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ユージーン
帰還
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その美しい邸は、ちょうど盛りの薔薇に囲まれていた。
ゴルボーン・ハウス。そこが僕の家だと言われても、全く何も思い出さず、ピンと来るものはない。首をひねっていると、背後に控えるケネス・ウイルソンが小声で言う。
「こちらは五年前からお住まいでした。年の半分以上は王都屋敷でお過ごしとのことですから――」
ケネスは、戦争中に僕の従卒を務め、今は従僕として、そのまま雇っている。
「……お前はこちらには?」
「私は戦争の際に新たに雇用されましたので。こちらは初めてです」
「……そうだったな」
僕は、何度目になるかわからない問答を、ケネスと繰り返してしまったと気づき、気まずく黙り込んだ。
「……お前がいてくれてよかったよ。そうじゃなきゃ、何もわからない」
「旦那様……」
扉が開き、かっちりした正装を一部の隙もなく着こなした初老の男が入ってきて、僕の前で深々と頭を下げた。
「奥様とお嬢様はもうすぐにも、こちらにいらっしゃいます。まずはお茶を――」
「えっと――」
「執事のジョン・サンダースでございます」
「ああ、よろしく。――その、事情は聴いていると思うけど」
「はい、すでにお手紙も拝領してございます」
執事のサンダースの後からは、年嵩の紺色のドレスを着た女が銀の盆を捧げてやってきた。そうして、手早くお茶を淹れる。
「ええっと君は――」
女が手を止め、姿勢を正して頭を下げる。
「家政婦のマリサ・ドレイクと申します」
「悪いね。……ええと、ドレイク夫人? その、何もかも忘れてしまったおかげで、世話をかける」
「いえ、めっそうもございません」
ドレイク夫人はそう言うが、目は疑わしそうに僕を見ている。――僕が、記憶を失っている、というのを胡散臭いと思っているのか。それとも、もっと恐ろしい話だが、僕は本当に、この家の当主なのか。
「……恐れながら。お体の方はもう、よろしいのですか」
そう言われて、僕は無意識に左目に手をやる。左目を覆うように、白い包帯を巻いている。
「体の方は、大丈夫。……目が……」
ドレイク夫人は戸惑ったように、執事のサンダースと顔を見合わせた。
「お怪我の方については伺っております。……こちらは何分、田舎でございますから、医師と申しましても……我が家の主治医、ニコルソン先生に念のために一度、診察をお願いしておかれては」
「……ああ、医者ね。王都の医者には特に問題ないとは言われているが……」
問題ないというか、これ以上は治らない。左目は眼球がなくなっているから、一生見えないのだ。――右目を酷使すると右目も見えなくなるから、気をつけろとは言われている。
「わかった。ありがとう……」
僕はそう言うと、ドレイク夫人の淹れてくれたお茶を飲もうと手を伸ばし――目測を誤って熱いお茶の中に指を突っ込んでしまう。
「あちっ……」
僕がハンカチを出そうともたもたしているところに、ちょうどふわりと空気が流れて、人が入ってきた気配を感じた。
僕が顔を上げると、初夏らしい薄水色のドレスを着た若い女と、目が合った。流行の、フリルがふんだんに使われたドレスだが、色味を抑えているので派手過ぎるということはない。プラチナブロンドの髪をきっちりと結って、ドレスと同じ水色のリボンでとめている。
光に透けて輝くブロンドに、陶器のような白い肌、アメジストの瞳。ビスクドールのように整った顔立ちに華奢で折れそうな体つき。でも、腰は細くくびれて胸にはそれなりのボリュームがある。零れ落ちんばかりの大きな瞳と小さな唇。少し童顔で、でも物腰は落ちついて体つきは大人っぽい。――僕の好みドンピシャリじゃないか。
服装と態度からして、彼女はこの家の女主人、つまり僕の妻なのだ。
さすが僕。――記憶はなくなっても、選ぶ女の好みは変わらないらしい。僕の沈んでいた気分が一気に上がってくる。
が、一方の妻はやけに冷静だ。戦争から三年ぶりに戻ってきた夫を前して、普通は抱き着くとか涙ぐむとかするんじゃないか? いや、その記憶はどこから? すごく昔に見た劇とか小説とか、そんな記憶?
