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ルイーズ

迷宮

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「お茶まで時間があるから、散歩しない?」

 夫に誘われ、わたしは編みかけのレースを袋に戻す。夫の腕に手をかけ、日傘を手に階段を下りながら、つぶやく。

「アンはどうしているかしら……」

 まだ三歳前で、さらにわたしの実子でもなく、要するにバークリー公爵家とは血のつながらない娘だ。父は養女にすることは認めたけれど、王家から押し付けられた不肖の婿の、裏切りの証であるアンを可愛く思うことはできないと言う。それももっともだと思うので、わたしはこの屋敷に連れてくるのは断念した。――王都でも、あの事件の噂は流れているかもしれない。不用意に人の悪意にさらしたくはなかった。

 母と信じているわたしと離れるのをアンは嫌がったけれど、普段から養育は乳母ナニーに任せているし、この機会に実母のリンダを子守りの手伝いにも雇ったから、問題はないはず。もともとお屋敷仕えだったリンダは、職人の夫と結婚後もお屋敷仕えを続けるつもりだった。あの事件で職を失い、いろいろ苦労していると言っていたから、給金を出して暮らしの足しになればとも思う。

 ――ただ、そうなるとお屋敷内でリンダと夫が顔を合わせる可能性も増える。夫にはリンダを子守りに雇ったことは告げていない――

 あの日の悪夢のような光景が脳裏に甦って、わたしは軽く眩暈を感じ、ふらついた。

「ルイーズ、大丈夫?」

 夫がわたしの腕をギュッと掴み、わたしを支え、覗き込んでくる。眼帯に覆われた片目と、心配そうな金色の瞳。

「いえ……」
「アンが心配? ……もう少しアンが大きくなったら、外国の保養地へでも旅行に行こう。できればその頃には、下の子も一緒に」

 下の子、と言われてわたしがつい、夫を見上げる。

「……いろいろ無茶を言ったようだけど、アンを養育してくれて感謝している。僕はアンがわが子だという感覚は薄いけれど、君が可愛がっているなら可愛がれると思う。……ただ、いずれは事情を話さないといけないだろうね」

 階段ですれ違う、使用人たちがわたしたちを見て、ハッとして頭を下げる。夫はわたしを気遣い、わたしは彼の視界を気遣う。――事情を知らなければ、仲睦まじい夫婦と思うだろう。そう言ったら、夫は笑った。

「仲いいだろう?……ここ数日はお預けだったけど」
「もう! そればっかり!」
「大事なことじゃないか。……五年もほったらかした、僕の言うセリフじゃないかもしれないけど」

 一階に降りると、サロンと、庭に向けてガラス張りになった温室コンサバトリーがあり、芝生の庭が見えた。
 領地屋敷マナーハウスと違ってこじんまりしているが、噴水のある庭園もある。

「……ロックフォード邸にはこんな庭はなかった! テラスハウス共通の、庭があったけど。ここは専用なんだ!」
 
 狭い庭を広く見せるように、わざと木々を植え、森の小道のようにしつらえてある。その小さな森を通り過ぎると、ぱっと開けた幾何学庭園に出る。噴水の周囲を、生垣の迷宮ラビリンスが作られている。

「王都でも一、二位を争う迷宮なんですって」
「へえ……!」

 周囲を見回していた夫が、急にわたしを振り向いてニヤッと笑った。

「競争しよう、ルイーズ!」
「ええ?」
「今から僕が十数えるから、君は先に迷路に入るんだ。僕に捕まらないで、あちらの四阿カゼボにたどり着けたら、君の勝ち。もし捕まったら、僕の勝ち」
「ええ、そんな……」

 戸惑うわたしを無視して彼は勝手に決め、わたしの手から日傘を奪い取ると迷路に押し込む。

「数えるよ! いーち! にーい! ホラ、早くいかないと捕まるぞ?」

 わたしはどうしようもなくなって、緑の生垣の中を走りだした。生垣はわたしの目の高さを越えているから、周囲は全く見えない。ちょっと踏み込んだだけで、もう、どこがどこやらわからなくなってしまった。

 幼い日も、こうして迷い込んだことがある。意地悪なマデリーンとその友人たちに、置き去りにされたのだ。迷って出口がわからず、不安で泣きだした。あの時は――

 わたしは視界を覆う緑色の生垣に戸惑いながら走る。四阿の方角はあちらだから――
 いくつも角を曲がり、とにかく夫から離れようとして、そこがさっきも通ったベンチだと気づく。すっかり迷ってしまった。……わたしは方向音痴で迷路が苦手だから、ゴルボーン・ハウスでも立ち入らないようにしていたのに。
 
 ええっと、さっきはこちらの道を行ったから、じゃあこっちを……
 
 ところが、緑の垣根は行き止まりになっていた。わたしは引き返そうと向きを変え、ハッと息を飲む。

 ――夫が行く手を塞ぐように立っていたからだ。
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