【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第二章

愛を乞うゴーレム

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 グリージャの王女との話を聞かされて、わたしはすっかり気が滅入ってしまった。
 殿下の心を疑うわけではないけれど、いい気分はしない。

 帰国した殿下が我儘を言わず、ステファニー嬢との婚約を了承していれば、グリージャの王女との縁談など、入り込む隙間もなかっただろう。我が国の国民感情としても、グリージャの王女と王子の結婚は厳しい。……グリージャの突然の参戦によって、西部戦線は一気に激戦地となり、わたしの父を含めた多くの兵士が死んだ。グリージャに対して、遺族として複雑な心情がある。
 
 でも、それと国益とはまた話が異なる。
 殿下がステファニー嬢を拒否してわたしを望んだことで、祖国ランデルに不利益が発生したのだとしたら――。

 わたしは欝々とした気持ちを抑え込み、命じられた書類をタイプし、平静を装って仕事に励んだけれど、気づけば窓の外をぼんやり眺めていた。

「エルシー?」

 殿下に呼びかけられ、ハッとして我に返る。

「どうした、何か、気になることでもあるのか?」
「いえ……その……何でもありません」
「次のアデレーンでは三時間程停車する。少し、外に出ないか?」

 殿下に持ちかけられ、わたしは躊躇する。

「……よろしいのですか? 警備の方に迷惑などは……」
「ずっと列車の中に閉じ込められ、奴らの方が滅入っているだろう。俺もたまには外に出たい。……実はアデレーンの駅は新進建築家のコルヴィールの設計なんだ。去年、完成したばかりで、前から一度見てみたいと思っていたんだ」

 それで、わたしと殿下はアデレーンの駅で停車中、夕暮れのプラットホームに降り立った。
 アデレーンはルーセン共和国の首都だ。国際寝台列車の乗客用のシャワールームや休憩室もあり、車内の清掃や備品の補充、乗員の交代が行われる。さすが大国の首都だけあり、駅の構内は賑やかだった。

 鉄骨を組んだ巨大な屋根。聞き慣れない異国の言葉。――機能性を重視して設計され、装飾を極限まで削ぎ落とした駅のデザインは、一見、武骨だけれど、何とも言えない近代的な機能美に溢れていた。

「申し訳ないですが、停車時間が短いので、ホームからは出ないで欲しいのです。……僕たちも交代でシャワーを浴びたり、しなければならないことが多くて。リーデンはもっと停車時間が長いのですが」

 ジョナサン・カーティス大尉に詫びられて、わたしは慌てて首を振る。

「いえ、こちらこそ、我儘を言ってすみません。……ホームの端まで歩いても?」
「それは構わないですが……でも、武骨な駅ですよね? 見ても面白いとは僕には思えないのですが……」

 カーティス大尉には呆れられたけれど、わたしも殿下も、こういう斬新で近代的なデザインが好きだから、殿下と二人、手を繋いでホームのあちこちを見て回る。

「新大陸では装飾美術アール・デコってのが流行ってるんだが、俺に言わせればちょっと中途半端だな。装飾を削って機能性を追求するならこれくらい、大胆にやるべきだと思って。直線的デザインで大量生産に耐え、なおかつ美しさを失わない。この駅も、戦時下の限られた物資と時間の制約の下で、それでも耐久性と機能美を追求している」

 装飾的な建築に見慣れた目には、鉄骨が剥き出しなのは武骨だと思うけれど、高い天井に組まれた鉄骨そのものが美しいと思う。

 端まで歩きながら、ホームから出て行く列車を見送る。ここから東に向けて、次第に山がちになっていく。東側に見える山地の、頂は白く冠雪していた。

 ――山の上にはもう、冬が来ている。

 わたしが山の方を見つめていると、殿下がわたしのこめかみにそっと口づける。

「その……エルシー……その……お前がまだ喪中だって言うのはわかってるんだが……」
「……リジー?」
「……愛してる。……したい」
「……ここで? 今?」

 この人は何を言ってるんだろうと目を剥けば、殿下は耳元で小声で言った。

「いや、今じゃなくて……その、夜に……」
「……でも、あそこで?」  
「無理強いは、したくない。でも……その……」

 殿下は気まずそうに顔を背け、それからわたしの耳元に顔を近づけ、苦しそうに言った。

「不安なんだ。お前が……俺から離れてしまうんじゃないかって……」
「不安……」

 殿下の言葉に、わたしは目を瞠る。

 不安なのは、わたしの方だとばかり、思っていたのに――。






 夜、食堂車から戻って、わたしは列車の揺れに身をゆだねて、真っ暗な窓の外を眺めていた。

 ガタン、ゴトン、ガタン……列車の揺れの、規則正しい音が響く。

 昼間、グルージャの王女と殿下の縁談を聞いて、わたしは動揺した。
 わたしは元は伯爵の娘だけれど、でも、要するに田舎に爵位と城を持っていただけの話。今は、それすらもない、ただの平民だ。

 身分も、財産も、家族すらもいない。

 今は殿下の庇護の下にいて、贅沢な旅をさせてもらっている。……わたしは身に着けている絹の、濃い紫色のドレスを見下ろして思う。
 
 ミス・リーンは祖母を亡くしたばかりのわたしに配慮して、暗い、地味な色調のドレスを多く持たせてくれた。――殿下の秘書官として同行するのに、あからさまに喪服を着ては過ごせないから。準備期間もほとんどなかったのに。色柄は地味だけれど、素材は最高級の、東洋からの絹だ。そして真珠。

