32 / 106
オズワルド
ユージーンの近況報告②
しおりを挟む
夕食時、何度もグラスを引っ掛けそうになるユージーンを、奥方がさりげなく庇う。湖で取れたマスをパイ仕立てにしたものが、ここらの名物であるらしい。
「君は魚は嫌いだったのに、大丈夫になったのか」
僕が言えば、ユージーンが手を止めて夫人を見た。
「……そうなのか?」
ルイーズ夫人が気まずそうに言う。
「実は、以前はお嫌いだと仰っていましたが、戻って来られてからは何も言わずに召し上がっているので、とくには説明しておりません……」
「そうなんだ。別に問題なく食べられる。……食わず嫌いだったのかな?」
「……以前のあなたは食べ物の好き嫌いが多くて、厨房も苦労しておりました。戻ってこられてからは文句も仰らずに召し上がっているので、つい――」
執事と家政婦と顔を見合わせる夫人を見て、僕はなんとなく思う。
以前のユージーンは奥方と不仲で、入り婿の彼は針の筵だったという。彼が怪我をして戻ってきて、厨房はわざと、彼の嫌いな食べ物を出したのかもしれないが、記憶のないユージーンは気にせずに食べてしまった。
僕は気まずそうな使用人を庇うつもりで言った。
「昔のユージーンは本当に食わず嫌いで、一緒に食事をするのが大変だった。何でも食べられるようになったなら、記憶を失うのも悪くないな」
「戦場は内海に近いから、たぶん魚ばっかりだったろうし、病院の食事はもっと不味かった。ここの食事に不満はないよ、いつも美味しい。特に、この、ベリーソースが肉に合う。これは僕とルイーズと、それからアンの三人で摘んだんだよ」
ユージーンがルイーズ夫人に微笑みかけ、夫人も頷く。
「庭のブラックベリーですの。わたくしと娘が摘んでおりますところに、邪魔しに参りましたのよ。摘んだそばから食べてしまって、娘が怒りまして、大変でしたわ。邪魔だからあっちへ行ってと言われても、収穫するのが楽しいから、来年は畑で野菜を作りたいだなんて言い出して。虫が大嫌いなくせに、無茶ばっかり」
「そう、土を掘ると虫が出てくるんだよ。……虫さえいなければね……」
ユージーンが肩を竦め、僕は思わず笑った。
「とうとう農夫の真似事まで始める気かい? 陛下が聞いたらさすがに驚かれるだろう」
「貴族なんだから、せめて薔薇ぐらいにしておけ、って言われるんだけど、僕は食えるものを育てたいんだよ。薔薇は食えないじゃないか」
僕が王都で予想していたより、はるかに和やかな食卓で、僕は正直、驚いていた。
夕食後、僕はユージーンに持ちかけた。
「少し、男同士の話がしたいのだがね」
「ああ、構わないよ。……サロンに酒の用意をさせよう」
ユージーンは妻の耳元で、「少し飲んでいくから、先に戻って」とささやくと、奥方は、「別に来なくてもよろしくてよ。たまにはおひとりでお休みくださいませ」と小声で言い返し、僕に向かっては、
「ではお先に失礼します。おやすみなさいませ」
と、にこやかに挨拶して下がっていった。
執事がサロンにブランデーのデキャンタとグラスを用意し、僕たちはソファに寛ぐ。僕がポケットからパイプを取り出し、吸ってもいいかと聞けば、ユージーンは頷いた。
「どうぞ」
「君は吸わないのか?」
僕がパイプに、ランプの火を移しながら問えば、ユージーンは言った。
「一年近く病院にいただろう。その間に吸う習慣がなくなってしまった」
「そうか……」
僕が紫煙を吐き出していると、ユージーンは慎重にブランデーグラスを手に取り、口に含む。
「予想はついていると思うが、僕が来たのは陛下のご意向でね」
「そうだろうと思ったよ。……様子を見てこいって? 一度だけ、王宮で直接お会いしたけれど、全然、思い出せない。どういう態度を取ったらいいかもわからないし、疲れるからもう嫌だ」
「公式には認知されていないからね」
公然の秘密ではあるが、正式には認められない王の庶子。その危ういポジションは、長年の勘と経験で渡っていくしかないが、彼はその記憶を全て失った。……王都にいたくない理由の一つは、おそらくそれだろう。
僕はユージーンの斜め右側に座っているので、以前と同じ、秀麗な半面しか見えない。……なるべく、右半面だけを見せるようにしているのだろう。僕はパイプの煙をくゆらせながら切り出した。
「奥方とはうまくやっているようじゃないか。常に君に気を使って」
「ルイーズは優しいし、お人よしだから。僕の不実を許すつもりはないらしいが、僕がグラスを倒すと、使用人が大変だから、倒さないように見張ってる」
ユージーンが笑う。
「使用人からは蛇蝎のごとく嫌われているよ。今さら節操もなく擦り寄ってくるクズ男ってね。……僕たちの不仲は有名だった?」
「ああ。王都に連れてきたのは一度きりで、その後は、君は領地に居つかず、王都で遊び歩いていたし」
「……そっか……」
ユージーンが頭をかく。
「今の僕は、ルイーズに全く不満がないし、むしろ彼女がいないと生きていけないくらいだから……」
