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第二章
大聖堂
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かなり夜遅くになって、殿下がグルブラン宮殿から戻っていらした。
わたしはギリギリの時刻まで、エヴァ嬢の部屋で彼女を慰めていて、殿下のご帰還を聞いて慌てて殿下の部屋に急ぐ。
わたしが部屋のドアをノックすると、すぐにドアが開き、殿下に強引に室内に連れ込まれ、唇を奪われる。
「んっ……リ、ジー、……だめっ……」
「部屋にいなかったから、心配したぞ?」
「ごめんなさい、エヴァ嬢が落ち着かなくて……」
殿下がわたしの腰を抱いてソファに導き、並んで腰を下ろす。
「フェルディナンドの話を聞いてきた。……フェルディナンドとしては、従妹のマルティナは幼すぎて、結婚する気にならないそうだ」
「じゃあ、エヴァ嬢を愛していると?」
わたしはフェルディナンド大公の様子を思い浮かべる。貴族的な、非の打ちどころのない貴公子だが、少しばかり気が弱そうに見えた。
「フェルディナンドは、エヴァンジェリア王女と再婚約するつもりでいたが、両親、とくに母のアデーレ妃が強硬に反対しているらしい。今回は、身分を隠して突然やってきたエヴァ嬢に非があるので、フェルディナンドも強く言えなかったと」
「エヴァ嬢はアデーレ皇太子妃に結構ひどいことを言われたらしくて、ショックを受けているの」
殿下が眉を顰める。
「貴賤結婚が云々と、エルシーを貶めたババアだな。クソ、一発くらい殴らせろ思ったが、我慢したんだぞ? 褒めてくれよ」
「殴っていたら大変なことになっていたわ。我慢して当然です」
わたしがあっさりといなし、溜息をつく。
「お互いに愛し合っていても、あんなお姑さんでは大変ね。――お母様もおばあ様には苦労していたし」
「それでだ、フェルディナンドはエヴァンジェリア王女が邸を出て行ったとの知らせを聞いて、実は会場でかなり慌てていた」
わたしが驚いて殿下を見る。
「そうなのですか――」
「ああ、ちょうど、ロベルトがジュリアンを使いに寄越したから、俺もエヴァンジェリア王女がランデル大使館にいるとわかった。だから、フェルディナンドにその旨を伝えたら驚いて、明日にもランデル大使館に来ると言うんで、必死に止めた」
「どうして! エヴァ嬢は彼に会いたがっているのに!」
わたしの言葉に、殿下が笑う。
「うちの大使館を修羅場にするつもりか? フェルディナンド大公が外国の大使館を訪問して、女と逢い引きなんかしてみろ。しかも身分を隠した外国の王女と。バレたら大事になるぞ? だから外で、密かに会わせることにした」
「外?」
殿下が頷く。
「明日、朝の内に聖ゲオルグ大聖堂に行く。……もちろん、エヴァンジェリア王女も一緒に。向こうで、フェルディナンドと待ち合わせる。とにかく二人で話し合いをさせて、その間、俺たちは懺悔して――」
懺悔のことをこんなに気にするくらいなら、わたしを抱かなければいいのにと思ったけれど、エヴァ嬢をフェルディナンド大公に会わせることには、わたしは同意した。
翌日、朝食を済ませて、わたしと殿下、それからエヴァンジェリア王女とで地味な馬車に同乗して、聖ゲオルグ大聖堂に向かう。……見かけは外国からの旅行者にしか見えないはず。
「わたくし、あなたのことを誤解していましたわ、アルバート殿下」
わたしもエヴァンジェリア王女もシックなツイードのスーツを着て、頭にはトーク帽を被っている。……エヴァ嬢はわたしの付き添いという風情だ。
「たまたま、混乱しているフェルディナンド大公を見て、声をかけただけだ。その代り、話合いは二人でやってくれ。俺たちは大聖堂ですることがあるから」
「もちろんですわ。本当に感謝しましてよ、アルバート殿下。わたくしとフェルの結婚が無事決まったら、是非、エリースと二人で結婚式にも出てくださいまし。きっとこの聖ゲオルグ大聖堂で式を挙げることになるわ……素敵だわ……トレーンを長く引いて……ブーケはやっぱり白薔薇かしら。それとも白百合? エリースはどう思う?」
「……まだ何も決まってないのに、よく、そこまで先走れるな……」
うっとりと結婚式のブーケを夢想するエヴァンジェリア王女に、殿下も呆れている。
「ブーケの前に、フェルディナンド大公のお気持ちを確かめなければ。先走り過ぎですわ」
「そ、そうだったわね……」
聖ゲオルグ大聖堂は、高い尖塔と大きなステンドグラスの窓が特徴的な、壮麗な教会だった。わたしたちがそっと教会の中に入ると、まだ若い、白い服に司祭の刺繍の肩掛けをした聖職者が、足早にやってくる。
『ようこそ。外国の方ですか?』
『ああ、だが、ここで待ち合わせをしている人がいて――』
薄暗い教会堂の、隅の暗がりの椅子の前に、立ちあがった男性の影が見える。
『フェル……!』
エヴァ嬢が小声で叫んで、走り寄る。それを見送って、殿下はわたしの手を引いて、内陣近くの隅に、司祭を引っ張っていく。
『懺悔したいことがあるんだ。……二人で』
『お二人で? ……懺悔用の部屋は一人用で……』
『あのすみっこでいい、話を聞いて欲しい』
司祭と三人で向かい合って座れば、その若い、生真面目そうな司祭が問いかける。
『いかなるお悩みで』
『実は、彼女は先月に祖母を亡くし、まだ喪中なんだが……俺は我慢ができなくて、彼女と関係を持ってしまった。彼女は敬虔な信徒だから、喪中に淫らな行為をしたことに悩んでいて――』
そんな話を滔々と語り始め、わたしは目の前が真っ暗になり、次の瞬間、恥ずかしさで耳まで熱くなる。――司祭様の前でなんてことを!
司祭様も一瞬、目を剥いて、しばらく息を呑んでいらっしゃったけれど、すぐに我に返り、穏やかな表情で頷きながら聞いている。
『――すべては俺の我儘で、彼女は悪くはないが、懺悔することで彼女の気が晴れるならと思い――』
『なるほど。しかし、男女の営みは、神の前に誓った夫婦の間でのみ、認められるものです。見たところ、お二方はまだ――』
『神に誓えば許されるのか?』
『それは……正しき夫婦の間で、子を持つための節度を持った交わりでありましたならば、神も祝福なさっています。正しき夫婦の間以外では、戒められるべきです』
『ならば、生涯、彼女以外の妻は娶らないと、神の前に誓おう。彼女をただ一人の妻とし、生涯を彼女に捧げることを、神に誓いたい』
『リジーそれは……』
わたしが躊躇って止めるけれど、殿下は司祭様を説得していく。
『ですが、ご両親や周囲の方の賛同は……』
『俺が愛しているのは彼女だけなんだ。彼女と神に俺の誠実を示したい。その誓いを示せば、両親も俺の愛を理解してくれると思うんだ』
若い司祭様は殿下の情熱に半ば気圧されて、わけもわからず説得されてしまう。
「ちょっとリジー……いいの?」
「いいんだ、俺の自己満足で、法的な効力はない。頼むよ、エルシー」
そう言われてしまうと、わたしも大きく反対はできず、司祭様は「略式ですが」と言いながら、内陣にわたしたちを導き入れる。別の隅で話し合っていたエヴァンジェリア王女とフェルディナンド大公らしき男女が、わたしたちの動きをじっと見つめている。
司祭様は聖典のとある一説を古典語で読み上げ、神に祈りを捧げてから、殿下に問いかける。
『神の御前に、あなたはこの女性を、生涯愛し、ただ一人の妻とすることを誓いますか?』
『誓います』
『……ではあなたは、この男性を生涯愛し、ただ一人の夫として仕えることを誓いますか?』
『……誓います』
『病めるときも健やかなるときも、二人の誓いの永遠ならんことを――』
司祭様が祭壇に向かって唱えると、殿下が懐から何かの紙を取り出し、それを書見台の上に置き、横に備えてあるペンを取って、司祭様に言う。
『……ここに司祭様のサインをお願いしします』
『え?……私のですか? 私は恥ずかしながら、ランデル語はよめないのですが……』
『いえ、たいした書類じゃないんです。聖ゲオルグ大聖堂で誓ったという証明だけで。ここに、日付とあなたのサインを――』
司祭様は少し怯んだようだが、サラサラとサインをして日付を書き込む。殿下もまた自身の名を書き入れ、わたしにペンを渡し、署名欄を指さす。
「これはいったい、何の書類なのです?」
殿下の手が邪魔で、書類を読むことができない。
「大丈夫、単なる誓いの書類だ。俺の気休めだから」
――迂闊なものにサインしてはいけないと、祖母からはきつく言われていたけれど、今更サインを拒む勇気もなく、わたしは仕方なくサインする。と――。
エヴァ嬢とフェルディナンド大公が、二人して内陣に近づいてきた。
『ああ、ちょうどいい、フェルディナンド、証人欄にお前のサインをくれ』
『サイン……そんな気軽に――ってこれ!』
『いいから! 誰のおかげで彼女と話しができたと思ってる!』
この二人、いつの間に仲良くなったのだろうと思う間もなく、フェルディナンド大公は内陣まで入ってくると、渋々、証人欄にサインする。
『悪用するつもりじゃないだろうね?』
『まさか! 俺を信じろ』
殿下は書類を折り畳むと、懐に捻じ込んでしまう。
『どうもありがとうございます、司祭様、これで彼女の気も晴れる』
『いいえ、神のご加護がお二人の上にありますように。――ついでにそちらのお二人の上にも、神をご加護を』
そうやって二組のカップルに祝福を与えると、司祭様は聖典を抱えて奥へを歩み去った。
わたしたちも内陣から出て、改めて挨拶をする。
『フェルディナンドと言います。エヴァンジェリアを匿ってくれてありがとう。僕の留守中に母が勝手に彼女を追い出してしまって……聞いた時はパニックになったよ』
『ずいぶん、ショックを受けていらっしゃったけれど、お話しができたようでよかったわ』
『フェルはマルティナは妹も同然で、とてもじゃないけど結婚する気にならないって。ホッとしたわ』
エヴァンジェリア王女の笑顔に、フェルディナンド大公も肩を竦める。
『エヴァも随分と跳ねっかえりだけど、僕はエヴァがいいと思っている。これから、まずは父上を説得しようと思って』
『妃殿下の方は、ちょっと手ごわいのではなくて?』
私の問いに、大公が溜息をつく。
『ええ、どうもあなた方にも失礼なことを言ったようですね。後ろに立っていて、でも僕にも何もできず、申し訳なかった』
『ありがとう、エリース、あなたのおかげよ?』
『わたしは何もしていません。お二人の幸せをお祈りしますわ』
大聖堂の入口で、わたしたちはフェルディナンド大公の馬車に乗って、去っていくエヴァンジェリア王女らを見送る。
「なんだか、あっさり片付いたけど、上手くいくのかしら?」
わたしが呟けば、殿下が言った。
「どう考えても、上手くいくわけねぇな。どうすんだろうな」
「ええっ!……でも!」
「フェルディナンドは二十三になるっていうけど、やっぱり坊ちゃんだな。昨夜、マルティナっていう従妹をエスコートした意味がわかってない。今さらグリージャの王女と結婚するなんて言っても、揉めると思うぞ?」
わたしは茫然と殿下の顔を見上げる。殿下が気まずそうに肩を竦める。
「王族の結婚に、外国の王族が介入なんてしたら、話をややこしくするだけだ。彼女を保護し、二人で話し合う時間をつくってやっただけでも、上出来だ」
「……そうですわね」
そもそも、わたしたち自身、他の人の世話を焼いていられる状況じゃないし――。
俯いたわたしに、殿下が微笑みかける。
「さ、俺たちも戻ろう。神様に誓ったことだし、今夜からは心置きなくヤれるな?」
「もう! リジーったら、そればっかり!」
殿下の手の甲を抓ってやれば、殿下が顔を顰め、それから笑った。
――ちょうど、大聖堂の正午の鐘が鳴り響き、聖堂前の広場の、鳩が一斉に飛び立った。
わたしはギリギリの時刻まで、エヴァ嬢の部屋で彼女を慰めていて、殿下のご帰還を聞いて慌てて殿下の部屋に急ぐ。
わたしが部屋のドアをノックすると、すぐにドアが開き、殿下に強引に室内に連れ込まれ、唇を奪われる。
「んっ……リ、ジー、……だめっ……」
「部屋にいなかったから、心配したぞ?」
「ごめんなさい、エヴァ嬢が落ち着かなくて……」
殿下がわたしの腰を抱いてソファに導き、並んで腰を下ろす。
「フェルディナンドの話を聞いてきた。……フェルディナンドとしては、従妹のマルティナは幼すぎて、結婚する気にならないそうだ」
「じゃあ、エヴァ嬢を愛していると?」
わたしはフェルディナンド大公の様子を思い浮かべる。貴族的な、非の打ちどころのない貴公子だが、少しばかり気が弱そうに見えた。
「フェルディナンドは、エヴァンジェリア王女と再婚約するつもりでいたが、両親、とくに母のアデーレ妃が強硬に反対しているらしい。今回は、身分を隠して突然やってきたエヴァ嬢に非があるので、フェルディナンドも強く言えなかったと」
「エヴァ嬢はアデーレ皇太子妃に結構ひどいことを言われたらしくて、ショックを受けているの」
殿下が眉を顰める。
「貴賤結婚が云々と、エルシーを貶めたババアだな。クソ、一発くらい殴らせろ思ったが、我慢したんだぞ? 褒めてくれよ」
「殴っていたら大変なことになっていたわ。我慢して当然です」
わたしがあっさりといなし、溜息をつく。
「お互いに愛し合っていても、あんなお姑さんでは大変ね。――お母様もおばあ様には苦労していたし」
「それでだ、フェルディナンドはエヴァンジェリア王女が邸を出て行ったとの知らせを聞いて、実は会場でかなり慌てていた」
わたしが驚いて殿下を見る。
「そうなのですか――」
「ああ、ちょうど、ロベルトがジュリアンを使いに寄越したから、俺もエヴァンジェリア王女がランデル大使館にいるとわかった。だから、フェルディナンドにその旨を伝えたら驚いて、明日にもランデル大使館に来ると言うんで、必死に止めた」
「どうして! エヴァ嬢は彼に会いたがっているのに!」
わたしの言葉に、殿下が笑う。
「うちの大使館を修羅場にするつもりか? フェルディナンド大公が外国の大使館を訪問して、女と逢い引きなんかしてみろ。しかも身分を隠した外国の王女と。バレたら大事になるぞ? だから外で、密かに会わせることにした」
「外?」
殿下が頷く。
「明日、朝の内に聖ゲオルグ大聖堂に行く。……もちろん、エヴァンジェリア王女も一緒に。向こうで、フェルディナンドと待ち合わせる。とにかく二人で話し合いをさせて、その間、俺たちは懺悔して――」
懺悔のことをこんなに気にするくらいなら、わたしを抱かなければいいのにと思ったけれど、エヴァ嬢をフェルディナンド大公に会わせることには、わたしは同意した。
翌日、朝食を済ませて、わたしと殿下、それからエヴァンジェリア王女とで地味な馬車に同乗して、聖ゲオルグ大聖堂に向かう。……見かけは外国からの旅行者にしか見えないはず。
「わたくし、あなたのことを誤解していましたわ、アルバート殿下」
わたしもエヴァンジェリア王女もシックなツイードのスーツを着て、頭にはトーク帽を被っている。……エヴァ嬢はわたしの付き添いという風情だ。
「たまたま、混乱しているフェルディナンド大公を見て、声をかけただけだ。その代り、話合いは二人でやってくれ。俺たちは大聖堂ですることがあるから」
「もちろんですわ。本当に感謝しましてよ、アルバート殿下。わたくしとフェルの結婚が無事決まったら、是非、エリースと二人で結婚式にも出てくださいまし。きっとこの聖ゲオルグ大聖堂で式を挙げることになるわ……素敵だわ……トレーンを長く引いて……ブーケはやっぱり白薔薇かしら。それとも白百合? エリースはどう思う?」
