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2、辺境伯の砦
騎士たちの帰還
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帝都の叛乱が収束して十日。トルフィン、ゾラ、アート、テムジンらが二百騎の聖騎士とともにソリスティアに帰還した。――恭親王の正傅ゲルは、まだ怪我が完全に癒えていないため、しばらく帝都で療養を続けるという。
賢親王から総督府で待つゲルフィンらに真っ先に告げられたのは、十二貴嬪家以下、貴種に対する「奪服」命令――服喪期間を強制的に終了し、出仕させる――であった。十二貴嬪家から八侯爵家の、とくに文官家の当主たちは軒並み殺害されている。その家族が服喪のために邸や領地に籠ってしまえば、国政の立て直しにも支障をきたす。ゲルフィンら家族を失った十二貴嬪家の者が喪に服さなければ、後々、批判を受ける可能性もある。国からの正式な奪服命令は、肉親の情に区切りをつけるためにも必要なのである。
その上で、皇帝の諒闇は一月で切り上げ――実質、叛乱中に諒闇は終了しているとされたーー叛乱以前の状態に復することを最優先に、ただ年内は派手な歌舞音曲を伴う祝い事などは自粛するように、との通達が出ただけで、厳密な服喪は強制されないことになった。
「結局、廃太子への処断はどのようになったのだ?」
ゲルフィンの問いに、戻ってきて早速、恭親王の書斎でメイローズの淹れた茶を飲みながら、トルフィンが答えた。
「帝都の北方にある、月神殿に押し込めですね」
「あれだけ殺してその程度なのか?」
父も叔父も殺されているゲルフィンが、納得いかないと言う顔で片眼鏡をずり上げる。
「龍種は殺さないというのが不文律ですからね。こちらがそれに反するのは筋が通らないというのが、まず一点。それから、殺すまでもないんですよ。せいぜいあと半年か一年くらい、相当苦しい目に遭いながら、少しずつ死んでいく感じ?」
トルフィンが肩を竦める。
「アタナシオスという、イフリート家の魔術師の〈王気〉を保つ術は、その〈王気〉を受け入れる際に非常に大きな〈瑕〉ができるんだそうです。一度その術を受けたら、〈王気〉の減退も早くなるし、永遠に〈王気〉を受け入れ続けなければならない。でももう、アタナシオスはいないし、あの人に〈王気〉を提供するような皇子もいませんので……」
もちろん、マニ僧都の構築した魔法陣で治療すれば、その〈瑕〉を塞ぐことも可能だが、賢親王はその治療を禁じた。故にロウリンはこれから先、治療も受けられず、ただ日々〈王気〉を垂れ流し、魔力の不足による堪えがたい苦痛に苛まれて、最期の日まで生き続けるのだ。
「それでも、不満に思う人は多いでしょうね。〈王気〉を横取りされた皇子がたの中には、完全に回復するのは無理だろうって人もいらっしゃるし、下の息子二人も、命こそ取り止めましたけど、もう〈王気〉は戻らないらしくて、皇族の籍から抜けることになるそうです。でも、息子五人を皆殺しにされている賢親王殿下が、命をもって贖わせるべきではない、と仰ったので、それ以上は誰も何も言えません」
「廉郡王殿下の処遇は?」
ゼクトが、感情を押し殺した声でトルフィンに尋ねた。――廃太子が何事もなく位を継いでいれば、間違いなく皇太子に冊立されたはずの廉郡王は、謀叛人の息子の地位に転落した。
「グイン殿下は、うちの殿下の救出に功績があったこと、また賢親王殿下にも協力的であったこともあって、お咎めは無しになりました。もう少し帝都が落ち着いたら、征西大将軍として西方に戻るよう、命令が下る予定です」
