56 / 106
ルイーズ
夜会
しおりを挟む
それから夜会当日まで、わたしたちは招待客のリストと貴族年鑑を首っ引きで予習させられた。
ずっと領地に籠り切りだったわたしと、以前の記憶を全部忘れた夫。わたしたちのやり取りを耳にして、さすがにコンスタンス叔母様がおかしいと気づいた。
「ユージーン卿は王都に友人も多いのでしょう? いくら三年のブランクがあるにしても、忘れすぎではないの?」
「それが……目をやられた時に頭も強く打っていて、記憶に混乱があるんです。特に友人あたりがゴソっと抜けてしまっていて……名前と顔が一致しないのです」
「んまあああ!」
コンスタンス叔母様が扇で顔を隠して大げさに驚く。
「あまり大っぴらにできないと、母から釘を刺されていて……」
「そりゃあ、そうよねぇ! そんなみっともない話、大っぴらにできるわけないわ! でも大丈夫なの?」
「……とりあえずは、ボロを出さない程度になんとか――」
叔母様は少し考えて、言った。
「わかったわ、あんたたち夫婦は挨拶まわりはしなくていいわ。とにかく一晩だけ、夜会さえ乗り切ればいいんだから。後はあたくしと、オスカーで何とかするわ」
「……すみません叔母様」
役に立たない夫婦であるわたしたちは、顔を見合わせてこっそり、肩を竦めた。
そうして、夜会当日の夜になった。
今夜のドレスは白に近い生成りのもの。光沢のある地紋を散らした生地に、細かいビーズ刺繍を施し、黒いベルベットのリボンがアクセントになっている。やはり背中にボリュームを持たせたバッスル・スタイル。首元には黒いビーズ刺繍のチョーカー。髪は上半分を結って、半分は緩く編んで背中にかかる程度でまとめている。プラチナ・ブロンドに黒と白の天鵞絨のリボンと真珠とアメジストをあしらった髪飾り。黒いレースの扇に、手袋もまた黒いレースのもの。ところどころ、真珠の凝った装飾がついている。
「今夜も素敵だ、ルイーズ」
夫が向きを変えたり、矯めつ眇めつしてわたしを点検する。
「当たり前です! お嬢様はいつもお美しいんですから!」
凝った髪型に結い上げ、化粧の最後の仕上げをしながら、メイドのジュリーがフンと鼻を鳴らす。夫も今日は黒のテールコートにホワイト・タイ、白いウエストコート。左側半面を黒い仮面で覆っている。
「お客様はもう、いらっしゃってる?」
「続々と集まっているよ。カーター夫人ももう来ているみたい。……議会関係のオジサンたちも、たくさんね」
「お父様とコンスタンス叔母様にお任せするしかないわね……」
わたしはため息をつく。……さっきから、ぎゅうぎゅうにコルセットで締め上げられているから、苦しいし胸がムカムカする。
「顔色がよくないね、大丈夫?」
「コルセットが苦しいの……」
「無理はしないで」
夫がテーブルの上に積んである、砂糖菓子を一つ摘まんで、わたしの口に差し出す。
「少しは食べておいたら」
「でも……」
が、それを口に含んだ瞬間、急激な吐き気がこみ上げていた。
「ううっ……」
「ルイーズ?」
なんとか吐き気を堪え、ジュリーの差し出す水を飲む。
「もう! そんなもの食べさせるから! お嬢様、しっかりしてください!」
「ごめん、そんなつもりは……」
「……もう、大丈夫だから……」
わたしはもう一口水を飲み、言った。
「なんだか食べ物を見ると気持ち悪くなるの。……緊張してるのね……」
「ルイーズ、それってもしかして……」
が、その時、従僕のハワード・サンダースがわたしたちを広間に呼びに来た。
――本日最も身分の高い客人である、王弟、マールバラ公爵ご夫妻に、嫡男のブラックウェル伯爵オズワルド卿がご到着なさったから。
夫はわたしの手を取って言う。
「ルイーズ、無理しないで。気分が悪くなったらすぐに休んでいいから」
「え、ええ……」
広間につながる中央の大階段を二人で降りながら、夫が囁く。
「本当にきれいだ、ルイーズ」
「あ、ありがとう……あなたも素敵よ?」
――仮面をつけると美男子度が三割は上がって、さぞご婦人がたが騒ぎそう。
「ジーンって呼んでよ、ルイーズ。仲良さをアピールしないと」
「……わかったわ……ジーン」
シャンデリアに照らされ、蝋燭がともされ、銀器と生花で飾られたわがバークリー邸。客人に挨拶を振りまき、怪我からの回復と叙勲を寿がれ、それに無難に返して。
夫がオズワルド卿と何か話し込んでいるとき、鈴を振るような声で名を呼ばれ、わたしはハッと顔を上げた。
「久しぶりね、ルイーズ……二年、三年ぶりかしら? ジーンも」
黒い喪服を着ているのに、その場の誰よりも美しいマデリーンが、嫣然と微笑んで立っていた。
ずっと領地に籠り切りだったわたしと、以前の記憶を全部忘れた夫。わたしたちのやり取りを耳にして、さすがにコンスタンス叔母様がおかしいと気づいた。
「ユージーン卿は王都に友人も多いのでしょう? いくら三年のブランクがあるにしても、忘れすぎではないの?」
