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ユージーン2
遺された手紙
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「キッパード・アンド・オルドリッジ法律会計事務所」
僕は看板を読み上げ、首を傾げる。
「憶えがあるか?」
「いや?……たぶん、ニシンの燻製が好物だから選んだんじゃないかな?」
「……昔、君は魚料理はあまり食べなかったぞ」
「そうなの?」
くだらない話をして受付に名を告げれば、すでにオズワルドから話を通してあったため、奥の応接室に導かれる。貴族の資産管理では定評のある事務所らしい。
「ロックフォード卿からは確かに、死後の遺言状をお預かりしております」
「見せてもらえるかね。戦争前と今とで、状況が変わっているから、遺言の書き換えも必要になる」
オズワルドが言えば、中年のやせぎすの弁護士が頷いた。
「その通りですね。……こちらが三年前の出征以前に作られた遺言状。そして、ロックフォード卿に万一があった場合、友人のオズワルド卿と夫人のレディ・ルイーズにこの手紙を送付するように手配されていました」
弁護士のキッパード氏の言葉に、僕は内心、驚いていた。
オズワルドだけじゃなくて、ルイーズにも手紙を遺していた。……普通の夫婦なら、当然かもしれない。でも、以前の僕とルイーズの間には、夫婦らしいことは何一つなかったとルイーズも言っていた。
キッパード氏は二通の封緘された封書を僕の前に置き、遺言状を広げる。
「遺言で、残すべき遺産はそれほどはありません。現金と有価証券、あとは蔵書と絵画等の美術品が数点。それから貴金属と宝飾類……」
公妾の息子とはいえ、国王に認知されていないから、たいした財産はない。……だからこその、ルイーズとの結婚だった。現金と有価証券は母のカーター夫人に、蔵書と絵画はオズワルドに、貴金属類はルイーズに遺す……というよりは処分を依頼するのに近いかもしれない。
僕は遺言状の日付を確認する。三年前の十一月。――つまり、これはアンが生まれる前だ。
オズワルドは自分宛ての封書を手に取り、その場でペーパー・ナイフを借りて封を切った。
そこに書かれていたことは――
親愛なるオズワルド
君がこの手紙を受け取るときには、僕はもうこの世にいないはずだ。そのように、取り計らっている。
僕は人生に絶望したので、戦争に行くことにした。これまで、国にも世の中にもまったく役に立てず、むしろ生まれてこなかった方がよかったような人間だから、せめて戦争で少しでも国に貢献できれば、そしてあっさり死ねることを願っている。
この手紙を母上でなく、君に遺すのは、母上に遺せば国王陛下の目にも触れてしまうから。国王陛下は僕を愛してくださったけれど、それはけして、我が国のためにはならないことで――
いや、それついてはこれ以上触れるまい。君は僕とアルバートの確執についてはうすうす気づいていたと思う。すべては僕のこの外見と、国王陛下の愛情のせいで、僕にもアルバートにもどうにもならないことだった。でも、僕がこの世にいることで、アルバートの心がこれ以上乱されるのならば、僕は国のためにも遠いところに行くのが一番いいのだ。
アルバートは……僕のモノを奪わないと精神が保てないのかもしれない。今はマデリーンと密会を重ねて、僕への意趣返しのつもりらしい。カールトン侯爵もそろそろ気づいていると思うけど。僕が本心では妻のルイーズを愛しているとアルバートが知ったら、彼はルイーズに手を出すに違いない。アルバートに本心を悟られたくなくて王宮舞踏会でルイーズと距離を置いたら、僕はすっかりルイーズに嫌われてしまい、拗れて修復も不可能な状況に陥ってしまった。でもすべて、僕が愚かで判断を間違えたせいで、ルイーズには罪はない。この悩みも僕が全て抱えて死ねば、アルバートはルイーズへ興味を持つこともないと思いたい。
ただ、死ぬ前にどうしても一つだけ、心に引っかかりがある。
王都でも醜聞になったから、君も聞いているかもしれない。僕はバークリー領で妻のメイドに手をつけ、もうすぐ子供が生まれる。
でもそれは僕の子ではない。僕はあの五月の午後より以前には、あの女と一切、関係していないし、十二月に生まれる子が、その時の子であるはずはない。でも、情事の現場を目撃したルイーズはショックを受けて僕の話を聞こうとせず、僕とその前から関係があったという、あの女の証言を鵜呑みにしてしまった。誤解の原因は、もともと、夫婦としての信頼関係を築けていなかった僕にある。だから濡れ衣を信じるルイーズを責めるつもりはない。しかし、たとえ公的には認められずとも、王家の裔に生まれている僕が、身に覚えのない子供をこの世に遺せば、特に男児であった場合、後々国に禍根の種をまくことになりかねない。
僕はこの命を以て、あの女の子が僕の子ではないと宣言する。もし万一、その子が何かの禍根と為る場合には、君は王族の一人として証人となってほしい。
君との友情に甘え、僕の人生の後始末を委ねることになって、恐縮している。