「君は魚は嫌いだったのに、大丈夫になったのか」
僕が言えば、ユージーンが手を止めて夫人を見た。
「……そうなのか?」
ルイーズ夫人が気まずそうに言う。
「実は、以前はお嫌いだと仰っていましたが、戻って来られてからは何も言わずに召し上がっているので、とくには説明しておりません……」
「そうなんだ。別に問題なく食べられる。……食わず嫌いだったのかな?」
「……以前のあなたは食べ物の好き嫌いが多くて、厨房も苦労しておりました。戻ってこられてからは文句も仰らずに召し上がっているので、つい――」
執事と家政婦と顔を見合わせる夫人を見て、僕はなんとなく思う。
以前のユージーンは奥方と不仲で、入り婿の彼は針の筵だったという。彼が怪我をして戻ってきて、厨房はわざと、彼の嫌いな食べ物を出したのかもしれないが、記憶のないユージーンは気にせずに食べてしまった。
僕は気まずそうな使用人を庇うつもりで言った。
「昔のユージーンは本当に食わず嫌いで、一緒に食事をするのが大変だった。何でも食べられるようになったなら、記憶を失うのも悪くないな」
「戦場は内海に近いから、たぶん魚ばっかりだったろうし、病院の食事はもっと不味かった。ここの食事に不満はないよ、いつも美味しい。特に、この、ベリーソースが肉に合う。これは僕とルイーズと、それからアンの三人で摘んだんだよ」
ユージーンがルイーズ夫人に微笑みかけ、夫人も頷く。
「庭のブラックベリーですの。わたくしと娘が摘んでおりますところに、邪魔しに参りましたのよ。摘んだそばから食べてしまって、娘が怒りまして、大変でしたわ。邪魔だからあっちへ行ってと言われても、収穫するのが楽しいから、来年は畑で野菜を作りたいだなんて言い出して。虫が大嫌いなくせに、無茶ばっかり」
「そう、土を掘ると虫が出てくるんだよ。……虫さえいなければね……」
ユージーンが肩を竦め、僕は思わず笑った。
「とうとう農夫の真似事まで始める気かい? 陛下が聞いたらさすがに驚かれるだろう」
「貴族なんだから、せめて薔薇ぐらいにしておけ、って言われるんだけど、僕は食えるものを育てたいんだよ。薔薇は食えないじゃないか」
僕が王都で予想していたより、はるかに和やかな食卓で、僕は正直、驚いていた。
夕食後、僕はユージーンに持ちかけた。
「少し、男同士の話がしたいのだがね」
「ああ、構わないよ。……サロンに酒の用意をさせよう」
ユージーンは妻の耳元で、「少し飲んでいくから、先に戻って」とささやくと、奥方は、「別に来なくてもよろしくてよ。たまにはおひとりでお休みくださいませ」と小声で言い返し、僕に向かっては、
「ではお先に失礼します。おやすみなさいませ」
と、にこやかに挨拶して下がっていった。
執事がサロンにブランデーのデキャンタとグラスを用意し、僕たちはソファに寛ぐ。僕がポケットからパイプを取り出し、吸ってもいいかと聞けば、ユージーンは頷いた。
「どうぞ」
「君は吸わないのか?」
僕がパイプに、ランプの火を移しながら問えば、ユージーンは言った。
「一年近く病院にいただろう。その間に吸う習慣がなくなってしまった」
「そうか……」
僕が紫煙を吐き出していると、ユージーンは慎重にブランデーグラスを手に取り、口に含む。
「予想はついていると思うが、僕が来たのは陛下のご意向でね」
「そうだろうと思ったよ。……様子を見てこいって? 一度だけ、王宮で直接お会いしたけれど、全然、思い出せない。どういう態度を取ったらいいかもわからないし、疲れるからもう嫌だ」
「公式には認知されていないからね」
公然の秘密ではあるが、正式には認められない王の庶子。その危ういポジションは、長年の勘と経験で渡っていくしかないが、彼はその記憶を全て失った。……王都にいたくない理由の一つは、おそらくそれだろう。
僕はユージーンの斜め右側に座っているので、以前と同じ、秀麗な半面しか見えない。……なるべく、右半面だけを見せるようにしているのだろう。僕はパイプの煙をくゆらせながら切り出した。
「奥方とはうまくやっているようじゃないか。常に君に気を使って」
「ルイーズは優しいし、お人よしだから。僕の不実を許すつもりはないらしいが、僕がグラスを倒すと、使用人が大変だから、倒さないように見張ってる」
ユージーンが笑う。
「使用人からは蛇蝎のごとく嫌われているよ。今さら節操もなく擦り寄ってくるクズ男ってね。……僕たちの不仲は有名だった?」
「ああ。王都に連れてきたのは一度きりで、その後は、君は領地に居つかず、王都で遊び歩いていたし」
「……そっか……」
ユージーンが頭をかく。
「今の僕は、ルイーズに全く不満がないし、むしろ彼女がいないと生きていけないくらいだから……」
32
お気に入りに追加
711
あなたにおすすめの小説


【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる