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6、〈混沌〉
ソリスティアの混乱
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イフリート公爵が〈禁苑〉の教えからの離脱を表明し、さらに〈禁苑〉がイフリート家を破門して以来、辺境での魔物の発生の噂はますます国中を巡り、人々は神殿に殺到して争ってお札を買い求め、それを握り締めて天と陰陽の加護を求めた。さらに、天と陰陽の怒りを恐れる人々は続々と聖地を目指し、船や荷車、馬車、そして徒歩で東へと向かう。
聖地に入る船は、すべてソリスティアにて聖地への入港許可証を発行してもらう必要があるが、現在、その事務はパンク状態であった。エンロンはメイローズに掛け合って、ソリスティアを経由せず、直接聖地に入港できる臨時処置を取れないかと交渉してみたが、答えは否であった。
「しかし現実問題として、無理ですよ! ソリスティアの官員だって、無限にいるわけじゃない。ただでさえ、難民も流入してそちらの処置でも手一杯なんです!このままだと、入港管理官が過労死します!」
だが聖地はあくまでも、ソリスティアを経由した船しか認めないとの姿勢を崩さない。そこで、ゲルフィンが考案したのは、一部の事務を聖地の総督別邸に振り分ける処置であった。
ある一定の船には固定の入港標識を発行し、その船の乗客は聖地に到着してから、現地で入港許可証を発行するというものだ。総督別邸では臨時に、〈禁苑三宮〉からの応援も募って一部の事務を分担することになった。焼石にお湯をかける程度ではあったが、それでもソリスティアの混乱は少しだけ緩和された。
しかし急激に増えた巡礼者、難民の増加によって、ソリスティアの街では犯罪が増加し、また食糧価格が高騰するなど、影響は深刻であった。帝国本国は遠すぎる上に、叛乱の後始末もまだ完全には終わらず、応援を頼むどころでない。ゲルフィンはシルルッサの臨時大将軍府とを何度も往復して、シルルッサとソリスティア、そして聖地に入る船の交通整理をして海上交通の安全を図る。シルルッサの領主との対面にはユリウスに仲介を頼んだので、プライドの高いゲルフィンとしては内心、面白ないと思いながらも、よんどころない事情からユリウスにも表敬訪問を行わねばならなかった。
「アデライードはどうしている?一時は殿下を辺境に飛ばした責任を感じて、すっかりしょげていたようだけれど」
秋の気配が女王国東北の海浜にようやく漂い始める、九月の半ば――。
シルルッサの臨時大将軍府で、肘掛椅子に優雅に長い脚を組んだユリウスが、ゲルフィンに問いかける。ユリウスの妙にキラキラした長いダークブロンドは、ゲルフィンの心の琴線に悪い方向に触れるので、ついつい眉間に皺が寄ってしまうのである。
「そう言えば、姫君からお言伝がございますよ。……お子様がご誕生されたそうで、お祝いは何がいいかと……私どものような文官がお伝えすることではないと、遠回しに申し上げたのですが、遠回し過ぎておわかりいただけなかったようで」
「ああ、ありがとう。男の子だったからね。もう少し落ち着いたら、またソリスティアに連れて行くと言っておいてよ」
不愉快なことに、この兄妹にはゲルフィンの嫌味が全く通じない。妻エウロペから待望の第一子が誕生したばかりのユリウスは、あっさりとゲルフィンの嫌味を受流して微笑んだ。
「ゾーイ卿のところも、貴公の所もなんだろう?……アデライードこそ、早く王女をと思うのに、肝心の殿下が素っ頓狂なところに飛ばされてしまったからねぇ」
その素っ頓狂なところに飛ばしたのはお前の妹だと、言いたいのをぐっとこらえて、ゲルフィンは頷く。
「まあ、うちやゾーイのところは遅いくらいですから。無事に産まれてくれれば言うことはありません」
そもそもゲルフィンの場合、「本当に俺の子か」と聞きたいレベルの夫婦仲なのだが、それを口に出したら最後、修復は不可能になるだろう。夫のゲルフィンですら寝台に入れるのを渋るプライドの高い妻が、夫以外の男となんてあり得ないと、その一点に縋るゲルフィンであった。
不愉快な対面を終えて、シルルッサから船で混雑する港に帰還したゲルフィンは、しばらく入港を待たされる。
「何があった」
「聖地から戻られた姫君の船を優先したいと――」
「聖地から?」
ゲルフィンが眉間の皺を深くする。
「太陰宮より、月蝕祭にぜひ出席をと請われたそうで……こういう時期ですので、民心の安定のためにも出席した方がよい、とゼクト卿とマニ僧都が判断されて――」
ずっとソリスティアに籠りきりだったアデライードだが、恭親王が表に出られない状況でアデライードまで逼塞すると、妙な憶測を生んでしまう。この機会に、少しずつでもと露出を増やしているのである。
結局、巡礼用の船がごたついて、アデライードの乗る総督府の専用艇もなかなか入港できないようだった。ゲルフィンの乗るのはソリスティア海軍が所有する小型の高速艇で、これはこの後、海軍の基地に引き返す予定にしていた。ゲルフィンは総督府の官員と港で下船し、高速艇だけを基地に返すことにした。
「ここから馬車を待ちますか?」
随行の官員に聞かれ、ゲルフィンは少し考える。港から高台にある総督府まで、普通は総督府の船着き場まで運河を遡るか、馬車か馬を利用することになる。
「そうだな。……あの、姫君の乗る専用艇に拾ってもらおう。どうせ運河を遡るのだろう」
