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1、オアシスの夜
アデライードの決意
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マニ僧都とメイローズが顔を見合わせる。あの〈聖剣〉は左手に収納されるなど、神秘に満ちてはいるが、ただ切れ味が素晴らしいだけで、それ以上の不思議は特に発揮されていなかった。
「つまり、シウリンが使って初めて真の効果を発揮する――」
「はい。でも、二十三歳の自分はもっと強かったかもしれないけれど、今の自分ではわたしを守ることは難しいから、わたしは先にソリスティアに帰るようにと。自分もソリスティアに向かうし、最悪でも冬至までには、ナキアの月神殿に着くようにするから、と」
「それで、一人でここまで戻ってきた」
マニ僧都に言われて、アデライードは恭親王と別れた時のことを思い出したのか、目に涙を溜めて震えている。
「わたしが、こんなドジじゃなかったら――もっと役に立てたら――」
耐えきれず、テーブルに突っ伏して泣きだしたアデライードの背中を、思わず駆け寄ってきたアリナが撫でる。
その様子を見ながら、マニ僧都は顎に手をあてて考えた。
大地を埋めるほどの魔物の大発生。聖剣を持つとはいえ、その地に取り残された皇子。――しかも精神年齢は十二歳。
普通に考えたら、ものすごく絶望的だ。
だが確かに――。
(シウリンでなければ、聖剣の本来の力を発揮させられないとすれば――)
頑なにシウリンである過去を捨てようとしていた恭親王ではなく、十二歳の彼に戻る必要があったということなのか。
マニ僧都がへパルトス周辺の地図を思い浮かべながらメイローズに尋ねる。
「へパルトスのあたりはずいぶんと暑い場所だと聞いている。ひとまず凍死することはなさそうだが――」
「あのあたりは年中夏のような暑さですからね。でも空気は乾燥していて、風も強いですから、帝都のムシムシした夏なんかよりは、過ごしやすいという人もいますよ。へパルトスから北に向かうと、ガルシア辺境伯領の端に入るはずです。へパルトスは女王の結界の内側ではありますが、ガルシア家の管轄外で――私の記憶もだいぶ曖昧ですが、ガルシア伯の砦のある砂漠の向こうになりますね。砂漠ですが、伏流水があってところどころに泉がありますから、見た目ほど困難な場所ではないのです。ガルシア伯の砦に辿りつけば、保護を求めることも可能でしょう」
だが、その話を聞いていたアリナは、眉を顰めてしまう。見た目ほど困難でないとはいえ、皇子が一人で砂漠を越えるなど、不可能ではないのか。
「まあ、彼が普通の皇子様なら、こりゃあ詰んだと言う感じだけれど、シウリンは聖地で羊飼いの経験があるからね。あれは夏だと数日野宿をする羽目になるし、シウリンはウサギの罠を仕掛ける名人だった。山鳥なんかもよく捕まえて食べていたらしい。――本当は戒律違反なんだけれど、腹が減ってるんだから無駄な殺生じゃないとか何とか、言い訳していたな。シウリンなら生き残るんじゃないか」
「――後宮の庭でも、投石器を自作して烏を打ち落とそうとなさって、必死に止めたことがございますよ。道理で、もともと野生児だったのですね」
マニ僧都とメイローズのやり取りに、アリナはわけがわからず茫然とする。
「うん。まあだから、何だ。絶対安心だとまでは言わないけれど、心配しすぎても始まらないよ。――へパルトスにはもう、暗部の者が向かっているのだろう?」
「はい、ガルシア家の者宛てに、私の書状も託けてございますから、砂漠さえ抜ければ探し当てられると存じます。ただ――」
メイローズはもともと、ガルシア伯に仕える聖騎士の家系の出だ。
「イフリート公爵は、今回の結界が弾けたのは、殿下が贋の皇子で〈聖婚〉を汚したせいだと、とんでもない言いがかりをつけているのです。ガルシア領の者たちが、そのような世迷言を信じるとは思えませんが、鵜呑みにする者も中にはいるかもしれません」
その言葉にアデライードがびっくりして目を丸くする。
