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ルイーズ

今の夫、昔の夫

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 目が覚めた時は一人きりだった。

 もうすでに日は高くて、わたしは慌てて起き上がる。――見慣れない部屋。初めて、夫の部屋で朝まで過ごしてしまった。

 昨夜、夫はわたしの体調を気遣うと言いながら、それでも何度も抱いた。普段よりちょっとだけ控えめだったかもしれないけど、誤差の範囲だ。

 わたしはだるさの残る体を持て余し、深いため息をつく。

 今朝は、お泊りになったお客様をお見送りしなければいけなかったのに――

「女主人失格ね……」

 ぽつりと呟き、それから肌のあちこちに残された、花びらのような口づけの痕を見下ろして、もう一度ため息をつく。

 ノックの音がして、慌てて身体を上掛けで覆うと、コネクティング・ドアが開いてジュリーが顔を覗かせる。

「お目覚めですか、お嬢様」
「え、ええ……旦那様は?」
「もう起きて……朝からブラックウェル伯爵さまと出かけられました」

 そう言えば、オズワルド卿と出かけると言っていたのを思い出す。
 わたしは重い身体を起こして、身支度をして食事を摂ることにした。


 


 昨夜の片づけやらで忙しい使用人に面倒をかけてはと思い、わたしは午前中を一人で過ごすことにした。コンスタンス叔母様も午前は朝寝を決め込んでいると聞き、部屋でレース編みをしていたが、集中力が続かないので、少しなら……と庭を散策することにした。

 が、温室コンサバトリーのガラス越しに、庭を歩くマデリーンの黒い日傘を見つけて、わたしは驚くと同時に、非常に後悔した。

 マデリーンがまさか泊っていくなんて考えてもいなかった。でも、もともと彼女の「家」だったのだから、当然、予想すべきだった。

 もしかしたら昨夜も、夫に話しかける機会を狙っていたかもしれない。

 ――彼はマデリーンのことはすっかり忘れているから、大丈夫だと思うけど。
 
 そこまで考えて、わたしは夫を奪われたくないと思っている自分に気づき、愕然とした。
 あんな男、大嫌いなのに! マデリーンが欲しいって言うなら、リボンをつけて返してやっても惜しくもなんともないわ。

 ずっと、美しい従姉マデリーンに夢中だったくせに。
 「妻」のわたしには指一本触れず、王都でマデリーンと何度も逢瀬を重ねていたのだ。あの頃のわたしは、彼の冷たさに戸惑い、どうしていいのかわからず、毎日泣いていたのに。

 バークリー公爵の跡取りを産まなければいけないというプレッシャーと、どうして愛されてないのかという、理不尽な苛立ち。押し付けられた結婚なのはどちらも同じなのに、なぜ手ひどく拒絶されなけらばならないのか。自分が子供過ぎるせいか、あるいは田舎者だからなのか。

 本来ならマデリーンが継承すべきものを父とわたしが奪ったという、マデリーンの言い分を彼が信じていたのなら、ひどい誤解だ。先代公爵のラッセル伯父様が、マデリーンでなく父に爵位を譲ったのは、カロライン伯母様の浪費癖のせいだ。かなりの額の遺産をアッと言う間に使い尽くし、借金の肩代わりを条件に、マデリーンを老侯爵の後妻に売り渡した。……今は、若い愛人ツバメと外国の保養地に行っているらしい、とコンスタンス叔母様が嫌味たっぷりに教えてくれた。

『マデリーンも可哀想な娘よ。自分を憐れんで甘やかしてくれる、新しい寄生先を見つけるしかないのよね……』

 父親よりも年上の老いた夫に仕えて、その裏でマデリーンは夫との情事を重ねていた。金のために離婚できない女と、爵位と領地のために結婚した男の、都合のいい「真実の愛」。マデリーンの夫がどう思っていたか知らないけれど、少なくともわたしは夫の裏切りを許せない。でも、夫は記憶を失い、過去の裏切りは忘却の彼方だ。
 
 ――なんて身勝手な。

『ルイーズ、愛してる……君だけ……』

 不意に昨夜の夫との行為を思い出し、わたしは頭に血が上る。
 ずっと顧みることもしなかった「妻」に、何もかも忘れて縋ってくる「夫」。昔のままの美しい右側と、悪魔に差し出した焼け爛れた左側と。

 何度も囁かれた愛の言葉。いっそ信じて騙されてしまいたい。その方がうんと楽になれる。

 ――でも、かつてはマデリーンの耳元で囁いていたのだ。あの腕の中に彼女を抱いて。

 以前のわたしは処女だったから、彼がベッドでどう振る舞うのか、マデリーンとどんな風に愛を交したのか、想像もできなかった。
 でも今のわたしは彼の癖もやり方も知っている。彼に抱かれるとどんな風になってしまうのか、わたしの身体がすべて憶えている。

 わたしと同じものを、マデリーンも知っている――
 
 わたしは耐えられなくなって、庭に出るのをやめて自分の部屋に戻ろうと、階段を速足で昇っていく。が、その背後に甘ったるい声がかかった。

「ルイーズ、待って。……話があるの」
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