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番外編
警視庁ジョン・ウォード警部の捜査日誌⑤
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エヴァンズ警部は胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥え、マッチを探してゴソゴソしている。俺は素早くマッチを取り出して擦り、エヴァンズ警部の煙草に火を点けた。彼は美味そうに紫煙を吐き出すと言った。
「アルバート殿下は、おそらくエルスペス嬢の話から、ウィリアムの死因に疑いを抱いた。……秋に、彼女の祖母のウルスラ夫人がなくなって、遺体はリンドホルムに埋葬されましたが、葬儀には代理人まで派遣されて。田舎の伯爵の未亡人としては、破格です。どうもその頃から疑いを持って、特務の者に命じて探らせていたようです」
俺も自分のポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
「それで……ウィリアムの遺体を?」
「ええ。墓地の整備に託けて内密に取り出し、司法解剖を行いました。……その時点で、致死量を超える砒素が出ていた。だが、逮捕状を請求するわけにいきません。三年前に死んだ少年を、司法解剖する理由がないから。それで、殿下は自分が株主になっている新聞に、死因の再調査を行う、というガセ記事を載せた。毒殺の証拠は被害者の死体だけなんです。だから、再調査を恐れた犯人は必ず死体を奪うか、破壊しに来るからと――」
そうして、墓あばきが捕らえた。
「執事のアーチャーだったのは、我々の予想を超えていましたがね」
「……殿下は本気ってことなんですね?」
俺の言葉にエヴァンズ警部が頷く。
「本気も本気でしょう。……大金をはたいて、リンドホルム城を買うつもりだったようですがね」
「……城を?」
「ええ。現伯爵のサイラス・アシュバートンは領地の経営にしくじって、城の、庭の一部を売りに出してました。それを、アルバート王子が買うと言って、手付金まで払っている。……王都の、第三王子がですよ? こんな田舎の寂れた庭なんて買っても、どうしようもないでしょうに。不動産屋には、城の一部を切り売りする場合は、まず言うように、必ず買うから、と念押ししたそうですよ」
俺は煙草の先に灰が長く伸びるのも気づかず、そのまま固まっていた。
「灰が落ちますよ」
「あ、ああ……」
エヴァンズ警部に指摘され、慌てて灰皿に灰を落とす。
「要するにそれは、『愛人』のために?」
俺の問いかけを、エヴァンズ警部が咎めた。
「俺はこの街の出身じゃないんでいいですけど、街中では気を付けてください。エルスペス嬢は、この町では伯爵さまのお姫様です。相続が却下されて城を出ていった時は、大変な騒ぎでした。サイラス・アシュバートンは、大恩ある大奥様とお嬢様を追い出した恩知らずってんで、総スカンを喰ったんです。領地の経営にしくじったのも、そのせいもあるんです。先代以来の代官が、軒並み協力を拒んだそうでね」
「……なるほど。気を付けます」
俺は素直に言い、もう一度尋ねる。
「つまり、王子殿下はエルスペス嬢のために、城ごと買う気でいる。あるいは、ウィリアムの死因を明らかにして、彼女の爵位を取り戻すつもりでいる……」
「ええ、間違いないです。王子は彼女と結婚するために、伯爵の爵位を取り戻しすつもりですよ。本気でね」
俺が彼女に会うことができるかと問えば、エヴァンズ警部はポケットから時計を出して時刻を確かめ、言った。
「ならば、日が暮れないうちの方がいい。今すぐ行きましょう」
警察庁はここ数年、本格的に自動車の導入を図っているので、俺とエヴァンズ警部は自動車でリンドホルム城へと向かった。馬車よりもスピードもあり、騒音も少ない。
荒野の横を突っ走り、ようやく、リンドホルム城の門が見えた。
王都育ちの庶民の俺は、門を越えてもいっこうに見えない邸に不安になる。……ここは本当に個人の住居なのか?
