【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
上 下
173 / 190
第三章

秘密の花園

しおりを挟む
「エルスペス妃」

 王太子殿下がわたしに語りかける。

「……なんと詫びていいのかわからないが――いや、詫びる権利すら、ないのかもしれないが。それでも――」

 だがその王太子殿下の言葉を、国王陛下が遮った。

「謝罪でなかったことにできるなら、警察は何のためにあるのか――であったな。まったく、我々王族は罪深い。罪深すぎて、もはや法の意味すらなさず、償うことすら許されない。エルスペス。……余は、詫びたりはせぬ。詫びることも、許しを請うこともせぬ。いや、許されぬと申すべきか」

 陛下はそう言い、力なく身を起こす。――アルバート殿下に瓜二つのそのお顔には深い皺が刻まれ、顔色はくすんでいた。疲労の色が全身を覆い、だるそうに見えた。体調が悪いのは本当なのだろう。
 わたしは言った。

「陛下、お詫びはもう、十分です。あの、謁見の場で詫びていただきました」

 その言葉に、陛下は顔を歪める。

「……そうであったな。あれは本来は許されぬ詫びだ」
「父上――」

 咎めるような王太子殿下の声に、わたしは薄く微笑んだ。

「正直に申し上げれば、詫びていただいたところで、死んだ者は戻って来ません。今、わたくしは権利を取り戻すことができましたし。――アルバート殿下の、ご尽力のおかげで」

 アルバート殿下が首を傾げる。

「……エルシー、いいのか、そんな寛大なことで、それでは――」

 わたしは笑った。

「お詫びはもう、十分だと言っただけで、許すとは言っていません。陛下は詫びることもできないし、わたくしの方でも、これ以上詫びていただいても、すぐに許せることでもありませんし。むしろ詫びたんだからお前も許せ、水に流せと言われても困ります」

 わたしの言葉に、周囲の人々は困ったような表情で顔を見合わせている。――ここは空気を読んで、「許す」と言うべき場だとはわかるけれど、王家の我が家に対する仕打ちは、簡単に許せるレベルを超えている。

「……ただ一つだけ、お願いがあります」
「余が、叶えることができる願いか?」

 わたしは頷いて、言った。

「……ローズの遺体を、リンドホルムに移すことをお許しいただきたいのです。今の、王都の墓地はあまりに寂しい。リンドホルムの城か、一族と同じ教会に埋葬したいと思います」
「それは、構わぬが……」
「一言、墓石に『アルバート・レジナルドの母』と刻むのをお許しください。それ以上、王家に関わる記録は残しません。ただ、わたくしの愛する人の母として葬りたい」

 そう口にした瞬間に、アルバート殿下がわたしをすごい力で抱き寄せ、抱きしめた。――息が、詰まるほど。

「エルシー……俺は……」

 殿下はそれ以上は言葉を飲み込んで、それからわたしを抱き締めたまま、国王陛下に言った。

「……俺からも、お願いします、父上。教会ではなく、リンドホルムの城内の、鍵のかかる秘密の庭に埋めて、他の者が入れないようにします。ですから――」

 国王陛下は身じろぎし、何か遠くを見るような目をして、しばし考えていた。そして――。

「……エルスペス。リンドホルムには、余人の立ち入らぬ、秘密の花園があるというのは、本当か?」

 陛下の問いに、わたしはアルバート殿下に抱き込まれたまま、頷いた。

「ええ。ストラスシャーには壁で囲まれた庭ウォール・ガーデンがあります。周囲を壁で覆い、入口の扉には鍵をかけることができる。リンドホルムの城にもいくつかあって、そのうちの一つが、鍵のかかる薔薇園になっています。……ローズの、秘密の花園です。ずっと寂れていたのを、子供のころのローズが見つけて、蘇らせ、薔薇の泉のような庭にしました。わたしと――」

 わたしはリジーを見て、それから国王陛下を見た。

「リジーはよく、その庭で過ごしました。……三年前にリンドホルムを追い出されて、その庭は世話をする人もいなくなり、再び寂れてしまいましたが」

 目を伏せたわたしを、国王陛下が感極まったような表情で、どこかこの世ならぬものを見ているようだった。

「……本当に、あったのか。ローズが、幼いアルバートに寝物語に話しているのを聞いて……」

 国王陛下はしばし目を閉じ、何かを念じるような表情をして、それから、目を開けて、わたしを見た。

「……わかった、許す。ローズの亡骸は王家の者が責任をもって、リンドホルム城に届ける。約束する。墓石の刻文も認める。だが、それは結婚式の後にせよ。それ以後であれば、許す」
「ありがとうございます。陛下」

 わたしが礼を言えば、陛下は軽く手を挙げて、それを振った。

「……よい。本来なら、もっと早くに余から持ちかけることであった。せめて、ローズを秘密の庭に帰してやるべきだった」

 死体になってから帰してもらっても、もう何もかも遅い。でも、あの寂しい墓地に眠るよりは、うんとマシだと思ったけれど、わたしは口にはしなかった。

「それは、秘密の庭だと申しておった。……ローズと……おそらく、マックスの。後はごくごく、限られた庭師だけが足を踏み入れることが許された庭だと。余は、その庭を目にすることは叶わぬのだな」

