【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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番外編

警視庁ジョン・ウォード警部の捜査日誌⑥

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 速足で庭を通り抜け、俺が邸に向かっていると、後ろからエヴァンズ警部が声をかけた。

「どうしたんですか、突然」
「あ?……ああ、すまん。急に気になったことがあって。さっきの、何とか嬢の話だ」
「何とか嬢?」
「もう一人ご令嬢がいるんだろう?」

 俺が歩調を緩めてエヴァンズ警部と並ぶと、エヴァンズ警部が「ああ」と納得した。

「ヴィクトリアのことですね。あれはご令嬢なんてもんじゃないですよ。まあ、そうだな、エルスペス嬢がお邸で飼われてる血統書付きの猫だとしたら、ヴィクトリアは野良猫って感じですね。こんなお邸から出てきたらビックリしますよ。ほんとにね」

 俺は首を傾げる。

「……伯爵夫人の姪なんだろう?」
「そうですよ、ヴィクトリア・ガストン。もう、二十四になるそうですよ。ミセス・ジェーンは、伯爵夫人なんて言うと笑っちゃうような田舎の女でね。もとは町医者の女房だったんだから、しょうがないですけど。今の伯爵のサイラスは町医者としては、やぶ医者だなんだ言われていましたが、そこそこ気のいい奴でした。伯爵の従兄だったんで、本家の援助もあって学校は出て医者にはなったけど、生活はそこそこで、看護婦をしていた地味な女と結婚して、生まれたのがダグラスです。これも王都の学校を出してもらって、弁護士資格も持っているそうですよ」

 エヴァンズ警部は胸ポケットから煙草を取りだし、咥えて火を点ける。

「ヴィクトリアは、ジェーン夫人の姉の娘だそうです。実の親父は隣街の職人だったそうだけど、飲むと暴力がひどくて、母親と二人でリンドホルムに逃げ出してきたそうです。父親は酒場の喧嘩で死んで、母親の方も流行り病でポックリ逝っちまったんで、サイラス夫婦が後見人として引き取った。その頃、十三か十四か。正式な養女にする前に、息子のダグラスが手を出しちまったんで、ヴィクトリアは当然、ダグラスの嫁になる気でいるけど、ダグラスの方はそんな気はないってフラフラしてるんです」

 俺も煙草を取り出して口に咥えながら、眉を顰める。

「待てよ、サイラスはダグラスをエルスペス嬢の婿に押し込むつもりだったんだろう? ヴィクトリア嬢は……」

 エヴァンズ警部も不愉快げに顔を歪めている。

「そうですよ。みんな、ダグラスとヴィクトリアの関係も、ダグラスには王都にも女がいて、女関係のやらかしでクビになったのを知っている。そんな男を、当時十六かそこらの伯爵のご令嬢の婿になんてサイラスが言い出して、もう町中がカンカンですよ。もちろん、大奥様……マックス卿の母親のウルスラ夫人は烈火のごとく怒り狂ってね。……要するに、ダグラスは自分に金や財産をもたらす、格上の女を狙っていて、ヴィクトリアは手近な性欲処理の相手でしかなかったんですよ。胸糞悪い話ですが」
「で、ヴィクトリア嬢はまだ……」
「嫁にも行かずに待ってますよ? いずれダグラスは自分と結婚して伯爵になって、自分は伯爵夫人になるつもりでいるけど。……まあ、ダグラスとの関係があそこまで知れ渡っていちゃあ、他に嫁の貰い手もないですがねぇ」

 俺は煙草をくゆらせながら考える。

「……そのヴィクトリア嬢が、黒幕はエルスペス嬢だなんて言っているのか?」
「まあ、キンキン声で騒いでますが、誰も聞いちゃあいませんよ。エルスペス嬢が爵位を取り戻すために、王子を誑かして愛人に収まり、散々貢がせてるだの、王子の代理人の男ともよろしくやってたアバズレだの、下品極まりない噂を声高に喋りまくってますがね」
「何だ、それは……」

 歩きながら煙草を吸い終えたあたりで、ちょうど邸まで戻ってきた。暗くなり始めていたし、執事に一声かけて戻ろうと、玄関ドアに手をかけたところで、ドアが向こうから開かれ、執事が一瞬、息を飲んだ。

「これは失礼……」
「いや、どうも、エルスペス嬢には話も聞けたので、そろそろお暇を……」
「待ちなさいよ、ジョンソン、あたしの話はまだ、終わってないわ!」

 執事のジョンソンの背後で、派手な赤毛の女がキンキン声で叫んでいて、俺は面食らった。

「ヴィクトリア様、警察の方の前ですよ」
 
 ジョンソンが軽く窘めるが、ヴィクトリアと呼ばれた女はまるで怯まず、むしろ標的をこちらに向けてきた。

「ちょうどいいわ! 警部さん! あの女を捕まえてよ! あのお高く止まった泥棒猫が、全ての元凶なんだから!」

 エヴァンズ警部がまた始まったと言わんばかりに、盛大に舌打ちした。

「もう、その話は聞きましたよ。王子殿下が何を考えていようが、庶民の俺たちには関係ない。今はダグラスの行方を掴むのが一番の早道だ。あんたがここでいくら叫んだところで、どうしようもない」
「何よ、この役立たず! あのアバズレをのさばらして! 昔から、あの女はいろんな男に色目を使って、いいよにうに操ってたのよ! ダグラスや、アーチャーや、この前、邸にやってきた、リジーとかいう色男も、あの女に夢中だった。王子の愛人のクセに、他の男に色目使うのは許されるの?! 早くあの女を逮捕しなさいよ!」

