【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第三章

ビリーの秘密

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 午後、久しぶりに、殿下と二人で外出した。
 本当は喪服で動きたかったのだけれど、最近、三流ゴシップ紙が立て続けに喪服姿のわたしの写真を掲載し、新聞記者たちがわたしの喪服を目印にしているかもしれないと言う。たしかに、喪服はただでさえ目立つ。それで、わたしは黒い喪服の上に、普通のツイードのコートと帽子を被って誤魔化すことにした。
 
 殿下は王都のとある新聞社を買収し、さらに、他社に対しても、わたしについての報道を控えるよう、圧力をかけた。おかげで、大手の新聞社の報道は落ち着いたのだが、代わりに三流の新聞社が暗躍するようになった。このクラスになると殿下といえども統制など効かない。

「コバエだと思って、無視するしかないな」

 殿下が溜息交じりに言う通り、差し当たって手の打ちようはない。

 今日は、殿下もありがちなオーバーコートに中折れ帽で身をやつし、ステッキを持って馬車に乗る。出がけに、ジュリアンが花屋から届けられたという、温室咲きの薔薇の花輪リースを渡す。

「薔薇が萎れないうちに、墓地から回ろう」

 殿下に言われ、わたしは目的地に気づく。

「……ローズの、お墓ですの?」
「ああ。普段はこんな時期には行かないんだけど、おばあ様の件もあるし、ローズに報告したいと思って」

 おばあ様が亡くなってからは、バタバタ忙しくて墓参りにも行けなかったそうだ。

「……ローズの墓を、いずれリンドホルムに移したいと思うけれど、難しいだろうな」

 馬車の中で殿下が呟く。ローズはおばあ様の従妹の娘で、正式な養女になっているわけではない。

「そもそも、リンドホルム城も、もうわたしの家じゃあないのですから」
「……そのことだが……」

 殿下が躊躇いがちに言った。

「俺は――エルシーの爵位を取り戻したいと思っている。俺たちが正当に結婚の許しを得るには、それが一番、近道なんだ」

 殿下の言葉に、わたしはハッとして、姿勢を正す。

「……わたしが、リンドホルム伯爵の継承人である方が、議会の承認を得やすいということなのですね?」
「有り体に言えばそうだ。……それに、言いにくいが、現在のリンドホルム伯爵がサイラス・アシュバートンのような男だというのは、王子の妃の親族としては望ましくない」
「ええ、わかります」

 サイラスはもともと、町医者だった。爵位を継ぐ可能性もほぼなく、上流階級との付き合いもない。田舎の気のいい、穏やかな人だと思っていた。……あの日、ビリーが死んだ日までは。

「サイラスはともかく、ダグラスはさらにまずい。……王都では違法な先物取引にも関与していたらしいし、さらに商家の夫人と不倫関係になって金を貢がせていたりと、調べれば調べるだけ埃が出てくる。こういうチンピラが身内にいるっていうのは……」

 殿下が言いづらそうに言葉を濁す。

「でも、親戚は仕方がありませんわ。代襲相続が却下されてしまったわけですし」
「そうなんだが……代襲相続の請願が却下された理由が不自然なことをついて、相続のやり直しを求めたいところだが、が悪いんだな」
「……?」

 殿下はわたしを抱き寄せたまま、記憶を辿るように、窓の外を見た。

「……ビルツホルンでの、マールバラ公爵との話を憶えているか? マックス・アシュバートンは、ビリーが男児をせなくとも、必ず娘のエルシーに代襲相続させることを条件に、出征を受け入れた、と」
「ええ、憶えています。なのに、国王陛下はわたしの代襲相続を却下した」

 国王陛下は父からローズを奪ったばかりか、父の命懸けの請願を反故ほごにした。マールバラ公爵は、いくつかの偶然と悪意が重なった結果だと、言ったけれど、どう説明されたところで、納得いくとは思えない。

「……マックスは、ビリーには子供が作れないと知っていた」
「え?」

 わたしは驚いて殿下を見た。馬車の、車輪の音が響く。

「ジョンソンに聞いたことだが、ビリーは、おたふくかぜを患ったそうだね。それも、かなり重い――」
「そんなことが、あったような気も――」

 ビリーはしょっちゅう、何かしら病気をしていたから、わたしは記憶していない。

「あれにかかると、男性は子種を失うことがある。――マックスが出征する前の年、ビリーの進学する学校を決めるために、王都に出かけただろう?」
「……そう、言えば……」

 父とビリーだけで王都に出かけて……わたしも本当は行きたかったのに、祖母と留守番したのだった。

「その時、マックスは王都の王立診療所でビリーを診察させたそうだ。……その、カルテが残っていた」

 わたしが、無言で殿下を見上げる。殿下の金色の瞳が、わたしをまっすぐに見た。

「――子供を生せない可能性がかなり高い、という診断結果だったが、ビリー本人には伏せられた。まだ、理解できなかっただろうから」
「……そのことを知っているのは――」
「マックスと、主治医のサイラス。そして、顧問弁護士のジェファーソンと、おそらくだが、執事のアーチャー」
「おばあ様は……」
「おばあ様には、伝えていないと言っていた。……俺は、戦地でマックスから聞いた。このままでは、リンドホルムの直系は絶える。ビリーの次ぎの法定相続人であるジェームス・アシュバートンは、リンドホルムに何の愛着もない人間で、彼に任せることはできないとマックスは考えた」

