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ルイーズ
事故
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マデリーンに突き落とされたわたしを、ちょうど外出から戻ってきた夫が身を挺して守り、わたしたちは折り重なって階段の下に倒れた。夫の身体がクッションになり、わたしは一瞬、気を失ったものの、呼びかけに応えてすぐに意識を取り戻す。だが――
わたしの下敷きになった夫は、ぴくりとも動かなかった。
「ジーン! しっかりして! ジーン!」
肩を揺すぶろうとするわたしを、オズワルド卿が止める。
「ユージーン! わかるか、ユージーン!」
「う……」
「そのまま動くな。頭を打っている。……担架を! それから医者だ!」
オズワルド卿が冷静に指示を飛ばし、従僕のケネスとサンダースが担架を持ってきた。
「ゆっくり……なるべく動かさないように……」
夫はわずかに意識はあるようだったが、顔色は蒼白で、わたしは泣きそうになる。
「あなたも診察を受けた方がいい。寝室に……歩けますか?」
「……はい、わたしは……大丈夫です」
オズワルド卿は階段の踊り場で立ち尽くすマデリーンを見上げ、言った。
「バークリー公爵閣下をすぐに呼び戻せ! 彼女には監視をつけて客室に。後で話を聞く」
「……わたしは! 違うわ! そんなつもりは……」
「故意であれ過失であれ、人を階段から突き落とすことが許されるとでも?」
うろたえるマデリーンを、家政婦のハドソン夫人が連れていくのを見送る。駆け寄ってきたジュリーがわたしにショールを着せ掛け、涙声で言った。
「行きましょう、お嬢様、歩けますか?」
「無理をしない方がいいわ、誰か……ルイーズを運んで」
騒ぎを聞いて駆けつけたコンスタンス叔母様の顔色も蒼白だ。わたしは必死に大丈夫だとアピールしたが、叔母様は夫を寝室に運んで戻ってきたサンダースに命じて、わたしを抱えて寝室に運ばせた。
「もしかしたら妊娠しているかもしれませんの、心配だわ」
呼び出された医師にコンスタンス叔母様が訴え、わたしはギョッとした。
「えええ?」
「何、お前は気づいていなかったのかい?」
「え、だってそんな……」
全く想像もしていなくて、わたしは無意識に、両手をお腹に当てる。医師は眼鏡を直し、わたしの顔色を観察し、脈を診る。
「月のものは来ていますか? 吐き気などは……」
「え、ええと……」
そう言えば、最近、来ていなかったかもと思い出し、わたしはアッと思う。
「暢気な子だね、ユージーン卿の方が先に気づいているなんて」
「ええ? 彼が?」
「だから昨日、早めに退室させただろう?」
緊張のせいで吐き気がすると思っていたわたしと違い、夫は妊娠の可能性を考えていたらしい。
「階段から落ちた後、特に出血などは……」
「今のところは……」
もし、万一のことがあったらと、わたしは改めてゾッとした。
「妊娠についてはたぶん、間違いないと思いますが、今回の影響がわかりませんので、数日は安静にして過ごしてください。出血があったらすぐに連絡を」
「今のところは大丈夫なの?」
「出血がないならば……打撲もないようですし、ご主人が体を張って守ったのでしょう」
「……よかったわ、ルイーズ」
コンスタンス叔母様がホッと胸を撫でおろす。
だが一方、わたしの下敷きになった夫は、頭を強く打っていた。打撲もあり、今は眠っているという。
「コブができて、脳震盪を起こしたんですね。以前の怪我への影響がわからないので、是非、主治医の診察を」
そう言いおいて帰っていく医師を見送り、わたしは不安になる。
――頭を打ったことで、彼は記憶を取り戻すのでは――
