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ユージーン0
マデリーンとの交際
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毎年二月に恒例の、王宮舞踏会。伯爵家以上の十七歳になる令嬢の社交デビューが行われる。デビュタントは白一色のドレスに長い裳裾を引き、小さなブーケを持って国王陛下に謁見する。
公妾の息子である僕は、実のところ陛下主催の公式行事などには出たくないのだけれど、名目上は廷臣であるロックフォード伯爵の養子であり、陛下から招待状も来るので出ないわけにはいかない。その年の王宮舞踏会も、僕はほとんど期待をしていなかった。
「あら、バークリー公爵令嬢ね。彼女も今年デビューだったなんて」
母のその呟きに、僕はハッとして振り返る。
輝く金髪にアメジストの瞳。あの時と同じ白いドレスだったことで、僕はなおさら勘違いしたのかもしれない。いや、すべて僕が悪い。
僕は、あの日迷路で出会った少女だと、疑いもせず、思い込んでしまった。
バークリー公爵令嬢レディ・マデリーン・スタンリーは、その年デビューした令嬢の中でも最も身分が高く、そして最も美しく、舞踏会の注目の的だった。何人もの取り巻きの男たちに囲まれた高嶺の花。それでも僕は、ほぼ唯一の取り柄ともいえる、国王陛下譲りの容姿で、彼女と親しくなることに成功した。
その後は、しばらく有頂天だった。
彼女と交すのは、恋愛遊戯の上っ面な会話だけ。五年も前の迷路での出会いなんて、彼女はすっかり忘れているようだった。それでも、夜会に園遊会、競馬とだんだんと距離を縮めて、僕はとうとう、彼女に求婚した。
彼女からの最初の返事は、「お母さまや叔父様のお許しが出れば」。
でも、彼女自身は結婚に乗り気だとわかった。正式な求婚者として彼女に何度も恋文を送り、すっかり彼女は手に入ると、僕は思い込んでいた。
――今から思えば、僕はあの、一度迷路で会っただけの少女に、恋をしていたわけじゃない。とても可愛らしく、そして淡く甘酸っぱい思い出だけど、名前も性格も知らなすぎたし、恋に落ちるには二人とも子供過ぎた。
要するに「たった一度だけ、迷路で出会った女の子と再会し、求婚する自分」に酔っていた。
だから、母と陛下に呼び出され、レディ・マデリーン・スタンリーとの交際について釘を刺されるまで、自分の行動の危うさに気づかなかった。
「言いにくいのだけれどね、ジーン」
母が言葉を選ぶようにして、言った。
「レディ・マデリーンは王太子妃の候補者の一人になっているのよ」
「ええ?……それって……」
「それも……アルバート殿下が特に、ご指名なさったようなの。だから――」
僕はその話を聞いて、ギクリとした。――かつての、嫌な記憶が再び蘇って、心臓がバクバク音を立てる。
王太子妃には侯爵家以上の嫡出の令嬢が選ばれるが、閣僚経験者を父兄や祖父に持つことが、不文律であるらしい。マデリーンの父親はごく短い期間、農相を務めたことがあるが、すぐに退いて弟に爵位を譲り、すでに鬼籍に入っている。正直なところ、候補者の中では後ろ盾は強くない。だが、バーティが特に指名して候補者に加えたこともあり、かなり有力なのだという。
「……ほら、やはり殿下のお気持ちが一番だから」
結婚後に愛妾を持つことが許されるにしろ、後継となる王子は正妻との間に儲けなければならない。バーティ自身がマデリーンを気に入っているのなら、彼女が選ばれる可能性が高い。
マデリーンの美しさは王都でも有名だったから、バーティが彼女を気に入っても不思議ではない。でも、以前のことが胸を過り、僕は平静ではいられなかった。
「でも、母上、僕は――」
