【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第三章

ローズの墓

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 ビリーの死体を掘り返し、司法解剖に回す。
 ――想像するだけで恐ろしくて、全身が震えてしまう。

 サイラスおじ様が、ビリーを殺した? 毒か、何かで――?
 
 わたしは首を振る。それは、あり得ない。

「……以前も言ったように、ビリーが倒れた段階では、サイラスおじさまは継承者じゃなかったんです。ビリーを殺す理由が――」

 だが殿下は言った。

「ビリーの次ぎの継承権者だったジェームズ・アシュバートンについても調べた。彼はマックス・アシュバートンとほぼ同じころ、東部戦線で戦死したが、彼の戦死の報がリンドホルムに来るのはかなり遅れた。当時、リンドホルムは、マックスの戦死で混乱していたから、親戚の一人の戦死が伯爵位の継承に関連するなんて、考えるものはいなかった。――たとえ、ビリーに何かあったとしても、戦死者の遺族であるエルシーへの代襲相続が認められると、誰もが考えていたから」

 殿下は少し考えるようにして、窓の外に視線を送る。ガラガラと、車輪の音が響き、しばらく沈黙が続いた。

「……これが、どういう意味を持つのか、あるいは持たないのか、俺はよく、わからない。ビリーに子供が望めないことを、マックスの外、主治医のサイラスと、顧問弁護士のジェファーソン、それからたぶんだけれど、執事のアーチャーは知っていたと思う。そして彼らは、ビリーの次ぎの継承者であるジェームス・アシュバートンの戦死は知らなかった」

 わたしは殿下の言おうとすることが理解できず、ただ、車輪の音を聞いていた。

「戦死者の遺族に女児しかいない場合の代襲相続の特例は、通例、戦死から一年かそこらしか認められない。例えば、ビリーが十年後に男児を残さすに死んだ場合、エルシーへの相続は、普通なら無理だ。事前に申請をしていれば可能だが、二十四歳の男盛りが、自分に男児が生まれない可能性を考えるだろうか?……少なくとも、俺はそんな可能性は考えたことはない」
「……でも、お父様は国王陛下に請願して、ビリーの死後はわたしに代襲相続を認めるという、確約を得ていたのでしょう? だったら――」
「それは国王との密約だ。それはマックスが無事に帰国してから後、ビリーの成長を待って明らかにする予定だった。当然、サイラスも弁護士のジェファーソンも、内密の書類だからアーチャーですら知らないことだろう。それを知っているのは国王と、マックスの元上司であるマールバラ公爵、そしておそらく――」

 殿下はそれ以上は何も言わず、馬車の中には沈黙が降りた。 



 殿下の話は、どこかがおかしかった。
 重要な部分が繋がっていない気がした。

 ビリーが子を生せない可能性を知って、わたしへの相続の確約を求めた父。
 ビリーの秘密を知りながら、国王との確約を知らなかった、サイラス、執事のアーチャー、弁護士のジェファーソン。
 ビリーの次ぎの継承権者だった、ジェームズ・アシュバートンの戦死の報は、リンドホルムには遅れて届く。
 慌ただしく埋葬されてしまった、ビリー。

 そして国王との確約がありながら、なぜか却下されたわたしの相続。
 
 ――いくつかの悪意と、偶然が重なった。
 
 マールバラ公爵の言葉が、わたしの中でぐるぐると回る。
 それはある一つの方向を指し示している気がしたけれど、わたしはそれ以上考えるのを放棄した。

 殿下も口にしなかったそれは――それは、あまりに恐ろしく、罪深いことだったから。


「ビリーは、静かに眠らせてあげたいの――」

 わたしの言葉に、殿下も頷く。

「気持ちは、わかる。だが、このまま引き下がれば、リンドホルムを守ることはできない。お前と俺の結婚も――」
「爵位がなければ結婚は無理だと言うなら、わたしは――」
「違う、そうじゃない!」