 船で何か月もかかる、遠い東の国。ノーラが荷物に入れてくれた、螺鈿の手鏡を思い出す。どれも、殿下の側にいなければ、到底、手に取ることもできなかった、美しい品々。

 殿下の出生には秘密があるとはいえ、父親は間違いなく国王陛下で、殿下は紛れもない王族だ。万一の場合にはランデル王国を背負って立てるように、母の血筋を偽ってまで育てられた王子。国のために生きることが義務付けられていると言える。

 ステファニー嬢との結婚も、政略的にも意味があって、ランデルの安定に寄与するのだろう。グリージャの王女との結婚は、もっとはっきり国益目当てで持ち上がり、かつ、世界の平和にも貢献する。

 でも――。
 彼はわたし以外とは結婚しないと言い張っている。それは純粋に、彼の愛からのもの。なんの、利益も生むことはない。――つまり、殿下とわたしの結婚は、確実に国益を損なうのだ。
 
 黒い、窓ガラスに映る自分の顔を見つめていると、シャワーブースの扉が開いて、殿下が出てきた。バスローブを羽織り、黒い髪をリネンで拭きながら、まっすぐわたしの方へやってくる。

「真っ黒で、外は見えないだろう。何を考えている?」
「……いえ……別に……」

 殿下は窓に手をついて、わたしを囲い込むように閉じ込めると、わたしの肩口に顔を埋め、耳元で囁く。濡れた髪が頬に当たってヒヤリと冷たい。

「エルシー……約束してくれないか?」
「約束?」

 わたしは振り返ろうとしたけれど、すぐ耳元に殿下の顔があって、動くことができない。正面には、黒いガラスにわたしと、わたしをまっすぐに見つめる殿下の顔が映っていた。ガラス窓の向こうは黒々とした夜の風景が広がり、ポツポツとした光が後ろへと飛んでいく。
 
 ガタン、ゴトン……

 窓のところに閉じ込められて、殿下がガラスに映ったわたしの顔をじっと見つめる。

「お前が、俺のしたことが気に入らなくて、俺から離れたいと言うのは、仕方がない。……前の、おばあ様が亡くなった時のように、俺のやり方が悪くて、側にいられないと思うのは、仕方がないし、俺も二度とそんなことがないように、頑張る。お前を二度と傷つけないと誓う。でも――」

 殿下がわたしの頬からこめかみへと唇を滑らせて、それからガラスに映るわたしに、目を合わせて言う。

「俺が王子だという理由で、俺を捨てないでくれ」
「……リジ―?」
「俺が、国王とローズの間に生まれた王子なのは、俺のせいじゃない。俺が、望んだことじゃない。俺はむしろ、王族でさえなければと、ずっと思ってきた。……だから、王族であるという理由で、俺から離れないで欲しい。それは、俺にはどうにもならないことだ」

 黒いガラス窓に映る殿下の瞳は真剣で、辛そうでもある。

「……さっきの、グリージャの王女の話。お前、政治的に必要なら、身を引こうとしていただろう? 俺とグリージャの王女が結婚すれば、国や、世界の平和に利益があるのならって」
「……そこまで、具体的に考えていたわけでは……でも……」

 わたしはガラス窓の殿下の目をまっすぐに見ることができず、目を伏せた。

「わたしが、いなければいいと思う人は多いでしょうね……」
「我が国はここ数世代、王女を外国に嫁がせることはあっても、外国の王家から妃を迎えていない。他国の干渉を招くのを嫌うからだ。グリージャの件は、父上も最初から拒絶している。騒いでいるのは一部の親グリージャ派だけだ。本当に気にしなくていいことなんだ」

 目を上げれば、殿下はわたしの頬に唇を滑らせながら、まっすぐ射抜くようにガラス窓の中のわたしを見つめていた。

「今時、王家同士の婚姻政策なんて、たいした意味はもたない。現に、そのグリージャの王太子がそうだろう?……正妃のシュルフト大公女を蔑ろにして、むしろ外交的には厄介事に成り下がっている」

 それはその通りで、シャルローで死にかけた殿下の心情的には、グリージャの王女など受け入れがたく、無理に結婚してもかえって将来に禍根を残すかもしれない。

「俺とグリージャの王女が結婚したからって、世界が平和になるわけない。シャルローで死んだ俺の部下たちは、きっとあの世で怒り狂うだろう。俺自身、グリージャの王家を許せないでいる」
「でも、王子の結婚は個人の感情で決めていいことではないわ」
「俺は政略の駒じゃない。――昔は、俺は王家のために作られた人造の奴隷ゴーレムなんだろうって、人生を諦めていた。病気のジョージ兄上の代わりに、フィリップ兄上に万一のことがあったら、王家の血筋を伝えるためだけに存在する、心のない土人形なんだと。……だから王妃の姪のステファニーと結婚しなければならないのだと、俺は何もかも諦めていた。――エルシーへの想いも、心の奥底に封印して、死ぬまでずっと隠しておくつもりだった。でも――」 
 
 殿下がわたしを背後から両腕できつく抱きしめる。

「戦場で、俺は人間なんだって。自分の足で立ち自分の意志で動く人間なんだって。――この地獄から生き返ったら、俺は一人の人間としてエルシーに会いに行くって決めたんだ。俺はもう二度と、心のない土人形ゴーレムに戻るのは嫌なんだ――」
 
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