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ユージーン0
迷路の出会い
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僕が十四歳のころ、母カーター夫人への偏愛に批判が高まり、陛下は批判を躱すため、母と僕を数か月、王宮から出した。母にとっても苦しい時期で、公妾である母を排除したい一派と、絶対君主である国王に阿り、母を利用しようとする一派と。その綱引きの最中でも、母は極力、明るく振る舞っていた。
その頃には、さすがの僕も自身の微妙な立場を理解して、極力、目立たないように過ごしていた。勉学も、スポーツも、ほどほどに。けしてバーティを越えないように。そんな生活に嫌気が差していた僕は、母に連れていかれたとある公爵のお屋敷で、園遊会をこっそり抜け出し、見事な生垣の迷路に迷い込んだ。
僕の背丈を越える、常緑樹の垣根。複雑に刈り込まれた迷路。夢中になって歩いていると、僕の耳は小さな泣き声を聞き取った。
声のする方に向かえば、行き止まりの隅っこで、白いレースのドレスを着た女の子がグスグスとべそをかいていた。
金色の髪を耳の上で二つに結び、白地に紫色の刺繍の入ったリボンで留めている。レースとフリルをふんだんに使った子供用のドレスは贅沢なつくりで、僕は招待されたどこかのご令嬢だろうと気づいた。迷路に一人で迷い込んで、出口が見つけられなくなってしまったのだ。
僕は彼女に声をかけ、ハンカチを渡して立ち上がらせる。
泣いて赤くなった顔に、アメジスト色の瞳。僕よりもだいぶ背は低くて、二つか三つは下だろうと踏んだ。
二人で手を取りあい、迷路を探索する。差し込む日差しに金色の髪が煌めき、紫の瞳が僕を見上げる。ようやく出口が見えた時には、彼女は僕の手をぎゅっと握ってくれた。
迷路を出て、彼女に名前を聞こうとしたところに、彼女を探しに来たメイドが説教を始める。この家の――バークリー公爵家のご令嬢だとわかって、それで名前を聞きそびれてしまった。僕はそのことをずっと、後悔することになる。
僕は十八歳で大学に入って、王都を離れることができた。だが、離れると不安になるのか、母も陛下も何かと理由をつけては、僕を王宮に呼び戻す。王太子としての仕事が忙しくなったバーティとの接点はほぼ、なくなっていたが、だが彼の歪んだ執着が消えたわけでなかった。
王宮に戻ってきたときに、世話をしてくれるメイドがいて、まだ若くて――といっても僕よりは少し年上の――赤毛で大きな胸が自慢の、積極的なタイプの女だった。多少は野心もあっただろう。
まあ、僕もいい加減な男だったし、何しろ若さと精力は有り余っているから、要するに王宮にいる間は下半身のお世話までしてもらう仲になった。だが、ある時情事の後で彼女が言った。
「実は、王太子宮に異動になったんです」
「……へえ」
「ですから、ユージーンさまのお世話ができるのも、今回が最後になります」
「そうなんだ、寂しくなるね。……じゃあ、最後にもう一回……」
「うふふ、ユージーンさまったらぁ……」
なんて会話を交わした、数か月後。
母上の誕生祝いだかで王宮に呼び戻された僕は、世話係にあてがわれたのが中年のメイドで、内心、ガッカリしていたのだけど、その女から驚くべき話を聞かされた。
「以前にここの係だったメイドですけど、憶えていらっしゃいます?」
「ええと、ベッキーっていう、赤毛の娘?」
「そう……彼女、王太子宮に異動になってね……先日、池に身投げして死んだんです」
「ええ! なんだって?!」
僕が飛び上がると、メイドは続ける。
「それが、不自然なんです。ただの身投げじゃないだろうって。……左目が潰されて、体中、傷だらけ、しかも……」
メイドは声を落として言った。
「足首には鉄の枷まで嵌められて……」
「……それって……」
目を見開く僕にメイドが首を振る。
「しー。……王妃陛下がこの話は絶対にするなって、もう、王宮中ピリピリして……」