トルフィンの言葉に、ゼクトも、そしてゲルフィンも大きな安堵の溜息をついた。そこへ、トルフィンが唐突に爆弾を投下する。
「――あ、そうそう、帝都の大嫂から手紙預かってきましたよ? 何と、結婚十年目にしてご懐妊ですって!」
「――なんだと! そ、そ、そんな馬鹿な!」
妻の懐妊を知らされ、ゲルフィンは動揺のあまり思わず立ち上がる。
「いやあ、冷めきった夫婦かと思いきや、ちゃんとやることやってたんですねぇ! これでゲスト家も安泰だ!」
トルフィンが面白可笑しく囃し立てるが、ゲルフィンは蒼白な顔で立ち尽くしたままだ。
と、一同、不安になる。ゲルフィン夫婦はお世辞にもうまくいっていると言えない。ゲルフィンとその妻とは、些細な切っ掛けから数年単位で冷戦中なのである。プライドの高いゲルフィンから歩み寄るなんてあり得なくて、妻は妻で辛気臭い骨董趣味に逃げている夫に対し、かなり前から愛想を尽かしているのだが、ゲルフィンの方が絶対に離婚に同意しなかった。
そういう事情を内々で知っているゾラもトルフィンも、夫の外征中に懐妊したというゲルフィンの妻に対し、まさかという疑念が沸き起こって顔が青ざめる。
「……え、もしかして、身に覚えがねぇとか、そういうオチは無しにしてくれよ……?」
「ちゃ、ちゃんとゲル兄さんの子だよね?」
不穏なことを言い出した従弟とその友人に、ゲルフィンが慌てて叫ぶ。
「あ、当たり前だ!……身に覚えなら、ある」
夜の方は数か月ご無沙汰だったが、西へと出発する前夜、いっそのこと離縁状を書いてくれという妻に、もうこれで死ぬかもしれないから、ゲスト家の子孫を残すためにとか、何とか理屈をこねてヤらせてもらったのだ。
身に覚えはあるが、だからといって本当に妊娠するなんて想像もしていなくて、まさか、とゲルフィン自身が混乱してしまう。
くしゃくしゃと、狼狽に任せて頭を掻き毟るゲルフィンに、マニ僧都が笑う。
「なんだ、アリナ殿といい、突然の懐妊続出かい。――もしかしたら、アデライードも期待できるかもしれないね?」
少しだけ、明るい空気が総督府に戻ってきた。
賢親王から総督府で待つゲルフィンらに真っ先に告げられたのは、十二貴嬪家以下、貴種に対する「奪服」命令――服喪期間を強制的に終了し、出仕させる――であった。十二貴嬪家から八侯爵家の、とくに文官家の当主たちは軒並み殺害されている。その家族が服喪のために邸や領地に籠ってしまえば、国政の立て直しにも支障をきたす。ゲルフィンら家族を失った十二貴嬪家の者が喪に服さなければ、後々、批判を受ける可能性もある。国からの正式な奪服命令は、肉親の情に区切りをつけるためにも必要なのである。
その上で、皇帝の諒闇は一月で切り上げ――実質、叛乱中に諒闇は終了しているとされたーー叛乱以前の状態に復することを最優先に、ただ年内は派手な歌舞音曲を伴う祝い事などは自粛するように、との通達が出ただけで、厳密な服喪は強制されないことになった。
「結局、廃太子への処断はどのようになったのだ?」
ゲルフィンの問いに、戻ってきて早速、恭親王の書斎でメイローズの淹れた茶を飲みながら、トルフィンが答えた。
「帝都の北方にある、月神殿に押し込めですね」
「あれだけ殺してその程度なのか?」
父も叔父も殺されているゲルフィンが、納得いかないと言う顔で片眼鏡をずり上げる。
「龍種は殺さないというのが不文律ですからね。こちらがそれに反するのは筋が通らないというのが、まず一点。それから、殺すまでもないんですよ。せいぜいあと半年か一年くらい、相当苦しい目に遭いながら、少しずつ死んでいく感じ?」
トルフィンが肩を竦める。
