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ルイーズ
忘れ去られた出会い
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しくしく、しくしく……
生垣の迷宮に迷い込み、出口がわからずに座り込んで泣いていた。
王都のお邸では意地悪な従姉と伯母が幅を利かせ、お母さまはお腹に赤ちゃんがいて、お父様は忙しい。お友達もいない、使用人たちも従姉の言いなりで、いろいろ意地悪で――
おうちに帰りたい。もうここから出られないかもしれない。どうしよう――
迷路の行き止まりでしゃがみこんでいると、ふと、影が差す。
『どうしたの? 迷ったの?』
頭上から降る声に顔を上げると、少し年上の少年が覗き込んでいた。
黒髪に、金に近い琥珀の色の瞳。整った優しそうな顔。
少年は泣いているわたしの手を取って立ち上がらせ、白いハンカチを差し出す。
『えぐっ……うぐっ……ううっ……』
『君も今日、園遊会に招待されたの? お母さまが心配しているんじゃない? それで涙をお拭きよ。出口は僕と一緒に探そう』
わたしのレースのついた他行着《よそゆき》の白いドレスの土埃も払ってくれ、手を繋いで歩き出す。
『こっちかな?……だめだ、行き止まりだ』
『こっちはさっき通ったわ』
『じゃあこっち?』
緑の生垣をくるくると歩き回る。さっきまで無限に続く先の見えない迷路に思われ、不安でたまらなかったのに、彼の手の温もりだけで安心する。
――きっと出口にたどり着く。そうしたら――
『あ、出口だよ!』
『ほんとだ!』
迷宮のゴールには生垣のアーチがかかって、四角く切り取られた出口は光り輝いて見えた。
『やったね!』
『……ありがとう』
『いいよ、僕も迷路に興味があっただけだから』
少年と微笑み合っていると、いなくなったわたしを探していたらしい、メイドがわたしを見つけて駆け寄ってくる。
『お嬢様! いったいどちらに……』
わたしが無言で迷宮を指さすと、メイドが言った。
『迷路には一人で入ってはいけないと、旦那様も奥様も……』
『一人じゃないもん! みんなわたしを置いて、走っていっちゃったんだもん!』
ムキになって反論するわたしを庇うように、少年がメイドに言った。
『僕がちゃんと連れ出したから……』
『……ジーン! ジーン、どこ?』
呼びかける声がして、少年が慌ててわたしに言う。
『母上が呼んでる、行かなくちゃ。君はこの家の子だったんだね。僕はユージーン、またね!』
そうして、少年は手を振って走り去ってしまった。――わたしが、ハンカチを返す暇もなく。
あとで見てみれば、白い絹のハンカチには飾り文字と王家の紋章が刺繍されていた。お返ししようとお父様にハンカチを見せたけれど、お父様は渋い顔をなさった。
『……彼を呼んだのか、メイヴィス』
『彼と言うか……カーター夫人をお呼びしないわけにいかないと、お義姉さまに言われて……』
お母さまの答えに、お父様はため息をついて言った。
『迂闊にハンカチを返して、つながりができてしまうと厄介だよ。……私は中立派なのでね』
少し考えてから、お父様はわたしの手にハンカチを戻した。
『これは、お前が大事にしまっておきなさい。次に会った時に返せばいい。ハンカチの一枚くらいで、どうこう言われることはあるまい。なに、記念品だよ』
『いいの?……また会える?』
『さあ、どうだろうね。彼も難しい立場だから……』
そう言って、お父様はわたしの頭を撫でた。
わたしはハンカチを宝物のオルゴールの小箱にしまっておいた。
わたしが知るのは、彼の名、ユージーンと髪と瞳の色だけ。わたしの名前に至っては、名乗ってさえいない。
その年、お母さまがお産で亡くなって、わたしはずっと領地で暮らし、王都には出なかった。
彼に、もう一度会えるといいなと思いながらも、きっともう、二度と会えないだろうと諦めてもいた。
でも、国王陛下が命じたわたしの結婚相手がユージーン・ロックフォード卿だと聞いて、わたしは期待してしまった。
