【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第三章

悪意

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 隣室に用意されたビュッフェ形式の軽食。アルバート殿下は空いた四人席にわたしを座らせ、料理を取りに行こうとする。

「待ってください殿下、料理なら僕が――」
「お前はシャーロット嬢の料理を取るんだよ。俺のじゃなくて」

 殿下がカーティス大尉を窘める。見れば、シャーロット嬢は茫然と突っ立ったままだ。わたしは正面の椅子にシャーロット嬢を誘う。

「こういう場所では、殿方に料理を取っていただくものなんですってね。シャーロット嬢もカーティス大尉にお任せして、お座りになったら?」
「で、で、でも……」

 おろおろする彼女を余所に、殿下はさっさと料理を選び始める。

「ジョナサン、休憩時間はそんなにない。早くしろ」

 不機嫌そのものの殿下に急かされ、カーティス大尉はシャーロット嬢に座るように指図し、慌てて料理を取りに行く。わたしはその間に、テーブルに備え付けの取り皿とカトラリーを人数分並べる。
 
 やがて、殿下とカーティス大尉が料理の乗った皿を持ってきた。給仕がワインのグラスを運んできて、簡単な食事を摂る。サンドイッチや一口パイ、カナッペ、ハム、チーズ、野菜の盛り合わせ。

 カーティス大尉が殿下に言う。

「大変な騒ぎになりましたね」
「まったくだな。昔から、王子ってだけで寄ってくる女はいたが、ここまでじゃなかったのに」

 肩を竦める殿下にわたしは心底感心して言う。

「あんなにおモテになるなんて、びっくりですわ」

 殿下は不快そうに眉間に皺を寄せる。

「どうも、今まではステファニーに遠慮していたらしいな」
「エスコートの相手が愛人のわたしなら、遠慮する必要はない、と思ったのかしら?」

 わたしが首を傾げれば、カーティス大尉がその場を取り繕う。

「戦争が終わって、戦地から若い男たちが戻ってきて、今、社交界は相手探しですごいんです。不幸にも婚約者に死なれてしまったご令嬢や、生きて戻ってきたものの、離れていた間にお互いすれ違ってぎくしゃくして、婚約を解消することになったり。結構、組み換えも起きていて。現に、殿下もそうですから、あわよくば殿下に見初められて……と考える令嬢がいても不思議じゃありません」
「……俺はステファニーとの婚約は白紙に戻していたんだぞ? 勝手に心変わりだと決めつけやがって」

 殿下は憮然として、ワインを呷り、さらに言った。

「それにしたって、あんなのは初めてだ。……昔はもうちょっと節度あるというか、ステファニーにバレないようにこっそり、声をかけてくる感じだったんだが」

 もしかして、ステファニー嬢の目を盗んで、女性と逢うこともあったのかも。殿下とステファニー嬢の年齢差を考えれば、あり得ない話ではない。……だいたい、殿下は女性の扱いに妙に手慣れているし。

 今まであまり考えたことのなかった、殿下の過去の女性関係にわたしが思いを馳せていると、殿下が言う。

「さっき、あの年増女から面白い話を聞いたぞ? 何だと思う?」
「年増女? もしかして、ミセス・デイジー?」

 わたしが尋ねれば、殿下は笑顔を作っていたが、目は笑っていない。そしてとてつもなく不機嫌そう。

「デイジーが、何を言ったのです?」

 カーティス大尉の問いに、殿下が吐き捨てるように言った。

「〈シャーロットが気にしている。ジョナサンと、ミス・アシュバートンがただならぬ仲だと〉」
「えええ?」

 カーティス大尉とわたし、そしてシャーロット嬢も絶句する。

「……たしかに、聖誕節の買い物に護衛として付き添い、その時にドロシーとシャーロットに会いましたが――」
「シャーロットはお前たち二人の仲を誤解して、故郷に帰ると言ったのだったな?」
「はい。……ですが、誤解はすぐに解けました」

 カーティス大尉が慌てて弁明し、シャーロット嬢も真っ青になって、必死に頷く。

「その話を、デイジーは何故知っている?」
「……ああ、それは、聖誕節に家族・親族で集まった中にデイジーもいて……ドロシーが何やら面白可笑しく喋っていて、殿下に関することは喋るなと、僕が釘を刺したのですが……」

 全てを喋らなくても、カンのいいミセス・デイジーはシャーロットの誤解を察したのだろう。

「申し訳ありません! 妹がとんだ――」
「それはいい。都会に慣れない小娘が、護衛と護衛対象の仲を勘違いするなんて、よくあることだ。問題は、あの女、それをネタにエルシーを中傷し、俺に迫ってきやがった」
「まさか? デイジーが?!」

 殿下は不愉快そうに、一口大のチーズタルトを口に放り込む。

「ミス・エルスペスはとても美しいが、彼女は昔から、男を惹きつける魔性で、ジョナサンもその魅力に囚われているんだろう、なんて言いながら、俺にしなだれかかってきやがった。気色悪い!」