「……まだ何も決まってないのに、よく、そこまで先走れるな……」
うっとりと結婚式のブーケを夢想するエヴァンジェリア王女に、殿下も呆れている。
「ブーケの前に、フェルディナンド大公のお気持ちを確かめなければ。先走り過ぎですわ」
「そ、そうだったわね……」
聖ゲオルグ大聖堂は、高い尖塔と大きなステンドグラスの窓が特徴的な、壮麗な教会だった。わたしたちがそっと教会の中に入ると、まだ若い、白い服に司祭の刺繍の肩掛けをした聖職者が、足早にやってくる。
『ようこそ。外国の方ですか?』
『ああ、だが、ここで待ち合わせをしている人がいて――』
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『フェル……!』
エヴァ嬢が小声で叫んで、走り寄る。それを見送って、殿下はわたしの手を引いて、内陣近くの隅に、司祭を引っ張っていく。
『懺悔したいことがあるんだ。……二人で』
『お二人で? ……懺悔用の部屋は一人用で……』
『あのすみっこでいい、話を聞いて欲しい』
司祭と三人で向かい合って座れば、その若い、生真面目そうな司祭が問いかける。
『いかなるお悩みで』
『実は、彼女は先月に祖母を亡くし、まだ喪中なんだが……俺は我慢ができなくて、彼女と関係を持ってしまった。彼女は敬虔な信徒だから、喪中に淫らな行為をしたことに悩んでいて――』
そんな話を滔々と語り始め、わたしは目の前が真っ暗になり、次の瞬間、恥ずかしさで耳まで熱くなる。――司祭様の前でなんてことを!
司祭様も一瞬、目を剥いて、しばらく息を呑んでいらっしゃったけれど、すぐに我に返り、穏やかな表情で頷きながら聞いている。
『――すべては俺の我儘で、彼女は悪くはないが、懺悔することで彼女の気が晴れるならと思い――』
『なるほど。しかし、男女の営みは、神の前に誓った夫婦の間でのみ、認められるものです。見たところ、お二方はまだ――』
『神に誓えば許されるのか?』
『それは……正しき夫婦の間で、子を持つための節度を持った交わりでありましたならば、神も祝福なさっています。正しき夫婦の間以外では、戒められるべきです』
『ならば、生涯、彼女以外の妻は娶らないと、神の前に誓おう。彼女をただ一人の妻とし、生涯を彼女に捧げることを、神に誓いたい』
『リジーそれは……』
わたしが躊躇って止めるけれど、殿下は司祭様を説得していく。
『ですが、ご両親や周囲の方の賛同は……』
『俺が愛しているのは彼女だけなんだ。彼女と神に俺の誠実を示したい。その誓いを示せば、両親も俺の愛を理解してくれると思うんだ』
若い司祭様は殿下の情熱に半ば気圧されて、わけもわからず説得されてしまう。
「ちょっとリジー……いいの?」
「いいんだ、俺の自己満足で、法的な効力はない。頼むよ、エルシー」
そう言われてしまうと、わたしも大きく反対はできず、司祭様は「略式ですが」と言いながら、内陣にわたしたちを導き入れる。別の隅で話し合っていたエヴァンジェリア王女とフェルディナンド大公らしき男女が、わたしたちの動きをじっと見つめている。
司祭様は聖典のとある一説を古典語で読み上げ、神に祈りを捧げてから、殿下に問いかける。
『神の御前に、あなたはこの女性を、生涯愛し、ただ一人の妻とすることを誓いますか?』
『誓います』
『……ではあなたは、この男性を生涯愛し、ただ一人の夫として仕えることを誓いますか?』
『……誓います』
『病めるときも健やかなるときも、二人の誓いの永遠ならんことを――』
司祭様が祭壇に向かって唱えると、殿下が懐から何かの紙を取り出し、それを書見台の上に置き、横に備えてあるペンを取って、司祭様に言う。
『……ここに司祭様のサインをお願いしします』
『え?……私のですか? 私は恥ずかしながら、ランデル語はよめないのですが……』
『いえ、たいした書類じゃないんです。聖ゲオルグ大聖堂で誓ったという証明だけで。ここに、日付とあなたのサインを――』