 そう言って、陛下は目を閉じて、背もたれに身体を預ける。

「……陛下、そろそろ――」

 王室長官ロード・チェンバレンが声をかけ、陛下が頷いた。首相のエルドリッジ公爵が、最後にという形で尋ねる。

「貴族の爵位領地に関しては、女児への継承を認める法案が、おそらく近日中にも通過すると思われます。……王室の継承についての、継承法の改正については――」

 半ば立ち上がろうと両手で肘掛を掴んでいた国王陛下は、もう一度座りなおし、首を振った。

「それは、余がこの世を去ってからのことにせよ。――いつか、変わるべきことであっても、焦ることではない」
「父上、実は――」

 王太子殿下が言った。

「ブリジットがまた、身籠りました。……まだ、希望は捨てずにおきたいと思います」

 少し恥ずかしそうに、そして誇らしそうに微笑んだブリジット妃を見て、陛下もまた、薄っすらと微笑んだ。

「……そうか、ならば大事にせよ。その子に、神の加護があることを、祈る」

 国王陛下は立ちあがると、杖に縋るようにしてゆっくりと退出された。








 その夜、わたしはオーランド邸の寝室で、アルバート殿下と向かいあった。

「その……すまなかった」

 いきなり謝られて、わたしは首を傾げる。

「何か、謝らなければならないようなことを、なさったの?」
「いっぱいしている」

 殿下は入浴後で、いつもは後ろに撫でつけて固めている黒髪も、濡れて半ば額にかかっている。普段よりも何と言うか……人と言うよりは、捨て犬に近い感じ? 叱られた時のユールみたい。

「たしかにそうですわね。何に対して謝っていらっしゃるの?」

 ……さっきも強引に剃られたし。それのことかしら? それとも邸に戻ってきた時、護衛のラルフ・シモンズ大尉に、何やらこそこそと耳打ちしていた件だろうか?――どうせろくでもないことに違いないけれど、それはたぶん、わたしが聞かない方がいい話だ。敢えて謝ろうとしているのは、きっと別の話。
 
 わたしが髪をタオルで拭きながら尋ねれば、殿下はわたしの顔を下から見上げるようにして、言った。

「その……父上がもっとちゃんと謝罪するのかと……」
「ああ、そのこと」

 わたしがふっと肩を竦めた。

「そんなの、端から期待していませんでしたもの。……それから、臣下が国王のために命を張るのは、ある意味当然です。父も死んだこと自体は別に、恨んでいないと思いますわ。ローズの件は別かもしれませんけれど、おじい様の借財もあったようですし。王の家臣である以上、王家の存続が一番なのは、わかります」
「……だからって、もうちょっとちゃんと謝るかと、俺は思ったんだけど」

 不満そうにベッドの上で身じろぎする殿下に、わたしは微笑んだ。

「本来なら、王は間違ってはいけないのよ。……なんて言ったかしら。『王の無謬性むびゅうせい』?」
「よく知っているな」

 殿下が目を丸くする。

「お妃教育とやらで習いましたわ。気安く下々シモジモに謝ってはいけないらしいですわよ? お妃の態度が、王の権威に関わるんですって。そんな教育だから、王妃とかステファニー嬢みたいなのが出来上がるんですわ」
「……まあ、そうかもしれんな」

 殿下が困ったように眉尻を下げている。そういう表情をすると、なお一層、捨て犬感が強まる。

「でもそもそも、王様が間違えない、なんてのが、間違っているんです」
「そりゃまあ、そうだな。人間、誰でも間違える」
「国王陛下、いろいろと間違えてしまわれた。ローズのことも、あなたの育て方も」
「俺の育て方ぁ?」
 
 殿下がびっくりして、自分を指さしている。わたしは自信満々で頷く。

「いくら王妃の子として届け出たからって、虐待で自殺未遂起こすまで放置だなんて、無能に過ぎるわ。しかも、王妃から引き離すために、よりによって、わたしの父に預けるなんて。あなたの母は父の許嫁でしたのよ? 普通。あり得ないわよ。わたしたちの子供を、ステファニー嬢に預けるみたいなものよ? 非常識にもほどがあるわ」

 わたしが指摘すれば、殿下は金色の目を見張って、叫んだ。

「ステファニーに?! あり得ん!」
「でしょう? 父がお人好しだったからよかったものの……」
 
 わたしは言ってから、殿下の肩に両腕を回して尋ねた。

「で、本当は何についての謝罪なんです?」

 額と額をくっつけ、至近距離で目と目を合わす。……殿下の金色の瞳には、わたしが映っている。

「その……あの勅書のことだ。結婚の許可の勅書。ずっと、黙っていた」
「……あれが原因で、代襲相続が却下されたと、気づいていらっしゃったのね」
「ん。……マックスに、俺が強請ったんだ。お前と、どうしても結婚したいって。俺からも頼むけど、マックスからも父上に願い出て欲しいって。……父上は、マックスに負い目があるから、許可が出るかもしれないからって」

 その言葉に、わたしが思わず顔を上げた。

「俺は、勅書さえあれば、エルシーと結婚できるって浮かれてた。なのに帰国したら、エルシーはリンドホルムからも追い出されていて――もしかして、って思っていたけど、口に出せなかった。おばあ様も、俺が――」

 言いさした殿下の唇を、わたしから口づけて塞いだ。殿下は一瞬、驚いたようだけれど、すぐに舌を絡めて口づけを深くする。しばらく貪りあってから、唇が開放されて、わたしは殿下の首筋に縋りつき、耳元で言った。

「愛してるわ、リジー。愛してるの。だから……特別に許してあげる」

しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...