 殿下は相当イラついているのだろう、胸ポケットから紙巻煙草シガレットを取り出し、だが食事中と気づいてまたポケットに押し込む。

 つまりミセス・デイジーは殿下に向かい、わたしとカーティス大尉の仲が怪しいと吹き込み、さらに自分を売り込もうとした。……昔からって、わたしは彼女とは初対面だし、魔性の女なんて言われたこともない。

「ミセス・デイジーは、カーティス大尉のお兄様の婚約者だったそうですわね? しかも、婚約するという話もあったとか――」

 わたしの問いかけに、カーティス大尉とシャーロット嬢が頷く。シャーロット嬢の顔色は真っ青だ。
 兄の婚約者が、その死後、弟にスライドするなんてのは、よくあることだと聞く。カーティス家は結局、弟である大尉と、デイジーの従妹のシャーロット嬢を婚約させているのだから、家と家との結びつきを重視していたに違いないのだ。にもかかわらず――。

「なぜ、カーティス大尉とデイジーは婚約しなかったのですか?」

 シャーロット嬢がぐっと息を呑む気配がした。カーティス大尉は困ったように下を向き、しばしの逡巡の上、言った。

「……十年前、挙式直前で兄が死んだのですが、その死因が……」

 カーティス大尉は声を潜め、ほとんど聞き取れないくらいの声で言った。

「その……秘密なんですけど、王都の高級娼婦に入れあげて、娼婦のヒモと喧嘩になって殺されたんです」

 まさかの告白に、わたしも殿下も目を見開く。シャーロット嬢も驚いていたから、一族の重大な秘密だったのだろう。 
 
「そんな理由で婚約者に死なれてしまったデイジーに対し、我が家は責任を感じて……当時僕はまだ、士官学校卒業前だったんですが、デイジーにプロポーズしたんです。でも――」  
「彼女は断ったんですの?」
「ええ」

 カーティス大尉が頷く。

「婚約者の不実は許せないし、その弟との結婚も今は考えられないって。それで、僕の家からはいくばくか迷惑料を支払う形で決着したんです」
「でも――」

 わたしがチラリとシャーロット嬢を見た。

「ミセス・デイジーは、カーティス大尉のことが好きだと思いますわ。……少なくとも、シャーロット嬢をいびるくらいには」

 ギクリと硬直するシャーロット嬢を見て、カーティス大尉が目を見開く。

「デイジーが、ですか? でもなら――」
「好き、とかじゃなくて、単純に結婚相手としては、ジョナサンの方が格上だと、逃がした魚が惜しくなったのかもな。フランクってのは、もしかして、王都のフランク商会? あの死んだ前会長だとしたら――あ、それでか!」

 殿下が思い出したと、小さく叫んだ。

「バーナード・ハドソンが、フランク商会の前会長は、若い後妻が不倫して、その後めっきり老け込んだと言っていた。つまりその後妻が、あの女ってことか!」
「不倫――? デイジーが?」

 カーティス大尉とシャーロット嬢がギョッとした表情でお互いの顔を見合わせる。

「……デイジーは未亡人になった後、義理の息子と折り合いがよくないと聞いていましたが、まさかそんな理由だとは……」
 
 戦地にいたカーティス大尉はもちろん、善良なカーティス家の人々も、そして田舎に暮らすパーマー家の人々も、全く気付いていなかったらしい。

「……エルシーはあの女にあったことはないんだな?」

 突然、殿下に聞かれて、わたしが頷く。

「ええ、今日が初対面ですわ。でも、わたしが昔から魔性とか、適当なことを言ったようですわね?」
「あの女、俺がリンドホルム城の庭の一部を買おうとしているのを、知っていた」

 わたしがハッとして手を止める。

「あの女、お前が庭を取り戻すのを目的に俺に近づいたんだ、なんてぬかしやがった。いったい、誰から聞いた話なのか――」

 わたしの脳裏に、ある名前が浮かぶ。

「……ダグラス・アシュバートン?」

 

 
 

 素早く食事を終え、わたしたちが大広間ホールに戻る。ピアノの前で、マールバラ夫妻とさきほどの騒ぎで尻もちをついてしまったワインカラーのドレスのご令嬢が、何やら話し合っている。彼女の手首には、白い包帯が巻かれていた。転んだ時に手首を捻ったのかもしれない。

 わたしたちが入っていくと、ヴァイオレット夫人がわたしたちに言った。

「アルバート殿下、先ほどの騒ぎで、こちらのお嬢様が手を怪我して、ピアノが弾けなくなってしまったのですわ。それで、一人、演奏者がいなくなってしまったので、どうしようかと相談していたところで……」
 
 そこに、グレイのドレスのミセス・デイジーがやってきた。

「デイシー? 演奏を引き受けてくださる方はいらっしゃった?」
「ヴァイオレットおば様! わたくし、いいことを思いついたんですの!」

 ミセス・デイジーはわたしたちを振り向いて、妖艶に微笑んでみせた。
 
「シャーロットがいますわ。それから、ミス・アシュバートン。この二人に弾いていただけばいいわ。ねえ、シャーロット? ピアノ得意でしょう?」

 無邪気を装ったその表情の下にある悪意を、わたしははっきりと嗅ぎ取った。
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