【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第一章

非情な宣告

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 夕刻には殿下のアパートメントに帰り、その日も殿下は王宮に呼び出されているとかで、わたしは一人で夕食を終え、入浴も済ませて、例の薄紫色のキモノを羽織り、寛いでいた。
 あの奥の部屋での一件以来、わたしはずいぶん殿下に怯えているが、入院騒ぎの後はロクに顔も見ていない。――今日はあちこち視察の上、公務があると言って司令部にはいらっしゃらなかった。
 遇わないなら遇わないで、ホッとするような、なんだか物足りない気分さえするし、人間って不思議なものだ。

「でも、お礼はちゃんと言わないとだめよね……」

 祖母を入院させてくれて、入院費用も立て替えてくれて、しかも宿まで提供してもらっている。至れり尽くせりだ。今後、殿下にどんな無理難題を要求されても、わたしは拒否することはできないだろう。そう考えると再び不安が襲ってきて、わたしは立ち上がり、寝室の暖炉の上に置いた、薔薇園ローズ・ガーデンの絵を手に取った。

 緑濃い庭の、あちこちに咲き誇る薔薇。蔓薔薇のアーチをくぐるレンガの小道の向こうには、白い大理石の彫刻の噴水がある。

 ――間違いなく、これはかつて暮らしたカッスルの薔薇園だ。

「……もしかして、これ、わたしと弟だ……」

 噴水の縁に座っている、白いドレスを着た二人の子供。少し小さい方がきっと弟のウィリアムだ。――だいたい、七歳くらいまで、男の子も女の子と同じドレスを着て過ごす。昔はよく、お揃いのレースのついたドレスを着せられていた。弟の方が大人しくて身体が弱くて、お転婆のわたしの方が活発で、男女逆だと言われていた。

 弟がドレスを着ていたのは七歳のころまで、つまりわたしが九歳のころまで。この絵を描いた人がわたしたちの城に滞在したのは、きっと今から十年以上昔のことだ。この絵の感じだと、遠目にも弟は七歳よりも小さいように思う。弟が四、五歳、わたしが六、七歳と言ったところか。

 記憶を辿ってみても、イーゼルの前に立っていた人の顔には記憶がない。ただあまり背が高くなかったこと、黒髪だったことくらいだ。名前も――。

 ジョンソンは、「本名は知らない」と言っていた。……そんなワケアリそうな人を、お父様はともかく、おばあ様が客人として受け入れていたとはちょっと信じられない。

 でもなんだろう――何かがひっかかる。
 すごく簡単なことを見落としているような、そんな気持ち悪さがあって、わたしは眉を顰めた。
 
「これ、どこに飾ろう……」

 こんな素人の描いた絵を飾ったら、殿下は怒るかしら。

 そんなことを考えていると、物音がして殿下が戻ってきたらしい。
 挨拶に行くべきか、でももう寝間着に着替えてしまったし……とわたしが逡巡するうちに、バタンと居間に続くのとは違うドアが開き、入ってきた殿下が灯りがついていることにギョッとして立ち止まった。

「起きていたのか……!」
「え? で、殿下? どこから?……ってそのドア、開くんですか?」

 暖炉の前に立って絵を見ていたわたしは、呆然と立ち尽くす。コネクティング・ドアがあるのは知っていたけれど、開かないものだとばかり思っていたからだ。まさか殿下がそこから出てくるとは……。

「そのドア、どこに続いているんです?」

 何となく不審に思ってわたしが尋ねると、殿下は気まずそうに視線を泳がせた。

「その……俺の、部屋だ」
「!!」

 驚愕のあまり声も出ない。じゃあ、昨夜の枕のくぼみも……。
 まさか、自分の部屋と繋がっている寝室を、わたしに宛がっているだなんて、どう考えても愛人一直線じゃないの!
 
