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第三章
長すぎた春
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それからしばらく、政界はめまぐるしく動いた。
首相は退任し、レコンフィールド公爵は爵位を嫡子のチャールズ卿に譲り、病気がちの妻と過ごす、という名目で領地に隠棲した。――ステファニー嬢も、社交界を避け、家族とともに領地に籠っている。首相はいったん休養、ということらしい。国王の勅書を握り潰したことが法的に裁かれるか否かは、今後、政府と司法当局、そして王室の方針次第だろう。
突然の内閣総辞職だったので、首相には暫定的にエルドリッジ公爵が就任し、自由党が内閣を組織した。ただし、王太子妃の父親であることを理由に、後任が決まり次第、職を退くと公言している。ハートネルを証人として呼んでしまい、議員の職を辞したスタイルズ卿だが、貴族院内部ではそこそこ人望があるらしく、次の選挙で返り咲きも可能だろうと言われている。次の首相は無理でも、次の次の首相くらいは狙えるかもしれない。
ただ、エルドリッジ公爵自身は、王家の姻族は政界から退くべきと考えていて、その意味で、閣僚出身者を父兄に持たないわたしが第三王子の妃になったことを、むしろ歓迎すると表明した。
議会で刃物を振り回したハートネルは逮捕の上、精神病と診断され、起訴はされなかったが、王都ではない、別の都市の精神病院に入院するらしい。……彼の家族に波及しないようにと、それだけは殿下にお願いした。
議会の承認も得て、アルバート殿下とわたしは、四月の半ばにほんの身内だけで、小さな結婚式を挙げることにした。もう大聖堂でも誓っているし、届も出しているし、儀式の必要はないのでは、とわたしは思ったけれど、どうしても結婚式をしたいと殿下が言い張るから。
第三王子であるアルバート殿下の結婚式であるから、本来ならば王都の聖アウグスト大聖堂で盛大に、各国の来賓を集めて行われるべきだ。でも、すでに王子妃、あるいは妃殿下と呼ばれている状態で、今更、どの面下げてバージンロードを歩くのか、……という気分もあって。
実のところ、わたしと殿下の結婚は三年も前に国王陛下の許可も下りていて、けして許されない禁断の恋でも何でもなかった。それでも、ずっと王子の婚約者として振る舞ってきた、ステファニー嬢から殿下を掠奪したような、そんな罪悪感がどこかにある。これ見よがしに豪勢な結婚式をするのは、わたしの望むところではなかった。
わたしは王子の妃になりたいわけじゃない。幼い頃から大好きだったリジーと一緒に、故郷のリンドホルムの城と領地を守りたい。ただそれだけだから。
殿下は割と派手好きだけれど、要するに結婚式さえできればいいらしくて、身内だけの式に賛成してくれた。幸い、内閣総辞職の影響で、煩い重鎮も政界を退いていて、文句を言うような人もいなかった。王都ではなく、リンドホルムでの挙式も考えたけれど、国王陛下が式への参列を希望なさったので、それで、王都の聖カタリーナ修道院の礼拝堂で行うことにした。祖母が最期の時を過ごした療養院にも、ローズが眠る墓地にも近い。その後、五月にはリンドホルムに戻って、そちらでも結婚のパーティーをすることにした。
急な話なので、わたしは特別なウェディング・ドレスを着るつもりはなくて、デビュタントのドレスを直してもいいと思っていたけれど、驚くべきことに、ウィディング・ドレスはミス・リーンに発注済みで、もう仮縫いまで進んでいるという。……つまるところ、殿下はわたしを着飾らせたいだけなのだ。
そういうわけでその三月は、わたしは陸軍司令部で残務処理をする傍ら、週に何日か王宮に足を運び、王子妃としての教育を受けて過ごした。――作法そのものは、祖母から教えられたものを大きく超えることはなく、ただ、諸外国の王族に対する作法や、王族特有の儀式についてレクチャーを受ける程度だ。本格的に外交活動を行うようになれば、また違うかもしれない。
六月にはリーデンシャーで、カーティス大尉とシャーロット嬢の結婚式があり、十月には、アルティニアのフェルディナンド皇太子とグリージャのエヴァンジェリア王女の結婚式がビルツホルンで行われる。結婚式を小規模にしたことで予算が浮いたので、ビルツホルンから大陸の南、セダーンの港に出て、船で東洋へ新婚旅行に向かうことにした。何も野蛮な新興国に行かなくても、と反対する者(筆頭がブルック中尉)もいたけれど、もし、わがままが許されるならば、一生に一度はヤパーネに行きたいと、わたしが駄々をこね、これは殿下が折れた。
「まあ、俺は昔から、エルシーのわがままには勝てないからな」
と殿下が言い、わたしは今から、いそいそとヤパーネ旅行記や版画を取り寄せては、ニヤニヤ眺めて憧れを募らせている。バーナード・ハドソン商会のミツゴロー氏にヤパーネ語を習おうかと思案中だ。
そんな束の間の平和な日々に、とんでもないニュースが飛び込んできた。
「大変っすよ! レコンフィールド公爵令嬢が!」
温室続きのアトリエで、わたしはユールと遊び、殿下がそれをスケッチしているところに、ロベルトさんが駆け込んできた。
「ステファニーがどうした」
殿下は心底興味ない、という風に、スケッチブックから顔も上げずに尋ねる。
「駆け落ちしたそうです」
「えええ?」
わたしはびっくりして、抱いていたユールを落としてしまう。あやういところでバランスを保って着地したユールが、「きゃん、きゃん!」とわたしに文句を言う。
「なんだそんなこと。相手はウォルシンガムか? 伯父と姪は正式な結婚は無理だが、背徳感がかえってそそるのかも――」
「相手は、アイザック・グレンジャーですよ! しかも、シュタイナー伯爵令嬢との、結婚式の当日に」
「なんだと?!」
さすがにこれには殿下もびっくりして、慌てて顔を上げる。
「結婚式当日ってどういうことだ?」
「新郎が来なかったんですよ。花嫁のブライズメイドの一人だったステファニー嬢も来なくて、花嫁のミランダ嬢は礼拝堂に待ちぼうけ」
「……いっくら何でも非常識だろ、それは!」
わたしは驚きのあまり声も出ない。殿下が尋ねる。
「ステファニーの意志で、グレンジャーと駆け落ちってことか? 誘拐じゃなくて?」
「ええ、グレンジャーとミランダ嬢の結婚式は、もともと三月の半ばに決まってた。二月の王宮舞踏会で、あんな形で婚約破棄になったステファニー嬢を気遣って、ミランダ嬢は結婚式を延期しても、と言ってたらしいっす。でもそれをステファニー嬢が、予定通りにやればいいって……結婚式はグレンジャーの実家、ギルフォード侯爵領で行われる予定で、ステファニー嬢も数日前にはギルフォード領に滞在していて――」
新郎の不在にギルフォード侯爵家が邸を捜索すれば、も抜けの殻になったステファニー嬢の部屋に書置きがあって、ミランダ嬢への詫びと、「今度こそ真実の愛を見つけた」と――。
ギルフォード領は王国の南部で、ハンプトンの港に近い。捜索隊が駆け付けた時には、二人を乗せた新大陸行きの客船は出航したばかりだったと……。
わたしたちは顔を見合わせる。しばらくして、わたしが辛うじて口にできたのは、
「……それは――ミランダ嬢が気の毒過ぎるわ。そんな形で、婚約者と親友に裏切られるなんて」
だけだった。傷心のステファニー嬢には、新しい恋を見つけて欲しいと思っていたが、まさかそんな――。
その夜、夕食後にオーランド邸の暖炉の前で殿下と寛いでいると、ジェラルド・ブルック中尉が報告に訪れた。ブルック中尉の実家、ジェニングス侯爵家は、ギルフォード侯爵家と同じ王国南部の貴族。結婚式にはブルック中尉の両親、ジェニングス侯爵夫妻も招待されていた。
「大騒ぎですよ。普通のご令嬢が駆け落ちでも大変ですのに。よりによって王子に婚約破棄され、かつ、父親はレディ・エルスペスの代襲相続を無理に邪魔した件の責任を取って、爵位を息子に譲ったばかり。その上、自身が親友の婚約者を結婚式当日に掠奪じゃあ……それまであった、世間の同情も全部、吹っ飛びましたね」
殿下に勧められた一人がけソファに腰を下ろしながら、ブルック中尉が言う。
「うちの両親の話によれば、待てど暮らせど新郎がやってこなくて、おかしい、おかしいって。花嫁は真っ青になって倒れてしまうし。で、そのうち、ブライズメイドの一人が、ステファニー嬢もいないって言い出して。――息子の不始末に、侯爵は蒼白で、侯爵夫人も体調を崩してしまったそうです。レコンフィールド公爵――ステファニー嬢の兄のチャーリー卿ですけどね。爵位を継いだばかりでこんなことになって、それも気の毒だったと……」
殿下はソファのひじ掛けに凭れ、わたしはその隣で、膝の上でユールの毛を撫でていたが、ユールはブルック中尉がお気に入りで、嬉しそうにピコピコ尻尾を降っている。ステファニー嬢とグレンジャー卿の駆け落ちに、わたしは複雑な気分だった。すべてを捨てて逃げた二人よりも、残された人々は本当に大変だろうと同情してしまう。
「そんな直前……というか、式の当日に逃げなくてもいいのに」
わたしが言えば、殿下も眉間に皺を寄せる。
「本当に迷惑極まりないな。……婚約破棄されて傷ついたところを、グレンジャーが慰めたのかもしれんが。俺のせいだなんて、話にはなってないだろうな?」
「婚約破棄された挙句、親友の婚約者を奪ってしまうワタクシ、でも真実の愛を見つけてしまったから……って自分に酔ってそうですよね、ステファニー嬢」
ちょっと高い作り声まで出して、それっぽく品を作ってみせるブルック中尉に、わたしと殿下は思わず噴き出した。ちょうど、ジュリアンが男性二人にブランデーを、わたしにホットワインを運んできて、思わず肩を竦める。――ジュリアンも従軍した仲間であるから、普通の主人と従僕よりも、なんとなく気安いところがある。
「ミランダ嬢とグレンジャーも、ずいぶん長いこと婚約状態だったんだなあ……」
殿下がつぶやいて、わたしも思いつく。ステファニー嬢は、この三月で二十二になると聞いた。ミランダ嬢だってもう、二十歳を越えているだろう。
「グレンジャーも俺より一つ下で……とっくに結婚していると思ったのに」
「グレンジャーは東部戦線で負傷して……怪我の程度が重くて、一年ほど療養していました。それもあって、結婚が遅れていたんです。婚約期間が長すぎると、ダメになることがありますね。長すぎた春って奴ですよ」
ブルック中尉がブランデーのグラスを手にして、一口飲む。
「グレンジャーはミランダ嬢にぞっこんかと思っていたんだがなあ。……わからんもんだなあ」
殿下が呟き、暖炉の火がパチンと弾けた。
首相は退任し、レコンフィールド公爵は爵位を嫡子のチャールズ卿に譲り、病気がちの妻と過ごす、という名目で領地に隠棲した。――ステファニー嬢も、社交界を避け、家族とともに領地に籠っている。首相はいったん休養、ということらしい。国王の勅書を握り潰したことが法的に裁かれるか否かは、今後、政府と司法当局、そして王室の方針次第だろう。
突然の内閣総辞職だったので、首相には暫定的にエルドリッジ公爵が就任し、自由党が内閣を組織した。ただし、王太子妃の父親であることを理由に、後任が決まり次第、職を退くと公言している。ハートネルを証人として呼んでしまい、議員の職を辞したスタイルズ卿だが、貴族院内部ではそこそこ人望があるらしく、次の選挙で返り咲きも可能だろうと言われている。次の首相は無理でも、次の次の首相くらいは狙えるかもしれない。
ただ、エルドリッジ公爵自身は、王家の姻族は政界から退くべきと考えていて、その意味で、閣僚出身者を父兄に持たないわたしが第三王子の妃になったことを、むしろ歓迎すると表明した。
議会で刃物を振り回したハートネルは逮捕の上、精神病と診断され、起訴はされなかったが、王都ではない、別の都市の精神病院に入院するらしい。……彼の家族に波及しないようにと、それだけは殿下にお願いした。
議会の承認も得て、アルバート殿下とわたしは、四月の半ばにほんの身内だけで、小さな結婚式を挙げることにした。もう大聖堂でも誓っているし、届も出しているし、儀式の必要はないのでは、とわたしは思ったけれど、どうしても結婚式をしたいと殿下が言い張るから。
第三王子であるアルバート殿下の結婚式であるから、本来ならば王都の聖アウグスト大聖堂で盛大に、各国の来賓を集めて行われるべきだ。でも、すでに王子妃、あるいは妃殿下と呼ばれている状態で、今更、どの面下げてバージンロードを歩くのか、……という気分もあって。
実のところ、わたしと殿下の結婚は三年も前に国王陛下の許可も下りていて、けして許されない禁断の恋でも何でもなかった。それでも、ずっと王子の婚約者として振る舞ってきた、ステファニー嬢から殿下を掠奪したような、そんな罪悪感がどこかにある。これ見よがしに豪勢な結婚式をするのは、わたしの望むところではなかった。
わたしは王子の妃になりたいわけじゃない。幼い頃から大好きだったリジーと一緒に、故郷のリンドホルムの城と領地を守りたい。ただそれだけだから。
殿下は割と派手好きだけれど、要するに結婚式さえできればいいらしくて、身内だけの式に賛成してくれた。幸い、内閣総辞職の影響で、煩い重鎮も政界を退いていて、文句を言うような人もいなかった。王都ではなく、リンドホルムでの挙式も考えたけれど、国王陛下が式への参列を希望なさったので、それで、王都の聖カタリーナ修道院の礼拝堂で行うことにした。祖母が最期の時を過ごした療養院にも、ローズが眠る墓地にも近い。その後、五月にはリンドホルムに戻って、そちらでも結婚のパーティーをすることにした。
急な話なので、わたしは特別なウェディング・ドレスを着るつもりはなくて、デビュタントのドレスを直してもいいと思っていたけれど、驚くべきことに、ウィディング・ドレスはミス・リーンに発注済みで、もう仮縫いまで進んでいるという。……つまるところ、殿下はわたしを着飾らせたいだけなのだ。
そういうわけでその三月は、わたしは陸軍司令部で残務処理をする傍ら、週に何日か王宮に足を運び、王子妃としての教育を受けて過ごした。――作法そのものは、祖母から教えられたものを大きく超えることはなく、ただ、諸外国の王族に対する作法や、王族特有の儀式についてレクチャーを受ける程度だ。本格的に外交活動を行うようになれば、また違うかもしれない。
六月にはリーデンシャーで、カーティス大尉とシャーロット嬢の結婚式があり、十月には、アルティニアのフェルディナンド皇太子とグリージャのエヴァンジェリア王女の結婚式がビルツホルンで行われる。結婚式を小規模にしたことで予算が浮いたので、ビルツホルンから大陸の南、セダーンの港に出て、船で東洋へ新婚旅行に向かうことにした。何も野蛮な新興国に行かなくても、と反対する者(筆頭がブルック中尉)もいたけれど、もし、わがままが許されるならば、一生に一度はヤパーネに行きたいと、わたしが駄々をこね、これは殿下が折れた。
「まあ、俺は昔から、エルシーのわがままには勝てないからな」
と殿下が言い、わたしは今から、いそいそとヤパーネ旅行記や版画を取り寄せては、ニヤニヤ眺めて憧れを募らせている。バーナード・ハドソン商会のミツゴロー氏にヤパーネ語を習おうかと思案中だ。
そんな束の間の平和な日々に、とんでもないニュースが飛び込んできた。
「大変っすよ! レコンフィールド公爵令嬢が!」
温室続きのアトリエで、わたしはユールと遊び、殿下がそれをスケッチしているところに、ロベルトさんが駆け込んできた。
「ステファニーがどうした」
殿下は心底興味ない、という風に、スケッチブックから顔も上げずに尋ねる。
「駆け落ちしたそうです」
「えええ?」
わたしはびっくりして、抱いていたユールを落としてしまう。あやういところでバランスを保って着地したユールが、「きゃん、きゃん!」とわたしに文句を言う。
「なんだそんなこと。相手はウォルシンガムか? 伯父と姪は正式な結婚は無理だが、背徳感がかえってそそるのかも――」
「相手は、アイザック・グレンジャーですよ! しかも、シュタイナー伯爵令嬢との、結婚式の当日に」
「なんだと?!」
さすがにこれには殿下もびっくりして、慌てて顔を上げる。
「結婚式当日ってどういうことだ?」
「新郎が来なかったんですよ。花嫁のブライズメイドの一人だったステファニー嬢も来なくて、花嫁のミランダ嬢は礼拝堂に待ちぼうけ」
「……いっくら何でも非常識だろ、それは!」
わたしは驚きのあまり声も出ない。殿下が尋ねる。
「ステファニーの意志で、グレンジャーと駆け落ちってことか? 誘拐じゃなくて?」
「ええ、グレンジャーとミランダ嬢の結婚式は、もともと三月の半ばに決まってた。二月の王宮舞踏会で、あんな形で婚約破棄になったステファニー嬢を気遣って、ミランダ嬢は結婚式を延期しても、と言ってたらしいっす。でもそれをステファニー嬢が、予定通りにやればいいって……結婚式はグレンジャーの実家、ギルフォード侯爵領で行われる予定で、ステファニー嬢も数日前にはギルフォード領に滞在していて――」
新郎の不在にギルフォード侯爵家が邸を捜索すれば、も抜けの殻になったステファニー嬢の部屋に書置きがあって、ミランダ嬢への詫びと、「今度こそ真実の愛を見つけた」と――。
ギルフォード領は王国の南部で、ハンプトンの港に近い。捜索隊が駆け付けた時には、二人を乗せた新大陸行きの客船は出航したばかりだったと……。
わたしたちは顔を見合わせる。しばらくして、わたしが辛うじて口にできたのは、
「……それは――ミランダ嬢が気の毒過ぎるわ。そんな形で、婚約者と親友に裏切られるなんて」
だけだった。傷心のステファニー嬢には、新しい恋を見つけて欲しいと思っていたが、まさかそんな――。
その夜、夕食後にオーランド邸の暖炉の前で殿下と寛いでいると、ジェラルド・ブルック中尉が報告に訪れた。ブルック中尉の実家、ジェニングス侯爵家は、ギルフォード侯爵家と同じ王国南部の貴族。結婚式にはブルック中尉の両親、ジェニングス侯爵夫妻も招待されていた。
「大騒ぎですよ。普通のご令嬢が駆け落ちでも大変ですのに。よりによって王子に婚約破棄され、かつ、父親はレディ・エルスペスの代襲相続を無理に邪魔した件の責任を取って、爵位を息子に譲ったばかり。その上、自身が親友の婚約者を結婚式当日に掠奪じゃあ……それまであった、世間の同情も全部、吹っ飛びましたね」
殿下に勧められた一人がけソファに腰を下ろしながら、ブルック中尉が言う。
「うちの両親の話によれば、待てど暮らせど新郎がやってこなくて、おかしい、おかしいって。花嫁は真っ青になって倒れてしまうし。で、そのうち、ブライズメイドの一人が、ステファニー嬢もいないって言い出して。――息子の不始末に、侯爵は蒼白で、侯爵夫人も体調を崩してしまったそうです。レコンフィールド公爵――ステファニー嬢の兄のチャーリー卿ですけどね。爵位を継いだばかりでこんなことになって、それも気の毒だったと……」
殿下はソファのひじ掛けに凭れ、わたしはその隣で、膝の上でユールの毛を撫でていたが、ユールはブルック中尉がお気に入りで、嬉しそうにピコピコ尻尾を降っている。ステファニー嬢とグレンジャー卿の駆け落ちに、わたしは複雑な気分だった。すべてを捨てて逃げた二人よりも、残された人々は本当に大変だろうと同情してしまう。
「そんな直前……というか、式の当日に逃げなくてもいいのに」
わたしが言えば、殿下も眉間に皺を寄せる。
「本当に迷惑極まりないな。……婚約破棄されて傷ついたところを、グレンジャーが慰めたのかもしれんが。俺のせいだなんて、話にはなってないだろうな?」
「婚約破棄された挙句、親友の婚約者を奪ってしまうワタクシ、でも真実の愛を見つけてしまったから……って自分に酔ってそうですよね、ステファニー嬢」
ちょっと高い作り声まで出して、それっぽく品を作ってみせるブルック中尉に、わたしと殿下は思わず噴き出した。ちょうど、ジュリアンが男性二人にブランデーを、わたしにホットワインを運んできて、思わず肩を竦める。――ジュリアンも従軍した仲間であるから、普通の主人と従僕よりも、なんとなく気安いところがある。
「ミランダ嬢とグレンジャーも、ずいぶん長いこと婚約状態だったんだなあ……」
殿下がつぶやいて、わたしも思いつく。ステファニー嬢は、この三月で二十二になると聞いた。ミランダ嬢だってもう、二十歳を越えているだろう。
「グレンジャーも俺より一つ下で……とっくに結婚していると思ったのに」
「グレンジャーは東部戦線で負傷して……怪我の程度が重くて、一年ほど療養していました。それもあって、結婚が遅れていたんです。婚約期間が長すぎると、ダメになることがありますね。長すぎた春って奴ですよ」
ブルック中尉がブランデーのグラスを手にして、一口飲む。
「グレンジャーはミランダ嬢にぞっこんかと思っていたんだがなあ。……わからんもんだなあ」
殿下が呟き、暖炉の火がパチンと弾けた。
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