「その……バーティ……王太子殿下は?」
「殿下は、今は地方の視察に出ておられますが……」
「……そうなんだ……」
僕はバクバクする心臓の音を気づかれないように、そっと深呼吸する。
ベッキーはそこそこ野心のあるメイドだった。王太子宮に配属されて、彼の目に留まれば……と考えても不思議じゃない。だが――
片目を、潰されて――
身体中、傷だらけ、足首には鉄の枷が――
僕は、幼い日の無惨なツグミを思い出し、思わず左目を押さえた。
その事件以後、僕は心底バーティに恐怖を感じ、極力、彼に近寄らないように過ごした。
しかし、公妾の息子であり、正式に認知されないものの、国王の溺愛する庶子である僕は、何かの折には公式行事に参列しないわけにはいかなかった。
国王陛下とアメリア王妃陛下の間には、王太子であるバーティの他に、隣国に嫁いだレイチェル王女、そして僕らの二歳下の第二王子エドワード、うんと年の離れた末のクラリス王女がいた。見かけは円満な国王夫妻は、しかし内実は冷めきって、陛下にとっては表向きの、公式行事のための仮の家族でしかなかった。
「余の本当の家族はアイリスとジーンじゃな」
と事あるごとに口にする陛下に、母は嬉しそうに微笑むけれど、僕の立場から言わせてもらえば身勝手極まりない。
国王には公妾という名の愛人と、「真の家族」を営む自由があるが、王妃にはない。
夫の愛が別にあるのを目の当たりにしながら、国の母としての重い責任を背負い、息子を次代の国王へと育て上げる責務もある。王太子である息子の不行跡は、そのまま母の王妃陛下への批判へと変わり、常に国民の視線と向き合わなければならない。
母の人生を否定することもできないが、でも、王妃陛下は間違いなく同情されるべきで、バーティもまた不幸なのだ。だからこそ、僕にはバーティの歪みと凶暴さが表面化しないことを祈ることしかできなかった。
――むしろ、他の誰よりも、僕はバーティの歪みを指摘することが許されない立場だった。
そんな、僕が十九歳の年、王宮舞踏会で、僕は迷宮の少女に再会する。――いや、再会したのだと、勘違いした。
バークリー公爵令嬢レディ・マデリーン・スタンリー。
あの時の彼女と同じ、金髪にアメジストの瞳のデビュタントに。
その頃には、さすがの僕も自身の微妙な立場を理解して、極力、目立たないように過ごしていた。勉学も、スポーツも、ほどほどに。けしてバーティを越えないように。そんな生活に嫌気が差していた僕は、母に連れていかれたとある公爵のお屋敷で、園遊会をこっそり抜け出し、見事な生垣の迷路に迷い込んだ。
僕の背丈を越える、常緑樹の垣根。複雑に刈り込まれた迷路。夢中になって歩いていると、僕の耳は小さな泣き声を聞き取った。
声のする方に向かえば、行き止まりの隅っこで、白いレースのドレスを着た女の子がグスグスとべそをかいていた。
金色の髪を耳の上で二つに結び、白地に紫色の刺繍の入ったリボンで留めている。レースとフリルをふんだんに使った子供用のドレスは贅沢なつくりで、僕は招待されたどこかのご令嬢だろうと気づいた。迷路に一人で迷い込んで、出口が見つけられなくなってしまったのだ。
僕は彼女に声をかけ、ハンカチを渡して立ち上がらせる。
泣いて赤くなった顔に、アメジスト色の瞳。僕よりもだいぶ背は低くて、二つか三つは下だろうと踏んだ。
二人で手を取りあい、迷路を探索する。差し込む日差しに金色の髪が煌めき、紫の瞳が僕を見上げる。ようやく出口が見えた時には、彼女は僕の手をぎゅっと握ってくれた。
迷路を出て、彼女に名前を聞こうとしたところに、彼女を探しに来たメイドが説教を始める。この家の――バークリー公爵家のご令嬢だとわかって、それで名前を聞きそびれてしまった。僕はそのことをずっと、後悔することになる。
僕は十八歳で大学に入って、王都を離れることができた。だが、離れると不安になるのか、母も陛下も何かと理由をつけては、僕を王宮に呼び戻す。王太子としての仕事が忙しくなったバーティとの接点はほぼ、なくなっていたが、だが彼の歪んだ執着が消えたわけでなかった。