その場に居合わせたオズワルド卿が、万事の差配をしてくれて、以前、診察した医師を呼んだという。
結局その日、夫は目を覚まさなかった。
夫が眠り続ける間、オズワルド卿の知らせを聞いて、父が泡を食って戻ってきた。
「ルイーズ、無事か! それに子供が? 大丈夫なのか?」
「……今のところは、安静にしていれば……」
父はホッとして気が抜けたのか、一瞬ふらつき、家令のバートンが慌てて支えて椅子に座らせる。オズワルド卿が立ちあがり、説明した。
「僕とユージーンが外出先から戻り玄関に入った時、ホールの方から女性の言い争う声が聞こえました。ユージーンがルイーズが心配だと駆けだすので、僕も後を追って……。そうしたら――」
死んじゃえばいいのに、という甲高い声とともに、わたしが階段の上から落ちてきた。そして踊り場には立ち尽くすマデリーンの姿。
「ユージーンが捨て身で抱き留めなければ、レディ・ルイーズはかなり危険でした。僕も間に合わなくて申し訳なかった」
「いや、ありがとう、オズワルド卿……感謝する」
夫もオズワルド卿も、マデリーンが階段の上からわたしを突き落とす現場を目撃していた。さすがに言い逃れもできない状況だ。
父はマデリーンを詰問した。彼女は帽子を脱いで、髪は乱れたままだ。
「いったい、なぜ、こんなことになったのかね、マデリーン」
「ジーンはどうなったの?! ジーンに会わせて!」
「ユージーン君は眠っている。……彼はルイーズの夫だ。いささか馴れ馴れしくないかね?」
「彼が愛しているのはわたしなの! だから彼を返して!」
父ばかりか、オズワルド卿の前で夫との不貞を告白されて、わたしは眩暈を感じてこめかみを押さえる。
「五年前、彼はルイーズと結婚したけど、ルイーズじゃなくてわたしを愛してるって!」
「君たちの噂は聞いている。それは今でも続いているのかね?」
「……彼は永遠に愛してるって! だから……夫が死んだから……だから……」
泣きながら訴えるマデリーンを、父は持て余して眉を顰める。
「ユージーン君はルイーズと別れて君と結婚すると言ったのかね? 最近? ルイーズ、どうなっているんだ」
わたしの下敷きになった夫は、ぴくりとも動かなかった。
「ジーン! しっかりして! ジーン!」
肩を揺すぶろうとするわたしを、オズワルド卿が止める。
「ユージーン! わかるか、ユージーン!」
「う……」
「そのまま動くな。頭を打っている。……担架を! それから医者だ!」
オズワルド卿が冷静に指示を飛ばし、従僕のケネスとサンダースが担架を持ってきた。
「ゆっくり……なるべく動かさないように……」
夫はわずかに意識はあるようだったが、顔色は蒼白で、わたしは泣きそうになる。
「あなたも診察を受けた方がいい。寝室に……歩けますか?」
「……はい、わたしは……大丈夫です」
オズワルド卿は階段の踊り場で立ち尽くすマデリーンを見上げ、言った。
「バークリー公爵閣下をすぐに呼び戻せ! 彼女には監視をつけて客室に。後で話を聞く」
「……わたしは! 違うわ! そんなつもりは……」
「故意であれ過失であれ、人を階段から突き落とすことが許されるとでも?」
うろたえるマデリーンを、家政婦のハドソン夫人が連れていくのを見送る。駆け寄ってきたジュリーがわたしにショールを着せ掛け、涙声で言った。
「行きましょう、お嬢様、歩けますか?」
「無理をしない方がいいわ、誰か……ルイーズを運んで」
騒ぎを聞いて駆けつけたコンスタンス叔母様の顔色も蒼白だ。わたしは必死に大丈夫だとアピールしたが、叔母様は夫を寝室に運んで戻ってきたサンダースに命じて、わたしを抱えて寝室に運ばせた。
「もしかしたら妊娠しているかもしれませんの、心配だわ」
呼び出された医師にコンスタンス叔母様が訴え、わたしはギョッとした。
「えええ?」
