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ルイーズ

結婚の経緯

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「オズワルドに聞いたんだけど、僕は、マデリーン嬢に求婚して、断られていたんだってね」

 突然言われて、わたしはハッと顔を上げる。

「……ええ、そう、そう聞いております」
「誰から?」

 ずばりと聞かれて、わたしはしばし躊躇ためらった挙句、言った。

「……マデリーンと、カロライン伯母様からですわ」
「いつ?」
「あなたとの結婚が決まって、直後に」

 ……その頃の出来事を思い出し、わたしは無意識に、手袋を嵌めた両手を膝の上でぎゅっと握った。

 この国の貴族女性は十七歳になる社交シーズンでデビューする。白一色のドレスを着て、小さなブーケを持って、王宮で国王陛下にご挨拶し、大人の女性として認められる。わたしも、デビューを心待ちにしていた。

 伯父が亡くなり、マデリーンは父・オスカーの後見で、十七歳で社交界にデビューした。
 父は爵位を継承できないマデリーンのためにかなりの額の信託財産を準備し、それを持参金に条件のいい結婚相手を探していた。先代バークリー公爵の娘だから、マデリーンはバークリー公爵令嬢を名乗っていた。その頃わたしはずっと領地にいたので、物事をよく調べない人は、マデリーンこそ父の娘で、息子のいない父の爵位を継承できるのでは、と誤解する人がいたらしい。

 その誤解が後に禍根を残すのを恐れた父は、当時十五歳だったわたしを法定相続人と正式に届け出、代襲相続の許可を国王に願い出た。
 代襲相続は、の女児が産んだ、もしくは将来産む予定の男児に継承を認めるもの。同じくバークリー公爵令嬢を名乗っても、現公爵の姪であるマデリーンはその候補者になり得ない。

 父は、代襲相続の勅許を得た後にわたしを社交デビューさせ、婿探しをするつもりであった。
 ところが、国王陛下は代襲相続の条件として、ユージーン・ロックフォード卿との結婚を持ち掛けたてきた。

 わたしは社交デビュー前の十五歳。彼は公式に認められてはいないが、国王の庶子。

 この結婚は王命であり、わたしの意志など微塵も考慮されず、断ることもできない。一方の、肝心の花婿もまた、わたしとの結婚を望んでいないのは明らかだった。――婚約が決まっても、彼からは贈り物はおろか、手紙一枚来なかったから。

 そんな時に、王都から結婚の祝いを持って、わざわざカロライン伯母と従姉のマデリーンがやってくる。

 二歳年上のマデリーンは、王都の最新の流行だという、背後だけが膨らんだバッスル・スタイルのドレスを着ていた。ピッチリ詰まった襟には繊細なレース。ブラウスには細かいピンタックと刺繍が施され、明るい蜂蜜色の髪を凝った形に結って、レースの帽子を被っている。華やかな顔だちに、自信に満ちた仕草。
 一方のわたしは、先触れもなくやって来られたから、簡素なエプロンドレスを慌ててよそ行きに着替えたものの、ドレスは流行も下火になったクリノリン。

『まだそんな、野暮ったい服装をしているの? 本気で彼と結婚する気あるの?』
『彼……?』
『ジーンはわたしと結婚したいと言っていたのよ! なのに爵位と領地のために、国王陛下が勝手に結婚を決めてしまわれた! お父様が早くに亡くならなければ、バークリーの爵位も領地も、わたしが継ぐはずだったのに! その上わたしの恋人まで奪って、この泥棒猫!』

 何一つわたしの望んだことではないけれど、マデリーンが得られなかったものであるのは、間違いがない。だから、罵られてもわたしは反論できなかった。
 ただ、自分は爵位と領地だけが目的の、望まれない花嫁になるのだと、あの時いやと言うほど理解させられたのだ。


 



 王都の駅《ターミナル》周辺は、相変わらず人が多くてゴミゴミして、嫌な臭いが立ち込めていた。中心部は煤煙《ばいえん》や土埃で何やらけぶっていて、そんな空気を吸うと病気になりそうで、わたしはレースのハンカチでずっと鼻と口を押さえていた。
 馬車が公園の緑の脇を通って、少しほっとする。……中心部を外れれば、秋晴れの青空も見えた。

 王都のバークリー公爵邸は、王都屋敷タウンハウスとしてはかなりの広さ。もちろん、領地屋敷カントリーハウスには及びもつかないけれど、正門から車寄せには並木が続き、裏にはかなり広い庭もある。このレベルの敷地を持つのは、王都では王族や公爵家くらいと聞く。広い屋敷が欲しい貴族は郊外に邸を構え、都会の便利さを求める貴族は、中心部のテラスハウスに住んでいるそうだ。

 立派な邸だけれど、わたしは実は、この家はあまり好きではない。……いい思い出がないせいもある。

 五年前にマデリーンが嫁ぐまで、この屋敷はマデリーンとその母のカロライン伯母様にほぼ占拠されていた。

 そんな説明をすると、夫は首を傾げた。

「その人たちは、今は?」
「マデリーンはカートライト侯爵様のお屋敷にお嫁に行って、伯母様はテラスハウスを一つ、ご購入になってそちらに」
「じゃあ、気兼ねしなくてもいいんだね」

 夫が微笑み、わたしは肩を竦める。――マデリーンがカートライト侯爵と結婚するのを何とか阻止しようと、結婚して数日のわたしを残して王都に駆けつけたことさえ、すっかり忘れているのだから、いいご身分だ。

「わたしはあのデビュー以来、まったく王都には来ておりませんの。もともと、この屋敷は数年に一度来ればいいところで……なんというか、従姉の家というイメージですわ。……マデリーンに求婚していたなら、あなたの方が頻繁に足を運んでいらっしゃったのでは?」
「……そうかもね。でも全く、憶えてないや」

 父は邸の西翼で生活し、わたしたち夫婦には東翼を改装してあった。家令スチュワードのライアン・バートンがメイドたちに荷解きを指示しながら言う。

「旦那様は本日は議会と王宮に顔を出し、夕食時までには戻られるそうです」
「ええ、わかったわ」
「仕立て屋は明日の午前、宝石商は明日の午後にこちらに参ります」

 てきぱきと予定を告げるバートンを後目に、夫は窓を開けてバルコニーに出る。二階建てのゴルボーン・ハウスと違い、この王都屋敷タウンハウス四階建てで、さらに屋根裏部屋がある。……私たちの部屋は四階で、窓からは庭が見晴らせるはず。

 夫は珍しそうに出たり入ったり、クローゼットを開けたりしている。

「居間は夫婦で一つなんだね。一応、寝室ベッドルームは二つあるけど、浴室は共用だ」
「……夫婦ですからね」
「デビューの時はどうしてたのかな?」

 無邪気な夫の問いかけに、バートンが無表情で答えた。

「若旦那様は、こちらには一日たりともお泊りにはなられませんでした」

 夫が気まずそうにため息をついた。
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