「広いでしょう? 門からお邸の玄関まで、ざっと四マイルですよ。庭には並木道あり、森あり、……ほら、湖まで」
「……べらぼうだな……」
思わず下町の訛りが出てしまった。ようやく見えてきた邸の壮麗さに、俺は息を飲む。
――たしかに、これは城だ。
こんな古城のお姫様が、父を失い、弟に先立たれ、領地の相続を許されず、王都に出てきて、事務員として働いていた――。
玄関前の車止めに止めるのと、重厚な扉が開いて痩せぎすの男が出てくるのがほぼ、同時だった。黒いテールコートにボウタイ。髪をきちんと撫でつけた姿は、間違いなく、邸の執事だろう。
「……あれ、執事は逮捕されたんじゃ……?」
「ああ、第二執事のジョンソンですよ。未亡人について王都に行っていましたが、葬儀でこちらに戻ってきて、遺品の整理を行っていたそうですよ」
「……へえ。正執事と揉めたりはしなかったのか?」
庭を切り売りするくらい困窮しているのに、執事を二人も置けるのか?
「ジョンソンはエルスペス嬢が雇っていたそうです。……金の出どころはアルバート殿下でしょうけどね」
「なるほど」
遺品の整理の名目で、王子は邸内に息のかかった者を置いておいた、ということか。
ジョンソンは丁寧に俺にも礼を取る。
「エルスペス嬢にお話をお伺いしたいのだが」
「お嬢様はお庭にいらっしゃいます。お呼びしてまいりますので、しばらくこちらで――」
いかにも重厚そうな、薄暗い玄関ホールは早くも夕闇が忍び寄っていて、幽霊が出そうな雰囲気。そんなところで待つのは嫌だ。
「差支えなければ、庭も見せていただきたい。ご令嬢のいるのはどのあたりか、教えていただければ」
ジョンソンはあっさりと頷き、俺とエヴァンズ警部に指差して説明する。
「こちらの道をまっすぐに行かれますと、生垣の幾何学庭園があります。その、さらに奥の小さな門の向こうは、有刺鉄線で区切られておりましたが、現在、錠前は外されてございます。そちらがお嬢様のお気に入りのお庭でございまして。現在はすっかり寂れてございますが、いつもそのあたりにいらっしゃいます」
今回、ウィリアムの友人の少年も滞在中で、彼を案内しているはずだと言われ、俺とエヴァンズ警部で後を追う。とんでもなく広い庭だが、財政難の伯爵家では手入れが行き届いているのは、辛うじて幾何学庭園のあたりまでだった。その向こう、林を抜ける小道を通り過ぎると、小さなアーチがあり、蔦の絡んだ塀と生垣に、有刺鉄線が巻かれている。
「この奥ですかな。……ここから先を売る予定だったみたいですな」
エヴァンズ警部が言い、俺が思い出す。
「王子が買ったというのは、この奥か!」
有刺鉄線は人が通れる程度には広げられていたので、俺たちはコートを引っかけないように、慎重に中に入る。かなり長いこと放置されているらしい、寂れた庭。両側を蔦に覆われた塀が続き、十字路の中心に水の止まった噴水がある。花壇も手入れされず、枯れて雑草が蔓延っていた。
かつては美しい庭だったのかもしれないが、今は見る影もない。
「……愛しい女のためとはいえ、こんな庭に大金を払おうなんて、王子もどうかしてるな」
周囲を見回しながらエヴァンズ警部が言い、アッと小さく叫んで声を上げる。
「おーい! ミス・アシュバートン?」
カーブした小道のかなり先に、ベージュのコートを着た女と、わずかに背の高い、こげ茶のジャケット姿の男がいた。二人が振り向いて立ち止まったので、俺たちも足を速め、小走りで近づく。
女はベージュの上品なツイードのコートにワインカラーのベレー帽を被り、くすんだ金髪は綺麗にウェーブがかかって白い顔を取り巻いている。スカートはこげ茶のチェックで、足元は茶色い編み上げブーツ。こちらを見つめる瞳はブルー・グレイで、金色の長い睫毛が目を取り巻き、白い肌に頬は少しだけ上気して、唇は花びらのように可憐だった。
……はっきり言う。
魔性の女とか、そういう雰囲気はない。俺はそういう女は、どっちかと言えば肉感的な、情熱的なタイプだと想像していたから。目の前の彼女は、ゴシップ紙が氷人形ともてはやした通り、冷たい美貌。お堅くてまだまだ青い実のような感じ。これに貢いでも、指一本、触れさせてもらえなそうだ。
隣にいるのはまだ青臭い少年。十六、七歳と言ったところ。警戒するように俺たちを見て、すっとエルスペス嬢の前に立って守るような仕草を見せた。
……まるで、女神を守る騎士か眷属といった趣。少年少女の健全な関係。
これが本当に、第三王子殿下の、『愛人』?
