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7、旅路

魔物討伐

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 翌日から、聖騎士たちはホーヘルミア月神殿の周辺の村々を巡り、聖域に取り残された人の捜索と魔物の討伐を行った。ホーヘルミアから南に一日下った町はエヴァンス伯爵領といい、領主の伯爵は〈禁苑〉派、つまりアデライード支持であったためにナキアを離れ、領地に帰っていた。そこに魔物が発生し、伯爵は周辺の領民を城内に入れ、立てこもる形になっていた。
 
 街の城壁の周囲で黒い影が蠢き、逃げ遅れた村人の殭屍ゾンビがフラフラと歩いていて、見張り台の上からそれを見下ろした伯爵は、形よく整えた髭を手で扱いて絶望に顔を歪める。領内に聖騎士はおらず、果敢に魔物に挑んだ騎士たちは皆、魔物の犠牲になった。

 エヴァンズ伯が何となく、秋の高い青空を弧を描くように飛ぶ鳥を見ていた時。
 
「お館様、北の、ホーヘルミアの方角から、十数騎やっています」

 望遠鏡をのぞいていた見張りの騎士が叫ぶ。

「救援か? だが――」

 ホーヘルミアの月神殿は武器を聖別することは可能だが、この世界の聖職者は基本的に武器を取って戦うことはない。また上級の術者が使えるという、魔法陣による攻撃も、実体のない魔物に効果がないと聞いていた。救援が来るのであれば南の、ガルシア辺境伯の聖騎士しかあり得ないと思ったが、そもそもガルシア領の守備体制が崩壊して、ここまで魔物が流れて来ているわけだから、期待できなかった。

 エヴァンズ伯が望遠鏡をひったくって覗くと、騎士たちは十騎ほど、いずれも軽装で鎧などはつけていない。

「救援の狼煙のろしを上げよ! 何かの見回りだとしても、わが領の窮状を報せるのだ!」

 騎士たちも狼煙に気づき、馬を速めて街道を真っすぐ進んでくる。魔物にも、気づいたらしかった。
 一人の細身の、黒髪の騎士が単騎で前に出る。何をするのかと見る間に、左手を前に出し次の瞬間には長大な剣が握られていた。手品かと思う間もなく、騎士は馬上で剣を振る。するとその剣から眩い光の帯が放射状に広がり、城門の前で蠢いていた黒い影のような魔物を光で包んで、消滅させていく。

「何と! 魔物が消えたぞ!」
「お館様、奇跡です!」

 数度、その騎士が剣を振るうと、黒い影は全て跡形もなく消え、ただ殭屍が幾体か、その場に立ったままでいた。後にいた騎士達が数騎、そこで一斉に前に出て、それぞれ剣を抜いて残っている殭屍を斬り捨てていく。最後の殭屍がたおれると、城壁の周囲を二手に分かれて廻り、残っている魔物がいないか確認してから、城壁に向けて宣言した。

「我らはホーヘルミアの月神殿より来た聖騎士だ。この街の周囲の魔物は全て討伐した!」

 その頃には、怯えて町に籠っていた領民たちも城壁の上から鈴なりになって騎士たちを見ていて、歓声をあげて城門を開き、騎士たちを迎え入れた。



  
 騎士達は治癒術も使える神官を三人伴っていて、魔物の被害を受けた者たちの治療も行った。彼らを歓待しようとする城内の者たちを制して、黒髪を短く刈り込んだ大柄の騎士がエヴァンズ伯に言う。

「まず、日のあるうちに周辺の聖域に取り残された者がいないか確認したい。我らはこの辺りの地理に詳しくない故、発見した者を必要があればこの街に帯同するかもしれぬ。ここの領民以外を勝手に移動させて、後々領主間で問題になった場合は――」
 
 騎士の言葉に、エヴァンズ伯が頷く。

「この非常時に、助かる命があれば全力を尽くすのみ。後に問題が発生しても、ホーヘルミアの月神殿が仲裁に入ってくれよう。幸い、食糧や医薬品の備蓄はまだある。自由に使ってもらって構わない」

 黒髪の騎士が指示を出し、騎士達はすぐに城を出て行き、夕刻、日が落ちてから十人程の付近の領民を連れて城に戻ってきた。

 領民のうち二人は魔物に触れたために身体の一部が壊死しかかっており、大至急で治癒魔法師の元に送り、その他、栄養状態の良くない赤子などにも適切な治療を施す。一段落してようやく、エヴァンズ伯は騎士たちに礼を言うことができた。

