、沢の音だけが聞こえる。焚火の熱で、顔だけが赤く照らされ、深い翳ができていた。
「何?」
「僕、この春には太陰宮の学院に入学したんですが、夏至の休みに太陽宮の……〈清脩〉僧院に行ったんです」
「……〈清脩〉僧院に? どうして?」
シウリンが黒い瞳を見開いたらしい。その二人の話を、ゾーイとゾラは横で剣の手入れをしながら、トルフィンは旅の記録を帳面に書き込みながら、ランパはアケビの蔓を編むために撓ませながら聞いていた。少し離れて、アルベラとシリルは毛布にくるまって、シウリンが貸してくれたジブリールを湯たんぽ代わりにウトウトしていた。
「〈清脩〉僧院に、成郡王殿下の傅役だったジーノ殿がいらっしゃって、お見舞いに行きました」
ジーノはこの夏に遷化したのを、フエルは看取ったのだった。
「成郡王殿下は殿下の兄上です。もう、八年前になりますか、魔物の害に遭って亡くなられて、それでジーノは聖地に入りました」
ゾーイが横から補足をする。
「へえ……そうなんだ」
シウリンが少し困ったように首を傾げる。フエルは、焚火に照らされたシウリンの顔をじっと眺める。
二十歳を過ぎ、男らしさを加えた彼にはもう、少年期のような危うさはない。だがジーノは言った。十四五歳のころの恭親王殿下は、それこそ魔性に魅入られそうなほどの美貌であったと。
死の床にあるジーノから、フエルは聞いた。――恭親王と、彼の父の関係を。十三歳のフエルには残酷な事実ではあるが、何も知らずに恭親王に仕え続ければ、フエルは無意識に恭親王を傷つけ、そして理由のわからないフエルもまた傷つくに違いないと。
ジーノの話を聞いた時のフエルの衝撃は言葉にできない。傅役が皇子を、臣下が主君を、犯すなどということが、あっていいわけはない。それも、陰陽の禁じる同性の間で――。
信じたくない気持ちと、しかし、そうであれば納得される恭親王の自分への態度。ゲルやゾーイや、メイローズらの、事情を知るらしい側近たちが自分を見る、どこか同情と諦めの混じった視線。フエルを聖地に追い払って、あからさまにほっとしたらしい彼らの、態度も何もかもが諒解される。
だから、真実を知ったフエルは、太陰宮の学院を出たら、恭親王の側仕えを辞して帝都に帰るつもりでいた。
だが、恭親王は記憶を失い、父のことも何もかも、すべて忘れていると聞き、フエルはその無垢なままの殿下になら、仕えられるかもしれないと思ったのだ。――たとえ、恭親王が十年間の記憶を取り戻し、フエルを拒絶するまでの、僅かな期間だけであっても。
フエルは、少し弱くなった焚火に薪をくべながら、言った。
「僕はルチアに会いました」
その言葉に、シウリンはびっくりして編んでいた筌を取り落としそうになる。
「ルチア! 孤児院にいた、ルチア?」
そう言ってシウリンはフエルに詰め寄る。ルチアは、シウリンの四歳年下で、シウリンを兄のように慕っていた。少女のような容姿に小柄で無力だったルチアは、しょっちゅう食べ物を横取りされたりと虐められていた。それを、庇っていたのがシウリンだった。
「ええ、今は、太陽宮の学院で、絵の勉強をしています」
「そうなんだ……元気だった?」
「ええ、元気でしたよ。――殿下に、ルチアのことを憶えているか聞いてくれと言われて……」
「そりゃ、憶えているけどさ」
シウリンはしばらく無言で焚火を見つめていて、言った。
「十年……か。みんな変わっちゃっただろうな。僕が、一番変わったんだろうけど」
「――僕はもともと、シウリンのお墓を探しに行ったんです」
その言葉にシウリンはさらに驚く。
「僕の……お墓を探しに?」
「……姫君に、頼まれたんです。シウリンの、お墓を探して欲しいって」
焚火の周囲にいた男たちが、はっとして手を止める。
「姫君は、シウリンは死んだと聞かされていた。……だからせめて、お墓の場所を知りたいと」
「僕が、シウリンは死んだと、アデライードに言っていたからだね?」
フエルが無言で頷き、枝で焚火を少し掻き回す。パチンと、生木の爆ぜる音がした。
「ルチアは、それに協力してくれたんです。森の中にシウリンの墓があると聞いて、僕とルチアで森に出かけました」
「……僕の、お墓?」
作業の手を止めて黒い目を見開き、じっとフエルを見つめるシウリンの方は敢えて見ないで、フエルは焚火を掻き回す。
「お墓は、森の中の炭焼き小屋の近くにありました。……炭焼きのゴルさんが、ずっと花を手向けていて――本物のお墓ではなくて、ゴルさんがシウリンを偲ぶために作った墓でした」
「ゴル爺が……」
「ゴルさんはもともと聖騎士で、〈王気〉が視えたので、シウリンの正体も薄々知っていたんです。それで、シウリンの失踪の理由も察しがついて――まるで、はじめからいないかの如くシウリンが扱われているのが耐えられず、お墓を作ったそうです」
シウリンの、瞳に涙が溜まり、零れ落ちて頬を伝う。
「そう、なんだ……。僕、ゴル爺にはいつもお蕎麦を食べさせてもらって……太陽神殿の学院に行っても、お休みには必ず顔を出すって約束してたんだ。約束、守れなくて悪かったな」
「あと、シシル準導師にも会いました」
その名を聞いて、シウリンが涙を手の甲で拭いながら、露骨に嫌そうな顔をする。
「……ああ、あの人。あの人は別にどうでもいいけど」
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