 赤い髪を振り乱してキーキー騒ぐ様子は、まさしく盛りのついた野良猫のようだった。さっき、寂れた庭で貴婦人を見てきたばかりだから、豪華な玄関ホールで暴れる姿を見て、余計にダメージが大きい。

 ――たしかに、このお邸からが出てくるのは、勘弁してほしい。庶民の夢が壊れる。

 俺がうんざりした表情で立っていると、ホールの奥から厳しい声が飛んだ。

「ヴィクトリア様! お邸内で何です? 少しは淑女らしさを身につけられてはいかがですか! このリンドホルムの評判にも関わりますわ!」

 ホールの暗がりから出てきたのは、紺のドレスに身を包んだ中年の女。眼鏡をかけ、白髪交じりの髪をピッチリとまとめた、女学校の怖い怖い女校長みたいな厳しさで、俺は内心、震えあがった。ところが、肝心のヴィクトリア嬢には通じてなくて、カッとなって言い返した。

「あら、もうリンドホルムの評判なんて地に堕ちてるわよ! あんたたちのご自慢の、エルスペスお嬢様のおかげで! 婚約者のいる王子を誑かして愛人になって、宝石やドレスを貢がせるだけじゃ足りずに、ついに爵位まで! 今回はあの、色男の代理人は付いてこなかったのね? ホント、淑女が聞いて呆れるわ!」
「色男の代理人……?」

 俺が聞きとがめて呟けば、騒がしい赤毛女は我が意を得たとばかりに、俺に言った。

「エルシーはとんだアバズレよ! 昔っから、あたしのダグラスも誘惑して! ウルスラ婆さんの親戚とかいう、リジーって色男とも絶対、デキてたわ。あたし、見たわ! 庭の楡の木陰で、濃厚なキスをしていたんだから!」
「ヴィクトリア様!」

 ジョンソンが厳しい声で叱責する。

「エルスペスお嬢様は先代伯爵のご令嬢であり、現伯爵夫人の姪のあなたが愚弄することは許されません。まして、アルバート殿下の代理人は王族の配下。この邸には現在、アルバート殿下から派遣された方も滞在なさっています。それ以上、大声で迂闊なことを口にされれば、我々も庇い立てはできなくなります。ご自身のことを思うなら、口を噤みなさい」

 ヴィクトリア嬢はさすがにギュッと唇を噛みしめると、フン!と鼻息荒く踵を返して、暗い邸の奥へと駆け込んでいった。

「申し訳ありません、お見苦しいところを。サイモン卿が逮捕されましてから、ジェーン夫人もヴィクトリア嬢も、取りのぼせていらっしゃるのか、発言が常軌を逸しておりまして……」

 慇懃いんぎんに頭を下げるジョンソンと、諦めたような溜息をつく厳しい雰囲気の女性に、俺は違和感を抱いた。

 逮捕されているが、現在のこのカッスルの持ち主はサイラス・アシュバートンのはずだが、使用人たちに主人への尊敬の念が感じられない。
 ――そもそも、爵位貴族には不逮捕特権があるのに、被害者が前伯爵ということで、警察は身柄の拘束に踏み切った。もちろん、背後にアルバート殿下の強い意向があるのは間違いない。だが、リンドホルム伯爵家の顧問弁護士であるジェファーソン氏は、三年前の代替わりの時点で、持病のリューマチの悪化を理由に弁護士を辞任し、現在、伯爵家には顧問弁護士がいない。息子のダグラスが弁護士資格を持っているらしいが、王都に行ったきり、行方不明で、警察に不当逮捕だと訴える者がいないのだ。

「えーと……」
「家政婦のスミス夫人ですよ」

 エヴァンズが俺の耳元で囁く。紺色のドレスの中年女性が品よく頭を下げる。

「さっき、ヴィクトリア嬢が言っていた、色男云々、ってのは、何です?」

 スミス夫人とジョンソンが、困ったように顔を見合わせる。

「はい、大奥様――ウルスラ夫人の葬儀に、アルバート殿下から派遣された代理人でございます。もともと、大奥様の遠い親族に当たられる方で」
「その男と、エルスペス嬢が親密だったと――」

 ジョンソンが困ったように眉を顰める。

「リジー様はずっと以前、ごくごく短期間ながら、当家にご滞在なさったことがございまして。お嬢様とは昔馴染みと申しますか。……何と申しますか、ヴィクトリア様はエルスペスお嬢様のことは、何でも悪い方にお取りになるところがございまして」
「エルスペスお嬢様がダグラスを誘惑なんて、絶対にございませんよ! ええ! わたくしが断言いたします! お嬢様は昔っから、ダグラスが嫌いで、極力近づかないようにしていらっしゃいましたよ!」
 
 スミス夫人が声を震わせて力説する。まあ、そうだろうなと、俺も思う。ダグラスという男を俺は知らないが、あの騒々しい女に手をつける男だ。そういう男に、さきほどのエルスペス嬢が色目を使うとは、ちょっと思えない。ダグラスに、罵倒されて踏まれたい願望でもあるというなら別かもしれんが。

 ……少し想像してみたら、背筋がゾクッとした。
 
 なんだろう。むしろ俺にこそ、そんな性癖があったのか。

 俺とエヴァンズ警部は帽子にちょっと触れて、リンドホルム城から暇乞いをした。

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