【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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番外編

警視庁ジョン・ウォード警部の捜査日誌③

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 俺がエルスペス・アシュバートン嬢と本格的に関わることになったのは、例の三年前の少年伯爵殺しが発覚してからだ。

 アルバート殿下はビルツホルンに軍縮会議の全権大使として出席し、そこに例の女を連れていったとかなんとか。ちょうど王都に戻ってきてすぐに、俺たちも聖誕節の休暇に入り、そうして、新年の二日に長患いの末に、第二王子のジョージ殿下の薨去こうきょが伝えられた。
 雪の中行われた葬儀には、俺たち警視庁ヤードの警官――王都の市民には市警と呼ばれる――も警備のために駆り出された。翌日、第三王子のアルバート殿下が、警官の労をねぎらうために、わざわざ警視総監を表敬訪問なさった。その時に俺は、初めて実物のアルバート殿下の姿を、遠くから見た。

 背の高い、すらりとした均整の取れた体格に、陸軍の軍服が憎らしいほどよく似合う。黒髪は後ろに撫でつけて固め、開襟ジャケットの襟元の黒いタイには、サファイアのタイピンが光る。
 絵入り新聞イラストレイテッド・ニュースの、やや潰れた白黒写真で見るよりも、うんと精悍で整った容姿をしている。金色の瞳は野性的で妙に色気もあって、女たちが騒ぐのも頷ける。
 アルバート殿下は警視総監と握手を交わし、市警の全員にいきわたるように、と王室御用達の工廠の紙巻煙草シガレットを配って、やや気障キザったらしい敬礼を決めて、帰っていった。――そのころ、王都の西の所轄は、とんでもないことになっていたが、それを知ったのは殿下が去ってからだ。

 殿下の住むオーランド邸は王都の西郊外にある。
 その日、なんと王妃陛下と王太子妃殿下が、アルバート殿下の邸に押しかけ、滞在中だった『愛人』に乱暴狼藉を働いた。『愛人』は見知らぬ老女に踏み込まれ、警察に助けを求め、警官が駆け付けて老女を拘束しかかったところで、王太子殿下がやって来て、母と妻とを回収していったという。運の悪いことに、アルバート殿下と『愛人』は現在、王都のゴシップ紙の最大の標的だった。だからオーランド邸にも新聞記者が貼りついていて、王妃の醜態は彼らのカメラに収められてしまった。

 正直言って、これはなんと評していいか、わからなかった。

「まずそもそも、結婚もしていない『愛人』が、王子殿下の邸にいるのがおかしいのよ!」
「だからと言って、招かれもしない息子の家に、あによめを引き連れて押しかけ、勝手に踏み込んで暴れるなんて、一国の王妃のすることじゃないわ」

 妻・マギーと義姉・スーザンの間の論争、どちらもそれなりに言い分があって、俺はどちらにも軍配を上げることができない。

 ただ俺にはっきりわかったのは、もはや誰が何と言おうが、アルバート殿下は『愛人』エルスペス・アシュバートン嬢を諦めるつもりはないのだと、いうこと。

 俺が市警の休憩室で大衆紙タブロイドに目を通していると、上司のマーロン・ベイカー本部長がやってきた。

「そんなくだらないものまで読んでいるのか」 

 コーヒーをカップに注ぎながら言われて、俺は苦笑する。

「ええまあ。家では読めませんしね」

 ベイカー本部長は俺が見ているのが、アルバート殿下の『愛人』の記事だと気づいて、言った。

「困ったもんだな、王子様も。……まあ、たしかになかなかの色男だったが。第二王子が死んだ以上、王位継承順位も繰り上がるのに。王妃陛下を不法侵入と器物破損で告発するなんて、やりすぎだ」
「ちょうど、雇ったばかりのアルティニア出身のメイドが、錯乱して助けを求めて走ったそうですね。知らない老女が家に入ってきたら、警察を呼ぶのは当たり前だと」
「まあ、そうなんだがな」

 ベイカー本部長が、比較的鮮明に映っている、彼女の写真の載った紙面を手に取り、眼鏡をずらす。

「……美人だな。ある種の魔性の女ファム・ファタルなのは、間違いないかもしれん」

 アルバート殿下の『愛人』の噂が出始めた時、彼女の方から金目当てで王子に近づいた、という報道がほとんどだった。だが最近、むしろ王子の方から彼女の美しさに目をつけ、経済的困窮を利用して純潔を奪って囲い込んだ、なんて記事も出始めていた。

 俺は以前に読んだ、彼女が元・伯爵令嬢で、父の戦死によって領地も財産も失った、という記事を思い出していた。しかも、病気の祖母を抱えていた。だいたい相手は王子だ。金のために王子を誘惑したとしても、誘惑に乗った男だって非難されてしかるべきなのに。――俺は少しばかり、『愛人』に同情し過ぎだろうか?