そう言って入港管理官の詰所まで歩いていって、事情を話して待たせてもらう。港の一出先機関まで、ゲルフィンの性格の悪さは鳴り響いていて、管理官は慌ててゲルフィンに椅子を薦め、お茶を淹れる。だがあまりの不味さに、ゲルフィンは一口飲んだだけで不快そうに茶杯を押しやった。
聖地に入る船は、すべてソリスティアにて聖地への入港許可証を発行してもらう必要があるが、現在、その事務はパンク状態であった。エンロンはメイローズに掛け合って、ソリスティアを経由せず、直接聖地に入港できる臨時処置を取れないかと交渉してみたが、答えは否であった。
「しかし現実問題として、無理ですよ! ソリスティアの官員だって、無限にいるわけじゃない。ただでさえ、難民も流入してそちらの処置でも手一杯なんです!このままだと、入港管理官が過労死します!」
だが聖地はあくまでも、ソリスティアを経由した船しか認めないとの姿勢を崩さない。そこで、ゲルフィンが考案したのは、一部の事務を聖地の総督別邸に振り分ける処置であった。
ある一定の船には固定の入港標識を発行し、その船の乗客は聖地に到着してから、現地で入港許可証を発行するというものだ。総督別邸では臨時に、〈禁苑三宮〉からの応援も募って一部の事務を分担することになった。焼石にお湯をかける程度ではあったが、それでもソリスティアの混乱は少しだけ緩和された。
しかし急激に増えた巡礼者、難民の増加によって、ソリスティアの街では犯罪が増加し、また食糧価格が高騰するなど、影響は深刻であった。帝国本国は遠すぎる上に、叛乱の後始末もまだ完全には終わらず、応援を頼むどころでない。ゲルフィンはシルルッサの臨時大将軍府とを何度も往復して、シルルッサとソリスティア、そして聖地に入る船の交通整理をして海上交通の安全を図る。シルルッサの領主との対面にはユリウスに仲介を頼んだので、プライドの高いゲルフィンとしては内心、面白ないと思いながらも、よんどころない事情からユリウスにも表敬訪問を行わねばならなかった。
「アデライードはどうしている?一時は殿下を辺境に飛ばした責任を感じて、すっかりしょげていたようだけれど」
秋の気配が女王国東北の海浜にようやく漂い始める、九月の半ば――。
シルルッサの臨時大将軍府で、肘掛椅子に優雅に長い脚を組んだユリウスが、ゲルフィンに問いかける。ユリウスの妙にキラキラした長いダークブロンドは、ゲルフィンの心の琴線に悪い方向に触れるので、ついつい眉間に皺が寄ってしまうのである。
「そう言えば、姫君からお言伝がございますよ。……お子様がご誕生されたそうで、お祝いは何がいいかと……私どものような文官がお伝えすることではないと、遠回しに申し上げたのですが、遠回し過ぎておわかりいただけなかったようで」
「ああ、ありがとう。男の子だったからね。もう少し落ち着いたら、またソリスティアに連れて行くと言っておいてよ」
不愉快なことに、この兄妹にはゲルフィンの嫌味が全く通じない。妻エウロペから待望の第一子が誕生したばかりのユリウスは、あっさりとゲルフィンの嫌味を受流して微笑んだ。
「ゾーイ卿のところも、貴公の所もなんだろう?……アデライードこそ、早く王女をと思うのに、肝心の殿下が素っ頓狂なところに飛ばされてしまったからねぇ」
その素っ頓狂なところに飛ばしたのはお前の妹だと、言いたいのをぐっとこらえて、ゲルフィンは頷く。
「まあ、うちやゾーイのところは遅いくらいですから。無事に産まれてくれれば言うことはありません」
そもそもゲルフィンの場合、「本当に俺の子か」と聞きたいレベルの夫婦仲なのだが、それを口に出したら最後、修復は不可能になるだろう。夫のゲルフィンですら寝台に入れるのを渋るプライドの高い妻が、夫以外の男となんてあり得ないと、その一点に縋るゲルフィンであった。
不愉快な対面を終えて、シルルッサから船で混雑する港に帰還したゲルフィンは、しばらく入港を待たされる。
「何があった」
「聖地から戻られた姫君の船を優先したいと――」
「聖地から?」
ゲルフィンが眉間の皺を深くする。
「太陰宮より、月蝕祭にぜひ出席をと請われたそうで……こういう時期ですので、民心の安定のためにも出席した方がよい、とゼクト卿とマニ僧都が判断されて――」
ずっとソリスティアに籠りきりだったアデライードだが、恭親王が表に出られない状況でアデライードまで逼塞すると、妙な憶測を生んでしまう。この機会に、少しずつでもと露出を増やしているのである。
結局、巡礼用の船がごたついて、アデライードの乗る総督府の専用艇もなかなか入港できないようだった。ゲルフィンの乗るのはソリスティア海軍が所有する小型の高速艇で、これはこの後、海軍の基地に引き返す予定にしていた。ゲルフィンは総督府の官員と港で下船し、高速艇だけを基地に返すことにした。
「ここから馬車を待ちますか?」
随行の官員に聞かれ、ゲルフィンは少し考える。港から高台にある総督府まで、普通は総督府の船着き場まで運河を遡るか、馬車か馬を利用することになる。
「そうだな。……あの、姫君の乗る専用艇に拾ってもらおう。どうせ運河を遡るのだろう」
そう言って入港管理官の詰所まで歩いていって、事情を話して待たせてもらう。港の一出先機関まで、ゲルフィンの性格の悪さは鳴り響いていて、管理官は慌ててゲルフィンに椅子を薦め、お茶を淹れる。だがあまりの不味さに、ゲルフィンは一口飲んだだけで不快そうに茶杯を押しやった。
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