【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
上 下
139 / 190
第三章

ごめんで済んだら警察いらない

しおりを挟む
「エルシー、無事か?! もっとよく顔を見せて……」
「リジー……いえ、殿下、くるし……」

 殿下の硬い胸にぎゅうぎゅうに抱きしめられ、わたしは息もできずに身を捩る。

「ああ、エルシー、報せを聞いた時は心臓が止まるかと……」

 殿下はわたしの前の絨毯に膝をつき、わたしの頬にちゅ、ちゅっと幾度もキスを落とす。……仮にも王太子ご夫妻の前で勘弁して、とわたしが引き離そうとするが、殿下の強い腕は頑として外れなかった。

「バーティ、落ち着け! ミス・アシュバートンは怪我も何もしていない!」

 王太子殿下が声をかけると、殿下はギロリと睨みつけ、いっそう、わたしを抱き締める。

「……だから俺は信用ならないと言っていた! 兄上は結局、王妃に逆らえない! あの女がどれだけ狂っているか、見ようとしないんだ! だからこんな――」
「バーティ、それについては詫びる。私の見通しが甘かった。現実から目を背けていたと言われれば、反論もできない。だが、とりあえず、今は落ち着いて座ってくれ」

 殿下はしぶしぶわたしから離れると、だが隣の椅子ではなく、わたしの座る一人がけのソファの、ひじ掛けに腰を下ろし、わたしの手を固く握った。一秒たりともわたしを離すまいとする様子に、王太子殿下も、そして妃殿下も、呆れたような表情で互いの顔を見合わせる。

 すぐにヴァルターさんが新しいお茶のポットを持ってきた。

「……で、何があったのです? ヴァルターからの報せは、何故、俺の元に届かず、兄上が先にオーランド邸に来ているのです? そして王妃は?」
「お前は市警ヤードの警視総監の元に行っていたじゃないか。だから私の元に届けられ、緊急事態だから私自身で急行したのだ。母上は王宮に戻した。今度こそ、絶対に抜け出せないように監視を強める」
「どうだか」

 殿下が疑わしそうに王太子夫妻を見る。

「いったい、何しに来たんです? 義姉あね上まで巻き込んで」
「……バーティ、わたくしがお義母かあ様に押し切られてしまって……ちょっと文句を言うだけかと思ったのよ。お義母様はステファニーが可哀想だと仰って、わたくしも……その、彼女の方に情があったから、つい――」
「俺の愛人を口汚く罵るために来たのですか」
「リジー!」

 わたしは殿下を咎める。

「妃殿下は特に何も仰らなかったわ。むしろ騒動に巻き込まれただけよ」
「それでも!」

 殿下は怒りのあまり言葉が出てこないという風情で、それで深呼吸をしてからわたしに尋ねる。

「何があった?」
「……知らない老婦人たちが尋ねてきて、でもヴァルターさんもカーティス大尉も追い返せない人のようだとハンナが教えてくれたので、ハンナに裏口から出て警察に走らせましたの」
「!!」
 
 わたしの言葉に、アルバート殿下も、王太子ご夫妻も絶句する。

「……言われたことはたいしたことじゃなかったわ。誰だか知らない人に下賤だの愛人だの罵られてもどうってことはないけど、お茶を飲んだら帰ってくれ、って言ったら、突然、お茶のカップやらなにやら、投げつけてきたの」
「……け、けがは?」
「全部お盆を盾に防いだから、大丈夫よ? その後、陶器の破片で襲い掛かってきたけど、カーティス大尉とジュリアンが守ってくれましたし。ちょうどそこへ警察もやってきたから、強盗だから捕まえてもらおうとしたのですけど……」

 わたしは王太子夫妻にいけしゃあしゃあと言い切った。

「まさか王妃陛下と王太子妃殿下だったなんて、想像もしませんでしたわ! 何しろわたし田舎者で、社交界デビューもしていないので、王族の方のお顔は存じ上げなくて」

 王太子殿下が青い顔で言う。

「……その、警察の件なのだが……」
「だって名前も名乗らず乗り込んできた方が、お茶をぶつけてきたり、襲い掛かってきたんですもの。普通に警察呼びますでしょ?――ああ、高貴な方々は護衛がついていらっしゃるから、警察のお世話になったりしないのかしら? 王都の下町では、何かあったら市警ヤードの警官を呼ぶのは常識でしてよ?」
「内密に済まして欲しいのだが――」
「嫌です。証拠も証人もばっちりですし、被害届も出します。凶悪な犯罪被害に遭ったのに、見て見ぬ振りなんて、市民の義務としても許されませんわ」

 王太子殿下が食い下がる。

「そこを何とか。被害届を出されれば、王家としても対応しないわけにいかない。ことは内々に収めたいのだ」
「内々に収めるって言うのは要するに、王妃陛下の罪をなかったことにするのでしょう? そんなの絶対に、受け入れられません」

 わたしが頑として言えば、王太子夫妻が必死に頼み込む。

「わたくしからもお願いを――軽はずみでした。あなたには心から謝罪するわ」
「ミス・アシュバートン、頼む。悪いようにはしない。王妃には必ず処罰を――」
「お断りします。謝罪でなかったことにできるなら、警察は何のためにありますの? 余所の家に押しかけ、悪口雑言の挙句、器物損壊と暴行容疑。わたしが上手く避けたから無事に済んでいますが、まともに熱湯を被っていたら、どう償うおつもりだったのです? わたしは一市民として、公正な、法の裁きを望みます」

 傲然と胸を張るわたしに、王太子殿下は困ったように眉間に皺を寄せる。

「しかしだ――仮にも王妃が王都内で狼藉に及んだなどと表沙汰になれば――」
「わたしが口を噤んでも無駄ですわ。ハンナに警察を呼びに行かせるついでに、柵の外をうろついている新聞記者たちに、特ダネが撮れると彼らを中に入れさせておきましたの。新聞記者たち、王妃陛下が暴れている時に絶妙のタイミングでやってきて、ばっちり写真に収めていきましたわ。さすがですわね?」
「エルシー?!」

 アルバート殿下もびっくりして、わたしを見る。

「わざと、新聞記者に写真まで撮らせたって言うのか?」
「ええ。王妃とははっきりわからずとも、王妃によく似た老婦人が、アルバート殿下の愛人に暴行を働いたニュースは、明日にも王都を廻ると思いますわ。――ごめんなさい、リジー。あなたのことは信じているけれど、わたし、王家を信じる気にはなれません。どれだけの約束が反故ほごにされたと思っていらっしゃるの?」

 わたしはまっすぐに王太子殿下を見つめる。

を明らかにしろと言うつもりはありません。でも今回の件については、わたしは引くつもりはないの。法廷でも何でも出るとこ出るわ。あの人はわたしのことを、爵位も失った卑しい平民女と罵った。わたしの父は国のために戦い、命を落としたのです。仮にも王妃が口走って許されることではないわ。このまま名誉を守られ、息子の死に心を痛めて修道院に籠った、悲劇の王妃になるなんて、絶対許せません! 戦争で父を失った国民を罵倒し、暴行した犯罪者でしょう? たとえ王妃であっても、悪いことをすれば罪に問われるべきだわ。王家だからってだけで、何でも許される時代は終わっていますのよ、王太子殿下」

 わたしの発言に、王太子殿下が雷に打たれたように愕然とし、琥珀色の目を見開いて、しばし固まっていた。
 王太子殿下はわたしの顔をじっと見つめ、パチパチとニ、三度瞬きすると、息を吸ってから言った。

「……そう、だな……その通りだ。私は王家を守ることが国を守ることだとの言い訳で、母の罪をずっと、誤魔化し続けていたのだ。――バーティに対しても、何もかも」
「兄上……?」

 アルバート殿下が問いかけるのに軽く微笑んで、王太子殿下が言う。

「すべてを明らかにすることはできないが、少なくとも今回の件については、王妃の罪を問おう。……完全に他と同じように裁くことも無理だし、今回のではたいした罪には問えないが、なかったことにはしないと約束する。その上で、王妃の精神状態を理由に、きちんと監視処置を取る。……しかし、ミス・アシュバートンの豪胆さには恐れ入るよ」

 王太子殿下が、妃殿下を見て笑う。

「ブリジット、王位の継承は関係なく、バーティはミス・アシュバートンに夢中で、他の女性を妻にするなんて、認めそうもない。無理強いすれば王位も国も捨てて、新大陸にでも逃げ込んでしまうだろう。それは、すぐさま我々自身の首を絞める。そうだろう?」
「……え、ええ……わかりますわ、あなた」

 王太子妃殿下がわたしを見つめ、目を伏せた。

「本当に、申し訳なかったわ。わたくしも、思い上がっていたの。あなたの立場を聞いていたのに、どこかでステファニーこそ正しい妃になるべき存在で、あなたのことを蔑んでいた。本当に愚かだわ……」

 王太子夫妻が立ちあがり、わたしたちは握手をして別れる。

 オーランド邸から王宮に向かう人々を見送り、殿下はわたしの耳元で言った。

「エルシー、肝心な時に側にいられなくて、済まなかった。……無事でよかった」
「ええ、大丈夫。……ただ、無茶をしたかもしれないわ。ごめんなさい」
「いや、いい。何があっても、俺はエルシーを離しはしないから」

 殿下と口づけを交わすのを、周囲の人たちが見て見ぬ振りをするのを感じて、わたしは恥ずかしくて死にたくなった。

しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...