【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

文字の大きさ
上 下
48 / 190
第一章

神罰

しおりを挟む
 わたしが立ち上がると、殿下も一緒に行くと言い張った。

「でも――」
「俺も、話すことがある。どうしても――」

 こんな状態で、おばあ様に殿下を会わせるなんてと、わたしは躊躇ったが、ジョンソンが口を挟んだ。

「畏れながら……ご一緒にお話しなさる方がいいと、思います。アルバート殿下……いえ、リジー様」

 リジー様、と呼びかけられて、殿下がビクリと顔を上げ、ジョンソンの顔をじっと見た。

「やはり、気づいていたか」
「……はい。ですが、奥様に申し上げるべきか、悩んで……お嬢様との件を、もっと早くお伝えしておくべきだったと、今更ながら後悔しております」

 ジョンソンが項垂れる。
 わたしには意味がわからない。リジーは、お忍びの時の殿下の偽名で、それを、ジョンソンがなぜ。そして、おばあ様も――?

「入ろう、エルシー」

 殿下に促されて、病室に入る。祖母のベッドのわきに立っていたコーネル医師がわたしたちに気づき、一瞬、目を見開くが、何も言わずに近づいて、耳元でそっと言った。

「意識があるのは、これが最後かもしれません。……今、看護婦に聖職者を呼びに行かせています」

 医師はそれだけ言うと、そっと部屋を出ていく。そしてメアリーも。
 部屋に残ったのは、わたしと殿下と、そしてすっかり痩せて、青ざめた祖母。

「……エルシー……その人は……リジー?」
「ええ、そうです、。ずいぶん、ご無沙汰しました」

 祖母に穏やかな口調で挨拶する殿下に、わたしはびっくりして言葉もない。祖母は、懐かしそうに殿下を見て、言った。

「そうね、もう、会うことはないと思っていたわ。……十二年になるかしら。そうして見ると、少しだけ面影があるわね。……ローズの……」
「おばあ様、今日はエルシーとの結婚のお許しをもらいにきました」

 殿下の口調はいつもと違い穏やかで――どこか、少年のようだった。わたしはどうしていいかわからなくて、ただ二人の顔を交互に見る。おばあ様は一瞬だけわたしを見て、すぐに視線を殿下に戻し、言った。

「……だめよ。前も言ったでしょう。お前にエルシーはやれないわ。ローズの二の舞はごめんよ。あきらめて」
「おばあ様、僕は父上とは違う。……絶対に、エルシーを守る。僕はあの時の僕じゃない。変わったんだ。お金だってある。自分で稼いだんだ。王家の金じゃなくて、俺の――自分の金だし、力だって――」
「だめよ。言ったじゃない。……お前がカッスルを離れる時に言ったわ。エルシーはダメだと。お金の問題じゃないわ。エルシーを守るのはお金じゃあないのよ」

 祖母は深い、深い溜息をついて、わたしと殿下を交互に見た。

「リジー、お前は約束を破ったのね。……わたくしの、エルシーを……」

 わたしは思わず、祖母に取りすがるようにして、言った。

「おばあ様……わたし……」

 祖母はわたしをちらりと見て、微かに首を振った。

「本当に、馬鹿な子ね。……なぜ、わたくしの言うことを聞かなかったの。仕事も、早くやめなさいと言ったのに。王家の人など信じてはダメだってことは、ローズの時にわかっていたの。……ただ、わたくしはローズの子を見捨てられなかった……」

 祖母は目を閉じた。その顔色は青白くて、死が、すぐそばまで来ているのだと、わたしにもわかった。

「マックスが死んだ時に……仕方ないと思ったわ。マックスはああいう子だから。目の前の弱い者を守らないではいられない。でも……最後に残ったのがエルシーじゃなければ……男のビリーなら、わたくしでも守れたかもしれない。でも、女のエルシーは、わたくしには守り切れない。きっとまた、ローズの二の舞になる。それだけは……最後に残ったエルシーだけはと……」

 ……わたしは、祖母が久しぶりに、わたしをエルシーと呼んだことに気づいた。
 カッスルを出てからは、一度も呼ばなかった愛称を。
 
「おばあ様、確かに僕は約束を破った。でも、僕はエルシーを愛してる! おばあ様! 必ず守ってみせるから!」

 殿下が祖母に縋るように言って、わたしはようやく思い出す。

 リジー・オーランド。
 祖母の、遠縁の娘だったローズの息子。ほんの数ヶ月、城に滞在した少年。あの頃はもっと背も低く痩せていた。黒い髪はゴワゴワの癖っ毛で、鼻の頭にそばかすまで浮いて、弱々しくて自信なさげな男の子だった。……今の殿下からは想像もできない、頼りなげな、でも優しかった彼。

 祖母は痩せた瞼を伏せ、ゆっくりと首を振る。

「じゃあどうして、エルシーをローズの二の舞にしたの。公爵令嬢との結婚は前から決まっていたのに。お前は――結局、お前のしたことは、お前の父親と同じ。王家の権力と財力を使って、エルシーを汚して辱めた。……わたくしの、大事なエルシーを」

 祖母は微かに目を開けて、殿下を見つめる。

「それは……僕はエルシーを愛していて……だから……」
「お前は確かに力をつけた。戦争の英雄になって、国を守った。……でも、その力でエルシーに、神様の許さない関係を強いた。……わたくしの、治療費と引き換えに……」
、違う、僕は――」
「……ああ神様……ローズを……エルシーを……お許し、ください……」

 おばあ様は目を閉じ、すうっと意識を失っていく。

「おばあ様!」
「……おばあ様、絶対に、守るから……僕が……おばあ様!」

 殿下と二人で必死に呼びかけたけれど、祖母はそれきり、呼びかけには応えてくれなかった。
 殿下が医師ドクターを呼びにいき、わたしはおばあ様の枕元に膝をつき、その痩せた顔を見つめる。

「おばあ様……」

 わたしが、いけなかったの?
 わたしは――どうしたらよかったの?

 殿下の、ものになっては、いけなかったの――?


 
 医師ドクターと看護婦と、そして告解の牧師様が入ってくる。
 
 医師が祖母に呼び掛け、祖母がうっすらと目を開ける。白い髭の聖職者が祖母の耳元で祈りを捧げると、祖母はわずかに頷いたようだった。

「……エルシー……」

 それが、祖母の最後の言葉だった。


 




 祖母が死んだ。

 わたしは、一人になった。
 もう、働く必要も、殿下の愛人をする必要もない。

 罰が、当たったのだ。
 
 婚約者のいる人と寝て、お金のために身体を明け渡した。

 ――神罰は本当に下るのよ。

 祖母の言葉は、祖母の死によって真実になった。わたしは祖母を助けたくて罪を犯した。神様の許さない関係を持った代償は、祖母の命だった。

 わたしは、何て罪深い――。






『エルシー、ああ、この絵の本物は僕は見たことがあるよ。エル・グランの最後の審判だ』
『さいごの、しんぱん?』
『そう、人が死んで、神様から罪の重さを判定されるんだよ。罪があれば地獄へ。なければ、天国へ。天井いっぱい、この絵が描かれていて、すごかった。首が痛くなるよ――いつか、エルシーが王都に来たら、一緒に見に行こう。ワーズワース侯爵……知り合いのお邸だから。』

 また、あの夢。
 カッスルの、かび臭い図書室ライブラリー。わたしを膝に乗せて画集を捲るのは――。

『リジー、その絵、怖い』 
『大丈夫、ただの絵だよ』

 ランプの淡い光に照らされた、リジーの金色の瞳が揺れる。
 少し、癖があって、ごわごわした黒い髪。まだ十代の半ばの、少年だったリジー。

 ほんの数か月、カッスルに滞在して……おばあ様の、親戚だって言ってた。

 おばあ様の遠縁の――ローズの、息子。でも、それはあまり言ってはいけないって。

 窓の外に青白い稲妻が走る。
 
 ゴロゴロゴロ……ピシャーン!

『リジー、怖い……』
『大丈夫だよ、エルシー』

 リジーがわたしを抱きしめて、髪にキスをする。何度も、何度も。

『大丈夫だよ、エルシー……怖くないよ、僕のお姫様、ずっと、側にいるから――』




『え、その絵? 欲しいの? ……あげるけど』 
『いいの? ほんと? 大事にする。……ずっと、暖炉の上に飾るの』
『うーん……あんまり上手い絵じゃあないけど……』

 おばあ様の執事だったジョンソンに強請って立派な額に入れて、子供部屋の暖炉の上に飾った時、リジーは少し照れ臭そうにしていたっけ。

『本当にずっと飾るの? 飽きない?』
『飽きないよ、大好きだもの』

 リジーも、リジーの描いた絵も――。


 


 黄色く色づいた楓並木、遠ざかる馬車をわたしが追いかけて――。

『リジー!』

 馬車の後ろの窓から、わたしに気づいたリジーが馬車を止めて降りてくる。駆け続けに駆けて、その腕に飛び込む。

『いや、行かないで! ずっと側にいるって言ったのに! 嘘つき!』
『エルシー……ごめん……』

 しゃがみこんだ彼の首筋に縋りつき、泣きじゃくるわたしを、リジーがぎゅっと抱きしめる。リジーの金色の瞳も、涙で濡れていた。

『エルシー、リジーは学校に行かなければならないんだ。いつまでもお前と遊んではいられない。……人は皆、大人になるのだから』

 続いて馬車から降りた父が、わたしを窘める。でも――。

『ごめん、エルシー、ごめん……』

 リジーが、わたしの耳元に囁く。

『必ず、また会いに来る。きっと――』

 黄色い楓並木に立ち尽くし、馬車が見えなくなるまで見送って――。
 青い空と黄色い楓の並木は、そのせいで、わたしをいつも哀しい気持ちにさせる。

 おばあ様が、リジーの話をするのを禁じて、破ったらひどくお怒りになった。
 だから、わたしも、弟も、だんだんとリジーのことは忘れていった。

 彼と過ごした日々のことも。
 荒れ地ムアに子馬で出かけた日のことも。
 図書室ライブラリーで画集を見た夜も。
 画廊ロングギャラリーでかけっこをして、叱られた雨の午後も。
 薔薇園ローズ・ガーデンで、彼の絵のモデルになったことも。

 あの薔薇園の絵が、彼の残した唯一の、思い出の品だということも。

 何もかも。





 ずっと、忘れたままでいれば、よかったのかも、しれない。

 
 祖母の、いいつけを破ったわたしには神罰が下り、一人ぼっちになった。
しおりを挟む
感想 289

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。

恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。 パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

処理中です...