愛と永遠の友情を込めて――
ユージーン・ロックフォード・スタンリー
僕は看板を読み上げ、首を傾げる。
「憶えがあるか?」
「いや?……たぶん、ニシンの燻製が好物だから選んだんじゃないかな?」
「……昔、君は魚料理はあまり食べなかったぞ」
「そうなの?」
くだらない話をして受付に名を告げれば、すでにオズワルドから話を通してあったため、奥の応接室に導かれる。貴族の資産管理では定評のある事務所らしい。
「ロックフォード卿からは確かに、死後の遺言状をお預かりしております」
「見せてもらえるかね。戦争前と今とで、状況が変わっているから、遺言の書き換えも必要になる」
オズワルドが言えば、中年のやせぎすの弁護士が頷いた。
「その通りですね。……こちらが三年前の出征以前に作られた遺言状。そして、ロックフォード卿に万一があった場合、友人のオズワルド卿と夫人のレディ・ルイーズにこの手紙を送付するように手配されていました」
弁護士のキッパード氏の言葉に、僕は内心、驚いていた。
オズワルドだけじゃなくて、ルイーズにも手紙を遺していた。……普通の夫婦なら、当然かもしれない。でも、以前の僕とルイーズの間には、夫婦らしいことは何一つなかったとルイーズも言っていた。
キッパード氏は二通の封緘された封書を僕の前に置き、遺言状を広げる。
「遺言で、残すべき遺産はそれほどはありません。現金と有価証券、あとは蔵書と絵画等の美術品が数点。それから貴金属と宝飾類……」
公妾の息子とはいえ、国王に認知されていないから、たいした財産はない。……だからこその、ルイーズとの結婚だった。現金と有価証券は母のカーター夫人に、蔵書と絵画はオズワルドに、貴金属類はルイーズに遺す……というよりは処分を依頼するのに近いかもしれない。
僕は遺言状の日付を確認する。三年前の十一月。――つまり、これはアンが生まれる前だ。
オズワルドは自分宛ての封書を手に取り、その場でペーパー・ナイフを借りて封を切った。
そこに書かれていたことは――
親愛なるオズワルド
君がこの手紙を受け取るときには、僕はもうこの世にいないはずだ。そのように、取り計らっている。
僕は人生に絶望したので、戦争に行くことにした。これまで、国にも世の中にもまったく役に立てず、むしろ生まれてこなかった方がよかったような人間だから、せめて戦争で少しでも国に貢献できれば、そしてあっさり死ねることを願っている。
この手紙を母上でなく、君に遺すのは、母上に遺せば国王陛下の目にも触れてしまうから。国王陛下は僕を愛してくださったけれど、それはけして、我が国のためにはならないことで――
いや、それついてはこれ以上触れるまい。君は僕とアルバートの確執についてはうすうす気づいていたと思う。すべては僕のこの外見と、国王陛下の愛情のせいで、僕にもアルバートにもどうにもならないことだった。でも、僕がこの世にいることで、アルバートの心がこれ以上乱されるのならば、僕は国のためにも遠いところに行くのが一番いいのだ。
アルバートは……僕のモノを奪わないと精神が保てないのかもしれない。今はマデリーンと密会を重ねて、僕への意趣返しのつもりらしい。カールトン侯爵もそろそろ気づいていると思うけど。僕が本心では妻のルイーズを愛しているとアルバートが知ったら、彼はルイーズに手を出すに違いない。アルバートに本心を悟られたくなくて王宮舞踏会でルイーズと距離を置いたら、僕はすっかりルイーズに嫌われてしまい、拗れて修復も不可能な状況に陥ってしまった。でもすべて、僕が愚かで判断を間違えたせいで、ルイーズには罪はない。この悩みも僕が全て抱えて死ねば、アルバートはルイーズへ興味を持つこともないと思いたい。
ただ、死ぬ前にどうしても一つだけ、心に引っかかりがある。
王都でも醜聞になったから、君も聞いているかもしれない。僕はバークリー領で妻のメイドに手をつけ、もうすぐ子供が生まれる。
でもそれは僕の子ではない。僕はあの五月の午後より以前には、あの女と一切、関係していないし、十二月に生まれる子が、その時の子であるはずはない。でも、情事の現場を目撃したルイーズはショックを受けて僕の話を聞こうとせず、僕とその前から関係があったという、あの女の証言を鵜呑みにしてしまった。誤解の原因は、もともと、夫婦としての信頼関係を築けていなかった僕にある。だから濡れ衣を信じるルイーズを責めるつもりはない。しかし、たとえ公的には認められずとも、王家の裔に生まれている僕が、身に覚えのない子供をこの世に遺せば、特に男児であった場合、後々国に禍根の種をまくことになりかねない。
僕はこの命を以て、あの女の子が僕の子ではないと宣言する。もし万一、その子が何かの禍根と為る場合には、君は王族の一人として証人となってほしい。
君との友情に甘え、僕の人生の後始末を委ねることになって、恐縮している。
愛と永遠の友情を込めて――
ユージーン・ロックフォード・スタンリー
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