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第二章
エヴァンジェリア王女
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わたしが一瞬、背後のカーティス大尉を気にすると、大尉はエヴァ嬢の動作に警戒心を露わにして、ほとんど腰を浮かせるように身構えていた。
「……その、ランデルとグリージャのお話をご存知ということは、あなたはまさか……」
「カーラはランデル語は理解できないの。でも、あたなの後ろの方が……」
わたしはカーティス大尉に無言で頷いて大丈夫だと伝え、エヴァ嬢に向き合った。
「付き添いのご婦人がランデル語を理解しないなら、あなたもなるべく普通に……まるで、何でもない世間話でもしているフリをしてください。こちらの、カーティス大尉なら聞かれても問題ないわ。……王子には、王女と結婚するつもりなんて、これっぽっちもないわ。むしろ迷惑だと思っている」
わたしはエヴァ嬢を座らせると、世間話でもするかのように何気ない調子で答え、じっと彼女を見た。エヴァ嬢はそれでもまだ、疑わしそうな目でわたしを見つめる。
「失礼を承知で聞くけど、あなたは彼の愛人なの?」
「本当に失礼な質問ですわね。……彼は愛人じゃなくて恋人だと言い張っているわ? 一応、彼からプロポーズもされているし」
わたしの答えに、エヴァ嬢が綺麗に整えた眉を上げた。
「……つまり、彼は今、あなたに夢中で、あなたと結婚するつもりでいる。……でも、別の方と婚約したのよね? 昔からの婚約者候補だった公爵令嬢と。その報せを聞いた時は少しだけ安心したけど、すぐに彼の愛人スキャンダルの噂が流れてきて、周囲の者は、それは公爵令嬢との婚約を破棄するための偽装で、本命はわたくしだって言い張るの。でも、そんな男、信用できっこないわ。それで、わたくしは国を出ることにしたの」
愛人スキャンダル、とはっきり言われて、わたし自身よりも、背後のカーティス大尉の発する怒りのオーラの方が恐ろしくて、わたしは慌てて言った。
「公爵令嬢との婚約は、彼は戦争前に白紙に戻していたはずなのよ。なのに、騙し討ちのような形で議会を通されてしまって、彼もカンカンに怒っていたわ。……どうやら、グリージャとの話を進める勢力に向けての、牽制みたいね」
わたしが小声の早口で言えば、彼女は少しだけ目を丸くする。
「ならば、ランデルの上層部も、グリージャ王族との婚姻には乗り気ではない、ということなの?」
「もともと、我が国は他国から王妃や王子妃を迎えないわ。ここ、数代にわたって、国内の貴族から出しているもの」
「彼は女王の王配になりたがってるって……」
わたしは首を振った。
「ますますあり得ないわ。王太子殿下に王子が生まれなくて、跡取りがいないから彼の結婚も急かされているのに」
「でも彼は三男よ? もう一人、王子が……」
わたしはカーティス大尉をちらりと見た。……ジョージ殿下のご病気が重く、もう長くはないというのは、話していいことなのか。
カーティス大尉が頷いて言った。
「細かい事情は言えませんが、アルバート殿下は実質的には第二位の継承者です。外国の婿に出す余裕は、我が国にはない」
「じゃあ、ランデル側がわたくしとの結婚を望んでいるというのは、要するにウソなのね!」
エヴァ嬢が憤慨したように言い、わたしとカーティス大尉は思わず顔を見合わせる。王女の周辺が、そうまでして、アルバート殿下との縁を結ぼうとする、理由がわからないのだけど……。
「ならば、この列車に乗り合わせたのは偶然でしたのね?」
わたしの問いに、エヴァ嬢が大きく頷く。
「ええ、もちろん偶然です。本当は二日前の列車に乗る予定でしたわ。ビルツホルンにいる知人の元に向かうはずが、雪のせいで、リーデンで足止めを食ってしまって。運行再開した最初の寝台車が、この車両でしたのよ。でも、鉄道会社が妙に渋るの。座席は空いているけれど、次の列車にしないかって。わたくしは一日も早くビルツホルンに着きたくて、押し切ったの。……まさか、件の王子が、それも愛人連れで乗り込んでいるだなんて、本当にびっくりしたわ。仮にも隣国の王女との結婚話があるのに、これ見よがしに愛人とイチャつくなんて、なんて女好きのいやらしい男なのかしらって」