俺が観察していると、エヴァンズ警部が言う。
「ああ、よかった、追いついた! 王都の警視庁のウォード警部です。少しお話をお伺いしたいそうです」
「ジョン・ウォードと言います。ミス・アシュバートン?」
俺が中折れ帽を持ち上げて挨拶すると、少女が少しだけ口角を上げた。――微笑んでいるのに、感情が見えない、見事な古代的微笑!
「はじめまして。……こちらはミスター・アレックス・マクガーニ。ビリーの友人です」
その声を聞いた瞬間に、俺の背筋をゾクッとした何かが駆け抜けた。
やや低い、しっとりとした標準発音。硬くて青い見た目の奥の、豊かな甘い果実の存在を予感させる声だった。声のせいなのか、言葉遣いなのか、あるいは間の取り方なのか。冷たくて素っ気ないのに、もっともっと聞きたくなる。
紹介された少年も、少し顔を赤らめて会釈をする。……彼もこの声と雰囲気に魅了されているのだ。
俺は彼女の声をもっと聞きたいと思いながら当日の話を振る。彼女の白い顔が青ざめ、長い睫毛を伏せる。その様子に、隣の少年がすごい目で睨んできて、俺は慌てて話題を変えた。
「この庭を、アルバート殿下が買おうとしていたのは、本当ですか?」
すっかり放置され、寂れた庭。王都住まいの王子が買う理由など、彼女のため以外には、まったく思い当たらない。彼女は素直に頷く。
「切り売りされたくなくて、殿下が押えました」
「あなたのために?」
俺がまっすぐに彼女を見て問いかければ、そのブルー・グレイの瞳にわずかに動揺が走る。
「ええ。……でも、強請ったわけではありません。わたしはこの庭が売りに出ていることも知りませんでした」
俺は尋ねる。
「アルバート殿下は、あなたと結婚したがっている」
「ええ」
その質問に、彼女は何の迷いもなく頷いた。……レコンフィールド公爵令嬢とのことは、どう思っているのだろう? 王子とはいえ婚約者のいる男に口説かれ、貢がれ、奪われた領地を取り戻そうとしているのか?
ふと、弟の死そのものをどう考えているのか、疑問に思う。
「ここに来る前、アーチャーを尋問してきたのですがね」
アーチャーの話を振ると、彼女はブルーグレイの瞳を見開き、信じられない、と言った。アーチャーの隠された執着にも気づいていないようだった。
寂れた庭のある、古城。そして、美少女。
幾人もの男が彼女に魅了され、彼女とこの城を手に入れようと犯罪にまで手を染めた。
ダグラス、アーチャー、そしてアルバート王子。
『魔性の女エルスペス・アシュバートン』
新聞の煽り文句を思い出し、俺は不意に恐ろしくなった。
あまり長くここにいたら、俺もまた、彼女に魅了されてしまうのではないか――。
俺は帽子を持ち上げると、一礼して踵を返した。
「アルバート殿下は、おそらくエルスペス嬢の話から、ウィリアムの死因に疑いを抱いた。……秋に、彼女の祖母のウルスラ夫人がなくなって、遺体はリンドホルムに埋葬されましたが、葬儀には代理人まで派遣されて。田舎の伯爵の未亡人としては、破格です。どうもその頃から疑いを持って、特務の者に命じて探らせていたようです」
俺も自分のポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
「それで……ウィリアムの遺体を?」
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「……殿下は本気ってことなんですね?」
俺の言葉にエヴァンズ警部が頷く。
「本気も本気でしょう。……大金をはたいて、リンドホルム城を買うつもりだったようですがね」
「……城を?」
「ええ。現伯爵のサイラス・アシュバートンは領地の経営にしくじって、城の、庭の一部を売りに出してました。それを、アルバート王子が買うと言って、手付金まで払っている。……王都の、第三王子がですよ? こんな田舎の寂れた庭なんて買っても、どうしようもないでしょうに。不動産屋には、城の一部を切り売りする場合は、まず言うように、必ず買うから、と念押ししたそうですよ」