 故リンドホルム伯爵であったウィリアム・アシュバートンの墓が暴かれ、遺体から致死量を上回る砒素が検出された、というニュースを聞いたのは、その直後だ。
 リンドホルム伯爵で、アシュバートンという姓に、俺はすぐに、アルバート殿下の『愛人』の関係者だと気づき、夕刊紙の記事を俺は舐めるように読んだ。

 ウィリアムが死んだのは、三年前の聖誕節の休暇中。十四歳の彼は、寄宿学校の生徒で、その秋に父親の戦死で爵位を継ぎ、休暇で故郷に戻り、家族や親族と夕食を共にしていた。同席していたのが、彼の父の従兄で、当時は彼の主治医でもあったサイラス・アシュバートン――現リンドホルム伯爵。苦しみ出した彼を、主治医のサイラスが治療するが死亡し、アレルギーによるショック死と診断されていた。

 その記事を読んだ段階で即座に思う。

 怪しすぎるだろう。なぜ、誰も警察に届け出ていないのだ。もし、警察に届け出れば司法解剖が行われ、検死審問インクエストが開かれ――。

 そこまで考えて気づく。
 直前に、出征していた父親は戦死。死んだ伯爵がわずか十四歳というのにも驚く。同席していた主治医が治療に当たったのに死亡した。母親はすでに亡く、家族は祖母と姉。当然、執事やらもいただろうが、この主治医が後で伯爵位を継承しているのだ。丸め込まれていた可能性が高い。主治医が病死の診断書を出せば、検死審問は開かれず、そのまま埋葬される。

 俺が夕刊紙を繰り返し読んでいると、ベイカー本部長がやってきた。

「ウォード! すまないが、これからストラスシャーに飛んでくれんか。今からなら、日に一便の列車に乗れるはずだ」
「リンドホルムですか!」
「ああ。あちらの警察から、応援要請が来た。奴さん、例の、王子の『愛人』の弟だ。墓あらしを捕まえたのも、アルバート殿下の配下だそうだ」
「なんですって?」

 俺が身を乗りだせば、ベイカー本部長が俺の耳元に口を寄せ、小声で言った。

「例の『愛人』は弟の死後、代襲相続を却下されている。もし、弟の死が現伯爵による殺人だった場合、リンドホルム伯爵の継承がひっくり返る」
「……つまり、彼女が爵位を取り戻せるかもしれないと?」

 ベイカー本部長が頷く。

「少々、厄介なことになると思う。州の警察本部じゃあ、手に余る」
「……わかりました。すぐに発ちます」

 俺は、机の引き出しにため込んだ大衆紙タブロイドの切り抜きを鞄に詰め込んで、その夜の夜行でリンドホルムに向かった。





 俺は一等車の座席に陣取ると、鞄から取り出した俺の『愛人』コレクション――つまり大衆紙の切り抜き――を改めて時系列の順に並べ、メモを取りながら読み直す。

 最初の方は八月くらいのもの。アルバート殿下が最近、見慣れない女とレストランに出没する、というもの。女は金髪で、まだ若いが派手なドレスを着ている……そんな短い記事。そのうちに、十番街にあるドレス・メーカーである、ローリー・リーンのメゾンに連れ立ってやってきただの、旧ワーズワース邸の催しにやってきた二人がそれっぽいだの。書かれているのは、女の服装が派手だの、高価な装身具の話。ローリー・リーンというのは、東洋の高価な絹を使った、最新流行のドレスを作る、新進のデザイナーだそうだ。

『まっすぐで直線的な型紙パターンなのよ。使う布地が東洋のもので、東洋的オリエンタル異国風エキゾチックなデザインがだそうよ』

 妻のマギーが説明してくれたが、俺にはよくわからん。だが、ローリー・リーンのドレスが王都では人気で、そしてそれなりに値が張るのは確からしい。

 初期の報道は、王子の連れまわす女は派手好きで、王子に貢がせて高価なドレスや装身具を買わせている――その対価としての、身体の関係を匂わせる――そういう記事がほとんどだ。必ずと言っていいほど、婚約間近とされる、レコンフィールド公爵令嬢への同情の言葉で締められている。

 王子のと、それに心を痛めるけなげな公爵令嬢――そんな構図を無意識に描いていたのだろう。
 
 だが、戦前・そして戦中はしばしば報じられた、王子と公爵令嬢の記事は、ほとんど出なくなる。一度、歌劇場で話題のオペラを観劇した、という記事を見た記憶があるが、『愛人』が登場しなかったので、俺のセンサーが働かなかったのか、記事を残していない。

 普通に、王子は公爵令嬢にはほとんど近寄っていない、ということだろう。にもかかわらず、周囲は婚約を推し進め――。

 俺はコレクションを纏めていた封筒をあさる。
 ほとんどが大衆紙タブロイドだが、正式な婚約発表の記事は高級紙クオリティー・ペーパーにも載った。……これによると、アルバート殿下は「婚約は自分の意志ではない」との談話を発表している。

 俺は無意識に眉間を押えた。

 俺は貴族ではないから、貴族社会のキマリやしきたりは知らないが、これは相当じゃないのか?
 例え自分の意志に拠らずに婚約しなければならなくなったとしても、普通、「俺の意志じゃないから」なんて口にしないだろう。
 俺はアルバート殿下、という人間を知らない。ジョージ殿下の葬儀の翌日に、遠くから見ただけ。でも見かけは普通そうに見えた。戦地でかなりの戦功を挙げているし、知能は人並み以上のはずだ。

 その彼が「婚約は自分の意志ではない」とはっきり言う。結婚の拒否に等しい。王族の結婚は、一般市民のそれはとは違い、政略結婚もあるに違いないが、それでも――。
 
 俺はベイカー本部長の話を思い出す。
 
 墓あらしを捕まえたのは、アルバート殿下の配下の者だった。前伯爵の死が病死でないとするとリンドホルム伯の爵位は、その姉の元に戻るかもしれない。

 もしかして、彼女は弟の死の真相を暴くために、王子に近づいたのか?

「……王子様が、本気で『愛人』と結婚したがってるとすれば……?」

 結婚のためには、彼女が爵位を取り戻すことがどうしても必要で、そのためには、弟の死が毒殺だと暴くのが早道だ。

 俺は手元の、大衆紙の切り抜きに視線を落とす。

魔性の女ファム・ファタルエルスペス・アシュバートン』

「……いったい、どんな女なんだろうな……」

 俺は窓の外の暗闇に向けて、呟いた。
 
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