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十七、元宵観燈

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 趙淑妃が癇癪? いい歳して?
 理解できずに、でも馬婆まーさんの慌てぶりに眠気も吹っ飛ぶ。

「なに、どういうことなの? なぜ、わたしのもとに陛下が続けていらっしゃると、淑妃が癇癪を起すの?」
「趙淑妃としては、新年最初のお渡りがこちらの娘娘にゃんにゃんなのは仕方ないと思っておられた。でも、その次のお渡りは自分であるはずと――」
「なんでそうなるの」

 どうも、今まで陛下はどの妃嬪にも不公平がないように、順繰りにお渡りの予定を組んでいらっしゃったらしい。
 だから位階で最も上の皇后が最初なら、次のお渡りは当然、自分だと思って心づもりしていた。なのに陛下は二度続けてわたしのもとに通った。

「……それで、どうなったの?」
「癇癪を起して倒れてしまい、太医を呼びだして大騒ぎでございますよ。裏で娘娘が糸を引いていると――」
「そんなの無理よ!」

 わたしが皇帝のお渡りを左右できるなら、今まで二か月も放置されていない。

「実は娘娘が入宮してからは、陛下の後宮入り自体がなかったのですよ。淑妃はそれも、娘娘のせいではと言い出されて……」
「わたしにそんな力があるわけないじゃない……」 

 呆れて言えば、馬婆も頷く。

「年末は行事も公務も繁多でございますからね。陛下はもともと、めったに後宮にはいらっしゃらなかった。それを全部、娘娘のせいにされましても……」

 わたしはため息をつく。
 お渡りがなければ「お飾り」だと揶揄するくせに、お渡りがあったらあったで大騒ぎするなんて!

 だが、陛下が続けてわたしの宮を訪れたことで、後宮内の空気がしだいに変わっていくのだった――




 
 

 上元の日、午後に陛下の側近の宦官が、何やらひつを捧げてやってきた。
 中に入っていたのは、円領袍えんりょうほう(丸襟の衣服)と袴(ずぼん)、そして分厚い被襖ひおう(コート)。靴とぼくとう(帽子)まで入っていて、つまりこれは……

「皇上よりこちらを賜りました。夕刻になりましたらまた、迎えに参ります。寒い時期ですので、しっかり中に着こむようにと」
 
 王婆が手を打つ。

「今日は元宵でございますから! 灯篭見物のお約束をなさったのですね」
「そう言えば……どこかに出かけるの? 宮中で見物するのとばっかり……」

 そう言えばそんな約束をしていた、とわたしが顎に手を当てれば、王婆も頷く。

「皇上は、宮中で派手な催しをするのを好まないのですよ。見物するとなったら宮外に出るのでは」
「ええ? そんなことしていいいの?」
「だから男装させるのでは?」 

 確かに、衣服は全部男物だった。

「こんなの着たことないわ……」

 混乱するわたしに、傅母と侍女とで男物の衣装を着つけていく。髪は帽子に入るように両側に結い上げ、綿入れの半臂はんぴ(袖なし)なども着こんで、袴の上に円領袍を着、革の靴を履く。化粧は控えめにし、幞頭を被れば、ぱっと見は小柄な少年のようだ。しっかりと分厚い被襖は袖を通さず、斗篷とうほう(マント)のように羽織ったところで、さっきの宦官が迎えに来た。この宮付きの宦官を一人伴い、こっそりと通明門を出る。

 通明門の外は中書省(政務の枢要を司る)の官衙かんがが並んでいたが、南側に門があった。安仁門というその門の前に、普通の官僚のような服を着た陛下が立っていらっしゃった。

「やっと来たか。参るぞ。人混みではぐれるでないぞ?」

 そうおっしゃって、陛下がわたしの手をお取りになる。

「詩阿は男装も愛らしいな」
「そ、そ、そうですか?」

 安仁門を出るとそこは庫が立ち並んでいて、すぐ正面にある永安門までが宮城――天子の住まい――で、この外は皇城――官庁街――となる。横街おうがいと呼ばれる大通りが走っていて、それを西に向かっていく。