 「もう、ダメかと思っていた。感謝の言葉もない」

 実際、城門は魔物に浸食されて崩れる寸前であった。
 心づくしの食事を騎士達に振舞ながら、エヴァンズ伯が頭を下げる。

「間に合ってよかったです。でも、あの城門は作り直さないといけないですね」

 先頭で剣を振るっていた黒髪の美青年が微笑む。髪が肩を過ぎ、ときおり、それを鬱陶しそうに振っている。その肩に黒い鷹が止まるのを見て、エヴァンズ伯は彼の鷹だったのかと気づく。そして、偉丈夫で髪の短い騎士が責任者なのかと思っていたが、その騎士は明らかに、その若い美青年に臣従の礼を取っており、一行の主は彼のようであった。

「御尊名をお伺いしたい。私はこのキルフェの街に領主、エヴァンズ伯爵セルジオスと申す」
「僕はシウリンです。事情があって、家名は明かせません」

 丁寧に頭を下げるシウリンを見て、ゾラは笑いを堪えるのが大変だった。何せ、明かせない事情は、忘れているからだなんて、言えるはずない。

「一晩、宿をお願いしたい。明日、もう少し遠方の村を回り、取り残された人がいないか、探したいのです」
「もちろん、いくらでもご滞在ください」

 城内の女たちが、追加の料理を運んでくる。牛を一頭、潰して焼いたステーキに、周囲の騎士達は目を輝かす。

 と、末席に座っていた赤い髪の少年が、背後を回ってシウリンの横にやって来た。腕には白い、子犬のような丸々としたものを抱いていた。

「シウリン、あ……僕の手からだと食べてくれないの」
「ああ、ごめんね。ジブリールを任せっきりにしてしまっていたね」

 シウリンは少年の手から白い子犬を受け取るが、エヴァンズ伯は子犬でなく、獅子だと気づいてぎょっとして腰を浮かせた。

「そ、それは……」
「ああ、砂漠で拾ったんですよ」

 何でもないことのようににっこりと微笑んで、シウリンは膝に抱きかかえた子獅子に、焼いた肉の切れ端を取り分ける。一度口の中で噛んで柔らかくしてから、ジブリールに与えてやる。

「塩味がけっこうキツイから……あと、玉ねぎとかダメなんだよ、動物は」

 子獅子を飼い主に託して、赤い髪の少年は安心して席に戻る。エヴァンズ伯はなんとなく、少年に見覚えのあるような気がしたが、思い出せなかった。
 
「時に……あの、左手の剣は……」
「ああ、あれ? 聖剣ですよ。結婚の時にもらったの。お祝いみたいなものかな?」

 横で燻製肉の細切れの入ったピラフを匙で食べていた 肩まで髪を伸ばした黒髪の青年が、ぶほっと咽そうになる。

「お祝いって……」
「むしろ呪いじゃねーの」

 その隣の短髪の青年が、葡萄酒のゴブレットを傾けながら蓮っ葉に言う。

「ご結婚されているのですか。……では奥方は?」
「奥方は、アデライード。ソリスティアにいます」

 ぶはっと今度は黒髪の偉丈夫が蒸留酒を噴き出す。

「殿下! 正体隠す気ないでしょう?」
「いや、ゾーイさんも今、殿下って言っちゃってるし!」

 そのやり取りに、エヴァンズ伯はびっくりして葡萄酒を零しそうになる。

「つまりあなたは……アデライード姫のご夫君で、〈聖婚〉の皇子の……」
「ちょお、思いっきりバレてーら」
「ていうかさ、聖剣出したところでバレるって」

 ゾラとトルフィンが言い合う中で、シウリンと名乗る美青年が、困ったように首を傾げて言った。

「そうらしいんですけど、事情が込み入っていてややこしいので、内緒にしてもらえますか?よくわかんないんだけど、イフリート公爵って人が、僕が家に帰るのを邪魔するかもしれないそうなので」

 その込み入った事情ってのが、妻のアデライード姫のミスで辺境に飛ばされたあげく、さらに記憶まで封印されているなんてこと、たしかに説明できねぇよな、とゾラもトルフィンも思う。
  
「それは……私はもともと〈禁苑〉派、つまりアデライード姫の即位を支持しているので、もちろん、イフリート公爵に注進するようなことはありません」
「そうですか、それは助かります」

 もし、自分がイフリート派だったらどうするつもりだったのかと、エヴァンズ伯は思ったし、そもそも総督がなぜ、女王国の南部にいるのか信じられない気分でいっぱいであった。
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