「お前に無理は言いたくないの。でも、お前の立場として、王太子殿下と一人の女性を争うようなことは、けしてよくはないのよ。わかって、ジーン」
「……」
「それにね、おそらく、この話は向こうから断ってくるのではないかと思うの。……ジーン、辛いとは思うけれど……」
母に、青い瞳に涙を溜めて言われて、僕は何も言えなかった。
母の予想の通り、バークリー公爵家からは正式に断りがあった。
だが、マデリーンの方は僕にそれなりの未練があったのか、ひそかな手紙が何枚か来た。
マデリーンは家柄と年齢、そして容姿で候補に選ばれたものの、だが父親を亡くしている自分は選ばれる可能性は低いと考えていた。
「お母さまはあなたは爵位もないと仰る。でも、今後、陛下から叙爵される可能性も高く、また財産などはまだお若いのだからと、お母さまを説得したけれど聞いてはいただけなかった。公爵位はオスカー叔父様が継承しているので、王太子妃、ひいては王妃として体面を保つのは難しく、おそらくは選ばれることはないと考えています。わたしが結婚したいと思ったのはあなただけなので――」
手紙の内容はすごく遠回しだったが、王太子との話がなくなったら、また改めて僕から求婚してもらいたい、というようなものだった。――それはそれで非常にムシがいい気はしたけれど、王太子との話はマデリーンの側からは断れる筋ではないのもわかる。デビュー直後の一番の売れ時を、王太子妃候補として縛られるのは、王太子妃など狙っていない令嬢がたにとっては、迷惑この上ないだろう。
実際、王太子妃の選定は暗礁に乗り上げている。バーティがずるずるとえり好みをしているせいだ。
バーティはなぜ、マデリーンを候補者に選んだのか。
フラッシュバックのように、片目を潰された小鳥や子猫、……そして、実見はしていないが、あのメイドのベッキーの姿が浮かんできて、僕はつい、左目を押さえる。
まさか王妃となるべき相手まで、そんな理由で選び、虐待したりしないと信じたい。僕は、自分がマデリーンに求婚したことで、バーティの目に彼女が触れたのではと思うと、恐ろしくてたまらなかった。
公妾の息子である僕は、実のところ陛下主催の公式行事などには出たくないのだけれど、名目上は廷臣であるロックフォード伯爵の養子であり、陛下から招待状も来るので出ないわけにはいかない。その年の王宮舞踏会も、僕はほとんど期待をしていなかった。
「あら、バークリー公爵令嬢ね。彼女も今年デビューだったなんて」
母のその呟きに、僕はハッとして振り返る。
輝く金髪にアメジストの瞳。あの時と同じ白いドレスだったことで、僕はなおさら勘違いしたのかもしれない。いや、すべて僕が悪い。
僕は、あの日迷路で出会った少女だと、疑いもせず、思い込んでしまった。
バークリー公爵令嬢レディ・マデリーン・スタンリーは、その年デビューした令嬢の中でも最も身分が高く、そして最も美しく、舞踏会の注目の的だった。何人もの取り巻きの男たちに囲まれた高嶺の花。それでも僕は、ほぼ唯一の取り柄ともいえる、国王陛下譲りの容姿で、彼女と親しくなることに成功した。
その後は、しばらく有頂天だった。
彼女と交すのは、恋愛遊戯の上っ面な会話だけ。五年も前の迷路での出会いなんて、彼女はすっかり忘れているようだった。それでも、夜会に園遊会、競馬とだんだんと距離を縮めて、僕はとうとう、彼女に求婚した。
彼女からの最初の返事は、「お母さまや叔父様のお許しが出れば」。
でも、彼女自身は結婚に乗り気だとわかった。正式な求婚者として彼女に何度も恋文を送り、すっかり彼女は手に入ると、僕は思い込んでいた。
――今から思えば、僕はあの、一度迷路で会っただけの少女に、恋をしていたわけじゃない。とても可愛らしく、そして淡く甘酸っぱい思い出だけど、名前も性格も知らなすぎたし、恋に落ちるには二人とも子供過ぎた。
