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番外編
僕の部屋に来ない?
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ただし、四月に無事、跡取りとなる男児フレデリックも生まれて、夫とわたしの関係も落ち着いている。次代のバークリー公爵として、夫も積極的に領地のことに目を向け、新しいホテルの設計にも関わったりと、最近では「隻眼の若殿」と呼ばれ、それなりの人望も得てきた。
――まあ何しろ、片目を失ったとはいえ国王陛下に瓜二つの美貌に、王都仕込みの洗練されたマナー。さらに戦争の英雄なのだ。黒の正装にトップハットをかぶり、黒い眼帯をして、やや長めにした黒髪を靡かせて颯爽と歩く姿は、見慣れたわたしでも見惚れてしまうほど格好いい。この頃は、公爵家の邸で働きたい、という若い娘が後を絶たないという。
「リンダの二の舞を狙っているんですよ! 油断も隙もあったもんじゃありませんよ!」
わたし付のメイドのジュリーなどはブツブツ言っているけれど、夫がモテること自体は悪い気はしない。――不安がないわけではないけれど、所謂る「遊び相手」の女では、繊細な夫を支え切れないと、わたしは理解しているから。
考え事をしていると、馬車の中で夫の手が伸び、手袋越しに手を握られる。
「……ジーン?」
「ルイーズ、さっき、君の隣に座っていた若い男だけど――」
「ええ、新しいお医者のブルームバーグ先生? どうかなさって?」
夫がわたしを覗き込むように顔を向け、一つしかない瞳でじっと見つめてくる。
「……なんかさあ、やけにルイーズに馴れ馴れしかったよねぇ? あいつ、信用して大丈夫?」
今日は牧師館で午餐をいただいて、牧師様ご夫妻と、最近村に招いた医師を囲んで会食があったのだ。
「名門のハートフォード大学の医学部を優秀な成績で卒業なさったって、お若いのに研究の方で、かなりの業績を上げていらっしゃると、お父様が……」
レイフ・ニコルソン医師が逮捕され、村に医者がいなくなってしまった。それで、父があれこれツテを頼り、まだ若いお医者を村に招致した。
大学で研究を続けていた若い医師だが、研究に資金を提供する、という父の条件を飲んで、村での診療を引き受けてくれた。彼一人では不安なので、助産師も一人、これは看護婦のミス・アダムスの伝手で呼ぶことができた。まだこの村に慣れないブルームバーグ医師に、村の暮らしに不足はないか聞いていただけなのに、夫はくだらないことに嫉妬心を燃やすので呆れてしまう。
「せっかくこんな田舎まで来てくださったのですから、あなたもおかしな態度は取らないで。お医者は貴重なんだから」
「今日日、医者なんか余ってるだろ。開業はしたけど患者が来なくて暇すぎて、暇つぶしに探偵小説書いて一山当てた奴がいる。なんだったかな、ドルイドとかドレッドとかいう奴」
「ブルームバーグ先生は探偵小説なんか書かず、真面目に研究と診療に邁進していらっしゃるわよ!」
「わかんないぞ、そんなの。探偵小説どころか、官能小説書いてるかもしれん。あの手のタイプはそれらしい顔して、ムッツリスケベなんだ。間違いない」
「勝手なことを!」
……そんなくだらない会話を交わして邸まで戻ってきて、車寄せで馬車を下りたら、庭からアンのはしゃぎ声が聞こえた。
「おかーさまー! みてー!」
大きな花束を抱えて走ってくるアンを見て、わたしはハラハラする。
「アン、走ると危ないわよ!」
続いて馬車を下りた夫が、トップハットをちょっと上げて目を瞠る。
「アン、気を付けて!」
「どうしたんだ、その花束」
「リッキーがね、もう植え替えるから、咲いてるの切ってくれたの! おかあさまにどうぞって!」
花壇の植え替えに際して、綺麗に咲いている花をいくつか切ったのだろう。庭師のリッキーはアンのお気に入りだ。
夫はつまずいたアンをギリギリで抱き上げ、一緒に玄関に入る。普段ならここでステッキと帽子をサンダースに預けるのだが、今日はアンを抱いているので被ったままで、出迎えたグレイグ夫人に花束を、後から追いかけてきた乳母のモリソン夫人にアンを渡す。
「アンもそろそろお昼寝の時間でしょ?……フレディは?」
「はい、ミルクを飲んでお休みでいらっしゃいます」
そうして、夫に腰を抱かれて階段を上り、自室に入ろうとして、夫がわたしに言う。