 殿下が慌てて言う。

「奴らがビリーを殺したのは、間違いないと俺は確信している」

 わたしはまだ信じられない。信じたくない。

「お前を守るためなんだ、エルシー……」

 わたしは、ビリーの墓を暴くことに、同意できなかった。






 気まずいまま、馬車は王都の東の郊外、聖カタリーナ修道院の墓地に着いた。

「エルシー……ローズの墓に一緒に来てくれないか」
「ええ、もちろん」

 殿下に馬車から援け下ろされ、わたしたちは広い墓地内を奥へと進む。
 王都でもっとも広い墓地は、昨夜の雪がまだ、あちこちに残って、たくさんの墓標も白く覆われていた。

「ローズは無縁墓地だから、一番奥なんだ」

 かなりの距離を、わたしたちは小さな墓標の中を歩く。

「ここだ」

 雪を被った小さな石の墓標には、ただ「ローゼリンデ・ベルクマン」と刻まれていた。殿下は墓標の雪を払うと薔薇の花束を捧げ、帽子を取って頭を垂れた。

「……ローズ。マックスの娘の、エルスペス嬢だ。俺の、恋人。……今はまだ、いろいろ制約があるが、俺は彼女と結婚するつもりでいる。幸せになるから……」

 殿下が語り掛けるのを、わたしはただ、無言で見守り、殿下とともに祈りを捧げる。

 ローズ……あの、秘密の庭の持ち主。
 ローズも去り、サム爺も亡くなった。……あの庭は荒れ果てて、有刺鉄線の向こうに……。

「ローズの庭も、取り戻す。必ず。……見守ってくれ。ローズ……母上……」

 絞り出すような殿下の言葉に、胸が締め付けられる。
 生きている間、母と呼ばれることも、母と名乗ることもできなかった二人。
 彼女は、わたしの父を愛していたのか。それとも、国王陛下を――?

「行こう、エルシー。カタリーナ修道院の礼拝堂は、今日は一日、開放されている。一緒に祈ってくれ。……おばあ様と、マックスと、それから、ビリーのために」
「……ええ。ついでに、わたしの母も入れてもらえるかしら?」
「ああ、もちろんだよ。……ヴェロニカ夫人を蔑ろにするつもりはなかった。すまない」
「いいわ。ほんの冗談よ?」

 わたしと殿下は手を繋いで礼拝堂へと向かう。

「……実を言えば、ヴェロニカ夫人は俺のことを少し、疑ってた」
「ええ?」

 わたしが目を瞠って殿下を見上げれば、殿下は苦笑いして言った。

「マックスに、ローズという許嫁がいたことは知っていただろう。その息子を夫のマックスが突然、連れて帰ってきたら平静ではいられないんじゃないか?」

 子供だったわたしには、大人の複雑な事情など全然、わかっていなかった。

「でも、おばあ様とマックスの様子から、俺はマックスの息子じゃないってわかったらしい。最初はトゲトゲしかったけど、後からは親切だったよ。エルシーとビリーを差別してたのは気に入らなかったけど、おかげで俺はエルシーを独り占めできたしな……」

 普通、十四歳のよその息子が、七歳の自分の娘に纏わりついたら警戒するんじゃないかしら。……母はとことん、わたしに興味がなかったのだなと思う。
 わたしがそう言えば、殿下は少しだけ気の毒そうに言った。

「……俺の予想だけど……ヴェロニカ夫人から見て、エルシーはローズに似過ぎていたのかもしれない」
「……わたしが、ローズに?!」

 そう言えば、わたしはローズの顔を知らなかった。

「髪の色とか、瞳の色とかね。……もちろん、要するにマックス似というか、おばあ様似なんだけど。ヴェロニカ夫人としては、複雑だったんじゃないか」
「……父と母は円満だと思っていたわ」
「円満だったよ。マックスはヴェロニカ夫人を大切にしていた。……マックスはローズを愛していたけれど、幼馴染とか、妹みたいな部分もあったんじゃないかな。俺の父との関係は、ローズも納得はしていたみたいだし」

 かつては結婚を誓った相手ではあっても、他の男の愛を受け入れ、子を産んだ。――それが、リンドホルムの為と思えばこそ、父は苦い思いを噛みしめたに違いないが、自身の家族を蔑ろにするつもりはなかったのだろう。

