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五、後宮妃嬪
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薛美人の言葉に、わたしいはだいたいの展開が読めて、内心、ウンザリする。
この人がわたしの宮に会いに来るときは、たいてい、こうなのだ。
わたしが後宮内で、「お飾りの皇后」だと揶揄されている知りたくもないのに知ったのは、この薛美人のご注進のおかげだ。
わたしは務めて笑顔を崩さずに尋ねる。
「そう、何ておっしゃったの?」
「なんて言ったと思います? 趙淑妃さまは宋尚儀にやり込められた後で、『有名無実の名ばかりの皇后のクセに』って呟いて、そしたら、腰巾着の鄭才人が、『あんな人はお飾りの置物も同じ』だなんて! ひどい言われようでございます! 是非、処罰してやってくださいませ!」
唾を飛ばしながら力説する薛美人に、わたしは苦笑する。
「そうは言っても、悪口を言われたくらいで罰するなんてできないわ。わたしは気にしていないから……」
「でもぉ! 中宮さまがお優しいから、あの人たちは調子に乗って!」
わたしは困惑を隠さずに、首を傾げる。
「まあ、でも仕方がないわ。入宮早々に寝込んで、陛下にもご心配をおかけしてしまったし」
「そんなの! だいたい陛下が二か月も――」
言いかけて、薛美人は口元を手で覆う。その様子を見ていた馬婆が、言った。
「皇上は、娘娘の体調を慮られたのだと思いますよ」
そうそう、と王婆も調子を合わせる。
「皇上も、納后儀礼があんなに厄介だとは、思ってもみなかったのかもしれませんね、無理をさせ過ぎたと反省していらっしゃると、劉太監が言っていました」
「そんなことが……」
「先々代の御代に、病の篤い寵姫を無理に皇后に冊立したら、儀礼の翌日に亡くなってしまったことがあったそうですよ。それくらい苛酷な儀礼なんですよ」
意外な事実にわたしは目を丸くする。
「……生きててよかったわ……」
「本当です」
わたしと二人の傅母が納得していると、しかし薛美人が口を挟む。
「でも……趙淑妃さまやその取り巻きは、中宮さまが『子供っぽすぎて期待外れだったのね』、とか、『疲れて眠ってしまっうなんて、信じられない』とか、『もともと、家柄だけが取り柄なのよ。容姿も特筆するほどでもないし』とか言いたい放題だったんですよ!」
「薛美人さま、口をお慎みくださいませ、誰が聞いているか知れたものではありませんよ」
王婆が、薛美人を窘める。「他の誰それが言っていた」と誹謗中傷を伝達するのは、わたしを誹謗中傷するのとそれほど変わらない。それに気づいた薛美人が慌てて謝る。
「も、申し訳ありません!」
「いいのよ。咎めるつもりはないわ。でも、そういうお話を聞かせてくださらなくてもいいから……」
薛美人はしばらくシュンとしていたが、やがて帰って行った。
「悪いことをしたかしら」
薛美人が帰ってからわたしが呟くと、馬婆が言った。
「気になさることはございませんよ。最近、少々、調子に乗っていたようでございますしね」
「調子に?」
「中宮様の一番のお気に入りと、あちこちに吹聴していたようでございますから」
「お気に入り……ってことになるかしら? たしかにあの人が一番やってくるけど」
基本的に来る者拒まずなのだけど。
「よそでは、娘娘の様子なども、あれこれ話のネタにしているようでございますよ。娘娘のお人が好いのをいいことに」
「そうそう、ああ見えてけっこう、したたかなんでございますよ、あの人は」
と、王婆が口を揃える。
「薛美人と鄭才人は、同時に後宮に入りまして、最初は二人、親友のように仲が良かったそうですの。だいたい、似たような時期に相次いで御寝に侍したのでございますが、薛美人が二度目のお召に与ったのに比べて、鄭才人はそれっきりでございましてね。そのあたりで友情も壊れたと申しますか……」
「……世知辛いのね……」
わたしが同情を込めて呟けば、王婆は肩を竦めて見せた。
「よくあることでございますよ。特に今上は女嫌いってほどでもないですけど、なんと申しますか、いやいや後宮に通っているようなフシがございましてね。周りがうるさいから仕方なく召し出されるけれど、まあ、たいていは一度っきりでございます。むしろ二度目があった薛美人の方が僥倖と申しますか」
「そうなのね。では薛美人は陛下のお気に入りなのね」
馬婆と王婆が顔を見合わせる。
「……そういう感じでも。今、高位妃嬪として辞していらっしゃる方は、たいてい、一度目か二度目でご懐妊して、位を昇級なさった感じですね。でも中には昇級直前に懐妊は間違いだったのがわかったりして。薛美人は結局、三度お召に与った後は特に何もなく……」
「立て続けに三回、お召があったので、ようやくご寵姫が現れたかと思いましたが、その後はさっぱりですねぇ。それももう、一年も前に話で……」
後宮内では、陛下が皇后冊立を決めたのは薛美人を寵愛したせいではないか、などと先走ったことを言うものもいた。その無責任な噂のせいで薛美人は趙淑妃や高昭容ら高位妃嬪から、露骨ないじめにあったりもしたらしい。
「……こわッ……」
わたしが思わず身を縮めると、王婆が綺麗に描いた眉を寄せた。
「薛美人が娘娘に擦り寄っているのも、まあ、そういうことがあって保身のためだと思いますよ」
「そうなのね……」
後宮の人間関係って大変なんだ。儀式は死ぬほど面倒くさいけど、皇后でまだマシだったかもしれない……
そんな風にわたしは思ったのだった。
後宮は、皇后以下、百二十二人の妃嬪がひしめきあう女の園である。
夫人 正一品 貴妃、淑妃、徳妃、賢妃
九嬪 正二品 昭儀、昭容、昭媛、脩儀、脩容、脩媛、充儀、充容、充媛
二十七世婦 正三品 婕妤 九人
正四品 美人 九人
正五品 才人 九人
八十一女御 正六品 宝林 二十七人
正七品 御女 二十七人
正八品 采女 二十七人
もちろん、この定員がすべて埋まっているわけでもないけれど、制度上、皇帝はこれだけの女を侍らすことが許されているし、これ以外に――例えば、後宮の女官たち――に手をつけても別に叱られたりはしない。
馬婆に対して、わたしは後宮内命婦の表を指さしながら尋ねる。
「えーっと、今、一番位が高いのが、趙淑妃。その下が高昭容と韓充儀……」
「そこまでが、お子様のいらっしゃる方ですよ。淑妃に公主が二人。充儀は男のが生まれたけど、すぐに亡くなって、高昭容も死産。蔡婕妤、という方が懐妊したというので徳妃に冊立しようという寸前で、懐妊が間違いと気づいたと言い出して。陛下も相当に不信感を抱かれたのか、降格こそありませんでしたが、ここ二年くらいはずっと放置されていますわね。冷宮送りにならずに幸いでしたよ」
「うわあ……」
もし陛下の気を引くための噓だとしたら、下手をすれば死刑にされてしまう。
「あと、その下の世婦以下になると……蔡婕妤、林婕妤、薛美人、樊美人、鄭才人、許才人、周才人、王宝林、劉宝林……」
「そんなにいるんだ……」
「先代の皇上に比べれば、今上は少ないほうです。それに、下の方の方は一度しかお召のない人がほとんどですよ」
ふと、わたしのあの、婚礼の夜はお召に数えられるのだろうかと、考えてしまった。
この人がわたしの宮に会いに来るときは、たいてい、こうなのだ。
わたしが後宮内で、「お飾りの皇后」だと揶揄されている知りたくもないのに知ったのは、この薛美人のご注進のおかげだ。
わたしは務めて笑顔を崩さずに尋ねる。
「そう、何ておっしゃったの?」
「なんて言ったと思います? 趙淑妃さまは宋尚儀にやり込められた後で、『有名無実の名ばかりの皇后のクセに』って呟いて、そしたら、腰巾着の鄭才人が、『あんな人はお飾りの置物も同じ』だなんて! ひどい言われようでございます! 是非、処罰してやってくださいませ!」
唾を飛ばしながら力説する薛美人に、わたしは苦笑する。
「そうは言っても、悪口を言われたくらいで罰するなんてできないわ。わたしは気にしていないから……」
「でもぉ! 中宮さまがお優しいから、あの人たちは調子に乗って!」
わたしは困惑を隠さずに、首を傾げる。
「まあ、でも仕方がないわ。入宮早々に寝込んで、陛下にもご心配をおかけしてしまったし」
「そんなの! だいたい陛下が二か月も――」
言いかけて、薛美人は口元を手で覆う。その様子を見ていた馬婆が、言った。
「皇上は、娘娘の体調を慮られたのだと思いますよ」
そうそう、と王婆も調子を合わせる。
「皇上も、納后儀礼があんなに厄介だとは、思ってもみなかったのかもしれませんね、無理をさせ過ぎたと反省していらっしゃると、劉太監が言っていました」
「そんなことが……」
「先々代の御代に、病の篤い寵姫を無理に皇后に冊立したら、儀礼の翌日に亡くなってしまったことがあったそうですよ。それくらい苛酷な儀礼なんですよ」
意外な事実にわたしは目を丸くする。
「……生きててよかったわ……」
「本当です」
わたしと二人の傅母が納得していると、しかし薛美人が口を挟む。
「でも……趙淑妃さまやその取り巻きは、中宮さまが『子供っぽすぎて期待外れだったのね』、とか、『疲れて眠ってしまっうなんて、信じられない』とか、『もともと、家柄だけが取り柄なのよ。容姿も特筆するほどでもないし』とか言いたい放題だったんですよ!」
「薛美人さま、口をお慎みくださいませ、誰が聞いているか知れたものではありませんよ」