「僕の部屋に来ない? ……子供たちが寝ている間、少しゆっくりできるでしょ?」
「でも先に着替えて――」
「今、着替えても、結局、お茶の前にまた着替えることになる。その分、ゆっくり過ごす時間が減る」
――まあ何しろ、片目を失ったとはいえ国王陛下に瓜二つの美貌に、王都仕込みの洗練されたマナー。さらに戦争の英雄なのだ。黒の正装にトップハットをかぶり、黒い眼帯をして、やや長めにした黒髪を靡かせて颯爽と歩く姿は、見慣れたわたしでも見惚れてしまうほど格好いい。この頃は、公爵家の邸で働きたい、という若い娘が後を絶たないという。
「リンダの二の舞を狙っているんですよ! 油断も隙もあったもんじゃありませんよ!」
わたし付のメイドのジュリーなどはブツブツ言っているけれど、夫がモテること自体は悪い気はしない。――不安がないわけではないけれど、所謂る「遊び相手」の女では、繊細な夫を支え切れないと、わたしは理解しているから。
考え事をしていると、馬車の中で夫の手が伸び、手袋越しに手を握られる。
「……ジーン?」
「ルイーズ、さっき、君の隣に座っていた若い男だけど――」
「ええ、新しいお医者のブルームバーグ先生? どうかなさって?」
夫がわたしを覗き込むように顔を向け、一つしかない瞳でじっと見つめてくる。
「……なんかさあ、やけにルイーズに馴れ馴れしかったよねぇ? あいつ、信用して大丈夫?」
今日は牧師館で午餐をいただいて、牧師様ご夫妻と、最近村に招いた医師を囲んで会食があったのだ。
「名門のハートフォード大学の医学部を優秀な成績で卒業なさったって、お若いのに研究の方で、かなりの業績を上げていらっしゃると、お父様が……」
レイフ・ニコルソン医師が逮捕され、村に医者がいなくなってしまった。それで、父があれこれツテを頼り、まだ若いお医者を村に招致した。
大学で研究を続けていた若い医師だが、研究に資金を提供する、という父の条件を飲んで、村での診療を引き受けてくれた。彼一人では不安なので、助産師も一人、これは看護婦のミス・アダムスの伝手で呼ぶことができた。まだこの村に慣れないブルームバーグ医師に、村の暮らしに不足はないか聞いていただけなのに、夫はくだらないことに嫉妬心を燃やすので呆れてしまう。
「せっかくこんな田舎まで来てくださったのですから、あなたもおかしな態度は取らないで。お医者は貴重なんだから」
「今日日、医者なんか余ってるだろ。開業はしたけど患者が来なくて暇すぎて、暇つぶしに探偵小説書いて一山当てた奴がいる。なんだったかな、ドルイドとかドレッドとかいう奴」
「ブルームバーグ先生は探偵小説なんか書かず、真面目に研究と診療に邁進していらっしゃるわよ!」
「わかんないぞ、そんなの。探偵小説どころか、官能小説書いてるかもしれん。あの手のタイプはそれらしい顔して、ムッツリスケベなんだ。間違いない」
「勝手なことを!」
……そんなくだらない会話を交わして邸まで戻ってきて、車寄せで馬車を下りたら、庭からアンのはしゃぎ声が聞こえた。
「おかーさまー! みてー!」
大きな花束を抱えて走ってくるアンを見て、わたしはハラハラする。
「アン、走ると危ないわよ!」
続いて馬車を下りた夫が、トップハットをちょっと上げて目を瞠る。
「アン、気を付けて!」
「どうしたんだ、その花束」
「リッキーがね、もう植え替えるから、咲いてるの切ってくれたの! おかあさまにどうぞって!」
花壇の植え替えに際して、綺麗に咲いている花をいくつか切ったのだろう。庭師のリッキーはアンのお気に入りだ。
夫はつまずいたアンをギリギリで抱き上げ、一緒に玄関に入る。普段ならここでステッキと帽子をサンダースに預けるのだが、今日はアンを抱いているので被ったままで、出迎えたグレイグ夫人に花束を、後から追いかけてきた乳母のモリソン夫人にアンを渡す。
「アンもそろそろお昼寝の時間でしょ?……フレディは?」
「はい、ミルクを飲んでお休みでいらっしゃいます」
そうして、夫に腰を抱かれて階段を上り、自室に入ろうとして、夫がわたしに言う。
「僕の部屋に来ない? ……子供たちが寝ている間、少しゆっくりできるでしょ?」
「でも先に着替えて――」
「今、着替えても、結局、お茶の前にまた着替えることになる。その分、ゆっくり過ごす時間が減る」
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