【R18】お飾り皇后のやり直し初夜【完結】

無憂

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二十六、羈鳥恋旧林

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羈鳥恋旧林 :羈鳥きちょうは旧林を恋う。籠の鳥は昔住んでいた林を恋しがる。陶淵明の「帰園田居」の一節。
 
◆◆◆◆◆◆◆


園林にわに鳥籠を持ち出し、わたしはウソの唄を聞いていた。

 チチチチ、ピピピピ、ピーピー……

「お前……外に出たくない? お前なら羽があるから、もう自由に飛んでいけるのよ?」

 高昭容の懐妊の噂と間を置かず、わたしに月の障りが訪れた。

 ――また、だめだった。

 以前なら、子供なんて特に欲しいと思わなかったのに、後宮では子供の有無が母親の地位を決める。
 「母は子を以てとうとし」という経典の言葉が、そのまま重要な意味を持ってくる。

 皇后だから子はいなくてもいいはずなのに、「あれだけご寵愛を独占して懐妊しないなんて」などという声が、どこからか耳に入ってくる。

 以前の、「お飾りの皇后」だったら、たぶん、気にならなかったのに――

 高昭容からは、「たった一度のお渡りでも天のたすけで授かりまして」なんて、嫌味たっぷりの手紙が来て、挨拶に来るというのを体調が悪いからと断ったばかりだ。――迂闊に対面した後で昭容に何かあって、わたしが呪ったせい、なんて言われても堪らない。
 
 狭い鳥籠の中で、呑気にピーピー啼いている鳥を見ていると、後宮に閉じ込められて逃げられない自分の姿と重なってきて、わたしは衝動的に鳥籠の戸を開けて、小鳥を外に逃がしてしまった。

 チチチ……と青空に飛んでいく小鳥を見送って、逃がしてしまったと申し上げたら、陛下はお叱りになられるかしら――そんな風に思っていたら。

 小鳥は逃げなくて、陛下のご使者である廉公公レンさんの手に乗って戻ってきてしまった。

 豪華で美しい鳥籠からは、小鳥でさえ逃げることはできないのだ。
 ならばわたしは飼われる者として、ただ陛下の愛を天からの慈雨と思って過ごしていくしかない。

 自らは求めまい。愛を乞うまい。

 何も願わなければ、陛下を愛さなければ、愛が失われた時にも傷つかなくて済む――


 
 
 うっかり真情を吐露してしまって、廉公公レンさんが困惑げに俯いている。わたしは気を取り直すように言った。

「そろそろ戻ります。鳥籠、運んでくださる?」 
「はい! 奴才わかくしめがお運びいたします」
 
 廉公公が淹れてくれたお茶はとても美味しかった。また、頼んだら淹れてくれるかしら? 陛下のお手紙にお返事も書かなければいけないし、ちょっと待ってもらう間なら――

 そんなことを考えながら堂に戻ってくると、妙にざわついていた。馬婆マーさんが息せき切って駆けこんでくる。

「娘娘! 大変です! 皇上が!」

 なんと、高昭容の元に向かうはずだった陛下が、突然、こちらにお立ちよりになったのだ。

「詩阿! 体調がすぐれぬと聞いて、どうしても気になって」  

 人目もはばからずに陛下に抱きしめられ、唇まで奪われて、わたしは硬直する。――陛下は、後宮に仕える宮女や宦官を、同じ人間と思っていないフシがある。人語を解する家畜か、自動で動く家具か何かだと思っていらっしゃるのだ。だから、見られても恥ずかしいという感覚がそもそもないらしい。
 でも、わたしはそうじゃないから、人前ではやめて……

「……顔色は、悪くはないようだが……」
「え、ええ……その……園林で新鮮な空気を吸ったらだいぶ、よくなりました」
「そうか、なら――」

 もともと、月の障りだから、病気というわけではない。わたしは軽い方だし。
 ただ、高昭容の訪問を断る口実に使ったので、陛下の方にも申し送っただけなのだが、裏目に出てしまった。