彼女の表情は凍り付き、アメジスト色の瞳からは、何の懐かしみも感じられなかった。
ゴルボーン・ハウス。そこが僕の家だと言われても、全く何も思い出さず、ピンと来るものはない。首をひねっていると、背後に控えるケネス・ウイルソンが小声で言う。
「こちらは五年前からお住まいでした。年の半分以上は王都屋敷でお過ごしとのことですから――」
ケネスは、戦争中に僕の従卒を務め、今は従僕として、そのまま雇っている。
「……お前はこちらには?」
「私は戦争の際に新たに雇用されましたので。こちらは初めてです」
「……そうだったな」
僕は、何度目になるかわからない問答を、ケネスと繰り返してしまったと気づき、気まずく黙り込んだ。
「……お前がいてくれてよかったよ。そうじゃなきゃ、何もわからない」
「旦那様……」
扉が開き、かっちりした正装を一部の隙もなく着こなした初老の男が入ってきて、僕の前で深々と頭を下げた。
「奥様とお嬢様はもうすぐにも、こちらにいらっしゃいます。まずはお茶を――」
「えっと――」
「執事のジョン・サンダースでございます」
「ああ、よろしく。――その、事情は聴いていると思うけど」
「はい、すでにお手紙も拝領してございます」
執事のサンダースの後からは、年嵩の紺色のドレスを着た女が銀の盆を捧げてやってきた。そうして、手早くお茶を淹れる。
「ええっと君は――」
女が手を止め、姿勢を正して頭を下げる。
「家政婦のマリサ・ドレイクと申します」
「悪いね。……ええと、ドレイク夫人? その、何もかも忘れてしまったおかげで、世話をかける」
「いえ、めっそうもございません」
ドレイク夫人はそう言うが、目は疑わしそうに僕を見ている。――僕が、記憶を失っている、というのを胡散臭いと思っているのか。それとも、もっと恐ろしい話だが、僕は本当に、この家の当主なのか。
「……恐れながら。お体の方はもう、よろしいのですか」
そう言われて、僕は無意識に左目に手をやる。左目を覆うように、白い包帯を巻いている。
「体の方は、大丈夫。……目が……」
ドレイク夫人は戸惑ったように、執事のサンダースと顔を見合わせた。
「お怪我の方については伺っております。……こちらは何分、田舎でございますから、医師と申しましても……我が家の主治医、ニコルソン先生に念のために一度、診察をお願いしておかれては」
「……ああ、医者ね。王都の医者には特に問題ないとは言われているが……」
問題ないというか、これ以上は治らない。左目は眼球がなくなっているから、一生見えないのだ。――右目を酷使すると右目も見えなくなるから、気をつけろとは言われている。
「わかった。ありがとう……」
僕はそう言うと、ドレイク夫人の淹れてくれたお茶を飲もうと手を伸ばし――目測を誤って熱いお茶の中に指を突っ込んでしまう。
「あちっ……」
僕がハンカチを出そうともたもたしているところに、ちょうどふわりと空気が流れて、人が入ってきた気配を感じた。
僕が顔を上げると、初夏らしい薄水色のドレスを着た若い女と、目が合った。流行の、フリルがふんだんに使われたドレスだが、色味を抑えているので派手過ぎるということはない。プラチナブロンドの髪をきっちりと結って、ドレスと同じ水色のリボンでとめている。
光に透けて輝くブロンドに、陶器のような白い肌、アメジストの瞳。ビスクドールのように整った顔立ちに華奢で折れそうな体つき。でも、腰は細くくびれて胸にはそれなりのボリュームがある。零れ落ちんばかりの大きな瞳と小さな唇。少し童顔で、でも物腰は落ちついて体つきは大人っぽい。――僕の好みドンピシャリじゃないか。
服装と態度からして、彼女はこの家の女主人、つまり僕の妻なのだ。
さすが僕。――記憶はなくなっても、選ぶ女の好みは変わらないらしい。僕の沈んでいた気分が一気に上がってくる。
が、一方の妻はやけに冷静だ。戦争から三年ぶりに戻ってきた夫を前して、普通は抱き着くとか涙ぐむとかするんじゃないか? いや、その記憶はどこから? すごく昔に見た劇とか小説とか、そんな記憶?
彼女の表情は凍り付き、アメジスト色の瞳からは、何の懐かしみも感じられなかった。
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