 すっかり陽は暮れて、暗い空からチラチラと雪が舞っている。吐く息が白い。
 雲の隙間から、今年最初の満月が時々顔を見せる。

「寒くはないか?」
「大丈夫です」

 陛下と手を繋いで歩いているだけで、緊張して寒さなど感じようがない。右手に延々と続く白壁の向こうは掖庭宮で、やがて安福門という大きな門に出た。

 門には大きな灯篭が掲げられ、石灯籠にも灯がともっている。

 凝った提灯を掲げた宦官たちの先導で、門の脇から外に出る。門候(もんばん)も事情は知っているのか、咎められることもなく門をくぐれば、門外の家々の軒先には、さまざまな色の布で作られた、鮮やかな灯篭が掲げられ、通りをまっすぐ連なっている。
 
「わあ……」

 わたしが思わず感嘆の声を上げる。通りは人で溢れ、昼間のように明るい。――普段、夜間は外出禁止令が出ているが、この元宵の夜は特別だ。みな灯篭見物に繰り出して、街は遅くまで賑わうのだ。
  
「綺麗だろう……毎年、この周辺から興福寺あたりまでは特に見事なんだ」
「陛下もよくいらっしゃるのですか?」
「シーッ! 名前で呼べ。弘毅、だ」
「あ……申し訳ありません……」

 わたしは慌てて口元を塞ぎ、謝る。陛下は微笑んで首を振った。

「よい。……興福寺の門前は屋台も出る。こんな日は湯円を食べよう」
「はい!」

 興福寺が近づごとに、さまざまな大きな作り物の灯篭も飾られていて、思わず見上げてしまう。
 キラキラと洪水のような光が溢れて眩みそう。
 
 やがて大きな塔を持つ寺院の前に出た。屋台が立ち並び、売り子の声が騒がしい。人だかりができているのは、大道芸をしているのだ。

「すごい! こんなお祭りだったのですね!」

 わたしはせいぜい、家の近所の作り物を眺める程度で、遠出をしたことがなかった。
 
「あの湯円店が毎年人気なんだ」

 陛下が指差した屋台は、さすがの人だかりで、湯気を立てる大釜をずっと一人がかき回し、もう一人がが湯円を丸めてどんどんと釜の中に投げ込んでいる。宦官の一人が買いに行って、二椀、持って戻って来た。湯気の立つそれをハフハフと食べれば、寒さに凍えた身体が温まってくる。つるりとして、甘くて美味しい。

「こんな美味しいのは初めてです」

 わたしが言えば、陛下も蕩けそうな笑顔をなさる。――意外と甘いものもお好きなんだ。
 そんな風に周辺を散策して、わたしはふと、何気なく空を見上げる。

 チラチラと舞い降りてくる白い雪、白い息、街の灯り、そしてざわめき。
 
 そして、しっかりとわたしの手を握りしめる、大きな手。
 
 以前にも、こんなことがあったような――?

「詩阿?」
 
 立ち止まって空を見上げているわたしを、陛下が覗きこむ。
 そうだ、あの時もこうやって、誰かがわたしを覗き込んで――

「あ……前にも、こんなことが……?」
「詩阿……?」

 不意に熱い涙が溢れて頬を伝うのを見て、陛下が慌ててわたしを抱きしめた。

「思い出したのか? 一度だけ、そなたらの父に連れられて、章家の兄弟と観燈に行ったのだ。詩阿と朕と、兄弟三人。一番小さい楽文は眠ってしまって、詩阿は朕にしがみついていた」
「そんな……ことが……」

 わたしはあの事件で死んでしまった兄弟のことも、そして陛下のことも覚えていない。 
 陛下がわたしを抱きしめて仰った。

「すまない。そなたにとっては大切な家族の想い出だったのに……俺は自分が忘れられたことだけ恨んでいた。でも、そうではないのだな。本当に、すまなかった」
「い、いえ、そんな……」

 わたしは慌てて首を振り、陛下を見上げた。

「こうして、また連れて来てくださった。それで充分です。ありがとうございます」
「詩阿……」

 陛下がわたしの耳元に口を寄せ、囁いた。

「約束する。そなたが忘れてしまった分よりもたくさんのよい思い出をこれから作ろう。……必ず、幸せにするから。どんなことをしても、絶対に、この天下で一番、幸せな妻にしてみせるから。俺のできるすべてで……」
「は、は、……はい」
 
 いえ、ちょっと待って。大げさ過ぎませんか。皇帝のできるすべてで、どんなことをしてもって、怖すぎるんですけど。

「あの、へい……じゃなくて、弘毅さま。普通で、普通でお願いします。無茶はやめてください。普通で」
「普通か……」

 わたしが念を押せば、陛下は少しだけ首を傾げ、端麗な眉を顰められた。

「普通が、一番難しいのだがな……」


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