王宮に戻ってきたときに、世話をしてくれるメイドがいて、まだ若くて――といっても僕よりは少し年上の――赤毛で大きな胸が自慢の、積極的なタイプの女だった。多少は野心もあっただろう。
まあ、僕もいい加減な男だったし、何しろ若さと精力は有り余っているから、要するに王宮にいる間は下半身のお世話までしてもらう仲になった。だが、ある時情事の後で彼女が言った。
「実は、王太子宮に異動になったんです」
「……へえ」
「ですから、ユージーンさまのお世話ができるのも、今回が最後になります」
「そうなんだ、寂しくなるね。……じゃあ、最後にもう一回……」
「うふふ、ユージーンさまったらぁ……」
なんて会話を交わした、数か月後。
母上の誕生祝いだかで王宮に呼び戻された僕は、世話係にあてがわれたのが中年のメイドで、内心、ガッカリしていたのだけど、その女から驚くべき話を聞かされた。
「以前にここの係だったメイドですけど、憶えていらっしゃいます?」
「ええと、ベッキーっていう、赤毛の娘?」
「そう……彼女、王太子宮に異動になってね……先日、池に身投げして死んだんです」
「ええ! なんだって?!」
僕が飛び上がると、メイドは続ける。
「それが、不自然なんです。ただの身投げじゃないだろうって。……左目が潰されて、体中、傷だらけ、しかも……」
メイドは声を落として言った。
「足首には鉄の枷まで嵌められて……」
「……それって……」
目を見開く僕にメイドが首を振る。
「しー。……王妃陛下がこの話は絶対にするなって、もう、王宮中ピリピリして……」
「その……バーティ……王太子殿下は?」
「殿下は、今は地方の視察に出ておられますが……」
「……そうなんだ……」
僕はバクバクする心臓の音を気づかれないように、そっと深呼吸する。
ベッキーはそこそこ野心のあるメイドだった。王太子宮に配属されて、彼の目に留まれば……と考えても不思議じゃない。だが――
片目を、潰されて――
身体中、傷だらけ、足首には鉄の枷が――
僕は、幼い日の無惨なツグミを思い出し、思わず左目を押さえた。
その事件以後、僕は心底バーティに恐怖を感じ、極力、彼に近寄らないように過ごした。
しかし、公妾の息子であり、正式に認知されないものの、国王の溺愛する庶子である僕は、何かの折には公式行事に参列しないわけにはいかなかった。
国王陛下とアメリア王妃陛下の間には、王太子であるバーティの他に、隣国に嫁いだレイチェル王女、そして僕らの二歳下の第二王子エドワード、うんと年の離れた末のクラリス王女がいた。見かけは円満な国王夫妻は、しかし内実は冷めきって、陛下にとっては表向きの、公式行事のための仮の家族でしかなかった。
「余の本当の家族はアイリスとジーンじゃな」
と事あるごとに口にする陛下に、母は嬉しそうに微笑むけれど、僕の立場から言わせてもらえば身勝手極まりない。
国王には公妾という名の愛人と、「真の家族」を営む自由があるが、王妃にはない。
夫の愛が別にあるのを目の当たりにしながら、国の母としての重い責任を背負い、息子を次代の国王へと育て上げる責務もある。王太子である息子の不行跡は、そのまま母の王妃陛下への批判へと変わり、常に国民の視線と向き合わなければならない。
母の人生を否定することもできないが、でも、王妃陛下は間違いなく同情されるべきで、バーティもまた不幸なのだ。だからこそ、僕にはバーティの歪みと凶暴さが表面化しないことを祈ることしかできなかった。
――むしろ、他の誰よりも、僕はバーティの歪みを指摘することが許されない立場だった。
そんな、僕が十九歳の年、王宮舞踏会で、僕は迷宮の少女に再会する。――いや、再会したのだと、勘違いした。
バークリー公爵令嬢レディ・マデリーン・スタンリー。
あの時の彼女と同じ、金髪にアメジストの瞳のデビュタントに。
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