エヴァ嬢の、軽蔑に満ちた表情を見て、わたしはようやく合点した。……昨夜、食堂車で睨んでいたのは、わたしじゃなくて、殿下を睨んでいたのね……。
エヴァ嬢はお替りの紅茶を自分で注いで、一口飲んでから、わたしを見た。
「でも安心したわ。金狼にその気がないってわかっただけで、ホッとしてよ」
「……つまり、お二人を結婚させるために、嘘の情報でかき回している者たちがいるのですね」
わたしの言葉に、エヴァ嬢が少し表情を改める。
「……そうなるわね。わたくしだって王族の端くれ、国のために結婚する覚悟だってそれなりにはあるわ。ただ、ランデルの王子との結婚が、グリージャに利点を生むとは、どうしても思えなくて」
ランデルに国を乗っ取られるのでは、と警戒して当然だ。
わたしは、少し離れた席から心配そうにこちらを伺っている、付き添い婦人を見ながら言う。
「アルバート殿下との結婚を画策する、グリージャ側の目的は何かしら」
「お兄様を廃嫡して、わたくしを女王にするつもりなのよ。わたくしが他国に嫁ぐのを阻止し、女王の王配に相応しい他国の王子となると、条件の合う人は限られるから」
殿下から聞いた話では、アーダルベルト王太子は愛人に夢中の色ボケ王子だとか。……口にこそ出さなかったが、わたしの表情からエヴァ嬢は汲み取り、早口で兄を庇った。
「お兄様は謀られたのよ。ハニートラップって言うのかしら。よからぬ思惑を持った者たちが、あの毒婦をけしかけたのよ。……あっさり引っかかったお兄様も情けないけど、お兄様よりも七つも年上なのよ? 汚らわしいったらわないわ」
「……でも、お兄様が正道に立ち戻らない限り、あなたを女王に、という不満は消えないのではないかしら。わたしが国民だったら、そんな王様は嫌だわ」
エヴァ嬢も深く溜息をつく。
「そうなのよね……わたくしが出奔することで、お兄様も目を覚ましてくださればいいのだけれど」
つまり、エヴァ嬢は、毒婦に狂ってしまった兄の目を覚まさせるために、敢えて国を出てきたというのだ。――兄は愛人宅に入り浸りで、妹は外国の王子との結婚を嫌がって国外に出奔。兄妹揃って何をやっているのかしらと、わたしがグリージャの国民だったら頭を抱えていると思う。
わたしも何となく疲れて、すっかり冷めた紅茶の残りを飲み干していると、背後からカーティス大尉が尋ねた。
「……ビルツホルンの知人という方は、あなたが国を出奔したのを、ご存知なのですか」
「電報は打ったわ。リーデンで返事も受け取って。列車が遅れて、彼はきっとイライラしているわ」
「彼?」
意味がわからず聞き返せば、エヴァ嬢は肩を竦めて、あっけらかんと言った。
「わたくし、以前の婚約者の元に向かっていますの」
わたしは思わず、目を瞠った。背後のカーティス大尉も複雑な表情だ。
エヴァンジェリア王女のかつての婚約者とは、アルティニア帝国のグスタフ皇太子の長男、フェルディナンド大公だ。王女は身分を隠して国を出奔し、政略的に引き裂かれたかつての婚約者の元に向かう。――だが乗り合わせた列車には、彼女に結婚を迫る(と思い込んでいた)ランデルの王子が乗っていて――。
「元の婚約者の方は、婚約が解消になったのに、あなたを迎え入れてくださると?」
「もちろんよ。婚約の解消は我が国がランデルに降伏したせいだけど、その後、結局、アルティニアだって降伏したんだもの。何より、わたくしたちは愛し合っているんだから」
エヴァ嬢は自信満々だが、身近にステファニー嬢という実例がいたので、わたしもカーティス大尉も疑い深くなっていて、食い気味に念を押した。
「本当に?」
「ええ。リーデンで受け取った電報でも、会えるのが待ち遠しいって。でも、困ったわね、わたくし、ランデルの王子の悪口をさんざっぱら、手紙に書いてしまったのよ。婚約を強要されて困ってるとか、何とか。周囲の者のウソに惑わされた誤解だったなんて。……フェルが、ランデルの王子にひどい態度を取らないか、心配だわ」
「……もしかして、ビルツホルンの駅まで、迎えに来ちゃったりします?」
「ああ、フェルのことだから、きっと来てくださるわ! 一刻も早く会いたいわ、一年ぶりなのよ?」
碧色の瞳を輝かせ、両手を胸の前に組んで、エヴァ嬢はいかにも嬉しそうに言うけれど、わたしとカーティス大尉は、思わず顔を見合わせていた。カーティス大尉が見かねたように言う。
「……お願いですから、我々がビルツホルンに着いて、完全に別行動になるまでは、正体がバレないようにしてください。身分を隠して旅する王女と同じ列車に、我が国の王子が乗り合わせるなんて、どんな噂を立てられるかわかりません。それこそ、殿下があなたを無理に攫ったかのように誤解されたら、大変な国際問題になります」
カーティス大尉に言われて、エヴァ嬢は初めて、そのことに気づいたらしい。
「……まあ、そうね……。どうしましょう。だからこの列車はダメだって、しつこく言われたのね。でもわたくし、一刻も早く、ビルツホルンに着きたかったの。きっと、フェルが心配しているに違いないから。三日もリーデンに足止めなんて、それこそ、国に連れ戻されてしまいますでしょう?」
たしかに、身分を隠して昔の婚約者の元に向かう身としては、一日も早く目的地に着きたいと思うのは当然だ。でも、間が悪すぎる……。エヴァ嬢は隠しているつもりでも、鉄道会社にはバレバレで、すでにわたしたちにもバレている。そもそも本気で隠す気もないのかもしれない。
「しかし……ハーケンはあなたの正体に気づいたでしょうね? 二等書記官で、何度かグリージャとの交渉のために、貴国にも足を運んでいるはずです。お会いしたことは?」
カーティス大尉の問いに、エヴァ嬢は首を傾げる。
「ハーケン?……さあ、わたくし、外務大臣や大使ならともかく、外交官の名前と顔までは。でも、外交官ならわたくしの写真ぐらいは見ているでしょうし、気づいたかもしれませんわね?」
「ならば今頃、殿下もあなたの正体を知らされているでしょう」
と、その時、乱暴に扉が開き、ロベルトさんが駆け込んできて、カーティス大尉の耳元で囁いた。
「ジョナサン! 殿下を止めてくれ! 俺じゃ無理だ! このままだと、殿下がハーケンを殴り殺しちまう!」
「……その、ランデルとグリージャのお話をご存知ということは、あなたはまさか……」
「カーラはランデル語は理解できないの。でも、あたなの後ろの方が……」
わたしはカーティス大尉に無言で頷いて大丈夫だと伝え、エヴァ嬢に向き合った。
「付き添いのご婦人がランデル語を理解しないなら、あなたもなるべく普通に……まるで、何でもない世間話でもしているフリをしてください。こちらの、カーティス大尉なら聞かれても問題ないわ。……王子には、王女と結婚するつもりなんて、これっぽっちもないわ。むしろ迷惑だと思っている」
わたしはエヴァ嬢を座らせると、世間話でもするかのように何気ない調子で答え、じっと彼女を見た。エヴァ嬢はそれでもまだ、疑わしそうな目でわたしを見つめる。
「失礼を承知で聞くけど、あなたは彼の愛人なの?」
「本当に失礼な質問ですわね。……彼は愛人じゃなくて恋人だと言い張っているわ? 一応、彼からプロポーズもされているし」
わたしの答えに、エヴァ嬢が綺麗に整えた眉を上げた。
「……つまり、彼は今、あなたに夢中で、あなたと結婚するつもりでいる。……でも、別の方と婚約したのよね? 昔からの婚約者候補だった公爵令嬢と。その報せを聞いた時は少しだけ安心したけど、すぐに彼の愛人スキャンダルの噂が流れてきて、周囲の者は、それは公爵令嬢との婚約を破棄するための偽装で、本命はわたくしだって言い張るの。でも、そんな男、信用できっこないわ。それで、わたくしは国を出ることにしたの」
愛人スキャンダル、とはっきり言われて、わたし自身よりも、背後のカーティス大尉の発する怒りのオーラの方が恐ろしくて、わたしは慌てて言った。
「公爵令嬢との婚約は、彼は戦争前に白紙に戻していたはずなのよ。なのに、騙し討ちのような形で議会を通されてしまって、彼もカンカンに怒っていたわ。……どうやら、グリージャとの話を進める勢力に向けての、牽制みたいね」
わたしが小声の早口で言えば、彼女は少しだけ目を丸くする。
「ならば、ランデルの上層部も、グリージャ王族との婚姻には乗り気ではない、ということなの?」
「もともと、我が国は他国から王妃や王子妃を迎えないわ。ここ、数代にわたって、国内の貴族から出しているもの」
「彼は女王の王配になりたがってるって……」
わたしは首を振った。
「ますますあり得ないわ。王太子殿下に王子が生まれなくて、跡取りがいないから彼の結婚も急かされているのに」
「でも彼は三男よ? もう一人、王子が……」
わたしはカーティス大尉をちらりと見た。……ジョージ殿下のご病気が重く、もう長くはないというのは、話していいことなのか。
カーティス大尉が頷いて言った。
「細かい事情は言えませんが、アルバート殿下は実質的には第二位の継承者です。外国の婿に出す余裕は、我が国にはない」
「じゃあ、ランデル側がわたくしとの結婚を望んでいるというのは、要するにウソなのね!」
エヴァ嬢が憤慨したように言い、わたしとカーティス大尉は思わず顔を見合わせる。王女の周辺が、そうまでして、アルバート殿下との縁を結ぼうとする、理由がわからないのだけど……。
「ならば、この列車に乗り合わせたのは偶然でしたのね?」
わたしの問いに、エヴァ嬢が大きく頷く。
「ええ、もちろん偶然です。本当は二日前の列車に乗る予定でしたわ。ビルツホルンにいる知人の元に向かうはずが、雪のせいで、リーデンで足止めを食ってしまって。運行再開した最初の寝台車が、この車両でしたのよ。でも、鉄道会社が妙に渋るの。座席は空いているけれど、次の列車にしないかって。わたくしは一日も早くビルツホルンに着きたくて、押し切ったの。……まさか、件の王子が、それも愛人連れで乗り込んでいるだなんて、本当にびっくりしたわ。仮にも隣国の王女との結婚話があるのに、これ見よがしに愛人とイチャつくなんて、なんて女好きのいやらしい男なのかしらって」
エヴァ嬢の、軽蔑に満ちた表情を見て、わたしはようやく合点した。……昨夜、食堂車で睨んでいたのは、わたしじゃなくて、殿下を睨んでいたのね……。
エヴァ嬢はお替りの紅茶を自分で注いで、一口飲んでから、わたしを見た。
「でも安心したわ。金狼にその気がないってわかっただけで、ホッとしてよ」
「……つまり、お二人を結婚させるために、嘘の情報でかき回している者たちがいるのですね」
わたしの言葉に、エヴァ嬢が少し表情を改める。
「……そうなるわね。わたくしだって王族の端くれ、国のために結婚する覚悟だってそれなりにはあるわ。ただ、ランデルの王子との結婚が、グリージャに利点を生むとは、どうしても思えなくて」
ランデルに国を乗っ取られるのでは、と警戒して当然だ。
わたしは、少し離れた席から心配そうにこちらを伺っている、付き添い婦人を見ながら言う。
「アルバート殿下との結婚を画策する、グリージャ側の目的は何かしら」
「お兄様を廃嫡して、わたくしを女王にするつもりなのよ。わたくしが他国に嫁ぐのを阻止し、女王の王配に相応しい他国の王子となると、条件の合う人は限られるから」
殿下から聞いた話では、アーダルベルト王太子は愛人に夢中の色ボケ王子だとか。……口にこそ出さなかったが、わたしの表情からエヴァ嬢は汲み取り、早口で兄を庇った。
「お兄様は謀られたのよ。ハニートラップって言うのかしら。よからぬ思惑を持った者たちが、あの毒婦をけしかけたのよ。……あっさり引っかかったお兄様も情けないけど、お兄様よりも七つも年上なのよ? 汚らわしいったらわないわ」
「……でも、お兄様が正道に立ち戻らない限り、あなたを女王に、という不満は消えないのではないかしら。わたしが国民だったら、そんな王様は嫌だわ」
エヴァ嬢も深く溜息をつく。
「そうなのよね……わたくしが出奔することで、お兄様も目を覚ましてくださればいいのだけれど」
つまり、エヴァ嬢は、毒婦に狂ってしまった兄の目を覚まさせるために、敢えて国を出てきたというのだ。――兄は愛人宅に入り浸りで、妹は外国の王子との結婚を嫌がって国外に出奔。兄妹揃って何をやっているのかしらと、わたしがグリージャの国民だったら頭を抱えていると思う。
わたしも何となく疲れて、すっかり冷めた紅茶の残りを飲み干していると、背後からカーティス大尉が尋ねた。
「……ビルツホルンの知人という方は、あなたが国を出奔したのを、ご存知なのですか」
「電報は打ったわ。リーデンで返事も受け取って。列車が遅れて、彼はきっとイライラしているわ」
「彼?」
意味がわからず聞き返せば、エヴァ嬢は肩を竦めて、あっけらかんと言った。
「わたくし、以前の婚約者の元に向かっていますの」
わたしは思わず、目を瞠った。背後のカーティス大尉も複雑な表情だ。
エヴァンジェリア王女のかつての婚約者とは、アルティニア帝国のグスタフ皇太子の長男、フェルディナンド大公だ。王女は身分を隠して国を出奔し、政略的に引き裂かれたかつての婚約者の元に向かう。――だが乗り合わせた列車には、彼女に結婚を迫る(と思い込んでいた)ランデルの王子が乗っていて――。
「元の婚約者の方は、婚約が解消になったのに、あなたを迎え入れてくださると?」
「もちろんよ。婚約の解消は我が国がランデルに降伏したせいだけど、その後、結局、アルティニアだって降伏したんだもの。何より、わたくしたちは愛し合っているんだから」
エヴァ嬢は自信満々だが、身近にステファニー嬢という実例がいたので、わたしもカーティス大尉も疑い深くなっていて、食い気味に念を押した。
「本当に?」
「ええ。リーデンで受け取った電報でも、会えるのが待ち遠しいって。でも、困ったわね、わたくし、ランデルの王子の悪口をさんざっぱら、手紙に書いてしまったのよ。婚約を強要されて困ってるとか、何とか。周囲の者のウソに惑わされた誤解だったなんて。……フェルが、ランデルの王子にひどい態度を取らないか、心配だわ」
「……もしかして、ビルツホルンの駅まで、迎えに来ちゃったりします?」
「ああ、フェルのことだから、きっと来てくださるわ! 一刻も早く会いたいわ、一年ぶりなのよ?」
碧色の瞳を輝かせ、両手を胸の前に組んで、エヴァ嬢はいかにも嬉しそうに言うけれど、わたしとカーティス大尉は、思わず顔を見合わせていた。カーティス大尉が見かねたように言う。
「……お願いですから、我々がビルツホルンに着いて、完全に別行動になるまでは、正体がバレないようにしてください。身分を隠して旅する王女と同じ列車に、我が国の王子が乗り合わせるなんて、どんな噂を立てられるかわかりません。それこそ、殿下があなたを無理に攫ったかのように誤解されたら、大変な国際問題になります」
カーティス大尉に言われて、エヴァ嬢は初めて、そのことに気づいたらしい。
「……まあ、そうね……。どうしましょう。だからこの列車はダメだって、しつこく言われたのね。でもわたくし、一刻も早く、ビルツホルンに着きたかったの。きっと、フェルが心配しているに違いないから。三日もリーデンに足止めなんて、それこそ、国に連れ戻されてしまいますでしょう?」
たしかに、身分を隠して昔の婚約者の元に向かう身としては、一日も早く目的地に着きたいと思うのは当然だ。でも、間が悪すぎる……。エヴァ嬢は隠しているつもりでも、鉄道会社にはバレバレで、すでにわたしたちにもバレている。そもそも本気で隠す気もないのかもしれない。
「しかし……ハーケンはあなたの正体に気づいたでしょうね? 二等書記官で、何度かグリージャとの交渉のために、貴国にも足を運んでいるはずです。お会いしたことは?」
カーティス大尉の問いに、エヴァ嬢は首を傾げる。
「ハーケン?……さあ、わたくし、外務大臣や大使ならともかく、外交官の名前と顔までは。でも、外交官ならわたくしの写真ぐらいは見ているでしょうし、気づいたかもしれませんわね?」
「ならば今頃、殿下もあなたの正体を知らされているでしょう」
と、その時、乱暴に扉が開き、ロベルトさんが駆け込んできて、カーティス大尉の耳元で囁いた。
「ジョナサン! 殿下を止めてくれ! 俺じゃ無理だ! このままだと、殿下がハーケンを殴り殺しちまう!」
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