「まさかそんなことを!だって殿下には〈王気〉もあるし、〈聖剣〉だって……それに、わたしたちの結婚のせいで魔物が発生しただなんて、いったい何の根拠があって! そもそも、殿下がシウリンだったことを、どうしてイフリート公爵が知っているの!」
「もちろん、イフリート公の言うことはデタラメでございますよ。あの〈聖剣〉を見れば、すべては明らかであると思いますが……」
メイローズが苦々しげに言い、マニ僧都も溜息をつく。
「帝都での叛乱の際に、例の廃太子が口走ったらしいのだが、それを遥か数千里離れたイフリート公爵が知っていることが不自然なのだがな。……後で耳に入るよりはと思い、今、私の口から言っておくけれど、イフリート公はアデライードのことだって、ずいぶんと酷い言い方で貶めているのだよ」
「わたしのことも?……それは、なんて?」
思わずアデライードがマニ僧都に詰め寄ると、マニ僧都は言いにくそうに、金色の眉を歪めた。
「その……そのような贋皇子に穢された女王など、戴くことはできぬと。それを理由に、秋分の日にアルベラの即位を決めたのだ」
アデライードはしばらくポカンと口を開けて、マニ僧都の青い目を見つめる。
「穢され……た……わたしが?」
しばらく意味がわからなかったのだろう。アデライードがパチパチと瞬きしてから、ようやく、息を吸う。
「……何てことを。……それを言うのであれば、あの人たちが、お母様に、いいえ、歴代の女王に対してしてきたことは何だと言うのかしら」
アデライードの頬の線が鋭く、厳しくなる。マニ僧都もメイローズも、そしてアリナもハッとした。
「わたしと殿下――シウリンは唯一にして神聖なる金銀の龍種の番。それを貶めて、あまつさえ天と陰陽さえ愚弄しようとする」
アデライードは金色の睫毛を伏せ、次に開いた翡翠色の瞳には強い光があった。
メイローズとマニ僧都の目には、アデライードを取り巻く銀の〈王気〉が、僅かな赤味を帯び、氷のように冷徹な輝きを増したのがはっきりと視えた。
「今まで、女王になどなりたいと思ったことはなかったけれど、伯父様――わたしが最後の龍種だから仕方なくではなく、わたしは自らの意志で女王になります。あの人たちに踏みつけられ続けてきた、女王の尊厳を取り戻すために」
アデライードの翡翠色の瞳には、強い決意が漲っていた。
「つまり、シウリンが使って初めて真の効果を発揮する――」
「はい。でも、二十三歳の自分はもっと強かったかもしれないけれど、今の自分ではわたしを守ることは難しいから、わたしは先にソリスティアに帰るようにと。自分もソリスティアに向かうし、最悪でも冬至までには、ナキアの月神殿に着くようにするから、と」
「それで、一人でここまで戻ってきた」
マニ僧都に言われて、アデライードは恭親王と別れた時のことを思い出したのか、目に涙を溜めて震えている。
「わたしが、こんなドジじゃなかったら――もっと役に立てたら――」
耐えきれず、テーブルに突っ伏して泣きだしたアデライードの背中を、思わず駆け寄ってきたアリナが撫でる。
その様子を見ながら、マニ僧都は顎に手をあてて考えた。
大地を埋めるほどの魔物の大発生。聖剣を持つとはいえ、その地に取り残された皇子。――しかも精神年齢は十二歳。
普通に考えたら、ものすごく絶望的だ。
だが確かに――。
(シウリンでなければ、聖剣の本来の力を発揮させられないとすれば――)
頑なにシウリンである過去を捨てようとしていた恭親王ではなく、十二歳の彼に戻る必要があったということなのか。
マニ僧都がへパルトス周辺の地図を思い浮かべながらメイローズに尋ねる。
「へパルトスのあたりはずいぶんと暑い場所だと聞いている。ひとまず凍死することはなさそうだが――」
「あのあたりは年中夏のような暑さですからね。でも空気は乾燥していて、風も強いですから、帝都のムシムシした夏なんかよりは、過ごしやすいという人もいますよ。へパルトスから北に向かうと、ガルシア辺境伯領の端に入るはずです。へパルトスは女王の結界の内側ではありますが、ガルシア家の管轄外で――私の記憶もだいぶ曖昧ですが、ガルシア伯の砦のある砂漠の向こうになりますね。砂漠ですが、伏流水があってところどころに泉がありますから、見た目ほど困難な場所ではないのです。ガルシア伯の砦に辿りつけば、保護を求めることも可能でしょう」
