【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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幕間 首席秘書官ロベルト・リーン大尉の業務日誌

初デート

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 側近官による秘密会議の決定をうけて、俺はかなりの無理を押し通して、エルスペス・アシュバートン嬢の秘書官への登用の手続きを完遂した。はっきり言う。かなり頑張った。最初から愛人にして「お手当」出した方が、よっぽど簡単じゃん、って思ったけど、口にせずに頑張った。……誰も褒めてくれないけどな。

 俺は平民出で、しかも母親は南のロマンザ出身だから、恋愛やセックスについては割と開放的だ。戦時中、戦地についてくる娼婦たちの間に性病が蔓延していたから、殿下にはそっち方面では口うるさく言って、相当の我慢を強いてきた。だから、平和になったんだし、殿下だって若い男だし、多少発散させないとかえってヤバイだろうと思っている。婚約直前のレコンフィールド公爵令嬢は、身分的にもガードも堅そうだし、ヤらせてくれる、気楽な愛人を作るのも悪くない。――そんなこと口に出そうものなら、ジェラルドにボロクソに言われそうだから、黙ってたけど。

 ただ、そういう相手には新進の女優とか歌手とか、あとは後腐れのない未亡人とかが適任であって、「氷漬けの処女」なんて渾名のついている、落ちぶれたとはいえ、元・伯爵令嬢はオススメできない。何せ「氷漬けの処女」だ。解凍するだけで手間だし、身分違いだから、殿下は結婚という形で責任を取ることができない。

 酷い言い方だと俺自身も自覚しているけれど、エルスペス嬢はとにかく金がない。病気の祖母を抱え、仕事を失ったら速攻で収入が途絶え、娼館のドアを叩くか街角に立つ羽目になる。――殿下の要求を聞かざるを得ない立場にあるし、彼女一人なら貴族の矜持とやらで拒否できても、家族のためと言われれば拒否はできない。大金で横っ面をぶっ叩かれれば、屈辱に血の涙を流しながらも、要求に屈するだろう。

 だからこそ、俺は彼女のような立場の女性を狙うべきじゃないと思う。父の戦死によって身分も財産も失い、生まれ育った家も故郷も捨てざるを得なかった女性に、さらに金か尊厳かの二者択一を迫るようなものだ。彼女はこのまま、ハートネル中尉あたりと結婚した方が、幸せな人生を歩めるに違いない。しかし、初対面から彼女に夢中な殿下は、別の男に譲るつもりなど微塵もなく、一日も早く、彼女とデートがしたいと言い出した。

「行きたい場所があるんだ」

 金色の瞳をギラギラさせて、心なしか息が荒い。……獲物を見つけた肉食獣みたいに、はっきり言えばがっつき過ぎで引く。そんなにオンナに飢えているなら、王都なら安全な娼館もあるからと言ってみたが、汚いものでも見るような目つきで睨まれてしまった。

「俺はそういうのはいい。必要なら、お前一人で行けば……」
「いや、俺はいいっすよ。そうじゃなくて、エルスペス嬢はそういう相手としては、相応しくないと思いますよ」
「そういう相手ってなんだ? 爵位は親族に譲っても、彼女は前伯爵の娘だ。俺と結婚するのに問題ないだろう?」
「まさか本気で結婚するつもりなんですか? 例の公爵令嬢はどうすんですか?」
「ステファニーとは結婚しないと、何度も言わせるな!」

 殿下はそう言うが、ステファニー嬢を捨ててエルスペス嬢と結婚なんて、貴族の勢力図に疎い俺ですら、無理だろって思うんだが、エルスペス嬢がマックス・アシュバートン中佐の娘だからなのか、殿下は不可能とは思わないらしい。

「結婚云々は、まず、互いによく知り合ってからじゃないっすか? いきなり知らない相手にプロポーズされても引くでしょ、普通。まず、ドレスや宝石をプレゼントするところから始めたらどうですか? 殿下と一緒に出掛けるのに、みすぼらしい服装じゃあ、女性は楽しめないですからね。女性は何のかんの言って、ドレスや宝石を贈られて、悪い気はしないですよ」

 これは俺の持論でもある。……というか、世の中の高級メゾンや仕立て屋や宝石屋は、「着飾りたい」「着飾らせたい」という男女の欲で成り立っているのだから。

「……仕立て屋か……だが、陸軍の司令部にそんなのを呼び入れたら、まずいんじゃないか? 俺の郊外の邸に――」
「最近は高級メゾンに行けばいいっすよ。……俺の姉貴の店に相談しましょうか?」
「そうだった! お前の姉は仕立て屋だったな!」
「ドレス・メーカーとか、婦人服のメゾンって言うんすよ。店まで連れていけば、後は店に任せればいいっす」
「いや、俺も彼女に似合う服を選びたい……!」

 頬を紅潮させ、金色の瞳をキラキラ輝かせて、殿下はなんと、多忙なスケジュールをかいくぐって自ら姉貴のメゾンに「下見」に行き、姉貴から説明を受ける。

「……なるほど、最近の流行はこういうドレスなのか。昔、王妃……母上が着ていたのとは、だいぶ違うな」
「コルセットの必要のないのがほとんどですわ、殿下」
「ここではオーランド卿と呼んでくれ。王子とバレると色々、差し障りがある」

 殿下がデザイン画の載ったカタログを捲りながら言う。レコンフィールド公爵令嬢との婚約を、殿下は何度も断っているのに、国王陛下も公爵も、そしてステファニー嬢自身も納得してくれないらしい。そんな状況で他の、それも没落した元伯爵令嬢にドレスを贈り、デートに誘って口説くつもりなのだ。公爵やステファニー嬢に知られたら、さすがにただでは済むまい。

 殿下はメゾンに点在する、ドレスを着たトルソーを見ながら尋ねる。

「やはり、採寸しないとドレスは無理なのか?」
「体にぴったりフィットしたものは無理ですわねぇ。……ただ、最近は直線ちの、ちょっと東洋風の直線的なラインのドレスも作っていて――主には高級既製服プレタポルテとして出しているのですけど」

 姉がとあるトルソーのドレスを指して言った。ストンとまっすぐなシルエットで、それでもところどころにタックが入って、ドレープを見せるデザインだ。
 
「これなんかは、大まかなサイズがわかっていれば、事前に作ることも可能です。当日、ちょっとだけ裾や腰回りを修正すれば大丈夫」

 俺は殿下が何を考えているかわからなくて、尋ねた。

「採寸しないドレスが何で必要なんです?」
「せっかくここまで連れだしたら、その足で食事でもしたいじゃないか。そのまますぐバイバイなんて、残念過ぎる。でも確かに、あの事務職員の制服で高級レストランに行ったら悪目立ちするし、彼女も落ち着かないだろう。だから、当日に着れるドレスが準備できれば――」

 抜けているくせに、エルスペス嬢とのデートに関してだけ、異様なほど妄想力が高まっている。……そう言えば、郊外の邸は不便だから、王都に高級アパートメントを買うとか言っていたが、つまりあれも……。

「殿下――勝手に妄想するのはいいですが、彼女を誘う文句は考えたんですか? あれは難敵っすよ。何しろ《氷漬けの処女》っすからね」 

 だからこそ、これまで売れずに残っていたわけだし。あれだけしつこく言い寄っているハートネル中尉ですら、デートには漕ぎつけていない。

「うーん……ハートネルとは付き合ってない、結婚するつもりもない、とは言質を取ったんだが――」
「それと、殿下と付き合うかどうかは別問題でしょ」

 俺が釘を刺す。

「じゃあ、高級既製服プレタポルテを一着準備しておくのはいいとして――布は後で選んでいただきますけど――注文服もどんな用途で?」
「行きたい場所があるんだ」

 殿下が目をキラキラさせる。――どこか、遠い昔を思い描くような、そんな目をした。

「ワーズワース侯爵邸なんだが……」
「じゃあ、仮面舞踏会ですわね。殿下もあれに参加を?」
「は?」

 殿下が目を丸くする。

「いや、俺はあそこの大広間の天井画が見たいだけで……エル・グランの有名な《最後の審判》なんだ。だから、侯爵に頼んで入れてもらおうかと――」
「王都のワーズワース邸なら、もう人手に渡っていましてよ? 最近は若手芸術家の家になっていて、時々、仮面舞踏会などの催しがありますの。てっきりそれに参加なさるのかと」
 
 俺たちが戦争に行っている間に、王都の高位貴族の中には、経済的に破綻して邸や土地を手放す者がかなりいた。

「……そんなことが……」
 
 殿下は茫然とした後で、すぐに俺に、その仮面舞踏会のことを調べるように命じた。

「俺はどうしても、あの天井画を彼女と見たいんだ! いいな!」
「ええ?……でもちょっとマニアックじゃないっすか? 初デートでそんな天井画見せられたって、ドン引きでしょ」
「大丈夫だ、最初のデートはあそこに決めている」

 その殿下の断固とした表情を見た時に、俺はもしかして、殿下はエルスペス嬢に以前に会ったことがあるのではと、初めて思い至った。






 俺は殿下がエルスペス嬢を誘う現場には居合わせなかったけれど、二人のやり取りから推測するに、「殿下の間諜スパイごっこに付き合う」という訳の分からない業務だと、言いくるめて連れ出したらしい。俺は内心、頭を抱えた。

 どうして、ちゃんと本心を明かして誘わないのか。絶対、後々面倒くさいことになるのに。

 そもそも、昔の知り合いならば、なぜそのことを明かさないのか。
 理解できないまま、俺と姉貴の奮闘により、何とか二人を旧ワーズワース邸での仮面舞踏会に送り込む。あからさまに浮かれている殿下と、仕事とスッパリ割り切った風のエルスペス嬢。殿下を応援する目線だと、二人の温度差が物哀しい。

 ――もちろん、俺も仮面を被って片隅で参加してた。王都で今、一番金を持ってるやつらが集まる催しだけあって、商売に有益な情報を仕入れることができ、有意義ではあった。



 そして――。

 殿下にとって、おそらく忘れられない存在だったであろうエルスペス嬢は、殿下のことをまるっと忘れていて、殿下がそれにめちゃくちゃ凹んでいたことも、俺は理解した。
  


 
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