【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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番外編

警視庁ジョン・ウォード警部の捜査日誌⑦

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 検死審問インクエストは無事に終わり、ウィリアム・アシュバートンは毒殺だと認定された。被疑者はリンドホルム城の元執事のディック・アーチャー。現伯爵サイラス・アシュバートンとその息子ダグラスの教唆が疑われているが、サイラスが黙秘を貫き、ダグラスの身柄が確保されていないため、未定。だが、明らかな毒物の兆候を無視して病死の死亡診断書を書いたのは、他ならぬサイラス・アシュバートンである。どう考えても、サイラスの関与は間違いない。――法務省は、容疑が固まり次第、サイラス・アシュバートンの伯爵位を剥奪すると通達してきた。

 十四歳だった弟を殺され、昨年秋に最後の肉親でもある祖母も失った、元伯爵令嬢のエルスペス・アシュバートン嬢は、喪服に身を包んで証言台に立った。氷人形アイスドールとも言われる硬質な美貌には、禁欲的な黒い喪服がよく似合う。背筋を伸ばした凛とした立ち姿は、気品に満ちて威厳すら漂わせている。公会堂を出た途端、待ち構えた新聞記者たちのカメラのフラッシュを浴びたが、青白い光に包まれて、むしろ神々しくさえあった。

 ウィリアム・アシュバートン卿の遺体は、再び柩に納められ、教会に埋葬される。それに先立ち、王都からは二百本もの白薔薇が、わざわざ列車で届けられた。とんでもない金額になると思われるが、愛しい女のためなら何をも惜しむつもりはないのだろう。――どうやら、アルバート王子はいささか気障キザで、派手好きな性格らしい。

 俺はリンドホルム警察の本部で、王都から届けられた最新の記事を読みながら、事件を整理する。
 事件そのものは非常に単純だ。だが、現伯爵のサイラス・アシュバートンによる犯行と断定されれば、爵位の行方がややこしいことになる。俺は、三年前の事情を聴取するついでに、弁護士のジェファーソン氏に尋ねる。

「サイラスが犯人と確定すれば、爵位はどうなります?」

 ジェファーソン氏は針金のように痩せた白髭の老紳士だ。白い眉を顰め、俺をジロリと睨んだ。

「爵位貴族が犯罪を犯した場合、罪の重さによっては、爵位は剥奪される。殺人であれば間違いなく、爵位も、領地も取り上げられ、国が管理する。だが今回の場合は、殺害した被害者も伯爵だ。この場合に爵位領地を国が取り上げれば、被害者の救済という観点からは、外れてしまう」
「……つまり、リンドホルム伯の爵位・領地は国に預かりとはならない」
「本来の継承者に戻されることになるだろう。サイラスが継承する以前の状態に戻される」
「それは……ウィリアム卿が殺される前の状態に」

 俺は首を傾げる。

「ですが、ウィリアム卿には子供はいない。姉のエルスペス嬢に戻るということですか?」
「三年前、わしは自ら王都に出向いて、法務局に代襲相続を申請したが、却下された。マックス卿が戦死した状況を示す、書類が不完全だと。だがマックス卿が戦死したシャルロー村の襲撃は本当に激戦で、あの部隊はほぼ壊滅状態だったことが、最近わかった」
「シャルロー村……」

 俺はその地名をどこかで聞いたと思い、考え込み、思い出した。

「ああ!……俺の女房の姉の夫も、そこで戦死したんですよ!」

 俺の言葉に、ジェファーソン老人が目を見開く。

「なんと! 偶然だな。シャルロー村の、つまりマックス卿の部隊とは、要するにアルバート殿下の部隊だ。二百人の部隊で、生き残ったのはわずか八人。そんな状況で、戦死の詳しい状況なんて、わかるわけがなかろう? マックス卿については、アルバート殿下を身を挺して庇って死んだと、殿下ご自身が証言している。殿下の証言もあるし、サイラス自身がウィリアムの死に関わっていたことが確実なのだから、今度こそ、エルスペス嬢の代襲相続は認められるはずだ」
「……待ってください、つまり、マックス・アシュバートン卿は、アルバート殿下の命の恩人ってことなんですか!」