だが、その話を聞いていたアリナは、眉を顰めてしまう。見た目ほど困難でないとはいえ、皇子が一人で砂漠を越えるなど、不可能ではないのか。
「まあ、彼が普通の皇子様なら、こりゃあ詰んだと言う感じだけれど、シウリンは聖地で羊飼いの経験があるからね。あれは夏だと数日野宿をする羽目になるし、シウリンはウサギの罠を仕掛ける名人だった。山鳥なんかもよく捕まえて食べていたらしい。――本当は戒律違反なんだけれど、腹が減ってるんだから無駄な殺生じゃないとか何とか、言い訳していたな。シウリンなら生き残るんじゃないか」
「――後宮の庭でも、投石器を自作して烏を打ち落とそうとなさって、必死に止めたことがございますよ。道理で、もともと野生児だったのですね」
マニ僧都とメイローズのやり取りに、アリナはわけがわからず茫然とする。
「うん。まあだから、何だ。絶対安心だとまでは言わないけれど、心配しすぎても始まらないよ。――へパルトスにはもう、暗部の者が向かっているのだろう?」
「はい、ガルシア家の者宛てに、私の書状も託けてございますから、砂漠さえ抜ければ探し当てられると存じます。ただ――」
メイローズはもともと、ガルシア伯に仕える聖騎士の家系の出だ。
「イフリート公爵は、今回の結界が弾けたのは、殿下が贋の皇子で〈聖婚〉を汚したせいだと、とんでもない言いがかりをつけているのです。ガルシア領の者たちが、そのような世迷言を信じるとは思えませんが、鵜呑みにする者も中にはいるかもしれません」
その言葉にアデライードがびっくりして目を丸くする。
「まさかそんなことを!だって殿下には〈王気〉もあるし、〈聖剣〉だって……それに、わたしたちの結婚のせいで魔物が発生しただなんて、いったい何の根拠があって! そもそも、殿下がシウリンだったことを、どうしてイフリート公爵が知っているの!」
「もちろん、イフリート公の言うことはデタラメでございますよ。あの〈聖剣〉を見れば、すべては明らかであると思いますが……」
メイローズが苦々しげに言い、マニ僧都も溜息をつく。
「帝都での叛乱の際に、例の廃太子が口走ったらしいのだが、それを遥か数千里離れたイフリート公爵が知っていることが不自然なのだがな。……後で耳に入るよりはと思い、今、私の口から言っておくけれど、イフリート公はアデライードのことだって、ずいぶんと酷い言い方で貶めているのだよ」
「わたしのことも?……それは、なんて?」
思わずアデライードがマニ僧都に詰め寄ると、マニ僧都は言いにくそうに、金色の眉を歪めた。
「その……そのような贋皇子に穢された女王など、戴くことはできぬと。それを理由に、秋分の日にアルベラの即位を決めたのだ」
アデライードはしばらくポカンと口を開けて、マニ僧都の青い目を見つめる。
「穢され……た……わたしが?」
しばらく意味がわからなかったのだろう。アデライードがパチパチと瞬きしてから、ようやく、息を吸う。
「……何てことを。……それを言うのであれば、あの人たちが、お母様に、いいえ、歴代の女王に対してしてきたことは何だと言うのかしら」
アデライードの頬の線が鋭く、厳しくなる。マニ僧都もメイローズも、そしてアリナもハッとした。
「わたしと殿下――シウリンは唯一にして神聖なる金銀の龍種の番。それを貶めて、あまつさえ天と陰陽さえ愚弄しようとする」
アデライードは金色の睫毛を伏せ、次に開いた翡翠色の瞳には強い光があった。
メイローズとマニ僧都の目には、アデライードを取り巻く銀の〈王気〉が、僅かな赤味を帯び、氷のように冷徹な輝きを増したのがはっきりと視えた。
「今まで、女王になどなりたいと思ったことはなかったけれど、伯父様――わたしが最後の龍種だから仕方なくではなく、わたしは自らの意志で女王になります。あの人たちに踏みつけられ続けてきた、女王の尊厳を取り戻すために」
アデライードの翡翠色の瞳には、強い決意が漲っていた。
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