 殿下がわたしを抱き寄せ、耳元で言った。

「すべては、娘のエルシーに伝えたい。リンドホルムの城とローズの愛した庭を守るためにも――」 
「……お、とうさま……」

 涙が零れ落ちる。どうして――。

 どうしてその請願が反故ほごにされているのか。
 
「……弁護士のジェファーソン先生は、わたしの代襲相続が認められないはずがないと、何度も王都に足を運んでくださったわ。なのに――」

 顧問弁護士に下された却下の理由は、父の戦死の状況がはっきりしない、という理由だった。あの頃はグリージャの中立破棄で西武戦線の戦況が悪化し、戦線は崩壊直前だったらしい。陸軍司令部も混乱して――。

「あの時のシャルローの奇襲で、俺の部隊はほぼ、全滅だった。俺の生存も絶望視されたくらいだから。でも、マックスが俺の盾になって俺を庇ったことは、父上にも報告していた。……だから、まさかマックスの家の代襲相続が却下されるなんて、想像もしていなかった」

 殿下はわたしを抱き締めたまま、低い声で言う。

「俺は帰国後にその事実を知り、当然ながら法務局に問い合わせた。だが、法務局に残っていた申請書類の却下の理由は、〈書類の不備〉だった。それで俺は、当初、顧問弁護士がサイラス・アシュバートンと結託したのではと疑った」
「そんなはずはないわ! だって、あの時点では、サイラスおじ様は法定継承人ではなかったもの!」

 わたしが叫べば、殿下も頷いた。

「そう……弁護士のジェファーソンにももちろん、話を聞いた。彼は何度も法務局に出向いて問い合わせたし、陸軍にも問い合わせた。だが結果はすべて却下だった。ジェファーソンには理解のできない理由で、誰かが申請を握りつぶしたんだ」
「そんな……いったい誰が――」

 わたしの問いかけに、殿下が眉を寄せる。

「国家の上層部は、シャルローの状況を明確にできない理由がある。〈マックスが俺を庇って死んだ〉、その状況を客観的に明らかにする、調査を国王は打ち切った。だから、〈マックスの戦死の状況ははっきりしない〉ままになり、戦死状況の詳細を記した書類が存在しないとして、申請は却下された。……つまり、代襲相続の却下を覆すには、国の上層部を動かさないといけない。でも、戦死者の代襲相続が認められていない、という点は、国としては公にしたくない。俺がが悪いというのは、そういう意味だ」

 殿下の大きな身体に抱き寄せられていても、わたしの心は冷えていく。国のために命を懸けた父の願いを、国家は何かの理由で反故にし、そのまま握りつぶした。どうして――。

「だが、もう一つ、疑惑がある。ビリーの死因だ」

 わたしがビクっとして、殿下の顔を見上げれば、殿下はまっすぐ、金色の瞳で見下ろしてくる。
  
「ビリーが倒れた時、同席していたサイラスが主治医としてアレルギーだと断定し、それで死亡診断書も書かれた。なぜ、誰も異議を唱えず、数日後にはさっさと埋葬してしまった。俺はそれが一番、不自然だと思っている」
「それは――おばあ様もわたしも、ただ茫然として……」

 わたしは意気地がなくて、変わり果てたビリーの遺体をよくよく眺めることすらできなかった。ただなすすべもなく泣き暮らして――。

「それは仕方がない部分もある。直前に父親のマックスの戦死が伝えられ、死体すら戻らなかった。その直後の、ビリーの突然の死。心臓の弱いおばあ様や、十六かそこらのお前が、死因に疑問を抱いて対処するなんて、無理だろう」

 わたしは殿下に縋りついて、あの時のことを反芻する。
 半狂乱になったおばあ様を宥め、自分だって半ばパニックだった。すべてはスミス夫人と、執事のアーチャーに任せきりで――。

「ビリーの死因のアレルギーだが、やはり怪しいと俺は思う。それ以前に大きな発作もなく、いきなり死亡する事例もないし、そもそも、主治医が側にいたのに対処が間に合わないなんて、あり得ないだろう? あれが他殺であれば、間違いなくサイラス・アシュバートンが関係している。死亡診断書を書いたのは、ヤツなんだから。それが証明できればサイラスの相続をひっくり返せるし、エルシーへの相続をもぎ取ることができる。だから――」
「でも証明する法なんて、ありますの?」
「……ビリーの死体を掘り返して司法解剖に回せば――」
「やめて!」

 わたしは思わず叫んでいた。

「もう、そんなことはやめて! ビリーはまだ十四歳だったのに。領地のために殺されるなんて、あんまりだわ」

 両手で顔を覆ったわたしを抱き締める、殿下の腕に力がこもる。

「だが、罪を暴かなければ、ビリーはずっと……」
「すごく苦しそうだったのに、わたしは何もできなくて――あれが人殺しだっただなんて、そんなの、あんまりひどい――」
「エルシー……」

 殿下が、わたしを正面から見据えて、言った。

「だからこそ必要なんだ。ビリーや、マックスの無念を晴らすためにも。そうだろう?」

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