【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第三章

壊れゆく薔薇

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 レコンフィールド公爵令嬢とアイザック・グレンジャー卿の駆け落ち事件の噂で、王都が持ち切りの三月の末、わたしとアルバート殿下は国王陛下から呼び出しを受けた。

 王宮舞踏会の後、国王陛下は体調を崩し、ご譲位の決意を固めつつあると言う。それも含め、主だった王族や近親者を集めて、今後の話をしたい、ということであった。

 





 王宮内の豪華な居間。国王エドワード陛下の前に集まったのは、王太子フィリップ殿下とブリジット妃殿下、アルバート殿下とわたし、それから王太子妃の父親にして首相のエルドリッジ公爵、そしてマールバラ公爵の六人。

 全員が座につき、紅茶が配られたのを見て、王室長官ロード・チェンバレンが侍従に指図して下がらせる。パタンと扉が閉じ、その場には国王と長官を含めた八人だけが残された。

「……わざわざ、集まってくれて、すまない。バーティの結婚も決まり、今後のこと……フィリップに位を譲った後の、継承について、話しておきたい」

 予想していたことなので、一堂は無言で顔を見合わせる。殿下が口火を切った。

「父上。……ここにいる者はすでに承知していると思いますが、本来ならば、俺には継承権はありません。法と国民を裏切るべきではない。ですから、兄上の後はレイチェルに――」
「バーティ!」

 王太子殿下が咎める。

「バーティ、レイチェルはまだ幼い。それに、女だ。女を馬鹿にするつもりはないが、王や王太子の職責は重い。特に、女王となれば次代の王も自ら産まねばならぬ。王と、母と。その二つの重く、そして危険な役目を、私は娘に背負わせたくはないのだ。お前に全てを押し付けて、悪いとは思っている」
「そういうことではなくて。俺はもともと庶子だから、本来なら継承権はない。議会では、貴族の子女にも爵位継承を認める改正法の審議が始まっている。王家だって、女王に継承して悪いことはない」

 アルバート殿下対し、エルドリッジ公爵が言った。

「アルバート殿下。庶子故に継承権がないと仰いますが、現在のところ、女児であるレイチェル王女にも継承権はないのです。法を改正して女児への継承を認め、そうしてまで殿下の継承権を奪う必要を、私は認めません。殿下は全ての書類において、国王エドワードと王妃エレインの間の嫡出子とされていて、たとえ殿下が庶子だと自ら申し出たところで、それを証明する証拠は何もないのです」

 そのやり取りから、王太子妃ブリジット殿下だけでなく、エルドリッジ公爵もまた、殿下の出生の秘密を知っているのだとわかった。

「俺は――国民を騙しているようで……」

 目を伏せた殿下の手にわたしが触れれば、殿下がその手を握り返す。

「それに――ならば俺は、生涯、自分の生まれを偽り続けなければならないのか? 本当の母を、母と呼べぬまま――」

 その震える手を、わたしが思わずギュッと握ると、殿下は気づいたようにわたしを見て、微笑んだ。国王陛下が重々しく口を開いた。

「……以前も言ったが、その秘密は明かすことはできぬ。ローズとの約束もあるが……そなたが王妃の子ではないというのは、余が地獄の底まで持っていく秘密だ。すべては余の過ちであり、さらに、王妃の狂気に気づかなかった余の罪だ。その罪を世に明かせば、王家の権威は地に堕ち、揺らぐことになる」

 陛下の言葉に、アルバート殿下が反論する。

「いずれ、王家にも滅びの日が来る。真実を偽り続けるべきではないと思いますが」
「――そうかもしれぬ。この世に、滅びない王家などない。隣国ルーセンもしかり、北のモスカネラしかり、王家はいつか、滅びる。だが、我らがその日を故意に招き寄せることは許されぬ。我らに許されるのは、いつか訪れる滅びの日まで、ただ戦々兢々せんせんきょうきょうとして、神より委ねられた民と国の平和を守ることのみ。秘密を明かせば、我らの心は安らぐかもしれぬ。だが、それによって国が乱れ、民の安寧を壊す可能性があるならば、すべきでない」

 殿下が凛々しい眉を顰めると、王太子殿下が父親を庇うように言った。

「お前が、母上の子でないのは知っていた。そのせいで、ひどい虐待を受けていたことも、薄々気づいていたのに、私はそれを止めることができなかった。本当は庶子でありながらそれを隠し、母親と引き離し、王家の存続のためのスペアのような扱いを、私は見て見ぬフリをしてきた。十二年前に、お前が王宮の池に落ちたと聞いて、私は――」

 王太子殿下の言葉を、アルバート殿下が遮る。

「それはもう、いいのです。あの時のことは、実はよく憶えていない。ただ、あの後、マックスアシュバートンの邸に連れて行かれて、俺はエルシーに出会えた。俺はあの時に生まれ変われたから、そのことはもう、いい」

 殿下はわたしをちらりと見て、微笑む。

「でも、庶子には――いや、神に認められた正しき夫婦の間に生まれた嫡子にしか、王の資格はない。王妃は俺に繰り返し、そう言った。俺は呪われた悪魔の子だと。本来ならば俺は王位に即くことなどあってはならず、ただ、国の安定のために存在するだけだと」
「バーティ!」

 王太子殿下が叫ぶ。

「……庶子か、嫡子か。どうにもならない生まれのことで、お前がそんなにも貶められていたのなら、私は、なんと詫びたらいいのか――」
「兄上のせいではないでしょう。……俺のせいでもないけれど。王妃の、気持ちもわからなくはないのです。息子の病が不治のものと宣告されてまもなく、代わりの王子を産めと言われ、拒否すれば夫は別の女と子を儲け、それを自身の子として産み、育てろと言われる。……東洋の、当たり前に後宮ハーレムがある国の王妃ならば、違ったかもしれませんが……」

 アルバート殿下の言葉に、マールバラ公爵が言う。

「エレイン王妃には、我々は三つの道を示したのだ。一つは、王の子を産むこと。二つ目は、王妃を退き、他の、王の子を産める女性を王妃に迎えるのを認めること。そのどちらも拒否した以上、第三の道しか残されていない。他の女が産んだ王の子を、自身の子として届け出、秘密を守って育てる。自らその道を選んでおきながら、彼女は王子を虐待していた。……陛下も陛下だ。わしにも内密にするなど――」

 もし、万一アルバート王子が死んでいたらどうするつもりだったのだ、とマールバラ公爵が国王陛下をも責めた。――マールバラ公爵は本当に、王家の血筋の存続にしか興味がないのだろう。王妃の葛藤を理解はするが、同情もしない、そんな態度だった。 

「王妃は狂っていた。……いや、違う。少しずつ、壊れていたんだと思う。……どうして、そんなことになったのですか?」

 アルバート殿下が国王陛下を金色の瞳でまっすぐに見れば、国王陛下もまた、同じ金色の瞳で末息子を見返した。わたしは、アルバート殿下があまりに国王陛下に似ていることに、驚いていた。王太子殿下は少し髪の色が薄く、瞳も金というより琥珀色だ。それに比べ、アルバート殿下は本当に、国王陛下の顔を写し取ったよう。――昔、リンドホルムで出会ったリジーは、もっとか弱くて、優しい印象だった。成長とともに国王陛下に似ていったのだとすれば、王妃が嫉妬心を募らせるのも、当然かもしれない。

 国王陛下は自嘲を浮かべ、言った。

「……余が、ローズを愛したからだ」
「ローズに、王妃が嫉妬したから? でも、それは――」
「余はもともと、何者をも愛さなかった。王妃と連れ添って四十年になるが、一度として愛しいと思うたことがない。申し訳ないが、フィリップも、ジョージも……ただ、王家の血を伝えるための存在に過ぎなかった」

 はっきりと名指しで言われて、王太子殿下が苦笑する。

「……ええ、承知しておりますよ、父上。でも愛さなくても、あなたは私を不幸にしようとはしなかった。ジョージや、母上の件でも、私のことを気づかってくださった」

 国王陛下は薄く微笑む。

「愛してはいないが、大事な存在ではあった。余は多分、家族よりも何よりも、この国を背負う王としての役割を自身の生きがいにしていたから。……王妃も、そうであると信じていた。あの日、ジョージの病が明らかになった時までは、余と王妃は同じものもを見ていると思っていた。愛はなくとも、国王と王妃として、同じく国のために命を捧げるべき、同志なのだと」

 国王陛下は目を閉じ、溜息をつく。

「それゆえに余もまた失望し、王妃は怒り狂った。互いに、互いを見損なっておった。ジョージの病を知り、余は当然、ジョージに代わる男児が必要だと言った。フィリップ一人ではこの国を支え切れぬ。それを産むのが王妃の役割であると。だが王妃は違った。我が子を王位継承のための、駒にしか見ぬ冷血漢だと、余を詰った。ジョージの代わりの子など産まぬと宣言され、余は――」

 わたしとアルバート殿下はそっと目を見合わせる。
 国王と王妃という立場で見れば、国王陛下の方が、きっと正しい。でも、妻として母としての立場では、王妃の怒りもわかる。

 ただの夫婦であれば、その齟齬は小さな諍いで終わった。でも、彼らは国王と王妃だった。肩にかかる責任も、そして彼らの齟齬がもたらす影響も、うんと大きかった。

 ――蝶の、小さな羽ばたきが世界を変えるように、彼ら夫婦の諍いが、力のない恋人たちを引き裂いた――。

「そうして、ローズを連れてきたのですね」

 アルバート殿下の言葉に、国王陛下が薄く目を開け、頷く。

「そう、初めはただ、男児さえ得られればよいと思っていた。王妃によく似た髪と瞳の色と、そして問題のおきない係累の弱さ。外国の貴族の血筋も悪くない。……血は、遠い方が優れた子が生まれると、古来申す故に。余にとっては最初はただそれだけだったのに――」

 国王陛下がそっと身体を起こし、殿下とわたしをまっすぐに見た。

「だが余は間違ったのだ。何も愛さない、ただ国王としての義務と職責のためのみに生きてきた余は、いつしかあの娘に魅了されておった。あまりに弱く、あまりに儚く、そしてあまりにまっすぐに、自らを犠牲として差し出したあの娘を、余は手放すことなどできぬとまで思い詰めていた。そうして――」
 
 国王陛下はすっと視線を逸らし、窓の外を見た。

「それに気づいた王妃は、壊れていった。壊れながら――そして同時に、ローズをも壊していった。余の愛した儚い薔薇を――」

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