もしかしたら、あの彼かもしれない。そして――
そして、幼い日の淡い思い出は、粉々に砕かれるのだ。
生垣の迷宮に迷い込み、出口がわからずに座り込んで泣いていた。
王都のお邸では意地悪な従姉と伯母が幅を利かせ、お母さまはお腹に赤ちゃんがいて、お父様は忙しい。お友達もいない、使用人たちも従姉の言いなりで、いろいろ意地悪で――
おうちに帰りたい。もうここから出られないかもしれない。どうしよう――
迷路の行き止まりでしゃがみこんでいると、ふと、影が差す。
『どうしたの? 迷ったの?』
頭上から降る声に顔を上げると、少し年上の少年が覗き込んでいた。
黒髪に、金に近い琥珀の色の瞳。整った優しそうな顔。
少年は泣いているわたしの手を取って立ち上がらせ、白いハンカチを差し出す。
『えぐっ……うぐっ……ううっ……』
『君も今日、園遊会に招待されたの? お母さまが心配しているんじゃない? それで涙をお拭きよ。出口は僕と一緒に探そう』
わたしのレースのついた他行着《よそゆき》の白いドレスの土埃も払ってくれ、手を繋いで歩き出す。
『こっちかな?……だめだ、行き止まりだ』
『こっちはさっき通ったわ』
『じゃあこっち?』
緑の生垣をくるくると歩き回る。さっきまで無限に続く先の見えない迷路に思われ、不安でたまらなかったのに、彼の手の温もりだけで安心する。
――きっと出口にたどり着く。そうしたら――
『あ、出口だよ!』
『ほんとだ!』
迷宮のゴールには生垣のアーチがかかって、四角く切り取られた出口は光り輝いて見えた。
『やったね!』
『……ありがとう』
『いいよ、僕も迷路に興味があっただけだから』
少年と微笑み合っていると、いなくなったわたしを探していたらしい、メイドがわたしを見つけて駆け寄ってくる。
『お嬢様! いったいどちらに……』
わたしが無言で迷宮を指さすと、メイドが言った。
『迷路には一人で入ってはいけないと、旦那様も奥様も……』
『一人じゃないもん! みんなわたしを置いて、走っていっちゃったんだもん!』
ムキになって反論するわたしを庇うように、少年がメイドに言った。
『僕がちゃんと連れ出したから……』
『……ジーン! ジーン、どこ?』
呼びかける声がして、少年が慌ててわたしに言う。
『母上が呼んでる、行かなくちゃ。君はこの家の子だったんだね。僕はユージーン、またね!』
そうして、少年は手を振って走り去ってしまった。――わたしが、ハンカチを返す暇もなく。
あとで見てみれば、白い絹のハンカチには飾り文字と王家の紋章が刺繍されていた。お返ししようとお父様にハンカチを見せたけれど、お父様は渋い顔をなさった。
『……彼を呼んだのか、メイヴィス』
『彼と言うか……カーター夫人をお呼びしないわけにいかないと、お義姉さまに言われて……』
お母さまの答えに、お父様はため息をついて言った。
『迂闊にハンカチを返して、つながりができてしまうと厄介だよ。……私は中立派なのでね』
少し考えてから、お父様はわたしの手にハンカチを戻した。
『これは、お前が大事にしまっておきなさい。次に会った時に返せばいい。ハンカチの一枚くらいで、どうこう言われることはあるまい。なに、記念品だよ』
『いいの?……また会える?』
『さあ、どうだろうね。彼も難しい立場だから……』
そう言って、お父様はわたしの頭を撫でた。
わたしはハンカチを宝物のオルゴールの小箱にしまっておいた。
わたしが知るのは、彼の名、ユージーンと髪と瞳の色だけ。わたしの名前に至っては、名乗ってさえいない。
その年、お母さまがお産で亡くなって、わたしはずっと領地で暮らし、王都には出なかった。
彼に、もう一度会えるといいなと思いながらも、きっともう、二度と会えないだろうと諦めてもいた。
でも、国王陛下が命じたわたしの結婚相手がユージーン・ロックフォード卿だと聞いて、わたしは期待してしまった。
もしかしたら、あの彼かもしれない。そして――
そして、幼い日の淡い思い出は、粉々に砕かれるのだ。
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