「それが……目をやられた時に頭も強く打っていて、記憶に混乱があるんです。特に友人あたりがゴソっと抜けてしまっていて……名前と顔が一致しないのです」
「んまあああ!」
コンスタンス叔母様が扇で顔を隠して大げさに驚く。
「あまり大っぴらにできないと、母から釘を刺されていて……」
「そりゃあ、そうよねぇ! そんなみっともない話、大っぴらにできるわけないわ! でも大丈夫なの?」
「……とりあえずは、ボロを出さない程度になんとか――」
叔母様は少し考えて、言った。
「わかったわ、あんたたち夫婦は挨拶まわりはしなくていいわ。とにかく一晩だけ、夜会さえ乗り切ればいいんだから。後はあたくしと、オスカーで何とかするわ」
「……すみません叔母様」
役に立たない夫婦であるわたしたちは、顔を見合わせてこっそり、肩を竦めた。
そうして、夜会当日の夜になった。
今夜のドレスは白に近い生成りのもの。光沢のある地紋を散らした生地に、細かいビーズ刺繍を施し、黒いベルベットのリボンがアクセントになっている。やはり背中にボリュームを持たせたバッスル・スタイル。首元には黒いビーズ刺繍のチョーカー。髪は上半分を結って、半分は緩く編んで背中にかかる程度でまとめている。プラチナ・ブロンドに黒と白の天鵞絨のリボンと真珠とアメジストをあしらった髪飾り。黒いレースの扇に、手袋もまた黒いレースのもの。ところどころ、真珠の凝った装飾がついている。
「今夜も素敵だ、ルイーズ」
夫が向きを変えたり、矯めつ眇めつしてわたしを点検する。
「当たり前です! お嬢様はいつもお美しいんですから!」
凝った髪型に結い上げ、化粧の最後の仕上げをしながら、メイドのジュリーがフンと鼻を鳴らす。夫も今日は黒のテールコートにホワイト・タイ、白いウエストコート。左側半面を黒い仮面で覆っている。
「お客様はもう、いらっしゃってる?」
「続々と集まっているよ。カーター夫人ももう来ているみたい。……議会関係のオジサンたちも、たくさんね」
「お父様とコンスタンス叔母様にお任せするしかないわね……」
わたしはため息をつく。……さっきから、ぎゅうぎゅうにコルセットで締め上げられているから、苦しいし胸がムカムカする。
「顔色がよくないね、大丈夫?」
「コルセットが苦しいの……」
「無理はしないで」
夫がテーブルの上に積んである、砂糖菓子を一つ摘まんで、わたしの口に差し出す。
「少しは食べておいたら」
「でも……」
が、それを口に含んだ瞬間、急激な吐き気がこみ上げていた。
「ううっ……」
「ルイーズ?」
なんとか吐き気を堪え、ジュリーの差し出す水を飲む。
「もう! そんなもの食べさせるから! お嬢様、しっかりしてください!」
「ごめん、そんなつもりは……」
「……もう、大丈夫だから……」
わたしはもう一口水を飲み、言った。
「なんだか食べ物を見ると気持ち悪くなるの。……緊張してるのね……」
「ルイーズ、それってもしかして……」
が、その時、従僕のハワード・サンダースがわたしたちを広間に呼びに来た。
――本日最も身分の高い客人である、王弟、マールバラ公爵ご夫妻に、嫡男のブラックウェル伯爵オズワルド卿がご到着なさったから。
夫はわたしの手を取って言う。
「ルイーズ、無理しないで。気分が悪くなったらすぐに休んでいいから」
「え、ええ……」
広間につながる中央の大階段を二人で降りながら、夫が囁く。
「本当にきれいだ、ルイーズ」
「あ、ありがとう……あなたも素敵よ?」
――仮面をつけると美男子度が三割は上がって、さぞご婦人がたが騒ぎそう。
「ジーンって呼んでよ、ルイーズ。仲良さをアピールしないと」
「……わかったわ……ジーン」
シャンデリアに照らされ、蝋燭がともされ、銀器と生花で飾られたわがバークリー邸。客人に挨拶を振りまき、怪我からの回復と叙勲を寿がれ、それに無難に返して。
夫がオズワルド卿と何か話し込んでいるとき、鈴を振るような声で名を呼ばれ、わたしはハッと顔を上げた。
「久しぶりね、ルイーズ……二年、三年ぶりかしら? ジーンも」
黒い喪服を着ているのに、その場の誰よりも美しいマデリーンが、嫣然と微笑んで立っていた。
21
お気に入りに追加
703
あなたにおすすめの小説
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】
雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。
誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。
ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。
彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。
※読んでくださりありがとうございます。
ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる