上 下
6 / 37

五、後宮妃嬪

しおりを挟む
 せつ美人の言葉に、わたしいはだいたいの展開が読めて、内心、ウンザリする。
 この人がわたしの宮に会いに来るときは、たいてい、こうなのだ。

 わたしが後宮内で、「お飾りの皇后」だと揶揄されている知りたくもないのに知ったのは、この薛美人のご注進のおかげだ。

 わたしは務めて笑顔を崩さずに尋ねる。

「そう、何ておっしゃったの?」
「なんて言ったと思います? 趙淑妃さまは宋尚儀にやり込められた後で、『有名無実の名ばかりの皇后のクセに』って呟いて、そしたら、腰巾着のてい才人が、『あんな人はお飾りの置物も同じ』だなんて! ひどい言われようでございます! 是非、処罰してやってくださいませ!」

 唾を飛ばしながら力説する薛美人に、わたしは苦笑する。

「そうは言っても、悪口を言われたくらいで罰するなんてできないわ。わたしは気にしていないから……」
「でもぉ! 中宮さまがお優しいから、あの人たちは調子に乗って!」

 わたしは困惑を隠さずに、首を傾げる。

「まあ、でも仕方がないわ。入宮早々に寝込んで、陛下にもご心配をおかけしてしまったし」
「そんなの! だいたい陛下が二か月も――」

 言いかけて、薛美人は口元を手で覆う。その様子を見ていた馬婆まーさんが、言った。

皇上こうじょうは、娘娘にゃんにゃんの体調をおもんぱかられたのだと思いますよ」

 そうそう、と王婆ワンさんも調子を合わせる。

「皇上も、納后儀礼があんなに厄介だとは、思ってもみなかったのかもしれませんね、無理をさせ過ぎたと反省していらっしゃると、劉太監が言っていました」
「そんなことが……」
「先々代の御代に、病の篤い寵姫を無理に皇后に冊立したら、儀礼の翌日に亡くなってしまったことがあったそうですよ。それくらい苛酷な儀礼なんですよ」

 意外な事実にわたしは目を丸くする。

「……生きててよかったわ……」
「本当です」

 わたしと二人の傅母が納得していると、しかし薛美人が口を挟む。

「でも……趙淑妃さまやその取り巻きは、中宮さまが『子供っぽすぎて期待外れだったのね』、とか、『疲れて眠ってしまっうなんて、信じられない』とか、『もともと、家柄だけが取り柄なのよ。容姿も特筆するほどでもないし』とか言いたい放題だったんですよ!」
「薛美人さま、口をお慎みくださいませ、誰が聞いているか知れたものではありませんよ」

 王婆ワンさんが、薛美人を窘める。「他の誰それが言っていた」と誹謗中傷を伝達するのは、わたしを誹謗中傷するのとそれほど変わらない。それに気づいた薛美人が慌てて謝る。

「も、申し訳ありません!」
「いいのよ。咎めるつもりはないわ。でも、そういうお話を聞かせてくださらなくてもいいから……」

 薛美人はしばらくシュンとしていたが、やがて帰って行った。






「悪いことをしたかしら」
  
 薛美人が帰ってからわたしが呟くと、馬婆が言った。

「気になさることはございませんよ。最近、少々、調子に乗っていたようでございますしね」
「調子に?」
「中宮様の一番のお気に入りと、あちこちに吹聴ふいちょうしていたようでございますから」
「お気に入り……ってことになるかしら? たしかにあの人が一番やってくるけど」

 基本的に来る者拒まずなのだけど。

「よそでは、娘娘にゃんにゃんの様子なども、あれこれ話のネタにしているようでございますよ。娘娘のお人が好いのをいいことに」
「そうそう、ああ見えてけっこう、したたかなんでございますよ、あの人は」

 と、王婆が口を揃える。

「薛美人と鄭才人は、同時に後宮に入りまして、最初は二人、親友のように仲が良かったそうですの。だいたい、似たような時期に相次いで御寝に侍したのでございますが、薛美人が二度目のお召に与ったのに比べて、鄭才人はそれっきりでございましてね。そのあたりで友情も壊れたと申しますか……」
「……世知辛いのね……」

 わたしが同情を込めて呟けば、王婆は肩を竦めて見せた。

「よくあることでございますよ。特に今上は女嫌いってほどでもないですけど、なんと申しますか、いやいや後宮に通っているようなフシがございましてね。周りがうるさいから仕方なく召し出されるけれど、まあ、たいていは一度っきりでございます。むしろ二度目があった薛美人の方が僥倖ぎょうこうと申しますか」
「そうなのね。では薛美人は陛下のお気に入りなのね」

 馬婆と王婆が顔を見合わせる。

「……そういう感じでも。今、高位妃嬪として辞していらっしゃる方は、たいてい、一度目か二度目でご懐妊して、位を昇級なさった感じですね。でも中には昇級直前に懐妊は間違いだったのがわかったりして。薛美人は結局、三度お召に与った後は特に何もなく……」
「立て続けに三回、お召があったので、ようやくご寵姫が現れたかと思いましたが、その後はさっぱりですねぇ。それももう、一年も前に話で……」