 ふっと、ある種の謎が解けたような気分だった。
 王子が王都のしがない没落令嬢の事務員に執着したのも、それが恩人の娘だったからだ。
 自分を庇って戦死した恩人の娘が没落していたら、そりゃあ、経済的にも援助したくなるし、そこから恋が生まれることもあるだろう。――だからって『愛人』にするのはどうかと思うが。

「代襲相続が認められれば、エルスペス嬢がアルバート殿下と結婚することも可能ですかね?」

 俺の問いに、しかし、ジェファーソン老人は首を傾げた。

「……どうじゃろうな。爵位も財産もない状態よりはマシかもしれんが、レコンフィールド公爵令嬢との婚約は、議会が承認しておる。まずそれをひっくり返し、かつ、エルスペス嬢との婚約を議会に承認させなきゃならん。マールバラ公爵が後押しをすると言うが、エルスペス嬢には父親も後ろ盾になる家族もいない。リンドホルム伯爵家の経済状態もあまりよくはないしな。何より問題は――」 

 ジェファーソン老人が針金のような身体を少しだけ乗り出してきて、声を潜めた。

「王太子殿下にはまだ、王子がご誕生になっていない。国王陛下はお身体の具合がよろしくなく、ご譲位の意向であるとか。このままだと、アルバート殿下が国王になる可能性が高い。……田舎の伯爵令嬢が、王妃になるのを王都の貴族は嫌うだろう。レコンフィールド公爵令嬢を推す声が大きいのは、そのせいじゃよ」
「でも、アルバート殿下はエルスペス嬢に夢中のようですよ?」

 ジェファーソン老人が白い眉を顰める。

「……まあ、どういうきっかけなのかは知らぬがね。大奥様が亡くなったのは、レコンフィールド公爵家の顧問弁護士が、お二人の関係を暴露したため、ひどいショックを受けられたせいだと聞いた。わしとしてはエルスペス嬢には是非、幸せな結婚をしてほしいところだ。王子殿下もわきまえられるべきと思うがな」

 ジェファーソン老人はエルスペス嬢とアルバート殿下の結婚には、賛成ではないようだ。……まあ、確かに苦労するのは目に見えているしなあ。

 俺は礼を言ってジェファーソン氏の家を辞し、リンドホルムの警察署に戻る。ちょうど、エヴァンズ警部が、今からアーチャーを尋問するというので、同席させてもらうことにした。

 検死審問インクエストの後、アーチャーはこざっぱりしたシャツとトラウザーズを着て、無精ひげも綺麗に剃っていた。

「……エルスペスお嬢様が、あまりに薄汚い姿にショックを受けられたそうで、差し入れてくださいました」

 アーチャーは独身で、身内はもう、養老院に入っている伯母だけだという。身の回りの物を差し入れてくれる者がいないので、検死審問ではかなりくたびれた様子だったが、エルスペス嬢にはそれは衝撃だったらしい。

「私のような罪深い者にまで、お嬢様は本当に――」

 メソメソと泣き出したアーチャーの手には、真新しい木綿のハンカチまであって、それもエルスペス嬢の差し入れかと思うと、少しばかり嫉妬心が沸く。こいつがエルスペス嬢に懸想して、その弱みを握られて脅されて、彼女の弟に毒を盛ったおかげで、彼女は三年も、王都で貧窮に喘ぐ羽目になったのに。……そこまで考えて、気がついた。彼女はアーチャーがダグラスに握られていた、の内容を知らない。