「アタナシオスという、イフリート家の魔術師の〈王気〉を保つ術は、その〈王気〉を受け入れる際に非常に大きな〈瑕〉ができるんだそうです。一度その術を受けたら、〈王気〉の減退も早くなるし、永遠に〈王気〉を受け入れ続けなければならない。でももう、アタナシオスはいないし、あの人に〈王気〉を提供するような皇子もいませんので……」
もちろん、マニ僧都の構築した魔法陣で治療すれば、その〈瑕〉を塞ぐことも可能だが、賢親王はその治療を禁じた。故にロウリンはこれから先、治療も受けられず、ただ日々〈王気〉を垂れ流し、魔力の不足による堪えがたい苦痛に苛まれて、最期の日まで生き続けるのだ。
「それでも、不満に思う人は多いでしょうね。〈王気〉を横取りされた皇子がたの中には、完全に回復するのは無理だろうって人もいらっしゃるし、下の息子二人も、命こそ取り止めましたけど、もう〈王気〉は戻らないらしくて、皇族の籍から抜けることになるそうです。でも、息子五人を皆殺しにされている賢親王殿下が、命をもって贖わせるべきではない、と仰ったので、それ以上は誰も何も言えません」
「廉郡王殿下の処遇は?」
ゼクトが、感情を押し殺した声でトルフィンに尋ねた。――廃太子が何事もなく位を継いでいれば、間違いなく皇太子に冊立されたはずの廉郡王は、謀叛人の息子の地位に転落した。
「グイン殿下は、うちの殿下の救出に功績があったこと、また賢親王殿下にも協力的であったこともあって、お咎めは無しになりました。もう少し帝都が落ち着いたら、征西大将軍として西方に戻るよう、命令が下る予定です」
トルフィンの言葉に、ゼクトも、そしてゲルフィンも大きな安堵の溜息をついた。そこへ、トルフィンが唐突に爆弾を投下する。
「――あ、そうそう、帝都の大嫂から手紙預かってきましたよ? 何と、結婚十年目にしてご懐妊ですって!」
「――なんだと! そ、そ、そんな馬鹿な!」
妻の懐妊を知らされ、ゲルフィンは動揺のあまり思わず立ち上がる。
「いやあ、冷めきった夫婦かと思いきや、ちゃんとやることやってたんですねぇ! これでゲスト家も安泰だ!」
トルフィンが面白可笑しく囃し立てるが、ゲルフィンは蒼白な顔で立ち尽くしたままだ。
と、一同、不安になる。ゲルフィン夫婦はお世辞にもうまくいっていると言えない。ゲルフィンとその妻とは、些細な切っ掛けから数年単位で冷戦中なのである。プライドの高いゲルフィンから歩み寄るなんてあり得なくて、妻は妻で辛気臭い骨董趣味に逃げている夫に対し、かなり前から愛想を尽かしているのだが、ゲルフィンの方が絶対に離婚に同意しなかった。
そういう事情を内々で知っているゾラもトルフィンも、夫の外征中に懐妊したというゲルフィンの妻に対し、まさかという疑念が沸き起こって顔が青ざめる。
「……え、もしかして、身に覚えがねぇとか、そういうオチは無しにしてくれよ……?」
「ちゃ、ちゃんとゲル兄さんの子だよね?」
不穏なことを言い出した従弟とその友人に、ゲルフィンが慌てて叫ぶ。
「あ、当たり前だ!……身に覚えなら、ある」
夜の方は数か月ご無沙汰だったが、西へと出発する前夜、いっそのこと離縁状を書いてくれという妻に、もうこれで死ぬかもしれないから、ゲスト家の子孫を残すためにとか、何とか理屈をこねてヤらせてもらったのだ。
身に覚えはあるが、だからといって本当に妊娠するなんて想像もしていなくて、まさか、とゲルフィン自身が混乱してしまう。
くしゃくしゃと、狼狽に任せて頭を掻き毟るゲルフィンに、マニ僧都が笑う。
「なんだ、アリナ殿といい、突然の懐妊続出かい。――もしかしたら、アデライードも期待できるかもしれないね?」
少しだけ、明るい空気が総督府に戻ってきた。
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