「殿下……その……たしかに、祖母のことではお世話になりましたし、宿を提供していただいて、感謝しています。でも――」
「エルシー……俺は……」

 殿下はしばらく無言で考えるようにしてから、ゆっくりわたしの方に歩み寄り、わたしを抱き寄せる。

「殿……」
「何も言うな。俺は、卑怯かもしれないが、どうしてもお前が欲しい」

 そう言うとわたしに強引に口づけ、さらに強く抱きしめる。かなり長いこと唇を貪ってから、殿下はわたしを解放すると、わたしが抱えている絵を見て、目を瞠った。

「それ――わざわざ持ってきたのか。そんな、価値のない絵を」

 価値がない、と言われ、わたしはムッとして眉を寄せ、ぎゅっと絵を抱きしめる。

「放っておいてください。……城から持ち出せた唯一の絵なんですから!」
「……大事なものなのか?」
「ええ、とっても! 誰が描いたのかも知りませんけど!」

 フンッと顔を逸らして言えば、殿下は無言でわたしを見ていたが、突如、わたしの手から絵を奪い、暖炉の上に無造作に置いた。それからもう一度、強引に口づけて、そのままわたしの膝の裏に腕を回し、わたしを横抱きにした。急にフワリと抱き上げられ、わたしは驚いて殿下の首筋に縋りつく。――この感覚、以前にも?

 だが殿下がわたしを寝台に下ろし、圧し掛かるように唇を塞いできたことで、わたしの感傷も弾け飛んだ。

「や、何を――」
「観念しろ。本当は昨夜欲しかったのを、必死の思いで我慢したんだぞ? 今夜まで拒まれたら、俺は発狂する自信がある」

 殿下がわたしをギラギラした瞳で見下ろしてきて、わたしは背筋が凍った。――あの時と、同じ目だ。怖い……。

 ベッドの上で男女が何をするのか、具体的には知らないが、女にとってそれが非常に拙い事態を招くことは、世間知らずのわたしですら知っている。

「待ってください! 困ります……わたしは……」

 落ちぶれたとはいえ、わたしだって貴族の血筋を引く女。欲望のはけ口にされるわけにいかない。
 必死で両腕を突っ張り、殿下の拘束から逃れようと身を捩るが、こうして圧し掛かられると殿下はずいぶんと身体が大きく、目の前に立ちふさがる壁のようにびくともしない。
 殿下が金色の目で、わたしを見つめる。

「エルシー。責任は取る。悪いようにはしない。……お前が欲しい」
「嘘、無茶です!」

 こういう場合に責任を取る、というのは「結婚する」という意味だと聞いたが、王子である殿下が爵位もないわたしと結婚するなんて、あり得ない。

「エルシー。俺は本気だ」
「本気でもできることとできないことがあります! わたしを傷物にして捨てるつもり?」
「傷物にはするが捨てるつもりはない。一生、大切にする」

 殿下はそう言うと、抵抗を封じるようにわたしの唇を塞ぐ。舌が唇の間から捻じ込まれ、口中を蹂躙される。唾液を吸い上げられ、舌を絡め取られ、脳が麻痺して、抵抗の力が削がれていく。殿下の大きな手がモスリンの寝間着の上からわたしの身体の線をなぞる。今日はノーラが出しておいた、キモノ風に打ち合わせてウエストをリボンで締めるタイプの寝間着で、ハッと気づいた時にはリボンを解かれて前をはだけられていた。

 何てこと!こんな脱がせやすい寝間着を用意されていたなんて、ノーラもグルだ!

 わたしは絶望で泣きそうになったが、殿下は全く容赦せず、露わになったわたしの二つの胸を大きな両手で覆った。

「やあっ……やめっ……」
「エルシー……綺麗だ……」

 殿下は感慨深げにわたしの身体を見下ろし、深い溜息とともに呟く。
 誰にも見せたことのない肌を見られていることに、わたしの羞恥心が膨れ上がり、足をばたつかせ、最後の抵抗とばかりに腕を振り回す。だが殿下はわたしの両の手首を捕まえると大きな片手でひとまとめに持って、それを頭上で枕に押し付けるようにして、わたしの動きを封じた。逃れようともがくけれど、力の差が大きすぎてビクリとも動かない。

 殿下がわたしをまっすぐに見下ろして、無情な宣告を下した。

「無駄だ、エルシー。お前は俺のものだ」
「いや、お願いです、いや!」
「……お前は俺の秘書官だろう?ならば俺の命令に従え」
「そんな……これも、業務の一環だとでも?」

 わたしが半泣きになって睨みつけると、殿下が微かに眉を顰め、言った。

「……そうだ、拒むことは許さない」

 絶望のあまり、わたしの両の目尻から涙が溢れ出した。

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