「俺が今日、聞きたいのは――ダグラスとエルスペス嬢の関係だ。ダグラスはエルスペス嬢に気があったのか?」

 俺の問いに、アーチャーは慌ててハンカチをポケットにしまい込むと、居住まいを正す。

「……まあ、私に言わせれば、カッスルの男どもは皆、お嬢様に夢中でございましたよ。幼い頃から本当にお可愛らしくて天使のようで……亡くなった奥様――マックス旦那様の奥方ですが――は、身体の弱いビリー坊ちゃまばかり構って、エルスペスお嬢様のことはほとんど放置状態だったのですが、その分、周りの者はむしろお嬢様びいきでしてね。成長して淑女教育とやらが進むと、あまり表情が変わらなくなりましたが、それもまた氷人形アイスドールという趣で……」 

 アーチャーという言う男、口を開くとエルスペスお嬢様賛美が止まらない。いい年してキモいんだよ。俺はイライラと、木の机を指でコツコツ叩いて遮る。

「質問からズレてるぞ。ダグラスはどうだったんだ」
「ああ、ダグラスはずっと王都にいて、お邸を訪問するのも希でございました。王都で人妻と不倫騒動を起こして、勤めていた事務所をクビになったんですよ。それでリンドホルムに戻ってきた。ちょうど旦那様が戦死なさって、城がバタバタしておりまして、そんな中でお嬢様にちょっかいをかけるものですから――まあ、お嬢様はダグラスが来るとピアノを弾いて、ずっと無視しておられましたね」

 だがそんな中で、ふとしたきっかけで、アーチャーの、エルスペス嬢に向ける妄執に気づかれてしまった。

「……それで、脅された。……でもそんな男がエルスペス嬢の婿に収まったら、まずかったんじゃないのか?」
「まさか、お嬢様の代襲相続が却下されるなんて、想像もいたしませんし、大奥様がついていらっしゃる限り、ダグラスとお嬢様の結婚なんて、あり得ないと思っておりました。大奥様がきっぱりとダグラスとの結婚を拒否なさり、まさかお邸を出ていくなんて――」

 またもや涙ぐんでハンカチで目頭を覆う仕草に、俺の苛立ちは頂点に達する。そもそも、お前がウィリアムの皿に毒を盛ったせいだろうが! なに被害者ぶってんだよ!

「……じゃあ、何でその後もお邸勤めを続けたんだ? 大事なお嬢様もいないのに」

 俺の問いかけに、アーチャーはガンと拳を机を叩く。

「あの! お嬢様の思い出の染みついたお城を、どうして離れられるとでも?! それにもしかしたら、王都での生活に行き詰って戻ってこられるかもと――」
「一縷の望みを捨てきれず、離れられなかった……」

 うっうっとハンカチで顔を覆って嗚咽を漏らす姿に、俺はうんざりする。心底きめぇ。

 俺は話を変えようと、机の上に積んである、証拠物件の写真――合計で二百枚ほどもあった、エルスペス嬢の幼少期からの写真――を手に取る。
 まだほんの赤ん坊のころのものから、フリルたっぷりのエプロンドレスを着た幼少期、そして少しだけ大人になった少女時代。古いものはセピア色に変色しているが、白黒モノクロームの画像に映る姿は、どれも妖精のように美しい。……何枚か貰って帰ったら、叱られるだろうか。証拠物件だしなあ……。

 そんな中に幼い彼女に寄り添う、黒髪の少年の姿を見出す。……まだ十代前半の、先日、エルスペス嬢と一緒にいた、ウィリアムの友人だという少年よりも幼い。エルスペス嬢との年の差を考えれば、ダグラスと同じ年頃かと思うが、髪の色が違う。

「……これは?」

 俺が写真を示すと、アーチャーは顔を歪め、吐き捨てた。

「ああ、それは、リジー坊ちゃんですよ! 忌々しい! 大奥様の葬儀にちゃっかり戻ってきた。王子殿下の側近官だとか言って。いまだにお嬢様に付きまとっているんです!」 
 
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