俺は煙草の先に灰が長く伸びるのも気づかず、そのまま固まっていた。
「灰が落ちますよ」
「あ、ああ……」
エヴァンズ警部に指摘され、慌てて灰皿に灰を落とす。
「要するにそれは、『愛人』のために?」
俺の問いかけを、エヴァンズ警部が咎めた。
「俺はこの街の出身じゃないんでいいですけど、街中では気を付けてください。エルスペス嬢は、この町では伯爵さまのお姫様です。相続が却下されて城を出ていった時は、大変な騒ぎでした。サイラス・アシュバートンは、大恩ある大奥様とお嬢様を追い出した恩知らずってんで、総スカンを喰ったんです。領地の経営にしくじったのも、そのせいもあるんです。先代以来の代官が、軒並み協力を拒んだそうでね」
「……なるほど。気を付けます」
俺は素直に言い、もう一度尋ねる。
「つまり、王子殿下はエルスペス嬢のために、城ごと買う気でいる。あるいは、ウィリアムの死因を明らかにして、彼女の爵位を取り戻すつもりでいる……」
「ええ、間違いないです。王子は彼女と結婚するために、伯爵の爵位を取り戻しすつもりですよ。本気でね」
俺が彼女に会うことができるかと問えば、エヴァンズ警部はポケットから時計を出して時刻を確かめ、言った。
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王都育ちの庶民の俺は、門を越えてもいっこうに見えない邸に不安になる。……ここは本当に個人の住居なのか?
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「ああ、第二執事のジョンソンですよ。未亡人について王都に行っていましたが、葬儀でこちらに戻ってきて、遺品の整理を行っていたそうですよ」
「……へえ。正執事と揉めたりはしなかったのか?」
庭を切り売りするくらい困窮しているのに、執事を二人も置けるのか?
「ジョンソンはエルスペス嬢が雇っていたそうです。……金の出どころはアルバート殿下でしょうけどね」
「なるほど」
遺品の整理の名目で、王子は邸内に息のかかった者を置いておいた、ということか。
ジョンソンは丁寧に俺にも礼を取る。
「エルスペス嬢にお話をお伺いしたいのだが」
「お嬢様はお庭にいらっしゃいます。お呼びしてまいりますので、しばらくこちらで――」
いかにも重厚そうな、薄暗い玄関ホールは早くも夕闇が忍び寄っていて、幽霊が出そうな雰囲気。そんなところで待つのは嫌だ。
「差支えなければ、庭も見せていただきたい。ご令嬢のいるのはどのあたりか、教えていただければ」
ジョンソンはあっさりと頷き、俺とエヴァンズ警部に指差して説明する。
「こちらの道をまっすぐに行かれますと、生垣の幾何学庭園があります。その、さらに奥の小さな門の向こうは、有刺鉄線で区切られておりましたが、現在、錠前は外されてございます。そちらがお嬢様のお気に入りのお庭でございまして。現在はすっかり寂れてございますが、いつもそのあたりにいらっしゃいます」
今回、ウィリアムの友人の少年も滞在中で、彼を案内しているはずだと言われ、俺とエヴァンズ警部で後を追う。とんでもなく広い庭だが、財政難の伯爵家では手入れが行き届いているのは、辛うじて幾何学庭園のあたりまでだった。その向こう、林を抜ける小道を通り過ぎると、小さなアーチがあり、蔦の絡んだ塀と生垣に、有刺鉄線が巻かれている。
「この奥ですかな。……ここから先を売る予定だったみたいですな」
エヴァンズ警部が言い、俺が思い出す。
「王子が買ったというのは、この奥か!」
有刺鉄線は人が通れる程度には広げられていたので、俺たちはコートを引っかけないように、慎重に中に入る。かなり長いこと放置されているらしい、寂れた庭。両側を蔦に覆われた塀が続き、十字路の中心に水の止まった噴水がある。花壇も手入れされず、枯れて雑草が蔓延っていた。
かつては美しい庭だったのかもしれないが、今は見る影もない。
「……愛しい女のためとはいえ、こんな庭に大金を払おうなんて、王子もどうかしてるな」