「何、お前は気づいていなかったのかい?」
「え、だってそんな……」
全く想像もしていなくて、わたしは無意識に、両手をお腹に当てる。医師は眼鏡を直し、わたしの顔色を観察し、脈を診る。
「月のものは来ていますか? 吐き気などは……」
「え、ええと……」
そう言えば、最近、来ていなかったかもと思い出し、わたしはアッと思う。
「暢気な子だね、ユージーン卿の方が先に気づいているなんて」
「ええ? 彼が?」
「だから昨日、早めに退室させただろう?」
緊張のせいで吐き気がすると思っていたわたしと違い、夫は妊娠の可能性を考えていたらしい。
「階段から落ちた後、特に出血などは……」
「今のところは……」
もし、万一のことがあったらと、わたしは改めてゾッとした。
「妊娠についてはたぶん、間違いないと思いますが、今回の影響がわかりませんので、数日は安静にして過ごしてください。出血があったらすぐに連絡を」
「今のところは大丈夫なの?」
「出血がないならば……打撲もないようですし、ご主人が体を張って守ったのでしょう」
「……よかったわ、ルイーズ」
コンスタンス叔母様がホッと胸を撫でおろす。
だが一方、わたしの下敷きになった夫は、頭を強く打っていた。打撲もあり、今は眠っているという。
「コブができて、脳震盪を起こしたんですね。以前の怪我への影響がわからないので、是非、主治医の診察を」
そう言いおいて帰っていく医師を見送り、わたしは不安になる。
――頭を打ったことで、彼は記憶を取り戻すのでは――
その場に居合わせたオズワルド卿が、万事の差配をしてくれて、以前、診察した医師を呼んだという。
結局その日、夫は目を覚まさなかった。
夫が眠り続ける間、オズワルド卿の知らせを聞いて、父が泡を食って戻ってきた。
「ルイーズ、無事か! それに子供が? 大丈夫なのか?」
「……今のところは、安静にしていれば……」
父はホッとして気が抜けたのか、一瞬ふらつき、家令のバートンが慌てて支えて椅子に座らせる。オズワルド卿が立ちあがり、説明した。
「僕とユージーンが外出先から戻り玄関に入った時、ホールの方から女性の言い争う声が聞こえました。ユージーンがルイーズが心配だと駆けだすので、僕も後を追って……。そうしたら――」
死んじゃえばいいのに、という甲高い声とともに、わたしが階段の上から落ちてきた。そして踊り場には立ち尽くすマデリーンの姿。
「ユージーンが捨て身で抱き留めなければ、レディ・ルイーズはかなり危険でした。僕も間に合わなくて申し訳なかった」
「いや、ありがとう、オズワルド卿……感謝する」
夫もオズワルド卿も、マデリーンが階段の上からわたしを突き落とす現場を目撃していた。さすがに言い逃れもできない状況だ。
父はマデリーンを詰問した。彼女は帽子を脱いで、髪は乱れたままだ。
「いったい、なぜ、こんなことになったのかね、マデリーン」
「ジーンはどうなったの?! ジーンに会わせて!」
「ユージーン君は眠っている。……彼はルイーズの夫だ。いささか馴れ馴れしくないかね?」
「彼が愛しているのはわたしなの! だから彼を返して!」
父ばかりか、オズワルド卿の前で夫との不貞を告白されて、わたしは眩暈を感じてこめかみを押さえる。
「五年前、彼はルイーズと結婚したけど、ルイーズじゃなくてわたしを愛してるって!」
「君たちの噂は聞いている。それは今でも続いているのかね?」
「……彼は永遠に愛してるって! だから……夫が死んだから……だから……」
泣きながら訴えるマデリーンを、父は持て余して眉を顰める。
「ユージーン君はルイーズと別れて君と結婚すると言ったのかね? 最近? ルイーズ、どうなっているんだ」
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