司祭様は少し怯んだようだが、サラサラとサインをして日付を書き込む。殿下もまた自身の名を書き入れ、わたしにペンを渡し、署名欄を指さす。
「これはいったい、何の書類なのです?」
殿下の手が邪魔で、書類を読むことができない。
「大丈夫、単なる誓いの書類だ。俺の気休めだから」
――迂闊なものにサインしてはいけないと、祖母からはきつく言われていたけれど、今更サインを拒む勇気もなく、わたしは仕方なくサインする。と――。
エヴァ嬢とフェルディナンド大公が、二人して内陣に近づいてきた。
『ああ、ちょうどいい、フェルディナンド、証人欄にお前のサインをくれ』
『サイン……そんな気軽に――ってこれ!』
『いいから! 誰のおかげで彼女と話しができたと思ってる!』
この二人、いつの間に仲良くなったのだろうと思う間もなく、フェルディナンド大公は内陣まで入ってくると、渋々、証人欄にサインする。
『悪用するつもりじゃないだろうね?』
『まさか! 俺を信じろ』
殿下は書類を折り畳むと、懐に捻じ込んでしまう。
『どうもありがとうございます、司祭様、これで彼女の気も晴れる』
『いいえ、神のご加護がお二人の上にありますように。――ついでにそちらのお二人の上にも、神をご加護を』
そうやって二組のカップルに祝福を与えると、司祭様は聖典を抱えて奥へを歩み去った。
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『フェルディナンドと言います。エヴァンジェリアを匿ってくれてありがとう。僕の留守中に母が勝手に彼女を追い出してしまって……聞いた時はパニックになったよ』
『ずいぶん、ショックを受けていらっしゃったけれど、お話しができたようでよかったわ』
『フェルはマルティナは妹も同然で、とてもじゃないけど結婚する気にならないって。ホッとしたわ』
エヴァンジェリア王女の笑顔に、フェルディナンド大公も肩を竦める。
『エヴァも随分と跳ねっかえりだけど、僕はエヴァがいいと思っている。これから、まずは父上を説得しようと思って』
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私の問いに、大公が溜息をつく。
『ええ、どうもあなた方にも失礼なことを言ったようですね。後ろに立っていて、でも僕にも何もできず、申し訳なかった』
『ありがとう、エリース、あなたのおかげよ?』
『わたしは何もしていません。お二人の幸せをお祈りしますわ』
大聖堂の入口で、わたしたちはフェルディナンド大公の馬車に乗って、去っていくエヴァンジェリア王女らを見送る。
「なんだか、あっさり片付いたけど、上手くいくのかしら?」
わたしが呟けば、殿下が言った。
「どう考えても、上手くいくわけねぇな。どうすんだろうな」
「ええっ!……でも!」
「フェルディナンドは二十三になるっていうけど、やっぱり坊ちゃんだな。昨夜、マルティナっていう従妹をエスコートした意味がわかってない。今さらグリージャの王女と結婚するなんて言っても、揉めると思うぞ?」
わたしは茫然と殿下の顔を見上げる。殿下が気まずそうに肩を竦める。
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「……そうですわね」
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俯いたわたしに、殿下が微笑みかける。
「さ、俺たちも戻ろう。神様に誓ったことだし、今夜からは心置きなくヤれるな?」
「もう! リジーったら、そればっかり!」
殿下の手の甲を抓ってやれば、殿下が顔を顰め、それから笑った。
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