【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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番外編

警視庁ジョン・ウォード警部の捜査日誌①

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「ほんっと素敵よね! このドレスの清楚で可憐なこと! 見てよあなたも!」

 妻のマギーが絵入り新聞イラストレイテッド・ニュースの紙面を指してはしゃいでいる。俺は朝食を食べながら、横目にチラリと見て、言った。

「見たよ、さっき。綺麗だな」 
「もう、ほんとにご覧になったの? こんなに綺麗なのに……」

 妻が手にしている絵入り新聞の写真は、先週行われた第三王子アルバート殿下の結婚式のもの。女たちは美青年の殿下にも夢中だが、それより注目を集めたのは、シンデレラのように王子の心を射止めたエルスペス妃。白黒モノクロームの写真ではわかりにくいけれど、純白のウェディングドレスに白いヴェール、白薔薇のブーケを手に、殿下に寄り添って微笑んでいる。白黒でも十分にわかる美女。でも俺は間近に見たから知っている。実物はもっと美女だ。……いや、美少女って感じだったな。

 俺はそんなことを思いながら、朝のコーヒーを啜り、もう一部、俺用に購読している高級紙クオリテォ・ペーパーを手に取る。そして目を見開いた。

「おい、元首相が死んだぞ」
「ええ? 誰がです?」
「バーソロミュー・ウォルシンガムが死んだ」

 俺に言われて、しかし、妻は一瞬、誰だかわからないという風に首を傾げ、「ああ」、とようやく合点した。

「前の首相ね! 議会でエルスペス妃を苛めた、厭味な男」
「ウサギ狩りの最中に流れ弾に当たったらしい」
「んまあ、いい気味!っ……と。亡くなった方によくないわね。神よ、お許しを……」

 妻が慌てて胸元で聖印を切り、神に許しを請うた。その様子を右目の端に入れながら、俺は記事を読む。ウォルシンガムは保守派で、現在、議会に提出されている、貴族の爵位・領地の女児への継承を認める改正案にも反対派だった。当然、女王にも反対で――。

 姪のレコンフィールド公爵令嬢をアルバート殿下の妃にと推して、エルスペス嬢の代襲相続を却下していたのがアルバート殿下ご自身によって議会で暴かれ、首相を退陣して領地に引っ込んでいた。でも、おそらく反省の色はなくて、ほとぼりが冷めたら戻ってくるつもりだったんだろう。それがあっさりとねぇ……。

 そんなことを思いながら、俺は新聞を丹念に読んでいく。前首相の死のニュースの外は、議会の動向。現首相のエルドリッジ公爵は穏健派でありながら女児の継承法に前向きだ。王太子妃の父親ってことは、つまりは王太子の三人の王女様の祖父だから、女王の継承にも賛成派なんだろう。だが王室の継承法の改正案は、しばらくは提出しないと明言した。記者の質問に対しては、『国王陛下、並びに王太子殿下のご意向』とだけ答える。俺も正直言って、女王には反対だ。レイチェル王女はまだ十歳、一方のアルバート殿下は二十六歳で、戦場では「ランデルの金狼」なんて呼ばれて、数々の殊勲を挙げている。そんな立派な王子の継承権を下げてまで、海の者とも山の者とも知れぬ、王女様に継承権を移すなんて、ばかげていると思う。
 
 そうして紙面を目で辿り、死亡告知欄に至る。これは職業柄、読んでおかないといけない。貴族の代替わりは、思わぬ事件に発展することがあるから。

『エルザベス・ルーサーフォード、故コーガン伯爵の未亡人、八十二歳、肺炎にて死亡。』……大往生だな。まあ、こんな婆さんの死亡はどうでもいいか。ええっと次は……『セオドア・グローブナー、五十五歳』、まだ若いな? というか聞いたことがあるような……『前レコンフィールド公爵、元法務長官、王妃エレイン陛下の弟』……えええええ?!

 俺はガバリと身じろぎして、新聞に顔を近づける。

『死因は短銃の暴発による事故。喪主は嫡男のレコンフィールド公爵チャールズ・グローブナー卿、葬儀は領地の……』

 俺の様子に気づいた妻が声をかける。

「どうかなさったの、あなた」
「いや……レコンフィールド公爵が、死んだ」
「レコンフィールド公爵? ……もしかして、ステファニー嬢の父親の?」
「そうだ。短銃の暴発事故だとあるが……」
「自殺じゃないのぉ?」

 妻のマギーがあっけらかんと言い、俺はギョッとして妻の顔を見る。

「……何でそう思う?」
「だって、レコンフィールド公爵令嬢って、アルバート殿下に婚約破棄された後、大人しくしているかと思いきや、なんと親友だったシュタイナー伯爵令嬢の婚約者だった男と、新大陸に駆け落ちしちゃったでしょ?! 考えてもご覧なさいよ、王様の勅書をわざと隠してまで、自分の娘を王子妃にしようと頑張ってたのに、王宮舞踏会で婚約破棄された挙句、親友の婚約者を掠奪して駆け落ちよ?! 最高の淑女だの、王子のお戻りを待ち続けるけなげなご令嬢だの、今までの話はいったい何だったの?ってなるじゃない。うちのレイチェルがそんなことしようものなら、あたし自身で新大陸に乗り込んで、首根っこ引っ掴んで連れて帰ってきて土下座させるけど、お貴族様はそうもいかないんでしょうね、その分、心労も溜まってたんじゃないかしら?」

