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6、〈混沌〉

魔物の群れ

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 たしかに、なだらかに続く牧草地の窪地から、黒い影のようなものがわらわらと溢れ出てくる。馬が、本能的な恐怖を感じて嘶く。その首を撫でて宥めてから、ゾーイ達は距離を測りながらそれらを観察した。黒々した影の合間に、ふらりと立っている人影が見えた。

「人がいる! あそこ、あそこにも!」

 トルフィンが叫んで、指差す。

殭屍ゾンビです。おそらく、死んだ村人の屍体に憑依しているのです」
「動物の屍に憑依したのは見たことがあるが、人のは初めてだ……」

 ゾーイが呟く。

「あれは実体があるので、比較的、討伐がしやすい。……気分は、よくありませんが」
  
 ガルシア領の騎士が顔を歪めて言う。

「あの数を我らだけで相手するのは無理だな。聖域に戻ろう」

 ゾーイの指示で、彼らは聖域に戻った。だが、魔物たちはそのまま聖域の森を取り囲んでしまう。実体のない魔物スペクターたちは、森の中に入っては来ないが、殭屍ゾンビは聖域の森に踏み込むことができるのか、内部に侵入を試みる。まだ魔物と遭遇したことのないランパには、祠の中で村人たちを守るように命じ、ゾーイ、ゾラ、トルフィン、そしてガルシア領の騎士たちは聖別された剣を抜く。殭死たちは屍臭をまき散らし、青白い顔をして、かくんかくんと近づいてくる。剣を構え、吐き気を堪えて剣に聖なる力を纏わせた。
 
 ゾラが剣を振るう。グシャ!嫌な音を立てて、殭屍が倒れ、魔物が消滅する。トルフィンも次の殭屍を斬り捨て、ゾーイらも次々に切り伏せるが、次から次へと殭屍が現れて、きりがなかった。

 まず文官のトルフィンが音を上げる。――聖なる力を纏わせて魔物を斬るには、魔力も必要だ。魔力が減れば、体力も奪われる。

「ちょっと、いつまで続ければいいの! 何とかして!」
「そんなこと言ったってよ!」

 もう数える気もしなくなりながら、ゾラがやけっぱちになって剣を叩きつける。

「……俺、結構ヤバイ気がするんだけど」
「気のせいじゃねぇと俺も思うぜ?」

 すでにガルシア領の騎士たちは、疲労で立っているのもやっとな状態であった。ゾーイの額にも、玉の汗が浮かぶ。だが向こうからさらに、無数の殭死が続々と向かってくる。
 
(これは――覚悟が必要な時なのか。あと、日暮れまでどのくらいか――)

 ゾーイが絶望に囚われかけた時。森の向こうから、眩い光が放射状に差し込んでくる。森を取り囲んでいた、黒い魔物が光の粒子に溶けるように消えていく。殭屍の中にも、光を浴びて溶けるように崩れる者もいて、一気に半数以上が消滅した。

 バサリ、と黒い羽根が舞って、一羽の鷹がゾーイの肩に止まる。

「エール……ライヒ?」

 光の差す方向に、一人の細身の青年が立っていた。逆光になって顔は見えないけれど、間違いない。

「……殿下」

 青年が剣を振るうと、剣が発する光が森全体に及び、最後に残った殭屍もがしゃりと頽れ、消えた。





 青年は手にした剣を左手に仕舞うと、彼らの方に歩いてきた。

「あー、やっぱり人がいたんだ。よかった、間に合って」

 森の暗がりを抜け、光の下に現れたのは、紛れもない彼らの主。黒い髪は無造作に伸びて肩を過ぎるほど、元は白かったが薄汚れた麻のシャツに、黒い脚衣、黒革のブーツを履く。背中には農民が野菜を運ぶ時に使う背負い籠をしょって、そこから子猫にしてはあきらかに大きい、白いモフモフした動物が顔を覗かせている。

「えーと、こんにちは。僕は……」

 言いかけた彼の前に、東からの騎士達は一斉に片膝をついた。その情景にガルシア領の騎士達がぎょっとする。

「殿下。お探しいたしました。ご無事で何よりでございます」

 ゾーイが声をかけると、青年が黒曜石の瞳を猫のように丸くする。

「……あー、えっと、ソリスティアから来た人たち?」
「はい、長らく御不自由をおかけいたしました。今後は我らが、殿下を命をかけてお守りし、無事、ソリスティアまでお連れいたします」

 青年は困ったように左手で頭をかいた。

「その、……まいったなあ。僕は、何も憶えてないんですけど」

 ゾーイはその口調や仕草が、仕え始めたころの主君にそっくりだと思った。

「ご記憶のことは承知しております。ただ、これまで通り、殿下にお仕えすることを、お許しいただければ、それで――」

 ゾーイが、感極まって滂沱たる涙を拭いもせず、頭を地に擦りつける。

「殿下――」

 屈強な騎士が泣き出して、青年はびっくりして慌てて膝をつく。

「ああ、もう立ち上がってください。すいません、僕が忘れてしまったばかりに、とんだご迷惑を」
「いえ、殿下、勿体のうございます」

 ワタワタしている二人を見かねて、背後からゾラが声をかける。

「ああもう、いいっすから。とにかく見つかってよかったっすよ。忘れてるみたいだけど、俺はゾラっすよ」
 
 青年はゾラの蓮っ葉な喋り方に驚いたらしく、目を丸くして言う。

「僕はシウリンです。……変わった喋り方ですね。帝都の人はそんな風に喋るの?」
「十年前もおんなじこと聞いたっすよ、殿下。どんだけ俺の喋り方が珍しいわけ」
「俺はトルフィンです。……はー、マジ死ぬかと思いましたよ。殿下、いい時に登場してくれて、ありがとうございます!」
「憶えてないけど、みんな無事でよかったです」

 初対面なのかそうじゃないのか、さっぱりわからない自己紹介をしている東の騎士たちを、ガルシア領の騎士達が奇妙なものを見るように眺めていた。
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