 後宮内では、陛下が皇后冊立を決めたのは薛美人を寵愛したせいではないか、などと先走ったことを言うものもいた。その無責任な噂のせいで薛美人は趙淑妃や高昭容ら高位妃嬪から、露骨ないじめにあったりもしたらしい。

「……こわッ……」

 わたしが思わず身を縮めると、王婆が綺麗に描いた眉を寄せた。

「薛美人が娘娘に擦り寄っているのも、まあ、そういうことがあって保身のためだと思いますよ」
「そうなのね……」

 後宮の人間関係って大変なんだ。儀式は死ぬほど面倒くさいけど、皇后でまだマシだったかもしれない……
 そんな風にわたしは思ったのだった。




 後宮は、皇后以下、百二十二人の妃嬪がひしめきあう女の園である。
 
 夫人 正一品 貴妃、淑妃、徳妃、賢妃
 九嬪 正二品 昭儀、昭容、昭媛、脩儀、脩容、脩媛、充儀、充容、充媛
 二十七世婦 正三品 婕妤 九人
       正四品 美人 九人
       正五品 才人 九人
 八十一女御 正六品 宝林 二十七人
       正七品 御女 二十七人
       正八品 采女 二十七人

 もちろん、この定員がすべて埋まっているわけでもないけれど、制度上、皇帝はこれだけの女を侍らすことが許されているし、これ以外に――例えば、後宮の女官たち――に手をつけても別に叱られたりはしない。

 馬婆マーさんに対して、わたしは後宮内命婦の表を指さしながら尋ねる。

「えーっと、今、一番位が高いのが、趙淑妃。その下が高昭容と韓充儀……」
「そこまでが、お子様のいらっしゃる方ですよ。淑妃に公主が二人。充儀は男のが生まれたけど、すぐに亡くなって、高昭容も死産。蔡婕妤、という方が懐妊したというので徳妃に冊立しようという寸前で、懐妊が間違いと気づいたと言い出して。陛下も相当に不信感を抱かれたのか、降格こそありませんでしたが、ここ二年くらいはずっと放置されていますわね。冷宮送りにならずに幸いでしたよ」
「うわあ……」

 もし陛下の気を引くための噓だとしたら、下手をすれば死刑にされてしまう。

「あと、その下の世婦以下になると……蔡婕妤、林婕妤、薛美人、樊美人、鄭才人、許才人、周才人、王宝林、劉宝林……」
「そんなにいるんだ……」
「先代の皇上に比べれば、今上は少ないほうです。それに、下の方の方は一度しかお召のない人がほとんどですよ」

 ふと、わたしのあの、婚礼の夜はお召に数えられるのだろうかと、考えてしまった。 
 
 
   

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

「後宮の棘」R18のお話

香月みまり
恋愛
『「後宮の棘」〜行き遅れ姫の嫁入り〜』 のR18のみのお話を格納したページになります。 本編は作品一覧からご覧ください。 とりあえず、ジレジレストレスから解放された作者が開放感と衝動で書いてます。 普段に比べて糖度は高くなる、、、ハズ? 暖かい気持ちで読んでいただけたら幸いです。 R18作品のため、自己責任でお願いいたします。

男友達を家に入れたら催眠術とおもちゃで責められ調教されちゃう話

mian
恋愛
気づいたら両手両足を固定されている。 クリトリスにはローター、膣には20センチ弱はある薄ピンクの鉤型が入っている。 友達だと思ってたのに、催眠術をかけられ体が敏感になって容赦なく何度もイかされる。気づけば彼なしではイけない体に作り変えられる。SM調教物語。

【R18】幼馴染な陛下と、甘々な毎日になりました💕

月極まろん
恋愛
 幼なじみの陛下に、気持ちだけでも伝えたくて。いい思い出にしたくて告白したのに、執務室のソファに座らせられて、なぜかこんなえっちな日々になりました。

【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜

まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください! 題名の☆マークがえっちシーンありです。 王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。 しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。 肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。 彼はやっと理解した。 我慢した先に何もないことを。 ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。 小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

クソつよ性欲隠して結婚したら草食系旦那が巨根で絶倫だった

山吹花月
恋愛
『穢れを知らぬ清廉な乙女』と『王子系聖人君子』 色欲とは無縁と思われている夫婦は互いに欲望を隠していた。 ◇ムーンライトノベルズ様へも掲載しております。

【R-18】悪役令嬢ですが、罠に嵌まって張型つき木馬に跨がる事になりました!

臣桜
恋愛
悪役令嬢エトラは、王女と聖女とお茶会をしたあと、真っ白な空間にいた。 そこには張型のついた木馬があり『ご自由に跨がってください。絶頂すれば元の世界に戻れます』の文字が……。 ※ムーンライトノベルズ様にも重複投稿しています ※表紙はニジジャーニーで生成しました

処理中です...