【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
上 下
185 / 190
番外編

警視庁ジョン・ウォード警部の捜査日誌⑩【終】

しおりを挟む
 鉄格子の向こう、薄暗い部屋に、若い男が座っている。
 ――ダグラス・アシュバートン、二十九歳。ストライプ柄の派手なシャツに、濃いグレーのトラウザーズ。黒い吊りベルトサスペンダー

 カチャン、と鍵を開け、キイ……と鉄格子の扉を開き、俺たちが入っていくと、気だるげに顔を上げる。髪は薄茶色で、顎には無精ひげが目立つ。

「ああ、またアンタかよ。……振られ兄貴のカタキでも取りにきたの? アンタには敵いそうもねぇし。兄貴は文官でヒョロってしてて、ああいうインテリの弱々しいのは、デイジーの趣味じゃなかったんだよ。……むしろアンタが、デイジーと婚約してればよかったんじゃね?」

 早速、カーティス大尉に管をまくが、カーティス大尉は意にも介さず、俺たちに椅子を薦める。

警視庁ヤードのウォード警部と、リンドホルム警察の、エヴァンズ警部。……ウィリアム卿の殺害事件を担当している」
「ああ、そっち。……あれは俺じゃなくて、執事のアーチャーが――」
「薬の入手元はお前だろう? 殺人の教唆も、お前。父親に死亡診断書を書かせたのも、お前……か?」
「そうだよ、あの間抜けな親父に、こーんな事件を思いつく脳みそがあるわけねーじゃん」

 ……おそらく、サイラスが黙秘しているのは、すべて息子のダグラスを助けたい一心なのだろうが、親父と違い、息子は本当に根性がない。

「目的は、リンドホルム伯爵の爵位、城、領地――」
「エルシーだよ。あんな城、クソ広くて税金ばっかかかって、金食ってしょうがない。でも、エルシーがついてくるなら、話は別だ。子供の頃から最高に可愛かった。いつか食ってやろうって思ってたけど、俺なんかには目もくれねぇ。……そこがまた、いいんだけどよ、お堅くて」

 俺は眉を顰めた。

「……彼女が目的で、領地や爵位はおまけってことか?」
今日日キョービ、伯爵サマなんかになったって、気苦労ばっかりだろう? 俺は王都で、貴族が資産管理に失敗して、落ちぶれるのをたーっくさん、見たよ。投資や新規事業で上手くいってるところなんて、ごくごく一部、他はみんな青息吐息だよ。……でもエルシーを手に入れるには、爵位が必要なんだよなあ……俺には到底、縁のない話で」

 ダグラスがふと、視線を逸らせる。

「デイジーもな……最初はちょっとエルシーっぽいと思ったんだよな。田舎の郷紳ジェントリのお嬢様で。ところがさ、ちょっとコナかけたら、あっさり堕ちてさ。つまんねぇ女だなって。別れようとしたら、あれこれうっせぇんだよ。まあ、いろいろ貢いでくれるんなら別れないでいてやるって言ったら、デブの成金の後妻にまでなり下がりやがって。もう、萎えるどころの騒ぎじゃねーよなぁ。デブの成金と穴兄弟とかさ、あり得ねえっつの。それに比べて……」

 ダグラスが、榛色の目で俺を見る。

「エルシーは格が違った。たとえ全財産奪われても、俺みたいなクズ野郎と結婚なんかしねぇんだとさ。さっさと王都に出て行っちまいやがった。……苦労してるかと思いきや、なんと王子様の愛人に収まって。信じられないくらい色っぽくなっていて……羨ましいよなあ、王子様。俺もエルシーにハメたかったのに」
「下品な言い方はやめないか、失礼だ。彼女は殿下の恋人だ」

 カーティス大尉が生真面目にダグラスを叱るが、ダグラスは肩を竦めただけだ。

「え、でもよ、あのリジーと奴と、エルシーはデキてたぜ? 間違いない。それはいいのかよ?!」
「アシュバートン、根拠のないことを言うな」
「え、ホラ、なんだっけ、リジー・オーランドって色男。アンタの同僚だろ? 悔しくないのかよ、あいつはエルシーとヨロシクやってんのにさ。それとも、アンタもヤらしてもらった?」
「いい加減にしないか!」

 カーティス大尉は真面目過ぎるので、あっさりダグラスの挑発に乗りそうになっている。俺がダグラスを止めようとしたとき。カツカツと靴音がして、振り返れば、ベイカー本部長が、二人のラウンジスーツに中折れ帽の人間を連れてきた。

 一人は、さっきのチャラチャラした主席秘書官。そしてもう一人は――。

 カーティス大尉がハッとして居住まいを正す。

「ウォード、ロベルト・リーン氏と、リジー・オーランド氏、アルバート殿下の側近で……聴取を行いたいそうだ」
「どうも、すんませーん。ちょっとだけ、お話聞かせてもらいたいんだよねー」

 主席秘書官のリーン氏が言い、俺とエヴァンズ警部は顔を見合わせ、それからベイカー本部長を見た。ものすごーく渋い表情で、ベイカー本部長が頷く。

「……わかりました。でも、俺たちも同席しますよ?」

 俺が言えば、主席秘書官殿がにっこり微笑む。

「もちろん。だた、ここで見たことは秘密ってことで。王室に関わる守秘義務って奴。それだけお願いします」

 軽い口調で言われ、ベイカー本部長が去ると、二人はガシャンと鉄格子の扉を開けて中に入ってきた。
 ロベルト・リーンというチャラチャラした男、結構上背があるのだが、リジー・オーランドと名乗る男はさらに高い。中折れ帽を深くかぶり、帽子のつばで顔の半ばは陰になっている。長い脚で数歩、すいっとダグラスの側による。

 明確な殺気を感じ、俺が腰を浮かしかけると、誰がが俺の肩を押えつけた。

「……主席秘書官殿……?」

 俺の注意が削がれた一瞬の、その刹那。

 ドガン、と凄まじい音がして、リジー・オーランドがダグラスの茶色い頭を鷲掴みにし、木の机に叩きつけていた。  

「い……!」

 乱暴に髪を掴み、もう一度、ドガン、と叩きつけ、髪を掴んで強引に引っ張り上げる。ダグラスの舐め腐った表情はもうなく、どろりとした鼻血が唇を過ぎ、顎から机にポタリ、ポタリと垂れる。

「な、……アンタ、何を……」 
「安心しろよ、殺しはしない。どうせ絞首刑だしな」

 低い、ドスの効いた声でリジー・オーランドが言う。

「い、痛い、痛い、痛い……」
「そりゃあ、痛いだろうなあ……」
「な、な、な……何を……」

 カーティス大尉がはあっと溜息をつき、主席秘書官殿は腕を組んでニヤニヤ笑っている。――リジー・オーランド。アーチャーが言っていた、ウルスラ夫人の遠縁の……。

 俺は帽子で半ば隠された、男の顔をじっと見るが、いや、だが、これは――。
 ベイカー本部長は気づかなかったのだろうか? いや、たとえ気づいていても、彼はの存在を知らない。単なる王子の気まぐれだと思うだけだ。エヴァンズ警部は、リジーがウルスラ夫人の葬儀に、王子の代理人として派遣されてきたことは知っていても、王子の顔を知らない。

 俺は、背中に冷や汗をかきながら、周囲の男たちを盗み見る。エヴァンズは突然の成り行きにどうしていいかわからず、硬直している。……俺も傍からはそう、見えるだろう。

 リジー・オーランドがもう、二度ほど、ガツン、ガツンとダグラスの顔を机に叩きつけたあたりで、おそらくは唯一の常識人らしい、カーティス大尉が止めに入る。

「もうそのぐらいで。死んでしまいます」
「ヒイ、たすけ、……ヒイ……」
「情けねぇ声出すんじゃねーよ、気色悪い。……で、俺の質問に答えろ」
「な、……何でも言う、言うから、……」
「普通はさあ、質問してから乱暴狼藉に至るもんでしょ? 順番間違えってるって」

 主席秘書官殿がまぜっかえせば、リジー・オーランドは金色の瞳でギロっと睨んだ。

「うるせぇ、黙れ。……お前がウィリアムを殺したのは、誰かの指示があったんじゃないのか? 正直に言えよ?」
「……し、指示……? 指示なんか……うがあああ!」

 ガツン! ともう一度机にぶつけられ、ダグラスが悲鳴を上げる。

「じゃあ、エルシーの代襲相続が却下された理由、知ってんじゃねえのかよ! オラァ!」
「し、知らない! 知らないって! お、俺だって、まさか却下されるなんて、思ってなくて……」

 血まみれの顔で必死に言い募るダグラスを、リジー・オーランドがギリギリと髪を掴んで持ち上げ、ダグラスは痛みで悲鳴を上げる。

「ひい、痛い、痛い、痛い!」
「ほんっとに知らねぇのかよ? 本気でか? 殺すぞ!……レコンフィールド公爵あたりと、繋がりがあんじゃねぇのか?」
「ち、違う……婆さんにも、聞かれたけど、違う、俺は知らないって……」

 ぐぐっと持ち上げたダグラスを、ポイと手を離せば、そのままガタンと床に崩れ落ち、そこをすかさず、磨き上げられた革靴で蹴り上げる。

 ……このリジー・オーランドという男、正体に気づいてしまったことに後悔するほど、柄が悪い。下町のチンピラかよ。

「もう、その辺にしてください。下町のチンピラみたいですよ、みっともない」

 カーティス大尉が冷めた声で言い、「キャハハ」と主席秘書官殿が笑い転げる。

「だが、レコンフィールド公爵との関連が裏付けられない」
「……関係ないのかも、しれませんよ? 無茶なことはやめてください、後で問題になっても困ります」

 ダグラスがヒイヒイ言いながらずりずりと逃げ出そうとする、その尻をガッと踏みつけ、リジー・オーランドは帽子に片手を置いて、気障キザっぽく言う。

「しょうがねぇなあ……。おい、嘘でもいいんだぞ? レコンフィールド公爵に命じられましたって、ちょろっと証言してくれれば……」
「ダメです! 冤罪を作り上げることには、反対です」

 カーティス大尉が強く言えば、リジーは仕方なくダグラスの上から足をどけ、大げさに肩を竦めてみせた。それから、茫然と硬直している俺を見て、おそろしく整った顔に笑顔を浮かべる。

「……どうも、お見苦しいところを」
「いえ、大丈夫です……殿

 と言ってしまい、俺は慌てて口を塞いだ。リジー・オーランドは金色の瞳を見開いて、それから、面白そうに煌かせる。

「ああ、なるほど。ジョージの葬儀の翌日に、俺を見たのか」
「ウォードちゃん、どうして自分で自分の首を締めちゃうかなあ?」

 主席秘書官殿が困ったような表情でニヤニヤ近寄ってきて、俺は慌てて首を振る。

「だ、大丈夫です! 誰にも言わないですから! 言っても誰も信じないですよ! 王子がまさか、下町のチンピラより柄悪いだなんて!」

 プハッと噴き出した王子が俺に言う。

「そうか、取引しよう、ウォード警部。俺がチンピラみたいだってことは内緒にしてくれ」
「じゃあ――」 

 俺が条件を告げると、王子は端麗な顔の笑みを深くした。
 

  


 
 四月の末、前レコンフィールド公爵と元首相バーソロミュー・ウォルシンガム卿の葬儀の記事の載った新聞を俺が読んでいると、チリンと呼び鈴が鳴り、応対に出た女中が、俺に少し大きな封筒を持ってきた。

「旦那様宛です」
「おお、ありがとう」

 受け取って裏返すが、差出人の名前はなく、代わりに王室の印章が押されている。
 俺が抽斗からペーパーナイフを出して、注意深く封を切る。中から現れたのは――。

「まあ、どうしたの、それ!」
「ああ、ホラ、エルスペス妃の弟の、ウィリアム卿の殺人事件で、少しリンドホルムに関わったじゃないか。ほんのお礼を兼ねて送ってくれたんだよ」
「まあ、彩色写真なのね! 素敵だわ! 今度、スーザンにも自慢しなくっちゃ!」
「そうだな」

 革張りの表紙のついたそれは、アルバート殿下とエルスペス妃の、彩色写真だった。ほんのり色をつけた写真の中で、エルスペス妃はいつか見た、完璧な古代的微笑アルカイック・スマイルを浮かべていた。
 



   Fin.


しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...