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ユージーン0
最後の望み
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それから、僕は突然思いついて戦争に行くことにした。僕は王都に、この国にいるべきでない。僕の存在が、どんどん、バーティを狂わせていく。僕が消え去る以外、彼を救う方法はない。
もちろん、母も誰もが大反対したけれど、僕の決意は固く、また国威発揚の観点から言っても、僕の出征を表向き、陛下は止めることができなかった。
僕は戦場で死ぬつもりで、ウラル内海沿いの戦地に向かう前に、オズワルドとルイーズに宛てた遺書を準備し、僕の死後に彼らの元に届くように手配した。
僕の血を引かない子供を、僕の子であるかのように残すのは、どうしても嫌だった。
そして出征の直前、リンダに子供が生まれたという知らせを受け、僕は養子の手続きのためにバークリーに向かう。
バークリーを訪れるのは、きっとこれが最後。もちろん、妻のルイーズに会うのも。
北のバークリーでは、すでに雪がちらついていた。
出迎えたルイーズは緊張していたけれど、どこか吹っ切れた表情をしていた。サロンで書類を差し出され、一通り読んでサインをする。義父のバークリー公爵は娘の認知を求めたけれど、僕はそれは拒否していた。バークリー公爵家の養女なら、勝手にすればいい。
「アンと、名付けましたけれど……」
リンダとかいうあのメイドではなく、看護婦らしい女に抱かれた赤ん坊を示されたが、僕は首を振った。その娘は僕の子ではなく、リンダとおそらくは医者の娘だ。赤ん坊に罪はないからせいぜい、可愛がって育ててくれと思う。
僕は一晩だけの滞在で、すぐに発つことにしていた。リンダのいない邸では、当たり前だが僕の身体の不調は起きなかったけれど、もう今さら、ルイーズの寝台に押し掛けるべきではないだろう。結局、一度もあの部屋に入らないままの、どちらにも不幸な結婚生活だった。僕が戦場で死ねば、改めて相応しい婿を迎えることができる。その男と、僕の愚かさを嗤えばいい。
翌朝、粉雪の舞う中を、それでもルイーズは妻の義務として、馬車まで見送りに来た。出征するという僕になんと言葉をかけるべきか、彼女は悩んだ挙句、結局ありきたりな言葉をくれた。
「ご武運を……」
「ありがとう。……君も元気で」
それが、最後の言葉。死を覚悟した僕には全てが美しく見えた。雪の中にけぶる、雪を被ったアンペールの山並みも、何もかも。
ひっきりなしに続く敵の砲撃に、大地が揺れ、火薬の臭いが充満する。
「他はみんな下がったか?!」
「はい、後は大尉だけで!」
「じゃあ、お前も早く逃げろ!」
「それじゃあ大尉が!」
「煩い早く行け!」
最後まで食い下がる部下を追い払った瞬間、敵の砲弾が至近に直撃した。煉瓦の破片が飛び散り、それが僕の左の顔面を強打する。そのまま、地面に叩きつけられて――
真っ暗闇の中で、身体を動かすこともできず、横たわっていた僕に、何か黒い影が忍び寄る。
『ああ、これだ、この金色の瞳……』
ざわざわと這い寄る黒い闇が、僕に囁く。僕の大嫌いな、あいつに似た声。闇が僕を取り巻き、飲み込もうとする。
『ねえ、これおくれよ……代わりに、何でも欲しいものあげるからさ……』
僕はもう、欲しいものはないよ……でも……
『何が欲しい……? この金色の瞳の代りに……』
『それは……ルイー……』
『そう、成立だね……』
その黒い闇が僕の左目に触れて――僕の意識は、そこで闇に溶けた。
もちろん、母も誰もが大反対したけれど、僕の決意は固く、また国威発揚の観点から言っても、僕の出征を表向き、陛下は止めることができなかった。
僕は戦場で死ぬつもりで、ウラル内海沿いの戦地に向かう前に、オズワルドとルイーズに宛てた遺書を準備し、僕の死後に彼らの元に届くように手配した。
僕の血を引かない子供を、僕の子であるかのように残すのは、どうしても嫌だった。
そして出征の直前、リンダに子供が生まれたという知らせを受け、僕は養子の手続きのためにバークリーに向かう。
バークリーを訪れるのは、きっとこれが最後。もちろん、妻のルイーズに会うのも。
北のバークリーでは、すでに雪がちらついていた。
出迎えたルイーズは緊張していたけれど、どこか吹っ切れた表情をしていた。サロンで書類を差し出され、一通り読んでサインをする。義父のバークリー公爵は娘の認知を求めたけれど、僕はそれは拒否していた。バークリー公爵家の養女なら、勝手にすればいい。
「アンと、名付けましたけれど……」
リンダとかいうあのメイドではなく、看護婦らしい女に抱かれた赤ん坊を示されたが、僕は首を振った。その娘は僕の子ではなく、リンダとおそらくは医者の娘だ。赤ん坊に罪はないからせいぜい、可愛がって育ててくれと思う。
僕は一晩だけの滞在で、すぐに発つことにしていた。リンダのいない邸では、当たり前だが僕の身体の不調は起きなかったけれど、もう今さら、ルイーズの寝台に押し掛けるべきではないだろう。結局、一度もあの部屋に入らないままの、どちらにも不幸な結婚生活だった。僕が戦場で死ねば、改めて相応しい婿を迎えることができる。その男と、僕の愚かさを嗤えばいい。
翌朝、粉雪の舞う中を、それでもルイーズは妻の義務として、馬車まで見送りに来た。出征するという僕になんと言葉をかけるべきか、彼女は悩んだ挙句、結局ありきたりな言葉をくれた。
「ご武運を……」
「ありがとう。……君も元気で」
それが、最後の言葉。死を覚悟した僕には全てが美しく見えた。雪の中にけぶる、雪を被ったアンペールの山並みも、何もかも。
ひっきりなしに続く敵の砲撃に、大地が揺れ、火薬の臭いが充満する。
「他はみんな下がったか?!」
「はい、後は大尉だけで!」
「じゃあ、お前も早く逃げろ!」
「それじゃあ大尉が!」
「煩い早く行け!」
最後まで食い下がる部下を追い払った瞬間、敵の砲弾が至近に直撃した。煉瓦の破片が飛び散り、それが僕の左の顔面を強打する。そのまま、地面に叩きつけられて――
真っ暗闇の中で、身体を動かすこともできず、横たわっていた僕に、何か黒い影が忍び寄る。
『ああ、これだ、この金色の瞳……』
ざわざわと這い寄る黒い闇が、僕に囁く。僕の大嫌いな、あいつに似た声。闇が僕を取り巻き、飲み込もうとする。
『ねえ、これおくれよ……代わりに、何でも欲しいものあげるからさ……』
僕はもう、欲しいものはないよ……でも……
『何が欲しい……? この金色の瞳の代りに……』
『それは……ルイー……』
『そう、成立だね……』
その黒い闇が僕の左目に触れて――僕の意識は、そこで闇に溶けた。
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