要するに「たった一度だけ、迷路で出会った女の子と再会し、求婚する自分」に酔っていた。
だから、母と陛下に呼び出され、レディ・マデリーン・スタンリーとの交際について釘を刺されるまで、自分の行動の危うさに気づかなかった。
「言いにくいのだけれどね、ジーン」
母が言葉を選ぶようにして、言った。
「レディ・マデリーンは王太子妃の候補者の一人になっているのよ」
「ええ?……それって……」
「それも……アルバート殿下が特に、ご指名なさったようなの。だから――」
僕はその話を聞いて、ギクリとした。――かつての、嫌な記憶が再び蘇って、心臓がバクバク音を立てる。
王太子妃には侯爵家以上の嫡出の令嬢が選ばれるが、閣僚経験者を父兄や祖父に持つことが、不文律であるらしい。マデリーンの父親はごく短い期間、農相を務めたことがあるが、すぐに退いて弟に爵位を譲り、すでに鬼籍に入っている。正直なところ、候補者の中では後ろ盾は強くない。だが、バーティが特に指名して候補者に加えたこともあり、かなり有力なのだという。
「……ほら、やはり殿下のお気持ちが一番だから」
結婚後に愛妾を持つことが許されるにしろ、後継となる王子は正妻との間に儲けなければならない。バーティ自身がマデリーンを気に入っているのなら、彼女が選ばれる可能性が高い。
マデリーンの美しさは王都でも有名だったから、バーティが彼女を気に入っても不思議ではない。でも、以前のことが胸を過り、僕は平静ではいられなかった。
「でも、母上、僕は――」
「お前に無理は言いたくないの。でも、お前の立場として、王太子殿下と一人の女性を争うようなことは、けしてよくはないのよ。わかって、ジーン」
「……」
「それにね、おそらく、この話は向こうから断ってくるのではないかと思うの。……ジーン、辛いとは思うけれど……」
母に、青い瞳に涙を溜めて言われて、僕は何も言えなかった。
母の予想の通り、バークリー公爵家からは正式に断りがあった。
だが、マデリーンの方は僕にそれなりの未練があったのか、ひそかな手紙が何枚か来た。
マデリーンは家柄と年齢、そして容姿で候補に選ばれたものの、だが父親を亡くしている自分は選ばれる可能性は低いと考えていた。
「お母さまはあなたは爵位もないと仰る。でも、今後、陛下から叙爵される可能性も高く、また財産などはまだお若いのだからと、お母さまを説得したけれど聞いてはいただけなかった。公爵位はオスカー叔父様が継承しているので、王太子妃、ひいては王妃として体面を保つのは難しく、おそらくは選ばれることはないと考えています。わたしが結婚したいと思ったのはあなただけなので――」
手紙の内容はすごく遠回しだったが、王太子との話がなくなったら、また改めて僕から求婚してもらいたい、というようなものだった。――それはそれで非常にムシがいい気はしたけれど、王太子との話はマデリーンの側からは断れる筋ではないのもわかる。デビュー直後の一番の売れ時を、王太子妃候補として縛られるのは、王太子妃など狙っていない令嬢がたにとっては、迷惑この上ないだろう。
実際、王太子妃の選定は暗礁に乗り上げている。バーティがずるずるとえり好みをしているせいだ。
バーティはなぜ、マデリーンを候補者に選んだのか。
フラッシュバックのように、片目を潰された小鳥や子猫、……そして、実見はしていないが、あのメイドのベッキーの姿が浮かんできて、僕はつい、左目を押さえる。
まさか王妃となるべき相手まで、そんな理由で選び、虐待したりしないと信じたい。僕は、自分がマデリーンに求婚したことで、バーティの目に彼女が触れたのではと思うと、恐ろしくてたまらなかった。
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