 マギーは俺のカップにコーヒーのお替りを注ぎながら、滔々と語る。たしかに俺たちの娘のレイチェルが――娘は王女殿下にちなんで名付けた――結婚式当日の男と駆け落ちなんかかました日には、むしろ俺たちの寿命が半端なく縮むだろうとは思ったが、しかし自殺までするだろうか? それに――。

 俺は新聞の一面を飾る、前首相の死亡記事を見る。

 偶然? でもなあ……。

 そんな俺の思案を無視して、妻は自分のカップにもコーヒーを注ぎ、砂糖とミルクをたっぷり入れてかき回して、美味そうに一口飲んだ。

「でも、いい気味よね、王子が戦場にいるのをいいことに、婚約は白紙に戻っているのに、相思相愛の婚約者気取りだった女と、それを王子妃に押し込もうとしていた父親には、似合いの結末よ! せいせいするわ」

 妻の言葉に俺は正直、複雑な気分になる。……ほんの数か月前、アルバート殿下が王都に戻ってくる頃は、ステファニー嬢とアルバート殿下の幼馴染カップルを、全力で応援してたじゃないか。殿下に愛人がいるって噂が流れ始めたときは、「賤しいアバズレが!」って下品な言葉で罵っていたくせに。あれからまだ、一年にもならないのに。人の噂ってのは、本当にアテにならない。

 俺は諦めて高級紙を折り畳んでテーブルの上に置き、残ったコーヒーを飲み干してから、立ち上がった。

「今夜は遅くなるの? わたし、今日は署長の奥様主催のお茶会なんだけど」
「ああ、今日はそんなたいした事件はないと思うが、少し遅くなるかも。適当に食べていてくれて構わない」
「そう、じゃあ食事はスプーン夫人に適当に用意してもらうわ」

 俺は妻の頬に軽くキスをすると、上着を羽織り、帽子を被って警視庁ヤードに出勤した。






 警視庁で俺が現在、担当しているのは、三年前の少年伯爵毒殺事件と、それに派生する形で発覚した、十年前の伯爵嫡男刺殺事件、それからその後の、貿易商の毒殺事件。貴族が関わっているからただでさえ厄介なのに、とにかくとびっきり面倒な人物が関わっていて、裁判のための証拠固めには、慎重の上に慎重を期する必要がある。

 なぜなら、三年前に毒殺された少年伯爵はリンドホルム伯爵ウィリアム・アシュバートン卿。……先週、第三王子のアルバート殿下と晴れて華燭の典を挙げた、エルスペス妃の弟だ。その犯人は先代伯爵の従兄にして、ウィリアム少年の主治医だった、サイラス・アシュバートンと、その息子ダグラス。さらにダグラスと彼の愛人のデイジー・フランクが、十年前のロックィル伯爵嫡男クリストファー・カーティス卿の殺害と、二年前のデイジーの夫、ロドリー・フランクの殺害まで自供したからたまらない。本来ならとんでもないスキャンダルになるはずが、ちょうど同じころに起きた、アルバート殿下の婚約破棄と、エルスペス妃との秘密結婚騒ぎで相殺されてしまった形だ。

 そもそもが、三年前の毒殺事件の発覚自体、アルバート殿下の差し金だ。
 俺は警視庁の自分の席で、書きかけの報告書を取り出し、読み直す。――まったく、とんでもない執念だ。

 第三王子アルバート殿下は戦争中、グリージャ軍の奇襲で九死に一生を得た。その時、殿下の盾になって死んだのが、先代リンドホルム伯爵であるマックス・アシュバートン中佐。殿下はその恩に報い、遺族を支援するために、残された伯爵の令嬢である、エルスペス・アシュバートンとの結婚を決意する。――後の、議会での証人喚問で、実は三年前に、国王陛下から結婚を許可する勅書を得ていたことが発覚した。殿下はその勅書を盾に伯爵令嬢に結婚を申し込むつもりで、帰国したってわけだ。

 ところが、国に戻ってきたら、跡継ぎの少年伯爵ウィリアム卿は急死して、本来、認められるべき代襲相続が却下され、エルスペス嬢と祖母は領地を追い出されて王都で事務員をしていた。殿下はびっくり仰天だ。

 そりゃそうだ、伯爵令嬢ならともかく、領地も爵位も失ったただの事務員と第三王子の結婚なんて、いくらなんでも無理だ。
 でも王子は諦めず、事務員をしていたエルスペス嬢を口説いて愛人にし――俺に言わせれば、まずこれがおかしいんだけど――、彼女の爵位を取り戻すために密かに調査を進めて、ウィリアム卿の死因が不自然なことに気づく。殿下は再捜査の噂を流して犯人の動揺を誘い、配下を墓地に張り込ませて、墓暴きにやってきた一味を捕まえ、司法解剖に持ち込んだ。少年の死体から致死量を超える砒素が検出され、病死の診断を下したサイラス・アシュバートンと、その息子が怪しいってことになる。

 貴族の殺害事件の上、しかも当時、世間を騒がせていたアルバート殿下の『愛人』エルスペス・アシュバートンの弟。手には余ると判断したリンドホルム所轄の警察署が、警視庁ヤードに応援を要請し、俺が派遣された。

 ストラスシャーの荒野ムアの畔に立つ堅牢な古城、リンドホルム城カッスル・リンドホルム。寂れた庭で会った彼女は、まさに、古城の姫君――。

 俺は机の上に報告書をぱさりと置いて、胸ポケットの紙巻煙草シガレットに手を伸ばした。
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