 殿下と手を繋いで墓地を抜けるころ、墓地の周囲を廻る並木の木陰に、人影があった。
 初めは離れて守る護衛の人かと思ったけれど、様子がおかしい。殿下がわたしの手をギュッと握りしめる。
 隠れていた護衛の人たちが、わざと姿を現す。人影が揺らいだ。

「――ハートネル! 貴様か!」

 殿下が声をかけると、人影が進み出た。

「お久しぶりです。アルバート殿下」

 男は帽子を取って胸に当て、儀礼的に礼を取る。

「何のつもりだ。エルシーに纏わりつくな」
「卑怯なあなたから、彼女を取り戻すためです」

 わたしは思わず、殿下の腕に縋りつく。……取り戻すって何。一度としてハートネルのものになったことなんて、ないのに。

「エルシーは俺のものだ。お前のものじゃない」
「あなたが無理矢理奪ったくせに。彼女の祖母の病気と、経済的な困窮につけ込んで、力ずくで汚した。彼女に力がなく、王子妃なんてなれないのをわかっていて、尊厳を踏みにじり、愛人にした。――卑怯にも、カネと権力をチラつかせて」

 殿下が反論できずに黙り込むと、ハートネルはさらに煽った。

「僕なら、彼女をそんな目に遭わせなかった。ちゃんと正規の手続きの上で求婚して婚約して、晴れて夫婦になれた。……そりゃあ、あなたほどの贅沢はさせられなくても、おばあ様の治療だってきちんと受けさせる余裕くらいあった。何より! 孫娘を愛人にされたショックで、老婦人を死なせるようなことにならなかった! すべて、あなたの傲慢と我儘が招いたことだ!」
「ち、違います!……殿下のせいじゃ……」

 言い返さない殿下の代わりに、わたしが口を挟もうとしたが、言葉が続かない。ハートネルの発言が正しいせいじゃなくて、この場に現れたハートネルが恐ろしくて、声が震える。

「エルシー……君は騙されてる。殿下がなんて甘い言葉を吐いたか知らないけれど、殿下は君を王子妃に迎えるつもりなんてないよ。レコンフィールド公爵令嬢との婚約は議会の承認も下りて、結婚は秒読みだ。君はこのまま愛人にされるか、捨てられるかどちらかだ。エルシー、目を覚ますんだ」
「……や、やめて!」 
 
 わたしが殿下に縋りつくと、殿下がわたしを抱き締める。殿下の護衛がハートネルの周囲に集まり、排除に動く。

「勝手に決めるな。俺はエルシーを手放すつもりはないし、ステファニーとも結婚しない。お前は振られたんだ、諦めろ」
「諦めませんよ。だって、あなたの側にいても彼女は幸せになれない。彼女が愛人と非難されているのも何もかも、あなたのせいだ。あなただってわかっているんでしょう? 卑怯な、堕ちた英雄さん?」

 護衛に間に入り込まれ、ハートネルが叫ぶ。

「エルシー、僕はいつだって君の味方だ! いつまでも君を待ってる!」
「気安く呼ぶな、不愉快だ! 連れていけ!」

 護衛たちに排除を命じ、ハートネルが連行されていく。
 バシャッとフラッシュの音がして、見ればカメラマンと記者が――いつか、駅で見かけた二人だ――逃げていく。ハートネルを排除しようとしていた護衛の一人が追いかけるが、彼らの方が逃げ足が速かった。

「……くそっ、あいつら……」

 逃げ去っていく二人の後ろ姿を見ながら、殿下が忌々し気に吐き捨てた。





 数日後、アルバート王子が金と権力と使い、恋人のいる女性を力ずくで愛人にした、とのゴシップ記事が出た。
れっきとした婚約者がいるのに力のない没落した貴族令嬢に目をつけ、経済的な困窮につけ込んで自分のものにした。戦場での功績に溺れた、「堕ちた英雄」だと――。
 
 ゴシップ紙の写真には、恋人を取り返そうとして、護衛たちに阻まれる憐れな男と、なすすべもない無力な愛人の姿が写っていた。

 その三流のゴシップ紙の記事など、初めは誰も気に留めなかった。だが静かに、噂は王都に広まっていった――。
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