 背後から太監が陛下を咎めた。

「皇上! 今宵は光華殿にお渡りの予定で――」

 わたしも、その尻馬に乗って陛下をやんわりと拒むことにした。

「皇上、あちら様もお待ちでございましょう」

 でも陛下はわたしが拒絶したのが気に入らなかったのか、端麗な眉を顰め、物憂げにおっしゃった。

「朕はそなたのことが心配で……」
「昭容も体調がすぐれぬと聞いております。せっかくの皇上のお渡りを、わたしが横取りしたように言われましては困ります」
「あれはどうせ仮病だ。朕の気を引こうと以前からうるさい」
「陛下――」

 困ったな……と思うわたしの背後で、廉公公が抱えた竹細工の鳥籠の、ウソがチイチイと騒いでいた。

「その鳥はよく啼くな。鳥籠によう馴染んでおる」
「……はい、おかげさまで」

 陛下は満足そうに鳥籠を覗き込み、馬婆に茶菓を所望して、二人並んで長椅子に座った。

「光華殿にはあとで参ると伝えておけ」
「……承知いたしました」

 太監が呆れたように請け負い、配下の宦官を走らせる。廉公公が御座近くに置かれた支柱に鳥籠を引っ掛ければ、陛下は鳥籠に一瞥した後、わたしの手をギュッと握る。

「光華殿のこと、聞き及ぶか?」
「……はい。めでたいことで――」
「別にめでたくもない。誰が孕もうが、朕の最愛はそなた一人」
「陛下――」

 陛下がわたしを両腕で抱きしめ、耳元で囁く。

「不安なのだ。他の女を孕ませた朕を厭うて、そなたが小鳥のように逃げてしまうのではと、心配でならぬ。――いっそ、あの鳥のようにそなたを鳥籠に閉じ込めてしまいたい」
「陛下……わたしは逃げたりはいたしません」
「詩阿……」

 陛下がもう一度わたしの唇を塞いだちょうどその時、馬婆がお茶の盆を持って入ってきた。――この人たちも、わたしと陛下がどれだけいちゃつこうが、まったく動じることがない。困惑しているのはわたし一人だ。

「陛下、お茶が冷めてしまいます」
「お茶よりも詩阿の唇を味わいたい」
「は、恥ずかしいですから!」

 わたしは顔が熱くて周囲も見られないと言うのに、陛下は平気で甘い言葉を囁いてくる。
 
「詩阿は恥ずかしがり屋だな」

 違います、陛下がどちらかというと恥知らずなだけで――

「詩阿、夏になったら離宮に参ろうと思うのだ」
「離宮?」

 わたしがきょとんと陛下を見上げると、陛下が端麗な顔の笑みを深くする。

「離宮と言っても、そこの、大明宮だ。――数代前の上皇の隠居所だったが、しばらく使っていなくて、昨年からずっと工事させていた。太極宮と違い、大きな池があって舟遊びもできる」
「まあ……」

 離宮と言うと大げさだけれど、ここ太極宮の道を挟んだ北のはす向かいくらいの場所だ。
 
「池の中に、島があって東方の神仙の山にちなんで蓬莱山ほうらいさんと言うんだが、そこにも離宮を作った。舟でしか行けない隠れ家みたいな」

 陛下が悪戯っぽい笑みを浮かべ、言った。

「そこに、詩阿を閉じ込める鳥籠を作ろうと思って」
「え?」

 思わず、まじまじと陛下のお顔を見てしまう。陛下がハハハ、と笑ってから、微笑む。

「もちろん、詩阿一人を閉じ込めたりはしない。俺も一緒に閉じこもるつもりで」
「……そんなことして、よろしいの?」
「五月、六月は暑くて仕事にならん。俺も少しは休暇をもらわないと、過労死してしまう」

 もっと遠い、涼しい離宮で過ごす皇帝もいたが、移動に時間と金がかかるから嫌なのだと陛下がお笑いになる。

「宰相に言わせると俺は吝嗇家ケチらしいから。上があまりにも倹約しすぎると、金が天下を回らず、景気が悪くなる。少しは金を使えと言われたので、離宮は少しばかり奮発したんだ」 

 もう一度唇を塞がれて貪られているその最中に、太監が呆れたように声をかけた。

「皇上! そろそろお時間でございます!」

 陛下が興ざめしたように、わざとらしくため息をついた。

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