王婆が、薛美人を窘める。「他の誰それが言っていた」と誹謗中傷を伝達するのは、わたしを誹謗中傷するのとそれほど変わらない。それに気づいた薛美人が慌てて謝る。
「も、申し訳ありません!」
「いいのよ。咎めるつもりはないわ。でも、そういうお話を聞かせてくださらなくてもいいから……」
薛美人はしばらくシュンとしていたが、やがて帰って行った。
「悪いことをしたかしら」
薛美人が帰ってからわたしが呟くと、馬婆が言った。
「気になさることはございませんよ。最近、少々、調子に乗っていたようでございますしね」
「調子に?」
「中宮様の一番のお気に入りと、あちこちに吹聴していたようでございますから」
「お気に入り……ってことになるかしら? たしかにあの人が一番やってくるけど」
基本的に来る者拒まずなのだけど。
「よそでは、娘娘の様子なども、あれこれ話のネタにしているようでございますよ。娘娘のお人が好いのをいいことに」
「そうそう、ああ見えてけっこう、したたかなんでございますよ、あの人は」
と、王婆が口を揃える。
「薛美人と鄭才人は、同時に後宮に入りまして、最初は二人、親友のように仲が良かったそうですの。だいたい、似たような時期に相次いで御寝に侍したのでございますが、薛美人が二度目のお召に与ったのに比べて、鄭才人はそれっきりでございましてね。そのあたりで友情も壊れたと申しますか……」
「……世知辛いのね……」
わたしが同情を込めて呟けば、王婆は肩を竦めて見せた。
「よくあることでございますよ。特に今上は女嫌いってほどでもないですけど、なんと申しますか、いやいや後宮に通っているようなフシがございましてね。周りがうるさいから仕方なく召し出されるけれど、まあ、たいていは一度っきりでございます。むしろ二度目があった薛美人の方が僥倖と申しますか」
「そうなのね。では薛美人は陛下のお気に入りなのね」
馬婆と王婆が顔を見合わせる。
「……そういう感じでも。今、高位妃嬪として辞していらっしゃる方は、たいてい、一度目か二度目でご懐妊して、位を昇級なさった感じですね。でも中には昇級直前に懐妊は間違いだったのがわかったりして。薛美人は結局、三度お召に与った後は特に何もなく……」
「立て続けに三回、お召があったので、ようやくご寵姫が現れたかと思いましたが、その後はさっぱりですねぇ。それももう、一年も前に話で……」
後宮内では、陛下が皇后冊立を決めたのは薛美人を寵愛したせいではないか、などと先走ったことを言うものもいた。その無責任な噂のせいで薛美人は趙淑妃や高昭容ら高位妃嬪から、露骨ないじめにあったりもしたらしい。
「……こわッ……」
わたしが思わず身を縮めると、王婆が綺麗に描いた眉を寄せた。
「薛美人が娘娘に擦り寄っているのも、まあ、そういうことがあって保身のためだと思いますよ」
「そうなのね……」
後宮の人間関係って大変なんだ。儀式は死ぬほど面倒くさいけど、皇后でまだマシだったかもしれない……
そんな風にわたしは思ったのだった。
後宮は、皇后以下、百二十二人の妃嬪がひしめきあう女の園である。
夫人 正一品 貴妃、淑妃、徳妃、賢妃
九嬪 正二品 昭儀、昭容、昭媛、脩儀、脩容、脩媛、充儀、充容、充媛
二十七世婦 正三品 婕妤 九人
正四品 美人 九人
正五品 才人 九人
八十一女御 正六品 宝林 二十七人
正七品 御女 二十七人
正八品 采女 二十七人
もちろん、この定員がすべて埋まっているわけでもないけれど、制度上、皇帝はこれだけの女を侍らすことが許されているし、これ以外に――例えば、後宮の女官たち――に手をつけても別に叱られたりはしない。
馬婆に対して、わたしは後宮内命婦の表を指さしながら尋ねる。
「えーっと、今、一番位が高いのが、趙淑妃。その下が高昭容と韓充儀……」
「そこまでが、お子様のいらっしゃる方ですよ。淑妃に公主が二人。充儀は男のが生まれたけど、すぐに亡くなって、高昭容も死産。蔡婕妤、という方が懐妊したというので徳妃に冊立しようという寸前で、懐妊が間違いと気づいたと言い出して。陛下も相当に不信感を抱かれたのか、降格こそありませんでしたが、ここ二年くらいはずっと放置されていますわね。冷宮送りにならずに幸いでしたよ」
「うわあ……」
もし陛下の気を引くための噓だとしたら、下手をすれば死刑にされてしまう。
「あと、その下の世婦以下になると……蔡婕妤、林婕妤、薛美人、樊美人、鄭才人、許才人、周才人、王宝林、劉宝林……」
「そんなにいるんだ……」
「先代の皇上に比べれば、今上は少ないほうです。それに、下の方の方は一度しかお召のない人がほとんどですよ」
ふと、わたしのあの、婚礼の夜はお召に数えられるのだろうかと、考えてしまった。
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