周囲を見回しながらエヴァンズ警部が言い、アッと小さく叫んで声を上げる。
「おーい! ミス・アシュバートン?」
カーブした小道のかなり先に、ベージュのコートを着た女と、わずかに背の高い、こげ茶のジャケット姿の男がいた。二人が振り向いて立ち止まったので、俺たちも足を速め、小走りで近づく。
女はベージュの上品なツイードのコートにワインカラーのベレー帽を被り、くすんだ金髪は綺麗にウェーブがかかって白い顔を取り巻いている。スカートはこげ茶のチェックで、足元は茶色い編み上げブーツ。こちらを見つめる瞳はブルー・グレイで、金色の長い睫毛が目を取り巻き、白い肌に頬は少しだけ上気して、唇は花びらのように可憐だった。
……はっきり言う。
魔性の女とか、そういう雰囲気はない。俺はそういう女は、どっちかと言えば肉感的な、情熱的なタイプだと想像していたから。目の前の彼女は、ゴシップ紙が氷人形ともてはやした通り、冷たい美貌。お堅くてまだまだ青い実のような感じ。これに貢いでも、指一本、触れさせてもらえなそうだ。
隣にいるのはまだ青臭い少年。十六、七歳と言ったところ。警戒するように俺たちを見て、すっとエルスペス嬢の前に立って守るような仕草を見せた。
……まるで、女神を守る騎士か眷属といった趣。少年少女の健全な関係。
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「ああ、よかった、追いついた! 王都の警視庁のウォード警部です。少しお話をお伺いしたいそうです」
「ジョン・ウォードと言います。ミス・アシュバートン?」
俺が中折れ帽を持ち上げて挨拶すると、少女が少しだけ口角を上げた。――微笑んでいるのに、感情が見えない、見事な古代的微笑!
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その声を聞いた瞬間に、俺の背筋をゾクッとした何かが駆け抜けた。
やや低い、しっとりとした標準発音。硬くて青い見た目の奥の、豊かな甘い果実の存在を予感させる声だった。声のせいなのか、言葉遣いなのか、あるいは間の取り方なのか。冷たくて素っ気ないのに、もっともっと聞きたくなる。
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俺は彼女の声をもっと聞きたいと思いながら当日の話を振る。彼女の白い顔が青ざめ、長い睫毛を伏せる。その様子に、隣の少年がすごい目で睨んできて、俺は慌てて話題を変えた。
「この庭を、アルバート殿下が買おうとしていたのは、本当ですか?」
すっかり放置され、寂れた庭。王都住まいの王子が買う理由など、彼女のため以外には、まったく思い当たらない。彼女は素直に頷く。
「切り売りされたくなくて、殿下が押えました」
「あなたのために?」
俺がまっすぐに彼女を見て問いかければ、そのブルー・グレイの瞳にわずかに動揺が走る。
「ええ。……でも、強請ったわけではありません。わたしはこの庭が売りに出ていることも知りませんでした」
俺は尋ねる。
「アルバート殿下は、あなたと結婚したがっている」
「ええ」
その質問に、彼女は何の迷いもなく頷いた。……レコンフィールド公爵令嬢とのことは、どう思っているのだろう? 王子とはいえ婚約者のいる男に口説かれ、貢がれ、奪われた領地を取り戻そうとしているのか?
ふと、弟の死そのものをどう考えているのか、疑問に思う。
「ここに来る前、アーチャーを尋問してきたのですがね」
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寂れた庭のある、古城。そして、美少女。
幾人もの男が彼女に魅了され、彼女とこの城を手に入れようと犯罪にまで手を染めた。
ダグラス、アーチャー、そしてアルバート王子。
『魔性の女エルスペス・アシュバートン』
新聞の煽り文句を思い出し、俺は不意に恐ろしくなった。
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