【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂

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第一章

父の秘密

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 殿下が予約していたのは王都の超一流店の、さらに個室だった。よく訓練されたウェイターに先導されて席につくと、グラスにはすかさず、殿下が選んだ発泡スパークリングワインが注がれる。その薄い金色の泡立つ液体を見ていて、わたしは不意に、家族に連絡をしていないことを思い出し、青くなった。メアリーとジョンソンが心配しているだろうし、場合によっては祖母が大騒ぎしているかもしれない。
  
「……いけない! わたし、家に連絡を……!」

 殿下はウエストコートのポケットから懐中時計を出し、時刻を確かめて言った。

「さっき、ロベルトに命じてお前の家には使いをやった。今夜は残業で食事もいらないと」
「申し訳ありません。……ご馳走になってしまって」

 神妙に頭を下げるわたしを見て、殿下がくつくつと笑う。
 
「別に俺が強引に誘っただけだ。……これも業務の一環だと、さっき言っただろう? なるべく自然に振る舞えるようにしろよ? 今日は練習だ」
「はあ……」

 促されてワイングラスを持ち上げ、軽く乾杯して口をつける。……酒はあまり得意ではないが、これは何とか飲めそうだ。

 次々と運ばれる見たこともない料理たち。……いくつかは、昔、リンドホルムの城でなら出たこともあったかもしれない。

 綺麗に盛り付けられた前菜、丁寧に裏ごしされた口当たりのいいスープ。どれもほんのちょっとずつで、もっと食べたいと思わせる。だが品数の多さを考えれば、一品一品の量は少なくないと食べきれない。

「さすがに上品に食べるな」

 殿下に言われて、わたしはハッと顔を上げる。
 ……祖母は食事のマナーにも口うるさい。庶民的な料理を王侯貴族のマナーで食べさせられてきたので、高級レストランでも普段通りのマナーで乗り切れるのだろう。……再び祖母に感謝しつつ、料理を食べていく。

 王都の小さな家で、わたしたちは本当に、爪に火を灯すように暮らしてきた。貴族的な暮らしに慣れ親しんだ祖母が、よく耐えていられると思う。

(……はあ、おばあ様に食べさせて差し上げたかった……)
 
 フォアグラのステーキを口に運びながらそんなことを考えていると、殿下がわたしに尋ねる。

「何を考えている?」
「えっ?……その……祖母にも食べさせてあげたいと……」

 その返事は意外だったらしく、殿下は肩を震わせて笑い出した。

「お前は本当に祖母思いだな」
「……すみません」
「謝ることはない。……まあいずれ、お前の祖母とも食事ができればいいな」
「それは無理では……」
 
 祖母は身体を壊しているのもあるけれど、父の戦死のことで、王家に対して複雑な心情を抱いているから、たとえ殿下がご招待くださっても、素直には受けないのではないだろうか。ただわたしはそのことは触れずに、祖母の体調がよくないとだけ言った。

「これはとても美味しいですが、祖母には少しばかり脂っこいかもしれません。最近、本当に食が細くなって……」

 デザートのチョコレート・ムースを殿下は断って、なんだか強そうな琥珀色のお酒を小さなグラスで召し上がっている。……チョコレート! 幼いころに食べたあの味を、もう一度味わえるなんて想像もしていなかった。もう二度と食べられないかもと思っていたわたしは、なるべくがっついて見えないように、意識的にゆっくりスプーンを口に運ぶ。しかし、物事にはすべて終わりがある。空になったチョコレートムースの器を内心、恨めしく眺めながらわたしはスプーンを置き、食後のコーヒーに手を伸ばす。

「……そう言えば、さっき、デザートはまた今度、とか仰っていましたが……」

 わたしの問いに、殿下が咽て、口に含んだお酒を吹きそうになり、ゲホゲホと咳き込む。

「大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない……」

 殿下が慌ててナプキンで口元を拭う。それからチラリとわたしを見て、言った。

「そうだなあ……デザートは三度目のディナーの後くらいまでお預けかな」
「はあ……」
「お前は十九になると言ってたな。……その年まで、恋人らしきはいないのか?」
 
 予想外の問いに、わたしは首を傾げる。

「恋人ですか? ……こんな、持参金もない小娘に? まさか!」
「ハートネルはご執心だったみたいだが」
「あの人はいろんな人に粉をかけていましたからね。たまたまわたしは帰る方向が一緒で、付きまとわれていただけです」
「あいつは子爵家の三男で、血筋は悪くないぞ?」
 
 だがわたしは首を振る。

 「わたしも元貴族だからわかりますけど、ああいうお家の次男、三男はもっとお金持ちの女性を狙います。それか、跡継ぎのいなくて代襲相続の勅許が降りている、貴族のご令嬢とかね。自分は無理でも、息子に爵位を継がせる可能性がありますから」

 我が国の法では、女児への爵位や領地の継承は基本、認められないけれど、直系の娘がいる場合に限り、王家に申し出れば娘の子への継承は認められることがある。ただ、その場合でも爵位の継承者は娘が産んだ直系の男児のみで、娘は一時的な「代理人」となるだけだ。

「……お前の家はなぜ、勅許を願い出なかった」

 殿下の問いに、何を今さらとわたしが言った。

「まさか。願い出たに決まっています。父を継いだ弟が一年も経たずに急死して、……父は戦死でしたから、当然、勅許は降りると思っていましたのに――」
「……まさか、却下されたってのか?」

 信じられない、という風に殿下の金色の瞳が見開かれる。

「なぜ。マックス・アシュバートンは国事に死んだ。普通は――」
「思うに、間に弟が入ってしまったことと、戦死であるのは確かですが、状況が明らかでないからと……国事に死んだとまでは言い切れないとの決定でした」

 結局、爵位と領地は父の従兄が相続し、わたしと祖母はリンドホルム城からほぼ無一文で追い出されたのだ。……祖母が、王家に対して複雑な感情を抱いているのは、そのせいだ。

「知らなかった……」
 
 ポツリと呟く殿下に、わたしは尋ねる。

「父のことをご存知だったのですか?」
「ああ――実は――マックス・アシュバートン中佐は俺の、護衛だった」

 殿下の告白に、今度はわたしが目を瞠る。 

「護衛と言っても、その、表向きのではない、秘密の、な」
「秘密の――」
「公にはされていないが、マックス・アシュバートンは特務将校だったんだ。だから、功績などもあまり公にはできなくて……だが、それを理由に申請が却下されたとすれば、問題だ」
 
 わたしは初めて知った事実に茫然と殿下を見つめていたが、殿下は納得できないと言う風に首を振った。

「マックス・アシュバートンは王家の直属で、特殊な任務を帯び、そのために死んだ。その家族が困窮していることを、王家はまるで把握していなかった。それに、代襲相続の申請が却下されたというのも信じがたい。所属部隊に問い合わせれば、マックス・アシュバートンの任務も、戦死の状況もすぐにわかったはずなのに。……これについては俺からも調査を命じておく」
「はあ……」

 今さら爵位と領地が戻ってきたところで、今度は現在のリンドホルム伯爵である、父の従兄やその家族の、余計な恨みを買いそうで嫌だなと、わたしは思った。

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